故上原庸佑が昭和19年南の孤島より
父上へ送った最後の手紙
拝啓 随分長らく御無沙汰致しました。誠に申し訳ありません。筆不精の為ついつい便りもせず数ヶ月居りましたことを深くお詫び致します。
余り無沙汰がすぎて、ヒョットしたらもう死んだのではなかろうかなどと思っておられるかも知れませんが、私の方、至極壮健、手術の跡も殆んど全治(扶桑のとき腫物を手術)扶桑より宛名のところへ無事数ヶ月前着任元気一杯張り切ってやっています。家の方も皆元気であろうと想像しつつ、夕には家で眺めた北斗七星を朝には南十字星を仰いで、敵来たちば一撃と虎視眈々、敵の空を仰いでいます。
家の方も冬は過ぎ、春も終らんとし田植の頃とも思われます。果樹園を食糧増産に向けるが為水田にされる由、何時であったか伺いました。大に結構と思ひます。要は戦争に勝つにあり、何を犠牲にしても必勝の信念を以て前線銃後とも戦ひ抜くべき時と思います。家の方も聖戦4年を迎え種々不便な事もあるでしょうが我慢して下さい。(以下略)
庸佑
父上様
(ニュース遺墨集)