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平成22年4月24日 校正すみ

 十八年十ケ月の生涯・有村信義君

            押本 直正

今年二月二十日、お姉さんの大石フミさんの御案内で日田市丸ノ内町大超寺にある有村信義君の墓参をした。有村君は大正十四年三月三十一日生れ、入校資格限度ぎりぎりのクラス最年少者、したがって昭和十九年二月二十七日、トラック島で巡洋艦香取乗組みとして戦死した時は、まだ十八歳と十ケ月余に過ぎなかった。数え年でやっと二十。

 同じ日、トラック鳥海域で戦死した級友

有村 石川 池内
大淵 小林 片山

氏名 艦名 生年月日 出身中学 備考
有村 信義 香取 14・3・31 大分日田
石川 忠雄 香取 12・11・17 埼玉浦和
池田 誠治 香取 13・2・28 大分宇佐 写真なし
池内 好員 香取 11・4・29 香川高松
大淵 立身 香取 11・4・13 熊本八代
小林  恵 那珂 13・12・12 熊本鹿本
片山 誠郎 舞風 13・7・9 高知城東

の7名であるが、現代風の成年に達した者は半数に満たない。

 正に「花も蕾の二十」で散った若者たちであった。

 ″満開の桜は悲し南溟に 蕾と散りし吾子を思へば″

と詠んだ阿部宏一郎の母堂の歌が思い出されてならなかった。

 有村君の遺墨は73期の森田衛氏(64分隊2号)から最近姉上に送られてきた物である。若さが張っている。

 有村君の生家は江戸時代から昭和初期まで多くの文人墨客に親しまれた日田市豆田町の旧料亭「市山車」で、今年の三月から「市山亭懐古館」として公開された。木造二階建て百六十坪、嘉永三年建造、客として同亭を訪れた画家、文筆家、政治家の書画が展示され、新しい日田名所となった。

 なお、姉上の二男 大石昭忠氏(信義君の甥)は昭和十七年生れ、来年七月の日田市長選挙に出馬予定との事。

(なにわ会ニュース71号42頁 平成6年9月掲載)

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