最後の日記から
都所 静世
昭和19年12月30日
0600 起床
0650 朝食
0730 総員集合。鉢巻拝受。短刀授与。訣別。写真撮影。別杯。
0915 桟橋発。6艦隊長官訓示 (潜水艦上にて)。
1000 出撃。6艦隊長官はじめ大津島総動員にての見送り。潜水艦は南無八幡大菩薩の旗をひらめかし、乗員は日の丸の鉢巻にてものものし。湾口まで見送る魚雷艇、水雷艇も涙にかすむ。
1700 豊後水道通過、暮色に消え行く祖国に対し、最後の訣別をなす。懐かしの祖国よ、永遠に栄あれ。懐かしい人々の面影が、ちらり脳裡をかすめ去る。
12月31日
0700 起床。9カ月ぶりに艦の生活をやるせいか、体力の消耗甚し。出撃前に、なるべく潜水艦に乗艦生活せしむるを可とす。潜航浮上後、回天点検、異常なし。次第に温度上昇、搭乗服一枚となる。海上模様、比較的平穏。この調子なれば、さほどがぶる様子もなし。毎日蜜柑ばかり食い、腹具合変。一日平均30個、ビタミンC多きゆえ壊血病の予防か。トランプに4時間ばかりつぶす。昭和19年も刻一刻少なくなりゆく。後10秒……。
昭和20年1月1日
18年の未から19年の元旦にかけても、航海していた。あの時はカビエンからトラックへの帰投中だった。今年のはじめもやはり航海。今度は2度と帰ることのない航海だ。
0445 起床。黎明観測訓練。視界、きわめて良好。艦内暑く、空気汚きため眠し。暇あり次第ベッドにて睡眠する。体力消耗す。病いより起き出でたる如し。頭フラフラ。午後潜航1回、回天異常なし。
1800 薄暮観測訓練。筒内照明装置改善。防暑服に着換える。
1月2日
水上航走。なすこともなく、退屈なり。午後襲撃法につき艦長と打ち合わせ。
2100〜0100、ブリッジ。
1月3日
そろそろサイパンからの敵哨戒圏内に入るころ。警戒厳重となる。潜航後回天異常なし。食欲なし。
1月4日
昼間潜航。夜間浮上。回天異常なし。
1月5日
昼夜間潜航、1800〜2130 浮上充電。回天異常なし。蜜柑、そろそろ腐り始めた。
1月6日
0220〜0400、浮上。
1800〜2300、浮上。
人力、電動縦舵機調査、異常なし。艇内極めて高温。
2200〜0100、ブリッジ。
一月七日
〇二二〇ー〇五三〇、浮上。
一八〇〇、浮上。横舵系調査、異常なし。
一月八日
大詔奉戴日。畳夜間潜航。なすこともなし。
一月9日
一日中ゴロゴロ。0800頃、ツリム失損により危うく沈没しそうになる。
1月10日
情報来たる。輸送船200隻以上。戦艦、空母がいないのが残念。
1月11日
2400、攻撃決行まであと3時間。さようなら、さようなら。
天皇陛下万歳、大日本帝国万歳。
(機関記念誌82頁)