天武隊出撃
有志会員Aさんのブログより
出撃したものの潜水艦と回天の損傷で発進が果たせなかった多々良隊は、4月20日、同じメンバーで再び天武隊として出撃することになります。連れて行ってくれる潜水艦は多々良隊の時と同じ伊47潜。
今回は停泊艦を狙うのではなく、ウルシーと沖縄の補給路を航行中の敵艦船を狙う、と決めたうえでの出撃でした。
写真も残っていますが、6人はそれぞれ満開の八重桜の枝を手に潜水艦に乗り込みます。
前回と違い、九州近海は平穏でした。退屈していると艦長が、「回天への乗艇訓練をやる」と言い出しました。
前回は泊地の停泊艦を狙った出撃だったので、艦長の方でも「何日の何時頃敵艦の集まっている場所に到着できる・・・・だから、いつ頃に回天への乗艇を命じればいい・・・・」そういう、だいたいの読みはできたのですが、今回は航行艦が相手です。いつ、どこで出くわすかわかりません。出くわしたなら、1分でも1秒でも早く回天を発進させる準備を整える必要があります。そのための乗艇訓練です。
「艦内から回天の中に飛び込んで完全にハッチを締め終わり、電話連絡をはじめるまで、何分何秒でできるか、やってみよう」という、艦長の提案でした。
ただし、実戦と混同するといけないので「回天戦」とは言わず、「搭乗員乗艇」と掛け声をかけることに決めました。
横田兵曹は退屈していたので「こいつはおもしろい」と勇みます。その後、張り切って艦長の「搭乗員乗艇」の命令を待ったのですが、いつまで待ってもかかりません。
「こうしていてもしかたがない。観的訓練でもやろう」
柿崎隊長が言い出しました。
基地から持ってきた小さな船の模型を使って、方位角右何度、左何度、と訓練しました。
(わたしもよくわからないのですが、回天は浮上した一瞬の間に敵艦の位置を観測し、あとは潜行して接近しないといけないので、一瞬で正確に敵艦の位置を把握する訓練をしていたのではないかと思います)
この訓練中も「搭乗員乗艇」の命令はかからず・・・・。
やがてお昼ごはんの時間になりました。
横田兵曹は身につけていた射角表、懐中電灯、秒時計などを全部肩から外してベッドの上に放り投げ、「さて、昼は何を食わすんだ?」とおかずを覗きこみ、箸を持ち上げました。
その途端、「訓練! 搭乗員乗艇!」いきなり伝声管から航海長の声が響きました。
艦長も人が悪い・・・・と思いますが、そんなことは言っておられません。
横田兵曹は小道具を持って走りだしますが、途中まで行って射角表を忘れたことに気づき、取りに戻りました。
6人が回天に乗り込む場所はそれぞれ別の場所でした。横田兵曹の回天はただでさえ時間がかかる場所だった上に、忘れ物をしたせいで6人の中で最下位になってしまいました。
2分5秒。一番早かったのは前田中尉の55秒でした。
この乗艇訓練は毎日繰り返され、横田兵曹も1分半ほどで電話連絡できるようになってきました。
出撃して1週間がたち、そろそろ敵と出会う公算が大きくなってきました。明日は沖縄とウルシーを結ぶ補給路に到達―という晩、ささやかな最後の会食が開かれました。前回までのように、回天発進直前にゆっくり別れを惜しむ暇はないから、という判断でした。横田兵曹も明日はいよいよ突入だと覚悟を決めます。ところが、翌日も、翌々日も、まったく敵影はありません。横田兵曹はだんだんいやになってきました。
『緊張しきって待っているのが、たまらなく苦しいのである。こうじらされるなんて、まったくやりきれない。口には出さないけれども、だれもが同じ気持だろう。一刻も早く会敵して、ひと思いに突入したかった』