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大村謙次君の父の死を知ったときの日記

(大村は昭和191127日神風特攻第一御盾隊長として零戦にて一式陸攻掩護を兼ねて硫黄島発進、サイパンを片道攻撃(航続距離ないため)し、一式陸攻の爆撃終了するや、同期生権代(20年4月5日戦死)の陸攻に近寄り、別離の挨拶をかわし急降下、B29を銃撃後自爆した。襟首つかみ、引き戻したき心地せりと、権代涙して報告している。)

昭和181219日朝(日曜)真暗闇ノ中カラ突如「大村候補生居ラレマスカ」従兵ノ声。

「オイ」ト生返事ヲシタガ、直感的ニ「アア悪イコトガ起キタナ」ト思ッタ。

父ノ死。之程驚イタ事ハナカッタ。危篤トハイフモ、モウダメカナト思ッタ。

遂ニ父ハ亡クナッタノダ、愈々我ガ家ニモ恐シイ風ハ吹キマクッテ来タ、唯々残念デ、残念デ、果シモナク涙ガ出タ、ドゥシテモウ少シ生キテ居テクレナカッタラウカ。母 可哀想、働イテ働キ抜イタアゲクニ手厚イ看護モ効ヲ奏サズ、亡クナラレルトハ、兄チャンガ之ヲ聞イクラドンナニ嘆クダラウ。

(ニュース 遺墨集 8号27頁)

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