クラス会の実績
昭和27年10月12日、終戦後7年目にして初めての慰霊祭が実施された。
参加者はご遺族190名、生存者80名計270名と盛大に行われた。
その後、昭和30年に10年祭、昭和33年に13回忌、昭和41年にレイテ海戦23回忌と折り目、折り目に行われてきた。
その後、昭和43年11月23日に第5回、45年6月1日に第6回の慰霊祭が行われ、以後平成20年まで毎年6月に行われ、20年の慰霊祭が41回目であった。
平成21年以降はこれに代わるものとして靖國神社の永代神楽祭に参加し毎年6月1日にお参りすることになった。
昭41年4月10日、海軍兵学校出身英霊銘牌再建記念式典が行なわれ、全体で、ご遺族1800名、生存者900名,うち72期遺族233名(118柱)生存者33名が参加した。終って生存者が住吉クラブに集まった。
以後、次のとおり、江田島でクラス会が開かれた。
年月日 参加者 備 考
昭和48年 3月24日 230名
52年11月13日 164名
58年
9月15日 142名 卒業40周年
平成6年11月15日 379名 卒業50周年
平成5年11月8日 日本郵船の飛鳥で行われた。
飛鳥は11月5日横浜出港、8日沖縄洋上で慰霊祭実施、11日に東京に帰港した。参加者は43名。
慰霊祭では泉 五郎作の「鎮魂の辞」を椎野 廣(機)が朗読した。
記録に残っているのは、昭和38年11月30日に赤坂で57名が集まって行われたのが第1回で、当初は東京クラス会と称して年1回から2回行われていた。昭和46年からは年末クラス会として11月か12月に実施されるようになり、平成20年の会は最後の会で第50回目の会となった。
昭和59年北陸・能登の旅行に始まり、平成4年まで毎年、そして平成9年に北海道旅行が行われ、計10回実施されている。
旅行先は、前述の他、山陰、南九州、千葉、長崎・佐世保、美濃飛騨、東北山形、伊勢・南紀、日光である。
当初加藤孝二宅で湘南地区のものが集まっていた。昭和47年頃から鎌倉で湘南なにわ会として毎年1月4日に実施されてきた。20年1月の会が第39回目の会となった。
戦時中お世話になった横須賀のパインでクラス会をということで、平成3年から毎年3月か4月に行われている。
20年4月の会が第18回目の会となった。
戦闘機の会員が平成4年以降おおむね毎年1回集まっており、20年5月の会が第15回目の会となった。
関西地区の会員は昭和23年頃からよく集まっていたが、記録が残っていない。会誌にあるものを整理すると、昭和40年2月から今までおおむね毎年1回実施され、20年11月の会が第43回目の会となっている。
平成2年からほとんど毎年1回行われていたが、平成17年5月の第13回以後中断されている。
平成10年から毎年1回行われていたが、15年4月の第6回以後中断されている。
(各クラス会の細部については別表参照)
a 観艦式関連
昭和41年博多、42年伊勢湾で行われた観艦式に際し、地元会員が集まってクラス会を開いた。
b 北海道
昭和45年に室蘭、53年に札幌でクラス会が開かれた。
c 横須賀 2回
d 川崎 4回
e 新宿 2回
f 浅草 1回
g 千葉 1回
h 浜松 1回
i 石川 1回
j 呉 3回
k 福岡 4回
13 ゴルフ会(CGC)
昭和42年3月15日千葉PCで行われたケップガンクラブゴルフ大会は泉五郎君の熱意と努力によってそれから30年余り、平成11年まで春・秋毎年2回、CGCの名のもとに実施され、なにわ会会員の親睦に寄与すること、極めて大であった。
次は過去の実績から纏めたものである。
@ 参加回数 ベスト5名
後藤 俊夫53回、泉 五郎52回
A グロスベスト 5
品川 弘 78、山根真樹生 79
B 3回以上の優勝者
伊藤 正敬、後藤 俊夫、澤本 倫生、 高橋 猛典、都竹 卓郎
CGCの実施経過(日時・場所・優勝者・参加員数)は20頁の表のとおりである。
地方のCGCゴルフ会
@ 関西CGC
昭和40年頃はよく行われていたが、平成になってからは行われていない。
A 湘南CGC
昭和58年秋に第1回が行われ、以後山田良彦君の熱意と努力により、湘南CCを主として毎年3回実施され、平成19年まで続いたが、遂に幕を閉じた。
B 東京CGC
布瀬川清蔵君の提案で、飯能CCで毎年3回行われてきた。平成10年以降は澤本倫生君のホームコースである相武CCに変更実施されていたが平成15年幕を閉じた。
C 厚木CGC
厚木の米軍のコースでも矢田次夫君の努力により実施されていた。
(なにわ会ニュース第100号11頁 平成21年3月)