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吉本健太郎が両親に送った最後の手紙

回天攻撃隊金剛隊としてイ潜水艦に乗艦,昭和20年1月9日呉出港,ウルシー環礁に向ったが

そのまま消息不明,1月21日喪失認定。米の資料によると1月21日ウルシー西方で哨戒機に

発見され,23日早朝米駆逐艦の攻撃を受け沈没。艦と運命を共にする。

 

前略、突然乍ら此の一書を以って最後の御別れを申上候、

健太郎事今より決然死地に赴くべく不肖此の身を以って、帝国存亡の危急を救ふ一助とも相成らば武人の本懐正に之に過ぐるものなく甘んじて国家興隆の捨石となる覚悟に御座候、

今日迄の御愛育に対し奉り厚く御礼を申上ぐると共に生前数々の不孝に対し御詫びの言葉を申述候

 22年間真に清き楽しき人生を送り又ここに無上の死処を得たる健太郎誠に果報者にして欣然死地に投ずべく候 

最後に御両親様の御健康銃後の御勤めを衷心より御祈申上候、

健太郎幼少の頃より御世話に預りたる近隣の皆様並に小学校、中学校時代御指導を賜りたる諸先生方に宜しく御伝言の程奉願上候 

尚死後の整理に就きては別紙を以って御依頼申上候 

昭和1910                     

 頓首再拝

 御両親様                          

健太郎

若き日の夢は朝露に似たれども 暫しとどめよ 白菊の花   

健太郎

(ネットから

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