故金子 忍の思い出
母 志げ
金子 忍
ニュースを拝読させていただき、戦時中のことではございますが、厚木飛行場の雷電戦闘機での猛訓練、ご活躍は、只今思い出してもどんなにご苦労なさいましたことかと、よくぞやったということに思われます。
私事で恐縮でございますが、故忍の生前の思い出を書かせていただきます。
昭和19年7月神ノ池を卒業しまして、上海勤務となり、7月30日上海に行きました。暫くして10月東京へ帰って来ました。それは厚木飛行場で雷電戦闘機の訓練のためで、10日位で終り上海に帰って行きました。その後、雷電の空輸のため3回帰って来ました。
20年2月2日厚木へ空輸のため来ましたが、厚木に飛行機がないので2日朝早く三重県の鈴鹿に行きました。その後4月2日にまた鈴鹿に来まして4月2日付の葉書が最後となりました。鈴鹿から雷電戦闘機を空輸して上海へ帰ってからしばらく上海で活躍していたようでしたが、5月2日敵機を追跡しての帰途、雷電のエソジンの故障で墜落即死だったそうでございます。自分でも空輸中、海上での事故ばかり心配しておりましたが、4回も空輸してのちのことだったことは、本人も満足だったことと思います。