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昭和44年5月寄稿

神 正也君が水谷 潤君に出した手紙

 正也(筑波空)の手紙 19・8・12

神ノ池時代には種々お世話になり、また教えられる所多数、今更ら乍ら深く感謝いたします。

転勤の発表のあった夜、全く予期しなかった発表を聞いて心からの涙を流した想い出を過去のものと流さずに、何時でも鋭く浸入して来る教官気分の良き楯として大いに腕を磨いて下さい。

神ノ池では今頃編隊空戦位やって居られることと思います。私達は入隊して地形慣熟飛行、編隊の列機、基攻(基本攻撃)などをやっています。同位戦も一回だけやりました。

予備学生には飛行学生のような気概がなく、基本攻撃前後の編隊も満足につけません。20回近くも基攻をやり乍ら昨日(11日)は展開方向を誤り一番機(新庄)と空中衝突して落下傘降下をした者もいます。新庄は無事飛行場に不時着しました。交代、燃補その他総てに惰気が漲り、之を一掃するには余程の努力が必要だと思っています。幸い桑野、新庄、小生が甲板をやっていますから相当張り切っています。申し遅れましたが第1日目の最初の着陸で池田が着陸直前、失速胸を打ちましたが今日(12日)から乗るのだと云って張り切っています。

少尉着任以来(注、新庄、日野原、川越、桑野、青田、福島・秋山、斉藤敏、大森、伊藤、池田).筑波も日に日に軍紀厳正になりつつあります。今に日本一の航空隊にしてみせましょう。くだらぬことを多数書きましたが何卒お元気に、決して消耗しないように、先日母上様が「潤が消耗しましてね」と云って今度何時お会い出来るか分りませんが、お暇でしたらお手紙下さい。   

御健斗をお祈りします。

神 正也(三沢空)の手紙 191021 

前略御免、其の後相変らずお元気の事と思う。三沢に空輸に来た桧垣中尉の話では、潤兄は通信士でモリモリシメラレている由、方久兄(注  石川方久)は予学をモリモリシメテいる由、二人の特徴ある顔が益々特徴づけられる様な気がする。此処は寒いが実によい所、昨日一〇〇一(註、空輸専門飛行隊)の石井が来ての話では、山根が地球に10米もぐって殉職の由、全く気の毒、武田の殉職、三宅の片腕、全く何とも云えぬ気持、お元気に。

 

(なにわ会ニュース18号42頁 昭和44年5月掲載)

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