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夛田 圭太君の父上に出した手紙

(多田は1911、9 第三朱雀隊長として戦死)

 

謹啓、涼風漸く繁く日毎に寒気相加わり候も、父上様には益々御壮健にて軍務に御精励の御事と拝察致し居り候

私も健康にて日夜戦闘機にて飛び回り居り候間、乍他事御休心被下度候

兵学校入校以来約4歳、本日はじめてその甲斐有之、大東亜戦争航空戦繊烈なる真只中に戦闘機隊搭乗員として作戦に参加するの栄を得る事と相成り候 就中、私の隊は嘗て、飛行学生にて帰宅の際等、父上のよく話されし任務を有する戦闘機隊にて、勿論編成の際志願致したるものにては候も、武人の本懐之に過ぐるものなく、又、父上の御希望にもかないたるものと喜び居り候

最近聊か図に乗り来れる米国空母群に一泡吹かせんものと張り切り居り候

福留中将が長官にて再三巡視に来られ、又GF長官(注 連合艦隊司令長官)も来隊せられ候

72期生中、既に亡き数に入りし者50名以上とも相成れる今日、戦闘機隊長なるにもかかわらず、安閑とし居りし事、真に残念なりしも本日に到り、将に絶好の機到来せりと、愛機を眺め喜び居る次第にて候

頑児不肖なりと雖も、兵学校3ヶ年の訓育に絶対の自信を有し居り候 何卒、御安心被下度願上候

東京の冬も父上には久し振りの御事故、健康に充分御注意なされる様祈り奉り候

 

愚作2題

あだ艦に玉と砕けむ 武士の

わざを練りゆく心 たのしも

 

散る桜 残る桜のとりどりに

永久に香久わし 大和島根は

敬具

海軍中尉 多田圭太

(ニュース 遺墨集  6号27頁)

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