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片山市吾君から水谷潤への手紙

片山市吾(厚木空)から 19・8・7

前略、当隊に来てから始めて筆をとり第一報を貴兄に贈る。本日(6日)山根から種々聞いたよ、一番驚いたのは、保さんの殉職だった。驚いたよ、全く。

此処の飛行場は実にナカセルよ、風は今のところ滑走路に平行で離着陸に苦労はない。飛行機も亦・・・ 毎日愉快な飛行作業をやっているから安心してくれ、此処の休日は今のところ日曜日だ。近い中に貴兄のところへ御邪魔に行くかも知れない、都合がよい日を知らせてくれ。

新進気鋭の若武者、大に当隊の軍紀風紀の粛正に専念している。「甲板」 の名にかけて田中洋 立川等諸兄によろしく。

 オッス。

(片山と水谷は4号のとき、45分隊で一諸であった。)

 

片山市吾(厚木空)の手紙

 今日伊藤中尉と吉盛中尉と下士官1名が、うちの飛行場に不時着したので潤君に便を托す。相変らず通信士で張り切って居られるそうだが、まあしっかりやってくれ給え、

 もう知って居られると思うが武田と山根が10月3日、1014日と続いて殉職してしまった。俺の部屋は塚田と俺と4人で居たところ今はもう2人になってしまったのでどうも淋しくてたまらん。 山根は1600、雷電の試飛行で離陸してから3千位の高度をとるのを俺はみていたのだが、それからはどうなったかわからない。戸塚のあたりの雑木林の中へ突っ込んでしまって、土中10米余り突っこんで4日間徹夜で土を掘って遺体の大部が出て来た。 機体はこなごなになってしまって、平田が神の池へ突っ込んだ時よりももっとすごかった。

 小生は来月上旬(これは軍機に属するから婆婆では云ってくれない様に)硫黄島へ行く。飛行機は52型(注零戦の一種)に斜銃をつけて行く、70期の宮崎大尉が隊長となって10機行く。
71期の中野中尉と予備の由井中尉と俺、士官が4名、下士官兵が6名。

 もう昨日から雷電を卒業した。乙戦は厭だと云って此処へ来たものだが遂に幸運をキャッチした。残る6名の先発として一人行くのは何か気分がすっきりする。2ケ月位の交替らしいが、何処で何時ゴネルか知らんが、とにかく大にやるつもりだよ。

神は三沢へ移ったらしい。あれ以来、貴様の処へは失礼しているが′御両親によろしく。

 

 便

 俺は貴様からの便りを受取ってどんなにか会いたく思ったか、本当に飛行機だったら自分でスイッチを入れて飛んで行こうものを。<BR>汗と砂塵と、そしてぴったりしない気持とあらゆるものを理性でやっと我慢して立派に職務を果して居られる君の努力には大に敬意を払う。

 今の自分の気持ちは割合に簡単なものだ。今度進出することを無上の光栄と思っている。そして遠い交通も不便な神ノ池に居る水谷潤とそして北の果、本当に地の果の様な感じのする三沢空に居る神のことと、601だったか奥海(彼は変っているが俺とよく気の合う奴だ).其の他数名のクラスメートをなつかしむ心だ。Sプレイはやっても、また自分の心は、身体がバーであることと同様純真だ。

 今の俺は神ノ池時代の俺と変りはない。変った人も相当居るがね、どうして神ノ池以来俺が殆んど変らないかというと、それは分らない。

 何だか、頭の中がボーッとしてまとまらない。処で、神ノ池の休日を教えてくれ、そうすれば入湯上陸を利用して貴様のところへお邪魔出来る。或はここへ来られてもよいがそれはあまりに面倒くさいからね。自分は、11月1・2・3日は家に帰るから、其の他の日に貴様が家につく日に電報でもうつてくれ。
(注、東京の水谷家で落ち合う計画である)

今自分の休みは水、木だよ。もう時間がないからこれでやめる。今日篠原飛曹長が来たのでこれをたのんだ。

(なにわ会ニュース18号41頁 昭和44年9月掲載)

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