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平成22年4月26日 校正すみ

河合不死男の写真集

鉄鯨学校を飛び出す
今日から特潜部隊へ 死一文字の若き血潮

鉄鯨学校とは潜水学校のこと。

11期潜水学校普通科卒業時のもの。

そして直後に志願して回天隊に入隊。

軍艦榛名残留ヘル士官
なんと言っても矢張りなつかしい

河合中尉は潜水学校入校以前は戦艦榛名に乗艦していた。写真はその同僚(海兵72期)の人達。
前列左より石津寿大尉、出口勝巳大尉、藤田直司大尉、後列野崎貞雄大尉(終戦時)。

(「ヘル」とは頭文字をとって「エッチな」、という海軍の隠語。)

足立英夫
ヤッパリ伍長は偉い、わしゃかなわなかった! 

(河合中尉はこの時伍長補)。
右下にあるのは伍長の愛称だったのか、
あひるの絵。

旗艦長官招待 出撃アト五指に足らず。
三日前に戦局は一変した。
貴様後に残れのつれなきお言葉

前列左より
渡辺少尉、福田中尉、河合中尉、仁科中尉、三輪中将、石川中尉、柿崎中尉、今西少尉、近藤少尉。

河合中尉は、当初第一陣の菊水隊で出撃の予定であったが、潜水艦5艦の出撃が作戦変更で3艦出撃になったため、第一基地回天隊(白龍隊)隊長として出撃することになった。

半分死んだ、今度は俺か

一号(三年)同分隊の仲間と共に

(河合中尉前列右)

伊勢参宮

神域(日本の領域)に敵はもう来ている

第1回人間魚雷特別攻撃隊編成決定
回天編成隊が決まった時のもの。
左より福本上曹、豊住中尉、川久保中尉、仁科中尉、
河合中尉、福田中尉、渡辺少尉、古川上曹。

待ちに待った出撃記念撮影

前列左より堀田少尉、河合中尉、赤近二飛曹。
後列左より、新野二曹、田中二曹、猪熊二飛曹、佐藤二曹、伊東二飛曹。

生き残り早く出させろ、
思いは同じだ
特攻訓練の合間のスナップ写真。左より
前列 久住中尉、加賀谷大尉、三谷大尉、橋口中尉。
後列河合中尉、帖佐大尉、福島中尉、山地大尉、小灘中尉

村上中尉 口惜しかっただろう
必ず仇はとってやる、心配するな

村上中尉は海軍機関学校(53期)出身。
11月8日、菊水隊として伊三七潜で出撃。
11
19日、撃沈され戦死。

酒の相手はいつも伊東、実にいい男だった

川久保、本当の軍人だ

 訓練合間のスナップ写真。

前列左より小林中尉、伊東中尉、川久保中尉。

後列左より橋口中尉、久住中尉、河合中尉

兵学校一号より共に楽しみ苦しんだ
学生の指導満点 
純忠一本の貴様の最後を思う時
胸をいためて、ただ義憤

訓練合間のスナップ写真。
右久住中尉、左河合中尉。
久住中尉は一号 河合中尉と同分隊

戦友は次々と出撃して行く
先のものも後から来たものも皆後(俺?)を残して
顔は笑えど心は暗い

「日本の国は本当に有り難いものだ、天皇陛下のためならみんな笑って死んで行く」
石川は出撃の壮行会の晩に俺に話した

訓練合間のスナップ写真。 前列左より
石川中尉、加賀谷大尉、河合中尉

後列左より
橋口中尉、山地大尉、帖佐大尉、吉本中尉。

人間魚雷も木石にあらず
もののあわれも知るものを
訪ねて来たり 秋
荒城の月

休息日を利用した記念撮影。
写っているのは皆回天搭乗員。
場所は大分県竹田岡城址
(滝廉太郎が「荒城の月」を作曲した地)。

18号輸送船で進出に際しての写真 二列目(座っている人)左より
猪熊二飛曹、新野二曹、田中二曹、樽井掌整備長、吉田少尉、河合中尉、長井司令官、板倉参謀、
堀田少尉、島田医少尉、河田機曹長、赤近二飛曹、伊東二飛曹、是枝少佐。

出撃直前   左より

前列 赤近二飛曹、猪熊二飛曹、新野二曹、河合中尉、長井司令官、堀田少尉、田中二曹、伊東二飛曹。
後列 是枝少佐、不明、河田機曹長、島田医少尉、吉田少尉、樽井掌整備長、有近参謀、板倉参謀。

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