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平成22年4月24日 校正すみ

平成15年9月寄稿

第五十六分隊から学ぶもの  

岡野 武弘(井尻 文彦の弟)

 平成十五年度「なにわ会」では、いろいろと学ぶことが多かった。特に、亡兄が、兵学校の最後を締めくくった第五十六分隊の生活がよく分かった。後述するが、感激的であった。

 昇殿参拝では、幹事の豊廣 稔様の祭文奏上に、福山正通中尉の辞世の短歌一首の朗詠があり、戦没者たちへの切情を歌い上げていて、胸に迫るものがあった。

 懇親会では、幹事の方々、同席した足立ご夫妻、岩本、平川様、さらに門松、伊藤様などの方々から親しくお声を賜った。会場全体にも、和気藹々(あいあい)のムードが溢れ、遺族たちへの相変わらぬ温情を感じ、いつも感じることながら御礼を申し述べたい気持ちになった。

 突然、浦本様から、肩を抱かれ、第五十六分隊卒業前(昭和十八年夏)の「写真」と福山正通伍長宛への「寄せ書き」を見せて頂いた。まことに幸甚であった。写真の兄の「陸戦」の服装に、「何で、兄ちゃんだけ、陸軍なんだ?」と母に問いながら、丁度、私は府立八中一年生の生意気盛りのあの時見た、あの一葉だとすぐに思いだした。分隊内の係活動を知らなかった。柔道着の浦本様初め岩本、平川のご両人様が昔の勇姿そのままに、眼前に実在され、若さと元気をゲットされていることに感動し、亡兄に成り代わって、ともに喜びの大乾杯だった。ほかに、川越様が生存されており(昇殿参拝されてご帰宅)、今度、お目にかかれる機会をと思う。福山伍長を中心に、品川、池田仲光、井尻、藤井、嶋津様の、今は亡き神の姿が写真にあった。

 ちなみに、これらを含め、兄の遺品の大半は、昭和二十年四月十四日の東京大空襲で焼失した。家族は、焼夷弾・機銃弾、ガソリンの雨降る大火災の中を、命からがら逃げ果(おお)せた。延べ四百三十九機のB29の無差別波状攻撃による万余の死傷者、罹災者を出した京浜地区の大被災だったのに、奇跡的に助かったのは、この日が、丁度、満二十二歳となるべき亡兄の誕生日で、雲の果てから伸ばした兄の救いの手のお陰だったのだと四人全員が手を取り、頷(うなず)きあって喜んだのであった。

 さて、この資料は、早速会館図書室で写しをとり、浦本様にお返しした。帰宅後、「福山正通少佐を想う」の表題の、豊廣様のドキュメンタリーな追悼文に魅せられ、一気に読了した。過去に入手した限りの会報記載文は、熟読し、敬服しているが、今回のこの文の内容にも深い感銘を受けて、辞世朗詠の同一の方の作と分かって、切々たる吟が、宣(むべ)なるかなと了解できた。緻密な調査と見事な構成の叙事叙情の文は、福山伍長の特攻に至る軌跡と心情に迫っていて、読むたびに、感激を新たにした。

ご両親の慈愛と毅然たる態度、弟正昭氏の兄を慕う心中など、私も昭和六年生まれの同年齢で、海兵を志す身だったから、相身互いと推察できた。

 「寄せ書き」には、同分隊の意識が、ユーモアたっぷりに語られ、福山伍長への信頼はユニークな表現ながら、共通のものであった。兵学校生徒の「死なば共に」の精神は崇高にして、他に類のないものと知った。兄の死も福山伍長の特攻戦死の一ヶ月後であり、それを知っての上のことと察した。幽明境を異にしていた間の「他日、また、あの空で大いに働こう。祈健闘」と書いた兄の気持ちや、決死の直前の隊内生活は、佐世保航空隊の兄の葬儀に父と共に参列した私には、痛切に伝わってくるものがあった。

 会報に寄せて、兄を書いた拙稿、『魂の復員』と『孫たちへの証言』があるが、さらに稿を進めて『人間・兄文彦』を書けそうな気がしてきた。

○ 国のため 盡す命を 惜しまねど

     唯気にかかる 國のゆくすえ

 私は、この辞世の意義を、現代教育に生かしたいと誓う。愛国の志士が危惧した『国のゆくすえ』とは何か。あるべき『国のゆくすえ』とは、どんな事なのか。長年教育に携わり、『望ましい、真なる民主社会国家と人間像』の育成を図ってきた身の不甲斐無さが何とも恥ずかしくなる。

 定年退職後、教育委員会嘱託、私学講師を終わり無職になった。都退職校長会神奈川県支部役員などの役職二件の傍ら、少年時の文筆家への夢を追って、今は悠々閑々、自適の時を過ごしている。その校長会の目標の一つに『教育の日制定』があり、十月を期して行動を画している。

 モラルの低下、国益を守れぬ政治家と国民など、憂いの多い世に、次代を担う子どもたちだけには、期待するところ大なるものがある。『国のゆくすえ』は彼らの『やる気』にかかっている。私は公教育の正義の遂行を、粘り強く支援していく。会の方々からもご意見頂ければ幸いである。

 最後に、『なにわ会』に一言。『軍艦行進曲』がようやく、勇ましくなくなり、遺族たちとの合唱で、気を使われすぎての結果だったのだろうかと気になることではあった。遺族たちは、別途に、生存者たちの方々への支援、感謝を込めて、『銃後』の歌を合唱してもよいのだ。如何なものか。

 また、遺族たちも、懇親会にも参加して下さり、新しい後継の輪を広げるよう僭(せん)越ながらお願いしたいものだ。

 兄弟喧嘩ばかりしていた次兄と共に『なにわ会』に出席しているが、今は大変な仲よしだ。亡兄の魂の引き寄せの業か?否、多くの兄に会い、人生を語り合える一日を望む心からなのである。

 皆々様のますますのご長寿を祈ります。今回は第五十六分隊の志士たちの誉れ永遠なれと、仏壇に向かい、般若心経を捧げた後、お神酒を一気に飲み干しました。

           (二〇〇三年六月二十四日)

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