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平成22年4月28日 校正すみ

深井 良君とのつながり

 伊藤 正敬

 深井 良君は昭和20年5月11日神風特攻第9銀河隊として沖縄周辺海域の敵艦を攻撃し戦死している。深井君は横須賀中学29期から海軍兵学校に進んだ。私は中学2年2学期まで横須賀中学で学び、3学期から佐世保中学に転校し、さらに4年1学期から東京の私立攻玉社中学に転校、現在この3つの中学の同窓会に参加している。

 数年前の横中の同期生会に参加したとき、29期の横中から海軍諸学校に進学した者について纏めて配布したことがある。それをクラス会幹事が貴重な資料として当日の同期生会に参加していない者にも後日配布した。

 これを見た横中同期生の篠原君が深井君のことに気づいて深い関心をよせてきた。篠原君は深井君と中学時代非常に親しく、また13期飛行予備学生であった彼は、戦時中霞ヶ浦で出会っていたそうだ。彼は深井君の飛行学生卒業後のことを知りたくて私にメールをよこした。私は分ることを伝え、深井君と親しかった東條君を紹介した。そんな時、横高(昔の横中も含まれる)の掲示板に深井君の甥に当たる深井紳一氏から次の書き込みがあった。

『私は卒業生ではありませんが、伯父が卒業しており、ご親交がおありの方に、伯父にまつわるお話をお聞きできたらと思い、思いきってメールさせて頂きました。以前このHPで「深井 良君とは霞ヶ浦で一緒でした」という書き込みを見た覚えがあるのですが。お心当たりの方から、直接メールを頂けるとうれしいです』。

 これを見て、篠原君が深井紳一氏にメールし、篠原、東條両君と紳一氏3人でいろいろ電話やメールの交換があった。それで、私の手元にいろんな深井 良君に関する資料が集まってきた。ただ残念なことに古い資料なのではっきり読めないところがあるが、ここに披露することにした。
 

 篠原君から深井君の親元に送られた葉書のコピーが数通送られてきたが、殆ど判読できなかった。唯一判読できたのが次のものである。

「拝啓

 母上様にはその后お元気のことと存じます。

 私はとても元気でこれから出陣いたします。私の後は利男に願いました。母上様もお元気でお暮らしなされますことを心から祈っております。

 兄弟姉妹達によろしく。さようなら」

 

深井君は沖縄戦たけなわの昭和20年5月11日、神風特攻第9銀河隊(銀河8機)の指揮官として宮崎発、沖縄方面の敵艦を攻撃して戦死した。

横中29期からは斎藤勝延、佐藤美保、高木 滋男、粒良久雄、土井輝章、林 慶治、深井 良、加藤寿治の8名がいた。機関学校の大津懿徳、経理学校の安藤寿郎、吉田 博も横中29期であった。加藤は平成20年、大津は平成3年、安藤は平成16年、吉田は昭和61年に病死し、それ以外の7名は戦死した。そのほか、横中29期で4年から合格した71期の加藤正一は戦死、神田英夫は昭和25年に病死している、

右のほか横中出身者のなにわ会会員には横中27期の土屋賢一(機)、30期の左近允尚敏、佐藤 静、吉成 淳がいるが、左近允、佐藤以外は戦死している。

(なにわ会ニュース93号72頁 平成17年9月掲載)

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