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故木原 建君

 

台南海軍航空隊配属、昭和191012日午前7時20分台湾沖航空戦にて散華。

昭和21年鳥取一中同窓会の遺芳集から抜率して生前の彼の書簡の一部を記します。                   

森本達郎

 

父上様への手紙

拝啓 時下初秋の候父上様にはその後、如何に御暮し候や御伺い申し上候

建はその後不相変至極壮健にて毎日南支那海上、又はバナナ畑、椰子林の上を我が物顔にて自由に飛翔致し居り候間御休心被下度候

さて、先便よりのご約束の台湾の状況をお知らせいたさんと思い筆を取りたる次第にて御座候

台湾は内地と海を隔てて離れ居り候故、海上輸送意の如くならず、内地にある物は台湾に少なく、台湾にある物は内地に少ないというような情況にて有之候

(中略)

台湾にてはパインアップルはすべて生のままを食し、その美味きこと、正に天下一品にして缶詰とは雲泥の差有之候 バナナは未だ青味がかったのを食し、パパイヤの味もまた南方果物の特異さを発揮いたし、我々に大なる慰安を与え居り候 米は豊富に有之、外出して何処にても食事が出来得る状況にて候

人間において最も必要なるは古来より衣食住と申し居り候も、台湾は何処として一つの欠点も無之、実に住み易き所に御座候 只一つ欠くると思い候事は内地を少し離れて居るという事にて候 然しこれも戦友がお互いに暮し居る生活においては左程痛切に感ぜられるものにては無之候、「住めば都」と云いし古人の言葉、また味いて奥深きものを感じたる次第にて御座候

(以下略)

 

9月6日

           父上様                          

(ニュース 遺墨集)

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