江 田 島 通 信
第二学年時代
(自 昭和十六年十一月十三日 至 昭和十七年十一月六日)
十一月十三日 (第五十五信)。
本日分隊編成替が発表され、小生は第五十一分隊生徒として、いよいよ第二学年の教程に入ることになりました。
十一月二十三日 (第五十六信)。
皆様お元気ですか。私の方も、この一週間にわたる武道銃剣術週間も本日を以って終了し、まず落着きました。最近は二号教育(七十三期生躾教育準備)の為非常に忙がしく、例の就寝、起床動作でもりもり締められています。もう新入生の姿もこの江田島にちらほら見受られ、自分の弟分が入ってくるかと思うと、何となく嬉しく感ぜられます。殊に艦砲教務の時など、新入生が向うの蜜柑山から羨ましそうに眺めているのも員面白い風景です。江田島も急に寒くなり、一学年の入校もあと七日、小生も母上の御趣旨の如く、愛と義をもつて、この指導にあたり、生徒館生活に張り切る覚悟であります。
十一月二十九日 (第五十七信)。
さて、国際情勢はとみに悪化し、日米会談の結果によっては、帝国海軍もいつ立上るやも解らない状況であります。私も今のところ、休暇の有無に関しては五分五分位に考えています。あまりあてにしないでいて下さい。十二月中旬になれば、はつきり決定される筈であります。
明日は日曜でありますが、午後からは入校準備作業のため、新入生の毛布を縫つたり、物品を揃えたり、忙がしいことだろうと思います。私達が入校するときも、現在の上級生がいろいろと私達の便宜を計り、不自由のないように準備を整えられ、私達を迎えられたのには非常に感激しました。私も自分の対番の下級生には至誠を第一とし、あらゆる世話を見てやるつもりです。
母上様皆様くれぐれも御身大切に祈つております。
十二月六日 (第五十八信)。
福岡の方では、迎春の準備でさぞ忙しいことでしよう。年の暮の博多の光景が、ただ巡検後の想い出となって、一時の楽しみをかもします。とにかく帰省して、家の餅を食わない限りは正月の様な気もせず、また年をとつた様な気もしません。
十二月十三日 (第五十九信)
さて、十二月八日を期して日米開戦となりました。従って休暇などは無論許可せられず、今まで無上の楽しみにして待って居りましたが仕方ありません。卒業までには、皆様との再会の日もあることと思います。
これからは、兵学校教程も忙しくなり、祝祭日を除いては、ただ安閑として送る日は一日もなくなる答です。卒業も早くなるでしょう。福岡の年の暮はどうですか。また正月の様子なども知らせて下さい。写真が撮れるようでしたら母上様や皆様や、近所の写真などをお願いします。これで休暇で帰つたことにしておきます。
来年はこの江内島で有意義な正月を迎え、皆様の御期待にそうべく、身体第一以て訓練学業に邁進致す覚悟であります。
十二月二十日 (第六十信)
正月に際して倶楽部に小包も送付されることは絶対禁ぜられていますから間違いのないよう御承知下さい。今日は午後より銃剣術競技が行われます。大いに張切る覚悟であります。
昭和十七年一月六日(第六十一信)
昭和十七年を迎え、正月も無事過ぎようとしております。九日から兵学校の華たる厳冬訓練が開始せられます。
一月十七日 (第六十二信)
小生も歯は全治し、短艇に武道に大いに張切っています。さて、兄上も愈々上京され、帰りには面会に来られるとのこと鶴首して待って居ります。
福岡の方は防空訓練が実施されるとのこと、母上様には何卒御無理なさいませぬよう、八方園よりいつも皆様の御健康をお祈り申上げております。
(六十三信〜六十六信) 省略
三月五日(第六十七信)
家では兄上もいよいよ上京され御安心のことと存じます。小生等も最近考査をやつと終了致し、今度は土曜日の短艇点検に備えるため、毎日短艇整備に大童であります。
さて待望の四月も段々近付いて参りました。毎日鶴首して面会の日を待って居ります。
微積分の参考書入手出来ましたらご送付の程御願い申し上げます。
三月十三日(第六十八信)
小生も帝国海軍の活躍振りにただただ感激の兵学校生活を送り、軍人最終の目的に向って修練致しております。
さて、あと二十日余りで母上、姉上に面会出来ますことを、何より楽しみにして待って居ります。御手紙を拝見しますと、飲食物等土産晶を持参される御様子ですが、この様なことは物資欠乏の折から甚だ面白からぬ事であり、学校の方でも禁じてありますから、右御承知下さい。なお次の物をお願いします。
@ 脱脂綿、 A ばんそう膏、B 日本歴史の研究、 Cスタンダード英和辞典。
ではよろしくお願い 致します。
三月二十五日(六十九信)
姉上も学校の都合あれば次の機会を楽しみに御待ち致候。既報の如く二十八、九日の面会は好都合に御座供えば万事御休心下され度候。
四月五日(第七十信)
春暖の候、母上を始め皆様愈々御清栄の段賀報候。さて先日はわざわざ面会下され、またいろいろなる心つくし、誠に御礼の言葉も知らず候。久し振らず候。久し振りにて団欒の一日を過し、我家に帰りたる心持致し候。兵学校の桜も今兵学校の桜も今を盛りと咲き競い、西公園もかくやとばかり、そぞろ巡検後の想い出となり偲ばれ候。期末考査もいよいよ四月二十日より始められ、まず健康第一、奮励致す覚悟に供えば、何卒御安心被下度候。まずは右御礼まで斯如御座候。
五月一日(第七十一信)
考査も愈々終了致し、本日は部訓育にて、宮島附近那沙美島に於いて地曳網、相撲、軍歌等を行い、大いに浩然の気を養い申し候。来週よりは兵学校生徒として小生等の士気錬磨の最も昂揚すべき短艇週間を待つばかりに御座候。健康第一に大いに奮励致す覚悟に候えば御安心下され度候。
五月十日(第七十二信)
暑気漸く相催し候処、母上始め皆様には愈々御清適の趣奉賀候。小生もお蔭を以て益々元気に、最近は体重も十六貫を突破いたし、朝夕に短艇訓練に全力を傾注致し居侯間御安心被下度候。あと競技まで一週間、第五十一分隊優勝を目指し専ら頑張る覚悟に御座候。さて帝国海軍部隊の活躍には小生等ただ感奮興起の外なく、愈々本分に邁進し、大死一番御奉公の志を堅く致し候、右簡単ながら近況並びに覚悟の一端を申述べる次第に御座侯。
五月十七日(第七十三信)
さて昨日は分隊編成替以来唯一の分隊競技たる短艇競技に於いて遂に惜敗し、現在までただ昨日あるがため専ら精進努力を重ね来り侯えども天運利あらず、分隊員一同血涙を呑み大諦大悟致し候。ただただ分隊監事に対し申し訳なき次第と存じ居り候。しかし、次に来るべきもの、即ち五月二十二日の宮島遠漕には是非とも分隊の名を挙ぐる覚悟に御座候えば御期待被下度侯。
夏休暇も次第に近まり、日々母上の膝下に馳する日を無上の楽しみに待ち居り候。なお信子ちゃん赤坊大会に於いて二等賞を獲られたる趣、心より御喜び申し上げ候。
五月二十二日(第七十四信)
宮島遠漕八哩半、ただ櫂も折れよとばかり、漕いで、漕いで、漕ぎまくり、第五十一分隊の真面目を遺憾なく発揮しました。 宮島にて、
五月三十一日(第七十五信)
この二週間は遠漕、記念日等いろいろの行事多く、また近い中に乗艦実習、射撃競技もあることとて、毎日準備に万全を期しつつあります。遠漕は分隊競技で、艇には分隊監事も乗艇せられ、各艇員を鼓舞激励せられ、必勝の信念の下、先輩の奮闘を偲びつ、鉛の様な海面を力漕すること一時間余、五十四艇中第十八位を占め、メタルは遂に逸しました。
海軍記念日にはあの江田内で、観艇式が挙行せられ、正に小生等の士気は天を衝き、軍容整斉たるものがありました。次に乗艦実習は六月十四日より一週間、高松、松山附近を航海する予定であります。射撃競技は六月未施行されます。小生は視力に自信ありませんが、最善を尽し頑張る覚悟であります。
六月六日(七十六信)
今週土曜日には三部のみの相撲競技会が行われることとて、毎日あの手この手を考え、五、六人倒さんものと張切り居候。乗艦実習も来週より行われ毎日が忙しく候。
(休暇日誌)
八月一日
九時十五分外出点検。
八月二日。
午前半歳振りにて父母兄姉に見え、余の歓喜筆舌に尽し難し。午後午睡。団欒。二十一時就寝。
八月三日。
午前、母校旧師訪問をなす。種々有益なる薫陶を受け、生徒の本分に愈々邁進せむの覚悟を囲む。午後団欒。
八月四日。
午前。渡辺鉄工所見学、同鉄工所は福岡市の南方に位し、海軍関係の航空機兵器の製作所なり。我々兵器を使用する者は常に技術者製作者の立場に於いて之を為し、彼等と相提携し兵器の進歩改善発明を為す端緒を与うると共に、自らも積極的に研究努力すること肝要なるを痛感せり。午後コースター工場見学、福岡市の近傍に位し、陸軍関係の兵器を製作し居れり。
八月五日。
午前、旧師訪問。報恩感謝。午後、映画観賞、家庭団欒。
八月六日。
午前、精神修養「人間と死」を読む。午後、旧友訪問、家庭団欒。遊泳。
八月七日。
午前、精神修養「人間と死」を読む。午後、黒木一等航空兵突如来訪す。同航空兵は余の中学時代の旧友にして、現在岩国航空隊勤務にて明日出征の筈とのことなり。種々対談、大義の下死生相結ばんの覚悟を囲む。
八月八日。
午前、黒木一等航空兵見送り。午後保証人宅訪問後散歩団欒。
八月九日。
午前、大分県由布院へ出発。午後、精神修養「人間と死」「戦陣訓」を読む。
八月十日。
別府へ出発。別府は余が児童の頃、育ちし所にして、旧友知人多数居れり。土二時まで別府地獄の神秘を見学す。午後、旧人知己訪問。
八月十一日。
午前、母と共に帰福す。午後、家庭団欒。夜、近隣の後輩児童十数人を招き海軍に対する憧憬の念を愈々深からしむ。
八月十二日。
午前、精神修養「人間と死」を読み所感あり。蓋し、我々の日常は行動即死以外の何物にもあらず。玄に於いて何時死すとも可なりと言うが如き、絶対的境地に達したきものなり。即ち、この境地を得んには、日常の卑近なる行為に於て、校長訓示にありし如く、至正至純以外の何物にも外ならずと確信す。至正至純ならば、常住座臥行為思念の間、一切に執着する心消滅し、ひたすら没我自ら天皇の歩ませ給う宇宙最高の大道に一致するあり。鳴呼惟わずして、整と努めずして、至純、一にも至正、二にも至純即刻この大道に到達したきものなり。
八月十三日。
午前、家庭最後の団欒。午後帰校の途につく。
八月十四日。
十二時帰校点検。
(休暇を顧みての所感)
(以上、第二学年夏休日誌より)
八月十五日 (第七十九信)。
只今無事帰校致しました。帰省中は母上始め皆様方の一方ならぬ御高配並びに意外の御饗応にあずかり、その上、母上の御旅行にも御誘導下され誠に有難く厚く御礼申し上げます。お蔭を以て年来の希望相達し、種々の便宜を得、身心共にいよいよ健全となりました。この新気を以て爾後の学習に勉励致す覚悟であります。
八月二十二日 (第八十信)。
残暑余炎を収めやつと涼しくなって参りましたが、皆様には愈々御元気の御様子慶賀に堪えません。小生も帰校後二、三日はちょっと慣れず閉口致して居りましたが、最近は大いに張切り休暇気分もやつと抜けました。
先日は十米高飛込みで、最も型が良いと褒められたのは悦びでしたが、飛行秒時の長いことときたら、あまり気持のよいものではありません。今年になってこれで四回目です。
遠泳(六哩)は二十六日水曜日に午前午後に亘って行われる予定です。
澄ちゃんの休暇もあと一週問余となり、九月以後は義ちゃんも居られず、母上も淋しいことでしょう。でも今冬は小生帰れるかも知れませんよ。この前の日曜日には倶楽部で夫々土産品を開き小生の雲丹最も好評を博し、一挙に皆で平げてしまいましたよ。倶楽部で休暇話をしながら、想いを故郷に馳せ、雲丹を食う味もまた格別でした。
今日は土曜日で六時頃から明朝まで短艇にて湾内をセイリング、楽しい家の夢でも見ましょう。母上はくれぐれも身体を損ねざるよう、飯をよくかみ、栄養物をモリモリ摂って悠々自適せられんことを祈ります。
八月三十一日 (第八十一信)。
お便り有難拝見致しました。母上何よりお元気の御様子感謝致して居ります。小生等遠泳も終了致し、再び元気に奮闘致して居ります。さて先日は近来稀有の暴風雨にて、江田島も相当なものでしたが、福岡の方は如何ですか。ちよつと十年前の雁林町時代を想い出しました。酷暑訓練も終る頃は考査の秋が訪れます。
九月六日 (第八十二信)。
兄上には御元気の御様子慶賀にたえません。さて小生等今日は水泳短距離クロールで猛烈に張切りました。之で酷暑訓練も終了致し、考査も旬日後です。御多用中御面倒ながら、広瀬豊校訂岩波文庫の「松陰著、講孟割記」がありましたら御願い致します。
九月十四日 (第八十三信)
先日はいろんなお便り有難く拝見いたしました。あの暴風は本当にひどかつたですね。しかし一人の怪我人もなく小生も安心しました。母上もしばらく御一人で過されますね。毎日母のご無事を八方園より祈って居りますからご安心下さい。節子姉上も栄職に就かれ、母上も御満足のことと思います。先日祝状を出しておきました。十日には兄上も来られる由、もし暇がありましたらお会い致したく思っております。
九月二十日(第八十四信
御多忙中に書籍捜索等にお暇をとらせ誠に恐縮にたえません。さて講孟割記は友の話によりますと、今ではとても入手困難だろうということです。別に何も急ぎませんが、兄上御入手の講孟余話で充分です。
十月一日(第八十五信)
秋客虫の声も漸くしげくなって参りました。母上も一人益々御元気の事と思います。小生おかげを以て考査も無事終了致し、心機一転、秋の武道週間に邁進致して居ります。本日は「マレー戦記」という映画を見、新たなる感銘に打たれました。四日には姉上が来校される筈です。時下一層の御清福を日々祈っています。
十月二十日(第八十六信)
本日は「講孟余話」をお送り下され誠に有り難うございました。考査も終了致し、修養方面に万全を期す覚悟であります。母上も最近益々元気になられ、兄上のことをよく手紙で知らせて下さいます。くれぐれも御自愛御健闘の程を祈り上げます。(長兄宛)
本日は、小生の最も好物たる雲丹をことづけ下され有り難うございました。この次の日曜には皆を大いに喜ばせてやるつもりです。さて来月中旬の卒業式も間近かに迫り、同クラスの者、八十島、南部、手島の三名を送ることとなりました。小生等の来るべき年を思う時、うたた感無量なるものがあります。後一カ年、健康一番奮励致し、来年十一月には、海よりも深き親の御恩に報い奉り、無事卒業、以て白石先生御教示の如く、如何なる場合といえども、やけを起すことなく、気長に御奉公の誠を致す覚悟であります。
只今は、銃剣術武道週間中で、モリモリ身心を鍛えております。原村で陸戦演習が行われ、十一月一日に帰校の予定、十一月五日宮島弥山登山蔑技です。三学年進級までの主なる行事はこれ位であります。 先日は考査終了後、クラス会等をやり、また水清澄の江田内を内火艇(モーターボート)を以って、単独操縦で暴れ廻りました。また自動車の運転等もやりますよ。実に海軍士官は博学多識で、機械とはきってもきれぬ嫁があるように思われます。手紙は校則により休暇以来出せないようになりました。
ではご機嫌よろしく。
十月二十六日(第八十七信)
朝暮秋冷の候、兄上には至極御元気の由奉賀侯。さて小生も生徒館の一号生徒となる日も近く、また明日よりは四泊五日の陸戦演習、十一月五日は、弥山登山競技と次々に行事多く益々張切り居候。冬休暇は今のところ許可せられる筈にて、今度こそは是非上京致したく存じ居候。不順の候御身を大切に祈上候。(長兄宛)
二、三日来急に冬めかしき気侯となり、いよいよ明後日より四泊五日の陸戦演習に出かけることとなり猛張り切りです。冬休暇は正月七日まで許可せられる予定、今度は暇があれば上京致そうかと思って居ります。
十一月四日(第八十八信)。
その後御無音に過ぎ候。兄上には御変りもなく候や。小生もおかげを以ていよいよ頑健にその道に邁進致し居候。昨日は五日間にわたる野外演習も無事終了いたし、卒業式を目前に控ゆることと相成り侯。兵学校合格者発表も既に終り、我々の後輩は、明日の日本のバロメーターとなる感激を心に秘し、入校式を待ちおるものと存じ候。ここに我々は最上級生徒としていよいよ指導的地位に立ち、これら後輩に断じて名聞利欲の奴となるを許さず、兵学校伝統精神を叩き込み、鉄石の軍人となす責務の大なるを痛感致し居候。
十一月六日(第八十九信)
お手紙有り難うございました。本日は弥山登山蔑技で、早朝生徒隊監事の御訓示に身を締め、江田内艦隊は宮島に向け、堂々の出港。午前入時いよいよ競技開始。吾々は登山口に集結し、競技審査員の引締つた面々を見つめる。「十秒前」急に身振いがする。時間だ− 人々の影は俸駄天の如く向うの薄暗い階段道に吸い込まれて行く。私も負けず走つた。二段三段と飛び越えて走った。坂道の両側には教官が拍手をもって応援して下さる。さあこれからだ、頑張らねばならない。五百数十米の山頂を三十分足らずで征服するのだ。一人、二人・・・・・十人と抜いて行く。抜かれる。また抜く。早いものは機関車の如く他の追随を許さない。時折、景色が展開する。だが見えるのは自分の足許だけだ。帽子も水筒もそして事業服もみなかなぐり捨てたくなる。苦しい。目まいがする。吐息がする。息と声が表に出る。苦しいのは誰も同じだ。くたばってはならぬ。折しも駈走ラッパが聞え出した。ふと我に帰る。あぁ頂上はもう直だ。最後の頑張りだ。いよいよ決勝線が見える。急に血液が逆行する。数秒の後、私は駈歩歩踏をやり乍ら教員に手を引かれ速記録を記証してもらった。ふと決勝線の方を振り返ると、栗原が駈け込んで来た。苦しいだろう。だが軍人という奴はやたらに自己の感情を表面に現わすものではない。二人の視線が合った。同時に平然として笑を浮べるのであつた。時折、海軍機が吾々を中心としてキラキラと翼を輝かし、垂直旋回するのも何となく楽しくてたまらぬ思いがした。
ちよつと随筆みたいになりましたが、私の体験をそのまま書いてみました。そのうちに野外演習の日記も書いてみるつもりです。
二日に中堀教官を訪問致す筈でしたが、都合により卒業式後といたしました。入校式、そして冬休暇も近付いて来ました。くれぐれも身体を損ねないよう祈って居ります。
(なにわ会ニュース第72号 40頁)