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昭和40年2月寄稿

故元木恒夫君が故木原健君のご遺族にだした手紙

故元木 恒夫君

(昭和20年五月13日神風特攻忠誠隊長として戦死。
生前に期友故木原健君の戦死を御遺族に報ぜし書簡)

 

護啓 厳寒の候と相成候所、貴家御一同様には益々御健勝の段敬賀し奉候

陳者、先月12日台南方面に来襲せる敵戦闘機を上空に迎え討ち、一瞬にして敵機を撃墜致せしも、亦味方の被害少からず、遂に木原大尉にも壮烈なる戦死をとげ、「クラス」にて戦闘機隊最初の戦死者として吾人に無言の範を示され候

小生生憎急病にて唯、地上において、我が勇士の活躍を傍観致すのみにて地下の木原大尉には誠に申訳無之候

当日は断片を浮べる快晴にて、敵来襲の報に接するや、戦闘機隊は轟々たる爆音を立て勇躍発進、木原大尉にもさぞ初陣の微笑をたたえ、真っ白き「マフラー」をつけ出発致したる事と愚考致候

爆音の消えたると同時に遥か彼方に空戦は開始せられ候 量を(たの)める敵は執拗に編隊を以て我が戦闘機に当り、銀白色のは、太陽輝き、地上の眼を射り、彼我秘術を尽し戦闘演じ、さながら秋の空に.「とんぼ」の群れ飛ぶが如く.見張始め隊員総員遥か高々度の我が勇士の奮闘手を合せ祈り居り候

一瞬、真黒な煙を吐き、大地に吸い込まれてゆく敵機、無念火を吐き降下する我が零戦、戦いは数分にして終了致し、敵「グラマン」の銃撃を受け、それを追う戦闘機なく、唯地上砲火にて手の下し様無之、口惜し涙にて防空壕に(つくばい)居候 斯くて其の日の戦いは終りたる次第にて候

其の日、夕刻、木原大尉の戦死を知り、大尉の円満なる人格、常に微笑を浮べる顔、今更の如く眼前を走り過ぎ候

貴家御一同様にはさぞかし御愁傷の御事と拝察仕り居候 小生技量未熟にては候ヘども、木原大尉の仇を討つ日の近きを喜び居候

右、木原大尉の戦死当日の状況を御知らせ申し上候

敬具

1130

元木恒夫

遺家族御一同様

(ニュース遺墨集)

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