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なにわ会解散の辞

樋口 直

第弐次世界大戦敗戦の無念と慙愧(ざんき)に苛(さいな)まれし秋も往時と過ぎ、帝国海軍の輝かしき栄辱も太平洋の藻屑(もくず)と消えし昭和20年8月15日を以って我等が海軍兵学校第72期人生もまた終えぬ。

 干戈(かんか)を収めるや否や直ちに連合軍による日本解体の為の終戦処理の諸政策が開始され、武装解除は素より、部隊解散、早期復員、文書検閲、旧日本軍人の公職追放、3人以上の集会禁止等々の束縛による屈辱の日を迎え、自由を剥(はく)奪されし苦痛と恥辱の下に呻吟(しんぎん)するの已()む無きに至れり。  

敗者の辿る運命とは言いながら、問うも無惨の至なり。斯くては、かって、寝食、生死を共にせし戦友との交流も絶たれ、戦死者慰霊の道も奪われ、敗戦ドイツの悲惨の二の舞を踏むかと覚えしに、図らずも残務整理の一環として海外残留の将兵、内地送還に従事せるクラスの一団あり、期せずして復員業務の基地、「呉」にて民間人を糊()塗して「なに波」会なるものの発足あり、更に関西在住者も結束して大阪の故名を冠して「難波」会をたちあげ、東京にては細々と「なに和」なる会の誕生を見る。

 期せずして各地に我等の仮の会名として個々に「ナニワ」なる名称がとりあげられし所以のいわれは、我が原田72期主任指導官の「此のクラスは72期の期名に鑑み「なにくそ」を以ってモットーとしその精神のもとに結束、協和して御奉公に励むべし」との訓示に端を発したるものとするも宣ならん哉。

戦後の混乱に際し散逸せる士官名簿の復旧と整備に尽瘁(じんすい)せる日々を経てようやく形をなしたるクラス会名簿もその後、引き続く戦争犯罪人の逮捕令発令とともにGHQの捜索と強奪に遭遇し、再び散逸、紛失の憂き目に遭い、ゼロよりの再構築を余儀なくせられたり。

幸いにして、時を経ずして、朝鮮動乱の勃発あり。過酷なりし占領政策の頸城(くびき)も急速に緩和せらるるを得たり。

 斯くして、戦後7年を経て漸く戦死せる英霊の慰霊を営める用意が整うに至り、昭和27年秋、7回忌法事を靖國神社にて全国の遺族、生存者、参加のもとに執行し、生死を問はず兵科クラス全員が九段社頭に糾合(きゅうごう)せり。

 此の折の遺族との交流を通じ、遺族の御両親にとりては、兵科、機関科、主計科の区別は判ぜず、只、息子が共に学びて手を携えて海軍に進んだ中学校仲間が同期生なりとの理解が深きを知り、また、規模の大なる組織こそその運営に便なる事を悟り、鉄砲、罐、算盤を併せて一クラスを形成する事を三科間にて取り纏め、茲に海軍各クラス中、唯一の三科合同の「なにわ会」の発足となる。

爾来、毎年、春は靖國神社参拝慰霊祭、秋はクラスの年末忘年会を正式行事として連綿60年、この間、関西にては、春のクラス会、秋の旅行会が年中行事として定着し、東京にては有志によるゴルフコンペ、碁会、麻雀会、その他、健康保持の「歩こう会」等の会合を持ち、日本全国、九州から北海道までの集団旅行も亦、会員相互の親睦と理解に預かって力ありきと言うべし。

往時茫々、今となりては懐旧の念のみ深しと言うべきか。

 時、まさに平成20年、最後のご遺族の母堂も不帰の客と旅立たれ、会員の四分の三を失い、生存者も齢、米寿を迎えんとして、漸く幕引きの到来を痛感するに至れり。

 会の連絡誌たる「なにわ会」ニュースも綿々100号を迎え、その命脈を終えんとし、此処にその筆を置かんとす。されど簡略化せる消息通信は今後も継続して諸兄の便に供する事、論を俟()たざるべし。

 今や、会の正式行事は之を収束せしめるといえども、今後の英霊の祭祀につきては之を靖國神社に付託し、永代神楽をもって引き続き回向の存続を期す。

 将来に亘り、クラスの絆は断つ理は無く、その縁は最後の一兵にいたるまで堅く結ばれあるを信じ、諸兄の健康と長命を祈るや切なるものあり。

 古人曰く

 「さよなら」するも人生だ。と。

(なにわ会ニュース第100号1頁  平成21年3 月)

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