父太刀川正は対象12年新潟県長岡市生まれ、長岡中学、海軍兵学校72期。昭和21年帰郷後、空襲で焼失した家屋を再建して家族を支えました。定年まで東北電力で勤務、退職後は郷土資料館のボランティアの傍ら、母と旅三昧。母が平成20年に先立ってからは一人暮らしとなり平成26年7月27日に享年92歳で他界しました。
父は戦争の体験や海軍生活そのものについてあまり口にすることはありませんでした。しかし、海軍兵学校のことや厳しい教育訓練の様子などは、保証人が郷里の大先輩山本五十六元帥だったこともあってか、とてもよく話をしてくれたものです。
終戦後の父は兵学校の矜持を持ち続け、兵学校生徒の多くが恐らく抱き続けたであろう多くの矛盾に悩みながらも懸命に生き抜き、一貫して向上心を忘れず、絶えず自己研鑽に励んでいたように思います。
国を想って志をひとつにした海軍兵学校教育の崇高さに改めて感嘆したものでした。私は父の思いを汲んで遺骨の一部を江田島の海にそっと散骨いたしました。
また父は一方で、不幸にして志半ばで夭折した兵学校同志に対して申し訳ない、自分は運が良かっただけだ、という気持ちをいつも携えておりました。
『昭和の時代が終わって〜 物心ついてからは全て昭和であった。戦争の時代を振り返って、自分の動いた軌跡を辿ってみると余りにも運のよかったことに今更慄然とする。同志は本当に気の毒だった。何かに感謝し罪ほろぼしに少しでも報いる行為が必要である。』と謳っています。(平成元年1月7日の父の日誌)
平成から新しい時代に変わろうとするまさに今このときに、改めて父と兵学校同志の生き方や魂に思いを馳せたいと思います。そしてその想いを、将来に生きる自分自身の糧として尊んでいきたいと思います。
私は、父に対する畏敬の念を再確認し兵学校や海軍生活で父がお世話になった方々への感謝と敬意をお示しするという意味で、2年前より「なにわ会」に参加し、靖国神社永代神楽祭と懇親会に出席させて頂いております。
海軍3校の同窓会同志の鎮魂から始まり、それを遺族が引き継ぎ、その想いを培い、子や孫たちに伝え繋いでいく「なにわ会」はひとりの日本人として、誇りをもって永続させていくべき素晴らしい集いであると心より思っております。
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