岡田 清兄の勲功を
田中たくみ
一 悲報一度来りて 我胸を打つ
兄が温顔眼前に彷彿として
信ずる能はず
昨秋宮城前の兄が最後の言葉
今尚我胸に残りて新たなり
嗚呼壮烈岡田兄
南海に散られしは真なるか
二 思へは豊橋二中に
兄と相語りてより
兄が一挙手一投足は
我以て範とするところなりき
志を同じくして兵学校に供に学ぶ
萬事行を共にして受けたる
友情蒼海よりも広し
鳴呼忠烈岡田兄
今は護国の神となられしか
三、戦い正に重く 大なるの時
はるかに南海の戦線を望み
我は悦ぶ身を軍籍に置くを
いで南溟にはばたけば
兄が仇は空より執りて
我胎ともに語らん靖国の社
(縞注)これは昭和19年7月5日の田中たくみ君の自啓録に記注されていたものを、母堂むら様から編集部に寄せられたものである。
岡田 清君 豊橋二中出身
19.1.16 駆逐艦天津風にて比島西方海面で戦死
田中たくみ君 豊橋二中出身
20.4.12 神風特攻第七生隊員として南西諸島方面で戦死
(なにわ会ニュース38号48頁 )昭和53年3月掲載