昭和５２年９月寄稿
第七十ニ期生徒入校ニ際シ校長訓示
新見政一
諸子ハ今回宿望ヲ達シ全国幾千ノ志願者ノ中カラ特ニ選抜セラレテ本日茲ニ海軍兵学校生徒ヲ命ゼラレ目出度入校シタノデアル。諸子ノ本懐喜悦ハ固ヨリノコト諸子ノ父兄方ノ満悦ノ程モ察セラレ校長ハ玄ニ満腔ノ祝意ヲ表スルモノデアル。
帝国海軍ニトリテモ此ノ末曽有ノ重大時局ニ際シ帝国海軍ノ責務愈重大ナルノトキ将来帝国海軍ノ楨幹タルベキ六百数十名ノ新シキ戦友ヲ得タルコト誠ニ慶賀ニ塔へナイ次第デアル。
諸子ガ海軍兵学校生徒タルヲ志願スルニ当ッテハ其ノ動機ハ各人異ナルモノガアラウケレドモ自分ハ将来海軍兵科将校トナリ帝国海軍ノ幹部ニナルノダトイフコトハ充分ニ自覚シテ居ルコトト思フ。従ツテ本校ニ入校スルニ就テハ夙ニ大決心ヲ有スルモノト推察スルノデアルガ諸子ハ今朝アノ荘厳ナル軍艦旗掲揚ヲ拝シ今茲ニ此ノ厳粛ナル式場ニ於テ宣誓ヲナシ軍人ニ賜リタル勅語ヲ拝聴シ愈本分ニ邁進スルノ決意ヲ堅クシタコトト思フノデアル。
校長ハ此／機会ニ於イテ諸子ガ今後本校ニ於テ修練ヲナスニ当ツテノ覚悟ニ就テ一言訓示シ度イト思フ。
諸子ハ只今海軍兵学校生徒ヲ命ゼラレルト同時ニ海軍兵籍ニ入り帝国海軍軍人トナックノデアル。故ニ諸子ハ先ヅ以テ自分ハ帝国海軍ノ軍人ニナックノデアルトイフ自覚ヲ明確ニシナケレバナラヌ。
然ラバ帝国ノ軍人トイフモノハ如何ナル立場ニアルノデアルカト謂フト只今奉読シタ勅諭ノ中ニ
「朕は汝等軍人の大元帥なるぞ されば朕は汝等を股肱と頼み 汝等は朕を頭首と仰ぎて其親みは特に深かるベき」
ト仰セラレテ居ル通リ我々軍人ハ畏クモ上御一人ヨリ股肱タルノ御信倚ヲ恭フシ陛下ヲ大元帥卜仰ギ奉リ其ノ御統率ノ下ニノミ行動スルノデアッテ陛下ニ直隷スル陛下ノ軍人デアル故ニ我ガ国ノ軍人タルモノハ克ク此ノ大義ヲ自覚シ光栄アル陛下ノ軍人タルノ本分ヲ明カニシナクテハナラヌ。況ヤ将来帝国海軍ノ楨幹タルベキ諸子ハ其ノ本分ニ極メテ重大ナルモノガ存スルコトヲ覚悟シナケレバナラナナイノデアル。
前ニ述べタ如ク諸子ハ 本校ニ入校シタ以上ハ陛下ノ軍人デアリ自分ノ一身ハ 陛下ニ捧ゲタモノデアル。従ツテ諸子ガ本校ニ於テ修業スルノハ決シテ自分一己ノ為デハナクシテ将来海軍兵科将校トシテ皇国ノ為ニ尽サンガ為ノ基礎ヲ造り上ゲルノデアツテ之ニ対シテ専念スルノガ生徒タルノ本分デアル。
諸子ハ本日カラ海軍兵学校生徒トシテノ新生活ニ入ルノデアルガ凡ソ新生活ニ人ルニ当ツテハ先ヅ以テ旧生活ヲ清算シナクテハナラヌ。人間トイフモノハ過去ニ於ケル境遇ノ差異ニ依ッテ其ノ心境同ジクナイモノデアル。諸子ハ入校前全国各地ニ亘ル各種ノ中等学校ニ学ビ又家庭其ノ他色々異ツタ環境ノ下ニ育チ異ッタ感化ヲ受ケ各自異ナッタ心情ヲ有シテ居ル筈デアルガ一旦本校ニ入校シタ以上ハ皆一様ニ海軍兵学校生徒ナノデアリ今後全ク同ジ精神ヲ以テ皇国ニ捧ゲ皇国ノ為ニ尽サナケレバナラナイノデアルカラ決シテオ互ニ相異ツタ心情ノ発展ヲ許サレナイノデアル。丁度今朝迄諸子ハ種々雑多ナ服装ヲシテ居タノガ今茲ニ一様ニ整然タル凛々シキ生徒ノ服装ヲシテ居ル様ニ兵学校生徒トナツタ以上ハ其ノ精神ヲモ入レ換へナケレバナラナイノデアル。故ニ諸子ハ今ヨリ全ク生レ変ツタ積リデ速カニ心情ヲ脱却シ我ガ軍人ノ根幹タルベキ軍人精神ヲ以テ入レ換へ且帝国海軍ノ上下ヲ一貫シテ居ル所ノ光輝アル伝統的精神ニ帰一シナクテハナラヌ。
茲ニ帝国海軍伝統的精神トイフコトヲ謂ッタノデアルガ然ラバ此ノ伝統的精神トイフノハ如何ナルモノデアルカトイフト夫ハ「上下渾然一体トナリ日夜軍人ニ賜リタル勅諭ヲ奉体シ厳粛ナル軍紀卜一糸乱レザル統制ノ下旺盛ナル精神力ト必勝ノ信念ヲ堅持シツツ黙々トシテ自己ノ本分ニ邁進スルコト」デアル。之即ワチ帝国海軍ノ伝統的精神デアツテ過去累次ノ征戦ニ於テ帝国海軍ガ常勝軍タリ得夕主ナル原因デアリ又今次事変ニ於テ我ガ海軍将士ガ陸ニ海ニ空ニ忠勇義烈勇壮無比ノ奮闘ヲナシ又全海軍ガ黙々トシテ所謂無言ノ威力ヲ発揮シ愈国民ノ信頼ヲ博シツツアルノモ皆此ノ伝統的精神ノ発露ニ外ナラナイノデアル。
而シテ此ノ伝統的精神ノ根幹トナルモノハ即チ軍人精神デアル然ラバ此ノ軍人精神トイフノハ如何ナルモノデアルカト謂フト勅諭ニ
「抑此五ヶ条は我軍人の精神にして」ト仰セラレテ居ル如ク一ニ先程奉読シタ勅諭ノ聖旨ヲ奉体シ窮ラ之ヲ実践シ常住座臥大御心ニ帰一シ奉ル所ニ存スルノデアル。故ニ諸子ハ克ク勅諭ノ聖旨ヲ体得シテ速カニ軍人精神ノ確立ニ努メナケレバナラヌ。
此ノ軍人精神ハ筍モ軍人タルモノハ一兵ニ至ル迄之ナクシテハ軍人クリ得ナイノデアル。所デ諸子ハ将来海軍兵科将校トナリ光輝アル帝国海軍ヲ双肩ニ担ツテ立タナケレバナラナイ人達デアル。而シテ海軍兵学校ハ諸子ガ将来海軍兵科将校トシテ軍務ヲ遂行スルニ必要ナル基礎ヲ確立スル所デアル。如何ナル大夏高楼ヲ建テルノニモ必ズ其ノ基礎カラ築キ上ケナケレバナラヌ。而モ偉大ナル建築物程其ノ基礎ハ一層確実強固デナケレバナラナイモノデアルガ之卜同様ニ諸子ガ将来大成シテ皇国ノ為ニ尽サントシタナラバ何事ニモ堅実ナル基礎ヲ築キ上ゲルコトガ必要デアル。
夫ニハ先ヅ以テ前ニ述べタ軍人精神ノ確立ヲ必要トスルノデアルガ更ニ諸子ハ将来海軍兵科将校トナリ指揮者トシテ部下ヲ指揮統率シナケレバナラナイ人々デアルカラ指揮者トシテ必須ナル資質ノ修練ニ対シテハ特ニ意ヲ用ヒナクテハナラヌ。然ラバ指揮者トシテ必須ナル資質トハ何デアルカト謂ヘバ夫ハ第一ニ高潔ナル人格デアル。凡ソ軍隊ニ在ツテハ一旦緩急ニ際シテハ上下死生ヲ共ニシナクテハナラナイノデアル。而シテ有事ノ際麾下将兵ヲシテ克ク死生ノ境地ニ邁進セシムルノハ指揮者タルモノノ人格ノ輝キアッテ始メテ出来ルノデアル。故ニ諸子ハ平素徳性ヲ涵養シ高潔ナル人格ノ錬成ニ努メナケレバナラヌ。然シ乍ラ此ノ人格ノ錬成トイフコトハ一朝一夕ニ成ルモノデハナイ之ニ一生涯ヲ費シテモ尚足レリトシナイモノデアル。夫ダカラト謂ツテ決シテ六ケ敷イモノデハナイ諸子ガ之カラノ日常生活ニ於ケル一言一行ノ悉ク修養ノ資トナラナイモノハナイノデアル。故ニ諸子ハ克ク此ノ点ヲ念頭ニ銘記シテ日夜聖旨ヲ奉体シ上長ノ訓へヲ守り日日ノ一言一行ニ対シ自ラ其ノ是非善悪ヲ反省シ悪カツタト思ツタコトハ如何ニ小サイ事デモ速カニ之ヲ改メ其ノ日其ノ日ノ寸善ヲ積ミ以テ将来大成へノ基礎ヲ築カネバナラヌ。
次ニ諸子ハ今ヨリ生徒トシテ将来栄誉アル海軍兵科将校タルべキ基礎的修練ヲナスノデアルガ一体軍人ハ只今奉読シタ勅諭ニモ仰セラレテアル如ク「戦に臨み敵に当るの職」デアルノデアル。殊ニ諸子ハ将来指揮者トシテ部下ヲ率ヰ一旦緩急ニ際シテハ率先一死殉国ノ誠ヲ致サナケレバナラナイノデアルカラ諸子ハ之カラハ今迄家庭ニ在ツテ呑気ニヤツテ居夕様ナ気持デハイケナイノデアル。何処迄モ堅忍不抜不撓不屈如何ナル困難ニ遭遇シ如何ニ苦シイコトガアツテモ敢然之ニ堪へ之ヲ克服シテ行クトイフ強固ナル意志卜旺盛ナル精神力トヲ養ハナクテハナラヌ。次ニ本校ニ於テ今カラ諸子ガ修得スル所ノ学術技能ハ之又将来発展へノ基礎ヲナスモノデアリ将来海軍兵科将校トシテ職責遂行上又識見ノ向上人格陶冶上欠クベカラザルモノデアル。従テ諸子ノ此迄ノ学校ニ於ケルガ如ク更ニ上級ノ学校ニ進ム為ノ予備的学問トハ其ノ趣ヲ異ニスルノデアルカラ単ニ学術技能ヲ覚エルノミデナク克ク其ノ原理原則ヲ理解体得シテ之ヲ活用的ノモノトシナクテハナラヌ。之ガ為ニハ単ニ教官ニ頼リ教へラレルノヲ唯待ツノミデハ其ノ目的ヲ達スルコトハ出来ナイノデアル。何事ニモ常ニ積極的ニ進取向上ノ意気ヲ持ツテ自啓自発ニ努メナクテハナラヌ。次ニ諸子ガ将来兵学校ヲ卒業シ実務ニ就キ何物ニモ屈セザルノ意気ヲ以テ尽忠報国ノ誠ヲ致サントスル場合身体ガ伴ハナカツタナラバ思フ存分ニ御奉公ガ出来ナイ、従テ自己ニ課セラレクル責務ヲ全フスルコトガ出来ナイコトニナルカラ諸子ハ在校中克ク体育ニ意ヲ用ヒ将来如何ナル劇務ニモ堪へ真ニオ役ニ立得ル身体ヲ練成スルコトニ心掛ケナケレバナラヌ。
以上校長ハ諸子入校後差当り必要ナル覚悟ニ就キ訓示シタノデアルガ今後モ校長ハ随時訓示スル所ガアルデアラウ又教頭ヲ始メトシテ各教官監事カラモ夫々訓へヲ受ケルノデアル。又之等諸官ハ諸子ノ教官トシテ又父母トシテ指導誘致ニ当タッテ下サレ又上級生徒ハ諸子ノ兄トシテ教導シテ呉レルノデアルガ、諸子ハ克ク上長ノ訓へヲ守ツテ速カニ校風ニ醇化シ立派ナル生徒卜ナラナクテハナラヌ。
海軍兵学校ハ此ノ江田島ニ移ツテカラ五十二年ニナルノデアルガ其ノ間幾千ノ卒業生ハ悉ク兵学校ニ於ケル厳格ナル修練ノ道ヲ経、帝国海軍ヲ今日アラシメタ人々デアル。而シテ先ニ述べタ光輝アル帝国海軍ノ伝統的精神モ此等諸子ノ先輩ガ此ノ兵学校ニ於テ鍛へラレタ精神ノ累積ニ外ナラナイノデアル。諸子ハ此ノ光輝アル伝統的精神ヲ継承シ且之ヲ発揚シテ帝国海軍ヲ益々光輝アルモノタラシメナケレバナラナイノデアル。
今ヤ我国ハ真ニ未曽有ノ重大時局ニ際会シテ居リ帝国海軍ノ責務愈重大トナツテ来タ。
然シ今ヤ我国ノ向フベキ所ハハツキリシテ居ルノデアツテ一億一心之ニ向ツテ邁進シナケレバナラヌ。又此ノ我国ノ国是トスル所ノ東亜新秩序ノ建設大東亜共栄圏ノ確立トイフ大使命ヲ達成シ天象無窮ノ皇運ヲ扶翼シ奉ルニハ帝国海軍ノ実カニ侯ツ所極メテ多イノデアル。而シテ将来帝国海軍ヲ双肩ニ担ヒ此ノ大使命ヲ達成スルハ諸子ノ将来ニ課セラレタル重責デアツテ其ノ任ヤ寔ニ重イノデアル。之ヲ思フトキ諸子ガ今日兵学校ニ入校シタルコトハ実ニ幸運デアリ名誉デアルト謂ハナケレバナラヌ。帝国海軍ノ後継者タルベキ諸子ハ須ク此ノ名誉卜重責トニ感奮興起シテ一意生徒タルノ本分ニ邁進シ軍人精神ノ確立ニ徳性ノ涵養ニ心身ノ鍛錬ニ将又学業ノ修得ニ全力ヲ注ギ以テ真ニ尽忠報国ノ赤誠ニ徹シタル剛健有為ノ海軍兵科将校タルベキ堅確ナル基礎ヲ築キ上ゲナクテハナラヌ。
最後ニ謹ミテ申述べテ置クベキハ久邇宮徳彦王殿下ニ於カセラレテハ目下第七十一期生徒トシテ第二学年ニ御在学中デアツテ畏クモ一般生徒卜御起居ヲ共ニ遊バサレテ居ルノデアル。諸子ハ斯カル機会ニ本校ニ学ブコト終生ノ栄誉タルヲ思ヒ一層発奮スル所ガナクテハナラヌ。
昭和十五年十二月一日 （終）
（なにわ会ニュース第37号 35頁）