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天皇陛下行幸と記念軍艦旗

 昭和5年(1930)10月23日,今上陛下には御召艦羽黒で海軍兵学校へ行幸された。当日,陛下には練兵場で観兵式および相撲と棒倒しを御覧になった後,校内の特別官舎(高松宮御殿)に御宿泊になった。
 翌24日には,御昼食後,大湊校長の御先導で古鷹山に登られる御予定であったが,御出発の時刻から雨が降り出したので御取止めとなり,御召艦羽黒に御帰艦,26目に神戸沖で行われる特別大演習観艦式御親閲のため,神戸に向われた。
 天皇陛下が海軍兵学校へ行幸されたのは,明治5年1月9日,東京築地の海軍兵学寮で行われた海軍始めの式に,明治天皇が御臨幸されたのが最初で,明治6年,7年,8年と続いて海軍始めの式に御臨幸になった。明治9年に海軍兵学校と改称されてからも,明治10年,11年の海軍始めの式に御臨幸,明治12年12月25日には事業御参観および御督励のため行幸された。明治14年11月19日には生徒卒業証書授与式(8期の卒業式は同年9月15日挙行ずみ)に,つづいて明治16年10月15日に10期の卒業式に御臨幸になった。これが卒業式に行幸された最初であり,続いて11期卒業式(明治17年12月22日)12期卒業式(明治19年12月7日)と江田島移転まで11回行幸されており,江田島移転後は明治23年4月22日の16期卒業式に行幸。以後大正時代は一度もなく,この回が移転後2回目の行幸であった。
 これよりさき,昭和3年3月16日に挙行された56期卒業式に,今上陛下が行幸され,翌17日には古鷹山へ御登攀の旨の内示があったため,全校挙げて奉迎準備を整えていたが,御不例のため急にお取り止めとなり,校長鳥巣玉樹中将に羽二重を御下賜になった。その1反をもって調製されたのが,4旒の特別軍艦旗であつて,それ以後,終戦にいたるまで,千代田艦橋に掲揚された。

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