堀 剣二郎
昭和20年の9月20日前後 呉軍港で在泊総艦船宛に信号が届いた。 72期がクラス会を行うので1900(記憶がはっきりしない)頃潜水艦基地隊に集まれという趣旨であつた。私は艦の内火艇で基地隊の桟橋に行き上陸し参加した。
部屋は長机、長椅子の食堂のようなところで、照明は当時の一般家庭と同様の裸電球に傘型シェードのあるもので薄暗い感じ、集合人数は20名位であつた。そのうち記憶にあるのは兵科の太刀川君と主計科の高杉君だけである。議題はクラス会を続ける事とその名称であつた。当時の連合軍の占領下で軍人にたいする処遇も明らかでない時勢では少しカモフラージしたものがよいのでは、ということで 「なにわ会」ということになった。この名称を見て感ずることは各人各様であろうが、私は、クラスの主任指導官であった原田中佐(当時)が訓示された「君たちは72期であるから少々辛いことがあっても「何くそ」で頑張れ」に由来の「なに」が幹で「なに」を含んだ耳慣れしたことばに「なにわ」があるので、こうなっていると感じている。爾後60数年間クラス会の名称となりクラスの融和の根幹となった「なにわ会」に「御苦労様」と挨拶したい。
(編集部)
なにわ会の由来については、ニュース18号7頁に押本直正君の学位論文ともいわれるものがある。それによれば、昭和44年8月27日に、なにわ会の由来を解明しようと集会が持たれたという記事がある。
また、ニュース19号17頁に澤本倫生君の投稿「なにわ会の由来について」がある。
(なにわ会ニュース100号63頁 平成21年3月掲載)