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深井 良君の手紙

 深井 紳一(良の甥) 

伯父深井 良が母親や弟(私の父)利男にあてた手紙を紹介します。

一通目は開戦直後、母に海軍兵学校の変化、自分の覚悟等を知らせた手紙、

二通目は父(利男)への返事、

三通目は父が、物資が欠乏した横須賀の町の様子や、自分が寒稽古に行った事を書いた手紙に対する返信。

四通目は父(利男)が兄と同じ横中の受験に失敗し、他の中学には行けたのですが、思い切って高等科へ行って一年受験勉強をする決心をした事を伝える手紙に対する返事です。

 (翌年には横中へ入学が叶いました。)

五通目は実施部隊に配属されてからの母あての手紙

六通目はいよいよ出撃する時の手紙です。

 

こんなすばらしい手紙を書く伯父に一目会って見たかったなとつくづく思います。母へのハガキは本心も書けず、さぞつらい気持ちで書いたのでしょうね。

なるべく原文通りにしようと、「元氣」とか「相當續きました」などの古い漢字をパソコンで出すのが厄介で、IMEパッドの手書き入力を活用しました。

(編集部 昔の漢字が多数使用されているが、投稿者の意図を考え、そのままにした。ただし、送り仮名については、違和感が強いので、一部修正した。)

 

一通目 昭和十六年十二月十五日 (封書)

第一部三十七分隊 深井 良

深井タケ様あて

 

お母さん

大へん御無沙汰して申譯ありません。此れには色々理由があったのです。

全く本當の理由があったのです。先ず第一が日米戰争の勃発ですね。

これには、そちらでも相當驚いたことでしょう。遂に私達にとって来るべきものが来たのです。それ故、兵學校では、實に物凄いものですよ。まあ順序に話すことにしましょう。八日の朝でした、日本が英米と戰争を始めたということを知ったのは。私達も少しは豫期して居りましたが餘りに急なこと故、驚いたわけです。それから續いてもう一つ驚いたことは、海軍のすばらしい戰果です。もう一つ 二日経ってから、私達は、冬期休暇癈止といふ達示を受けました。

時局多難の折から当然なこととは思ひましたが、何だか私は眼前の目標を失ってしまった様な感じが致しました。待ちに待った休暇が一ヶ月足らずといふのに、なくなるのですからね。お母さんも、既に御承知のことでしょう。私達の直接の先輩が今、太平洋上で、英、米を向ふに、大戰争をやっているのに、私達が今、冬休暇で歸省するなんて、一寸考へられませんね。併し、冬休暇が無くなったばかりなら、まだ良いですが、それからの日課が亦、改正されたのです。この日課は十二月二十五日から實施されるのですが、今迄のように毎日五時間授業は六時間、土曜日も、午後は課業があるし、それが終ると直ちに訓練、あとは食事、入浴、自習それだけです。ですから、自分で勉強するのは自習時間の三時間です。

又、祭日でも、四大節以外は授業があるらしいのです。一年の行事も大部分変更になりました。又、此の分で行くと、私達の卒業も相当早くなるかも知れません。休暇も止めて、猛勉強、猛訓練ですからね。私も非常時、超非常時の兵學校生徒たるからには、此れ位のことで少しもへこたれはしません。益々頑張る積りです。

お母さんも私の事は少しも氣にかけず、お過ごし下さい。

それから、兵學校でも毎夜、燈火管制を実施して居ります。随分不便なものですね。横須賀でも実施していることでしょう。横須賀は一番始めに、空襲をされる可能性がありますね。

併し、私も去年のことを考へると非常に樂なものです。下級生は居るし、兵學校生活にも十分慣れて居りますし、苦しいことはありません。

それで、此の休暇で色々計画を作って居りましたので、近い内に、書物を送って貰うかも知れません。これは後日お便りすることにします。

又、兄さんは應召解除になられたそうですね。併し、少し経つと亦應召になるかも知れませんよ。まあ、兄さんのお母さんに対する親孝行もこれからですね。横須賀では其の後、変わった事はありませんか。娑婆でも大分緊張して居るそうですが、

この江田島に島流しでは、餘りはっきりと解りません。

弟達にも、私が歸れないことをよく言って下さい。それから、ポチ公とチビ公にも。それから、お正月に寫眞を撮ったら私の處へも送って下さい。では、後日、詳しい、その後の状況をお知らせすることにします。お母さんも暇な時に、一通でも手紙を出して下さい。楽しみにして居ります。寒さ加はる折から、充分、躰に氣をつけて下さい。皆々様によろしく。 では又。

   お母様     

(燈火管制の夜に記す)

                良。

 二通目 昭和十七年三月八日(封書)

利男あて(当時利男小学校五年生)

 

利男

 お手紙ありがとう。ずいぶん上手に書けるようになったね。兄さんは感心してしまったよ。利男も、小學校の五年生になったのだから、もう上級生だね。しかし、うかうかしてはいけないよ。来年は六年といふ大事な學年がくるのだからね。 今から一生懸命に勉強をやり、躰も丈夫にして人に負けないようにしなさい。勉強なんて、解ってくればとても面白くて、自分から進んでやるようになるものだよ。いくら頭がよくなっても躰が弱くては何にもならないからうんと躰を丈夫にしておきなさい。それには、兄さんが前に言ったように、鉄棒にぶらさがったり、「ポチ公」と駈歩(カケアシ)したりしてもよいだらうね。何しろ躰を丈夫にしなければ駄目だよ。それから、兄さんが心配しているのは近眼には決してならないようにするのだよ。これだけは固く言っておく。

では十分躰に氣をつけて勉強しなさい。

利男殿             
 兄

 

二伸

 利男が言ったけど、江田島の絵葉書はいつか送ることにするね。それから、利男もこれからは、どんどん兄さんに手紙を出しておくれ。樂しみにして、待っているよ。

又、恵美子とは喧嘩なんかしてはいないだらうね。二人で仲よく學校へ行くんだよ。恵美子には手紙は書かなかったけれど、この次に出すことにするからね。

それから利男は「ポチ公」と「チビ公」の面倒をみてやりなさいよ。
兄さんは早く「ポチ」や「チビ」に会()ひたくてたまらないんだ。

 お母さんの言うことをよく聞いて、勉強しておくれ。さようなら              

 

三通目 昭和十七年三月八日(封書)

第一部第三十七分隊 深井 良 

深井利男殿

 

利男君

お便り ありがとうございました。なかなかの名文なので兄さんは少し驚きました。ここの所、誰からも便りがないので稍淋しく思っていたのですが 利ちゃんの手紙を見てとても元氣がでました。家に居る者には解らないかも知れないが、兄さんなんかには家から来る手紙がなによりの楽しみです。

横須賀も随分寒いらしい様ですね。 江田島も寒い朝が相當續きましたよ。それでも兄さん達は毎朝「はだか体操」をやって、寒い空気で自分の躰を温めています。

利ちゃんも、兄さんに負けない元氣があるなら 毎朝、起きたら冷水摩擦をやって御覧なさい。それを續けたら きっと立派な体格になれますよ。これからは頭がよくても躰が弱かったり近眼だったりしては駄目ですからね。

勉強する時でも 兄さんが前から言っていたように 姿勢を正しくして やることです。これは本當に大事ですよ。兄さんが實際に経験したのですから。

又、利ちゃんは寒稽古に行ったとのことですが 大賛成です。兄さんも厳冬訓練があって毎朝五時半からやりました。寒さなんかに負けてはいけません。殊に、兄さんみたいに兵学校で勉強している者には躰が弱くて病氣などするのが一番悲しいことです。ですから兄さんは病氣なんか氣持ち一つで何處かへ飛ばしてしまひます。

利ちゃんも直ぐに六年ですね。小學校の最上級生になったら相當の頭を持たねばなりませんね。中學の入學試験も考へねばなりませんし、馬鹿な遊びも出来ないし、私の経験から見ても小學校の六年時分に、自分が少し勉強出来ると思って油断をした者は皆失敗しています。最後迄自分の目的に向って進んだ者は皆成功していますよ。

こんなことを言うのは少し早いかも知れないが、参考の為に言って置きます。

又、最近の横須賀の有様を知らせてくれてよく解りました。江田島でも同じですよ。物資が郛シ乏しているから この位のことには皆、耐えなければなりませんね。

兄さん達は今度「ヨット」に乗って江田島を一周する行事があります。三日かかりますよ。十二人ぐらいで一つの舟に乗り、風に吹かれて走るのですから、きっと愉快だらうと思ひます。このことは後日、又便りをすることにして置きます。

利ちゃんも勉強の暇に又手紙を書いて下さい。 東三郎、恵美子にも便りをするように傳へて下さい。

お母さんにも、私が元氣でやっているよう傳へるように。 

では又お便りします。皆々様によろしく。

利男君            

 

四通目 昭和十八年四月三日(はがき)

    第五部第二十一分隊 深井 良

深井利男君あて

 

利男君

お手紙有難うございました。兄さんは相変わらず元氣です。あの便りで、兄さんも小学校の六年時代を思ひ出して感慨深いものがあります。併し人間といふものは常に良いことばかり続くものではなく、如何なる場所に絶望あり、谷あり、障害物があるか解りません。一度や二度位思う様にゆかないからと言って、自分の目的を中止する様な者は将来、どんな方面に向かっても國に役立つ人間にはなれませんよ。又、十分な能力無くして上級学校に進んでも徒らに苦しむばかりで、反って他の者に遅れるのみです。此の点から言っても、もう一年確固たる基礎を作り、それから上級学校に進む方がどんなに賢明か、兄さんもこれに賛同します。そして、

二伸

利男君、兄さんは君の意思の強いのに深く感心しています。

今が人生の分かれんとする最も大切な時ですよ。此の折に、確たる意思を以って自分の進むべき道を益々明かにすべきだと思ひます。決して他人の口出しなどに心を傾けることなく、「自分は最も良い道を選んだのだ」と、其れに向って進むのですね。まだまだ上級学校に行けば、色々な場面が待っていて、少しの心の緩みから、大変な失敗をしてあたら人生を踏み誤った者がたくさん居ます。

決して、急いではいけない。常に心を落ち着けて、自分の将来に大きな希望を持ち、不断の努力を重ねてゆくのです。

 身體には十分氣をつけて下さい。母上様によろしく。 さよなら                  

 

五通目 昭和二十年四月十九日(はがき)

 深井タケ様あて

   第二美保海軍航空基地気付テ一三八 

士官室  深井 良

  

拝啓

永らく御無沙汰致しましてまことに申し訳有りません。その後、母上様には如何お暮らしなされ居るや、お伺い申し上げます。

毎日の仕事を一人にて切り廻し さぞかしお忙しいことと存じます。私は近き出撃を前にして元気に軍務に精勤致して居りますから御安心下さい。

兄弟姉妹皆の者はどうして居ることやら、元気一杯頑張って居れば良いけれど、皆の健康を切に祈って居ります。

御國に捧げました此の躰、如何なることが有らうとも必ず立派にやってみせます故何の御心配も要りません。

今更に我が愚かさをなげくなり

親をはなれて知る親の恩

我が友は神風として飛びたてり

いかで我のみ世に残すべき

 

母上様の御健康を心から祈って居ります。    
拝具

  

六通目 昭和二十年五月十日(はがき)

宮崎基地気付 ウ三六二 深井 良

(消印は昭和二十年五月三十日)

深井タケ様あて

「拝啓

 母上様にはその后お元気のことと存じます。

 私はとても元気でこれから出陣いたします。私の後は利男に願いました。母上様もお元気でお暮らしなされますことを心から祈っております。

 兄弟姉妹達によろしく。さようなら」

      

次に深井良の日記メモがあったので、判読できた部分のみを披露する。

 

三月二十一日 宇佐空退隊

三月二十三日 鹿屋基地着五〇一に編入す

三月二十九日 出水空四〇六飛行隊に派遣

 

参考書物受取

各機の状況を確認

俸給額

宿所を明確になしおくこと

時間厳守

盗難ニ注意

警報時ノ処置

節制第一 

◎出発

敵情

気象

航路

不時着場

不時着時ノ処置

打電法

燃料一、四番満載

◎宮崎到着後

宿所一般の準備

集合場所

(昭?)隊時刻

∨の位置確認

受持機の整備

飛行場の状況知得

出発法、打電法、連絡法

(ここまで日付のないメモ)

 

三月二十六日 夜間雷撃

各隊終夜実施せるも効果大ならず

徹夜にて待機す

攻撃前の準備不良

攻撃兵力揃はず

引返したるもの三機

爆撃隊、雷撃隊に別れ、前者は宮崎に行く

三月二十七日 朝空襲警報発令 

銀河に(―?)するも乗ることなく訓練の(判読不能)なし

 小雨模様に付飛行止。母、野中、松浦に便りを書く。

 夜間攻撃なし 小雨降る淋しき夜

三月二十八日 鹿屋発鹿児島着 一泊

 「常盤館」に一泊す 食事の足らざるに困れり 糧食を余分に持参するを可と認む

三月二十九日 鹿児島発 

空襲の為遅延 夕刻 出水着

 鹿児島駅にて〇九〇〇より一四〇〇まで列車出発を待つ

三月三十日 銀河地上滑走 操縦座学 天候快晴空襲なし

 出水基地 指揮官着任「江納大佐」

三月三十一日 午後 銀河地上滑走 銀河陸操作

 空襲警報発令 一日も早く進歩せんと努む 午後整備座学

四月一日 晴 

 午前 研究

 午后 離陸操作、着陸

 快晴 空襲なし

 最初の離着陸にて左に回頭する力大なるに一驚

 飛行機中破

四月二日 晴

 午前 研究

 午后 離着陸

 宇佐空 大宮少佐来る 宇佐の特攻隊出撃を知り感無量

 松島ノ中攻隊 特攻隊にて到着

 渡辺義昌氏と会ふ 飛行機 大破二 

戦闘機 中破一

四月三日 晴

 午前 研究

 午后 離着陸

 飛行場極めて塵埃多し 若麻続(オミ)少尉と会ふ(宇佐空特攻隊)

 航空機 中破戦闘機

四月四日 小雨后晴

 午前 研究

 午后 空中操作 垂直旋回 失速反転を飛行場上空H七〇〇米にて行ふ

 夜間飛行 薄暮定着見学

 戦給品を受取る

四月五日 晴

 午前 整備座学 午后 空中操作

 薄暮定着見学  豊空陸攻雷撃隊

二四○○発進

 増加食を受取る

四月六日 晴

午前 雷撃座学 午后 降擬 航通

宇佐空士官殆ど特攻隊にて出撃せるを聞き感無量

四月七日 曇

豊空陸攻一機離陸后エンジン不調にて不時着、魚雷爆発一名即死、四名重傷 〇二三〇頃 第一警戒配備、小雨にて飛行作業取止め

宇佐空特攻隊山田大尉外七機不時着 野中繁男の突入を知り頭下がる

着陸時一機大破

四月八日 曇

 第一警戒配備 飛行作業なし

 宇佐空特攻隊発進

 終日退屈なり 一日も早く腕の上達せんことを希ふ

 軍艦旗掲揚降下 九州の南で仰ぐ軍艦旗 もったいなさに涙こぼるる

四月九日 小雨

 ∨作業ナシ 終日読書、休養

 特攻隊の事を思ふ時一日として此の儘、時日を過すことの面目なさを感ず

 燃料不足の折より一日も早く技量の進歩を目指す

 

 わが友は神風として飛び立てり 

いかで我のみ世に残るべき

 

 四〇六飛行隊攻撃隊編成決定す

四月十日 小雨

 終日読書休養 飛行作業なく時日の浪費多き為、鹿屋に電話し今后の行動を聞く

 飛行場極めて不良なり

 現戦局を思ふ時、暫くにても此の儘に居ることの申し訳なさに男泣きの気持なり

四月十一日 晴

 佐久間艇長殉難 飛行場不良 飛行取止メ

 酒保増加食ヲ受取ル

四月十二日 晴

 鹿屋より士官三、兵一二来る 四〇六にて訓練の予定 

 陸攻隊、攻撃発進、佐々木大尉外・・・出水到着

四月十三日 晴

 出水より鹿屋に行く 稍不安なる気持なれど実施は概ね可

 隊長鈴木大尉に会ふ 夜間飛行実施 転覆一機、脚出ず一機、洋上不時着一機

 「ルーズベルト」の死を聞く 鹿屋にて

沢本の不時着を知る

四月十四日 晴

飛行作業あるも飛行機動くもの少し

 鈴木大尉、銀河にて要務飛行の為出水に来る

四月十五日 晴

 移動前日に付準備を行ふ

 夜、出水町の千蔵屋旅館にて盃を傾く

四月十六日 晴

 攻四〇六美保に移動 

一一二五離陸せんとして「グラマン」の奇襲を受く 避退時腰を痛める

炎上 銀河 一、九六 一、一式 二 移動中墜落 一

四月十七日 晴

 終日床に休む 打身の痛さ加はる

 午前、午后、薄暮下飛行作業を実施す 銀河一機不時着

四月十八日 晴

 視界極めて不良 飛行作業を行ふも実動少し 埃極めて多く気候悪し

 酒保の配給にて一服

 彗星二機 大破

四月十九日 小雨

 午后外出 米子市、第二水交社にて宴を開く 駅前の旅館に一泊

四月二十日 晴

躰の調子稍不良 薄暮定着をなす

四月二十一日 晴

大篠津発 〇六五九 

米子   〇七二一/〇七四二 

出雲今市 〇九二〇/〇九二六 

下関   一八〇三/一八二五 

門司   一八四〇/二一五七

「三笠」海軍第一宿舎に一泊 

下士官「にしき」海軍第十一宿舎

四月二十二日 (都城行)

 汽車不通ニ付 海瀧荘に一泊

ふぐ料理 

四月二十三日 晴

 本日も汽車不通にて列車発着時刻未定に付出発を見合す

 別府市にて警報発令 海瀧荘に一泊   ふぐ料理

四月二十四日 晴

大分発〇九三〇 宮崎二〇三〇 

南風荘に一泊 交通ノ便極めて不良

 睡眠不足

四月二十五日 晴

 〇八〇〇宮崎空着 直ちに飛行整備  一四〇〇〜一六〇〇迄に全機発進

 美保第二空 躰ノ調子極めて不良

四月二十六日

 午前整備 午后飛行作業 一機飛行場に不時着大破 夜間飛行あるも乗らず

四月二十七日

 午前、午后飛行作業 降擬 天候不良となる 夜間外出許可

四月二十八日 晴

 銀河一五機空輸 輸送機にて厚木着 一部輸送機にて鈴鹿に向かはしむ

四月二十九日 晴

 飛行打会せを行う 

一九〇〇横須賀着 

 鎌倉に寄る 夜本郷氏宅を訪ふ

 「やよい」にて小宴 東三郎(注 良の弟、利男の兄)に会ふ

四月三十日 晴

 朝警戒警報発令 横空に行く 諸氏に会ふ 森園と共に水交社にて夕食 

「やよい」にて本郷氏と小宴 二四〇〇帰宅す

五月一日(火)曇

 天候不良に付出発見合せ 躰の調子極めて不良 鎌倉に一泊 叔父と酒を飲む

五月二日(水)小雨

 雨に濡れつつ・・・ 大山、林と共に語る 久し振りに入浴をなす 厚木空に一泊

五月三日(木 晴

 早朝ヨリ曇天ニシテ小雨模様なるも飛行機準備をなし〇九四五出発 

一一三〇頃美保基地到着す

 初めて「オートパイロット」使用

 薄暮飛行見学 美保快晴

五月四日(金)晴

 降爆 初めて弾丸を投下せるも弾着不明 午后整備 隊内休養

五月五日(土) 晴

 降爆 弾痕概不可 夜 米子に外出 映画を見学 旅館にて小宴

五月六日(日) 晴

 編隊航通 指揮所移動 稍もすれば消耗す

五月七日(月) 晴 

 編隊航通 古川嗣郎美保に来る 薄暮飛行見学

(後は三十一日まで日付を打ってあるが空白。出撃前日の五月十日に母タケに葉書を出している。)

(なにわ会ニュース94号32頁 平成18年3月掲載)

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