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69期の卒業式を家郷に報ず

池田 誠治


今度は長らく御無沙汰致しました。それにつけても度々御手紙有難うございます。尚この上も頂戴するつもりです。考へて見ると、前の金曜の23日以来、一度もお便りして居ません、全く以て、不孝の至りと我ながら自責の念に駆られる次第です。私はこの前の25日の卒業式に於いて、手に「マメ」を作りました。至極健康で100パーセントの状態です。お便りをしなくても御心配をしないで下さい。23日以来今日で2週間、その間に懐しき新候補生を送り出し、校内の櫻も遂に庭を斑雪の有様にし始めました。分隊監事新田善三郎中尉から、母上に宜しくと伝へられました。

 第69期生徒の卒業式及びその前後の模様を説明して見ましょう。陛下御臨幸と我等一同希望して居ましたが御名代宮として久邇宮朝融殿下御台臨遊ばされました。23日にもお分りの様にその日頃から卒業生徒の父兄弟、母姉妹等続々と全国より集まり始めました。またご覧の如く、23日、その名も厳しい実務練習部隊と名付けられたる堂々の艦隊那智(重巡)を旗艦とし戦艦山城、重巡羽黒、軽巡北上の四艦、素晴しい巨体を江田内に乗り入る。その陣容は真に出陣し得る萬全の配備なりと。非常時下、一触即発の現今まさに然るべきなり。

 24日、軍艦羽黒見学、先の乗艦実習の鬼怒に比し、余りにも広々とし、これで水密(防水施設の良いこと)なるやと疑問を生ずる位なり。従って、居住施設は鬼怒を見し眼に取りては、羨しき限りなり。

 愈25日、母や姉にこの光景を見せたく思うや切なり。

 定刻、宮殿下、奉迎の海岸整列位置につく。待つこと暫くにして、御召艦鬼怒特有の三本煙突より黒煙を山城の蔭より現して、湾口に姿を現す。途端に校長閣下乗艇の内火艇各艦長乗艦の内火艇、白波を蹴立てて「スマート」な艇躯を滑らして行く。在湾軍艦より皇礼砲の砲声、殷々として四界を圧す。射つこと21発。遥かに鬼怒と同級の北上よりも轟く。前檣の下に在りしあの禮砲を、あの如く逞しき人が雙頬に緊張の色を漂わし、捜査し居るならんと、その光景髣髴たり。

 海岸奉迎の位置より陸上奉迎の位置に移り、殿下を咫尺の間近に拝するを得、又大講堂に於ける卒業生徒優等者に対する恩賜品等、大元帥陛下の間近に我在りと感じ、全く感激す。

宮殿下の御事を申すは恐れ多きことなれど殿下は実に温顔、高僧の如き感を受けました。卒業式は全く淡にして恩賜晶拝受式の感あり。

 「山田進以下何名、卒業を命ず」。次に恩賜品拝受者各個に拝受、殿下の御前で敬礼、ついで拝受するのです。各個に拝受し終る迄軍楽隊の奏曲があります。拝受者の光栄、考えるだに感奮せざるを得ません。自分としては、出来るだけのことはしますから心配無用。

これで卒業式終り。余りにも呆気無し。続いて殿下奉送、再び21発の皇礼砲響き渡る。終って昼食。候補生となりし卒業生徒の前途を祝すべく赤飯御馳走あり。食後、自習室前に於いて最後の別れ、候補生は堂々と我々残員の中を練って歩きました。候補生八方園参拝、生徒隊監事に連れられ乗艦、敬礼は各個の敬礼、生徒隊監事の顔は感無量、嬉しさを湛へ、慈父と言った形なり。事業服に着替へ、個有カッターに依り海上見送り。

 実務練習部隊に対し48分隊は帽子を△形に振りました。遂に数多の夢を送ったこの江田内を滑り行く。次に来る者は各分隊競争の「ダビット」帰着。

腕の折れる位、物凄く漕ぎました。お蔭で前記の「マメ」を作りました。陽春の折、気持を又入れ替へて頑張りましょう。

 第48分隊生徒 池田誠治

  この手紙は平成7年12月、大分県宇佐市の池田家を訪れた際、発見し、借用したものである。(押本直正、大分県立宇佐中学同級)

 

(なにわ会ニュース74号32頁 平成08年3月掲載)

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