戦 没 期 友
同期生787名の52.4%の412名が戦没した。
昭和18年中に3名が死亡、うち2名は病死、1名は事故死である。
19年には、1月4日に関根俊彦君が戦死し、以後、同年中に202名(全体の25.7%)が戦没している。特にフィリッピン沖海戦がピークだった10月25日には次の22名が戦死した。
(艦艇20名、航空2名)
艦艇
小沢艦隊 8名
瑞鶴 都野隆司、佐野 寛(機)
千代田 稲葉 博、西 尚男、甲賀公夫
千歳 柄沢節夫、末岡信彦、
多摩 増田 弘
初月 島本紀久一
西村艦隊 6名
山城 江本義一、藤井 勉
扶桑 林 和男、後藤一郎
最上 鷲野幹男
山雲 若林立夫
栗田艦隊 3名
筑摩 精島勝義、高橋英敏、
服部健三(機)
鈴谷 吉岡慶治(機)
野分 小林正一
航空
攻3 仮屋久雄、小島辰雄
20年1月から終戦の8月15日までに199名(会員の25.3%)が戦没し、終戦後も復員までに8名(自決3名を含む。)が亡くなっている。
この間、特攻で戦死して2階級特進した者は55名に上る。
神風 38名(兵)5名(機) 計43名
回天 7名(兵)5名(機) 計12名
なお、20年6月1日(大尉進級日)以降の特攻戦死者はない。従って海軍中佐に特進した者はない。
2階級特進者の名前はHPに戦没者(2階級特進者)として取り込んである。
(なにわ会ニュース第100号22頁 平成21年3月)