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平成13年9月寄稿

編集員交替 宜候

押本 直正

 なにわ会ニュースの編集を、伊藤正敬君が引き継いでくれて、安心しました。

 長い間の諸兄の御協力と御援助に厚く御礼申上げます。宿病の肺結核や胃癌の後遺症で、血圧32―92、脈拍常時99、呼吸数30、動悸・息切・立眩みが酷く、かつ、痴呆の症状や難聴が加速し、日常の生活に著しい支障を来しているのか現状です。何卒御諒承下さい。 新聞を開いて先ず死亡公告を見る癖がついた。気になるのはその年齢である。私より若い人の時は気の毒に思うし、年上だとホットする。最近同年配の有名人が三人死んだ。囲伊玖磨、高校野球蔦監督、歌手三波春夫。同じ世代を生きた人の死は寂しい。 

 小泉総理や田中外相が國神社に参拝すると言う。当り前の事が当り前で無い所が政治家の当り前の事である。しかし.田中は神社参拝と境内散歩を混同しているに至っては言語道断である。阿南大将の遺児か中国大使に生長した時代を忘れては困る。

「猿に餌を上げないで下さい」 

「魚をヒットしてゲットする」

「ラットコントロールコンサルタント」

 日本語の混乱変容にはもうついていけない。 「ワシャカナワンワ」。

 支那や北鮮の指導者は自分で柏手しなから壇上へ。跳躍の選手は観客に拍手を要求して走り出す。検挙を美徳と言った時代は去った。目立つ事に専念する芸人の時代だ。

 84号の編集後記に書いた「記念の木」を大谷友之は「散歩唱歌」の節で歌う。

「来たれや友よ 打ちつれて 葉しく 今日は散歩せん」で始まる大和田建樹の五〇節の長詩である。唱歌といえば「汽笛一声新橋を」の鉄道唱歌が誰にも思い浮ぶが、鉄道唱歌にも三種あるようだ。大正年間の「咲き立つ花の東京市 名残残してゆく汽車の 左の森は浜離宮 右なる塔は愛宕山」で始まる京都まで五〇節の東海道の旅。更に昭和の「帝都をあとに颯爽と 東海道は特急の 流線一路 冨士 さくら つばめの影もうららかに」。

 昭和の分は丹那トンネルが開通した後の物で、前二者は御殿場線経由だ。新幹線は速すぎて歌う暇も無い。
 「航空唱歌」に曰く『爆音空にこだまして 羽田飛び立つ空の旅 横浜港を一飛びに 左に浮ぶ江ノ島に 緑に咽ぶ波白し 箱根のけんは迫りたり 高度は正に千五百 杉の木の間の芦の湖に 過ぎにし旅を偲びつつ 早くも渡る駿河湾』昔の飛行機はのんびり飛んだ。
 君波文庫の「日本唱歌集」は十歳の少年の日に帰る事の出来る本として推薦したい。昔は「日進月歩」だったか、現在は「分進秒歩」。昔は正月が来ると一つ歳を取ったので、勘定が非常に便利だった。大正十二年生れの我輩も来隼は八十歳になる。尺貫法も便利だ。現在我が輩の身長五尺五寸一分、これ兵学校入校時と不変。体重十貫六百匁。痩躯蟷螂(かまきり)の如く、骨皮筋石衛門なり。せめて十三貫五百匁欲しい。嗚呼!鳴呼!

         (平成十三年六月十五日)

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