TOPへ     遺墨目次

田辺光男君の故伊藤叡君宛の手紙

20・4・28沖縄沖航空戦にて戦死)

 

拝啓 毎日毎日嫌な雨が降り続く、霞ケ浦に転進後、ますます張り切っておられることと思う。俺も酒保を食い過ぎて、腹が少々具合悪いけれども、まだまだ大丈夫だ。

甲板士官なので、朝早くから夜遅くまで、隊内を馳けずり廻っている。 なんて風にやると、もたんから集中主義をとって、やる時はやるが、やらん時はやらんという風にしている。即ち昼間は昼寝をして時々目を醒ましたらその辺を歩いて、時に殴るという調子だ。当基地は異所轄の部隊が4つもあるので、なかなかややこしい……。

目下、垂直攻撃と編隊空戦だ。固有編制の列機をひっぱって演練している。俺の列機は上飛曹一名、飛長二名で、皆戦地帰りの猛者だ。というと髭面のものすごい奴と思うだろうが、否々、皆、俺より年少で紅顔の美少年ばかりである。これらの者が皆、俺の命令の下、死地に飛び込んで行くのかと思うと、小隊長たる者の任たる実に大なるものあるを痛感する。しかし部下は可愛いものだ。時々私室へ遊びにきては「分隊士、分隊士」となついてくれる。最年少者は18才、この若き美少年が、零戦を操って一生懸命、一番機にくっついてくる様、実になかせるところである。

俺の分隊員で貴兄と同姓同名がいる。もっともアキラという字は貴兄のはちょっと他に類例がないので、これは昭だ。年令18才、まだ子供のような可愛い奴だ。

東京へは出られない。一宮の海岸へ行ってもっぱら清遊している。一宮学園というのがあって、東京横浜の小学生ばかりが多勢いる。ここへ遊びに行って小学生相手に遊んでいる次第、当地へきてどうやら俺の真の姿が出てきたらしい。

吉田、斉藤、その他諸教官によろしく。

9月16日

      光男拝

 

(ニュース 遺墨集 7号31頁)

TOPへ     遺墨目次