12月1日 74期最後のクラス会
21年12月1日74期の最後の全国大会がグランドパレスで会員244名、同伴224名、来賓13名、計481名が集まって盛大に実施された。今回は74期の最後の大会という事で、74期指導官青木厚一様(66期)を初め各クラスの代表が招待された。72期として伊藤正敬が参加した。
大会は1030から1時間の海上自衛隊音楽隊の演奏に始まり、1215から最後の総会、1225から懇親会が行われた。懇親会では最初に米沢から来られた青木指導官の祝辞、次いで水交会理事長夏川和也氏の音頭で乾杯、懇談には入った。約2時間懇談に花がさいた。最後に軍歌を歌って散会した。その後、大部分の参加者は靖国神社での慰霊祭に参加した。
なお、参加者には『戦争と平和を生きた男たち』というCDが配布された。
なお、江鷹会の談話室(http://kouyoukai.exblog.jp/)に音楽祭、総会、靖國神社参拝等の写真入り記事があります。
12月5日 海軍兵学校74期会から先日の全国大会についての礼状
『この度海軍兵学校第74期会の解散に当たり、全国大会を東京九段にて開催致しましたところ、ご多忙中にも拘わらずご臨席頂き衷心より御礼申しあげます。またその節には御芳志を賜り重ね重ね感謝申し上げます。
お陰をもちまして予定の諸行事は滞りなく終了し、我が期会は本年未を以て解散致します。 ここに改めて長期間に亘るご交誼とご支援に深謝申しあげます。
組織は消滅しますが、友情の絆は尽きることはなく、今後ともよろしくご指導の程お願いいたします。
どうかご健勝にお過ごし下さるようお祈り申しあげます。』
12月6日
平成21年なにわ会忘年歩こう会
次の記事を上野三郎君から頂いた。
『幸田正仁君の肝入で継続されている歩こう会も12月は忘年会を兼ねての一泊
旅行となった。
期日 12月3日(14:30JR真鶴駅集合)〜12月4日(昼食後解散)
場所 真鶴半島 一望閣宿泊
12月3日は生憎の小雨に悩まされたが、翌4日は快晴に恵まれ気温も15℃を上回り此の時機には珍しい快適な散策を楽しんだ。参加者 14名
(男子、高田、幸田、深尾、椎原、浦本、中井、上野の諸氏、女子 藤井、村上、中井、品川、小松崎、深尾、加藤の諸夫人各7人)
2日目は真鶴半島観光
左の先端は三ッ石で鶴の嘴の先端にあたり左側は鶴の広げた羽の部分だ。
此れが真鶴の地名の起こりだと言われている。
茶色の部分は干潮時に現れ、満潮時は青色部分が残る。
青色の部分は豊な原始林で松、楠、椎の常緑樹の巨木(樹齢300年以上)が繁り、地表にはシダ類がカバーしている。
この環境が魚を集め、育てる場として有効に役目を果たしており、豊富な漁場が存在する所以である。
原始林を透して三ッ石を望む
三ッ石 島の間には注連縄が張られている
12月8日 真珠湾攻撃
68年前の1941年(昭和16年)12月8日は太平洋戦争が始まった日、↓で当時のラジオ放送が聞けます。
http://www.youtube.com/watch?v=U3vtMKRcY9k
開戦の詔勅
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宜ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和ヲ撹亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰へ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテー切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御 名 御 璽
昭和十六年十二月八日
今日は水交会で海軍兵学校の会が行われました。参加者は67期の市来俊男先輩、70期の浅村敦、高井太郎、宮崎富哉の諸先輩、72期の伊藤正敬、都竹卓郎、若松禄郎の3名を始めとして78期迄総計93名でした。
最初に市来先輩の挨拶、次いで宮崎先輩の音頭で乾杯、テーブル席での懇談に花が咲きました。
今年は75期が世話役でしたが来年は76期が世話役で会が開かれる予定です。
12月9日 桂 理平君への弔辞
小西愛明君から、8月に亡くなった桂 理平君のあとを引き継いで、京都ネイブィ・セブンティ会の代表幹事となられた大島達也氏の桂理平君に捧げた次の弔辞を頂いたので、なにわ会だより第2号に掲載する。
弔 辞
私達が敬愛する先輩桂理平様のご霊前に、京都ネイヴイ・セブンティ会を代表して謹んでお別れの言葉を申し上げます。
思えば今から約14年前、平成 7年 6月に呼び出されて京都駅近くの居酒屋へ行ったところ、海軍兵学校の先輩数名が居られ、そこで桂先輩とお会いしたのが初対面でした。
盃を交わしながら「海軍士官だけの会をつくろう」という桂先輩の提案で話がまとまり、早速その設立の準備にとりかかり、その年の12月に「設立総会」を開いて、そこで「京都ネイヴイ・セブンティ会」が誕生発足しました。そして桂先輩が代表幹事に就任されました。
桂代表幹事の方針として、単に軍隊時代を懐古するだけの会合ではなく、会員の親睦と啓発を図ることを目的として、それにふさわしい行事を実施しょうということになりました。
具体的には、 6月に総会、12月に忘年懇親会、春、秋にはレクリエーションということで歩く会,後にバス旅行を実施してきました。
しかし、ただ楽しむだけではなく、先輩方の戦争体験談や在校生の終戦間際の生徒館生活を発表する等、海軍のよき伝統を確認し守っていくということと、併せて時代に遅れないように社会情勢や社会常識に関する勉強会をも実施してきました。
その間、桂先輩は二度も海中に放り出されながらも生き残ってこられたという歴戦の勇士にもかかわらず、常ににこやかに、やさしく、時にはきびしく私達後輩をご指導下さったことは、本当に有り難く会員一同、心から尊敬していました。
また、航空母艦「瑞鳳」の乗組員として撃沈された瑞鳳の最後を見届けられ、その海戦の記録をぜひ残さなければ・・という責任感の強い方で、海戦の記録を克明に調査され、名文で作成された著書をいくつか拝見いたしました。
昨日、通夜の席で、戒名に「瑞鳳院・・」という院号がつけられていることを知り、本当に空母瑞鳳を愛しておられたのだなあ−と痛感いたしました。
京都ネイヴイ・セブンティ会は、桂先輩の肝いりでさきに立派な十年誌を作成し、その運営にも立派なレールを敷いて頂きました。
今年初めに病に倒れられ、このたび予想もしなかった訃報に接して驚きました。
奥様はじめご家族のお悲しみは察するに余りあります。
若輩ながらこのたび代表幹事を引き継ぐことになった私は、会員の皆さんと協力しながら先輩の敷かれたレールを大切に守り、京都ネイヴイ・セブンティ会の運営に懸命の努力をいたす覚悟であります。
どうかご安心ください。そして、安らかにお眠りください。
ひたすらに先輩のご冥福をお祈りし、お別れの言葉といたします。
平成21年 8月23日
京都ネイヴイ・セブンティ会
代表幹事 大島達也
12月10日 回想のネービーブルー
12月8日に行われた「海軍兵学校の会」で「回想のネービーブルー」が刊行されることについて紹介があったので、配布された資料3部(回想のネービーブルー刊行のお知らせ、
三浦節氏の掲載予定の巻頭言、 主な内容) をなにわ会HPに取り込んだ。
12月11日 秋田君の最後
田島明朗氏から秋田君の最後について追加資料入手。なにわ会だより第2号に掲載する。
12月12日 74期記念品
74期事務局から12月1日の74期の最後の全国大会の際に記念に作り参加者に配布された「戦争と平和を生きた男たち」という音の記録のCDを送ってもらいました。
A版は 1 入校まで 2 江田島入校 3 江田島の1日 4 年中行事 5 卒業・戦時配置 6 座談会(特潜・蛟竜・海龍の特攻訓練) 7 座談会(大和・矢矧・中連・秋水の特攻訓練) 8 終戦
B版は 1 江鷹会の活動 2 全国のクラス会 3 戦後の歩み 4 エンディング
となっています。このCDを見てみたい方はお知らせください。お送り致します。
日記 年賀
早や12月も14日、年賀状作成の時機になりました。昨年からメ-ルを交換している方にはメールで送ることにしましたが、それでもまだ250枚も葉書年賀状を出しています。そんな時、矢田次夫君から電話を貰い、彼も随分沢山の年賀状を出しているが、もう87歳にもなるので、今度の年賀状に「年もとって来たから、来年から、年賀状を失礼します。」と書こうと思うが、相手に失礼でないか」と聞かれた。
「もう米寿を迎えたので、今後の年賀状は失礼させて頂きます。」と書いたらいいでしょうと返事した。
74期HPの江鷹会ニュースから
中央幹事会報告
1 全国大会報告
@参加者数
会員 226名 準会員 45名 同行者 152名 招待者 13名 総計 436名
A海上自衛隊東京音楽隊演奏 九段会館 会員、準会員等以外の招待聴衆者数 89名
B靖国神社参拝者数 257名
C総会、懇親会を含め総ての行事は盛大に且つ整斉と予定通りに感激の幕をおろすことが出来ました。
D音楽隊の演奏は、老人若人を含め70分の曲目に忘れ得ぬ感動が与えられました。
E大会の終了に当たりあらゆる関係者のご支援、ご協力に深甚の謝意を表します。
2 訃報(掲載略)
生存者数 494名(H21.1.1〜12.5 30名 逝去) 準会員 257名
江鷹会ニュースは平成21年12月31日の江鷹会解散をもって終了します。
顧みると故岡野幸郎君を中心として、74期のホームページ委員会が平成18年7月に発足し先ず構成として3つの軌跡を想定した。その一は兵学校の生活を主体に、その二は卒業後の戦時配置関係を、機関誌 「江鷹 卒業40周年記念誌」と同じく「江鷹会卒業50周年記念誌」をベースにして構成した。そしてその三は「終戦処理」と「平和の時代の活躍」とし特に創設の基礎を作った3自衛隊関係を収めた。
ホームページは「江鷹会の今昔」として平成18年12月に発表、その後内容の充実を図り、平成20年1月に新名簿とともに会員、準会員に無償配布された。
平成21年 4月にはCD―江鷹会の今昔―も発行された。特徴として外部にリンクし、兵学校先後輩クラスのホームページにアクセスでき、また最後に軍歌演習、海軍ラッパ集が置かれた。
編集委員会の中心であった岡野幸郎君は平成21年8月15日残念ながら眠るが如く逝去された。心からご冥福を祈ります。
編集等に協力した主たるメンバーは岡野、山内(繁)、堀江、飯塚、中村(慶)である。
なお本ホームページ管理人は当初岡野兄であったが、現在は山内章裕氏(山内繁一の子息)に引き継がれている。
今後は情報交換は、談話室が主体になりますが、ホームページは他クラスにアクセスもできることですので、今後ともご利用下さるようお願い申し上げます。
12月16日 74期の談話室の記事(今田知之君寄稿)の転載
21年観艦式のビデオが有りました。”ヤマセン(山船頭)の丘上がり”の小生は、懐かしいよりも近代化された海軍−海上自衛隊−に目を見張りました。多量で時間が掛かります、最初 [5/8] 辺りを御覧になって、興味が有れば最初からではどうでしょう。
(初っ端 儀仗隊指揮官、 大声で号令掛けているのが 婦人自衛官 と言う所で 一発毒気を抜かれました)
[1/8]
http://www.youtube.com/watch?v=GbB2L1kHXr8
[2/8] http://www.youtube.com/watch?v=iU7EOb_zi1o
[3/8]
http://www.youtube.com/watch?v=M9ideXj-S_E
[4/8] http://www.youtube.com/watch?v=0U1JNGxkZYk
[5/8]
http://www.youtube.com/watch?v=bmCPS4Gid94
[6/8]
http://www.youtube.com/watch?v=2D5onMJtTUo
[7/8]
http://www.youtube.com/watch?v=LQnUuH2bqMw
[8/8] http://www.youtube.com/watch?v=c9A0unvYzrg
何故かリンク出来ませんので、コピーして貼りつけて見て下さい。
なお、HP二も取り込みました。↓を貼りつけると、更に容易に見ることが出来ます。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/21kankansiki1.html
12月18日
恒例となっている1月4日の湘南なにわ会新年会
上野君から次のメールを頂いた。
12月17日現在下記の通り25名です、未回答者が4名ありますが、プッシュはやらないつもりです。
記
相澤善三郎、足立 喜次、安藤 昌彦、市瀬 文人、伊藤 正敬、
岩松 重裕、上野 三郎、浦本 生、窪添 竜輝、蔵元 正浩、
幸田 正仁、後藤 寛、左近允尚敏、椎原 国康、新庄 浩、
中井 末一、野崎 貞雄、平野 律郎、深尾 秀文、松下 太郎、
豊広 稔、宮田 實、山下 誠、山田 良彦、若松 禄郎
(計25名)
(参考)平成21年は27名の出席予定が実際には体調不良で24名に減りました。
上記メールを頂いて、米寿を迎える者が大部分のなにわ会でこれだけ多数の会員が元気で新年集まれるのは嬉しい事と思いました。
77期会報江田島90号を頂いた。この中に海軍機関学校第50期の期友抄と題して8人のパイロットのことが記載されているほか、今後の期会の運営に対する考え方、地区期会、県期会の事が中心に書かれている。その他『俺も77期』と題して9人の記事が眼を引いた。
出口勝己君
訃 報
氏名 出口 勝己 君(名簿22P)
平成21年12月19日(土) 前立腺がんで逝去
喪主 妻 出口ひさ子 様
御通夜 平成21年12月20日(日) 1800〜
告別式
12月21日(月) 1100〜
斎場 カドキホール
住所 〒248-0012 神奈川県鎌倉市御成町3-5
電話:0467-24-4455
FAX:0467-24-4477
URL:http://www.kadoki.co.jp
交通 JR鎌倉駅下車
徒歩5分 (契約駐車場あり)
下馬交差点そば
12月20日 73期会報受領
今日はまた会員の訃報を頂きました。今年1月から16人目です。物故者が増加するのは誠に淋しい次第ですが、高齢になっているのでこれも自然の成行き、致し方のないと思います。でも、お互い健康に気を付けましょう。
73期の会報91号(21年12月発行)を頂きました。その中の記事の要約次の通り。
1 靖國神社慰霊祭、総会
21年10月6日実施。会員、遺族含め67名参加。
2 73期の今後について
@ 平成24年末をもって、クラス会の組織並びに業務を一旦終結する。
A 年会費の徴収は平成23年より先行廃止する。(クラス会基金が多くあるので)
3 会員の現状
現存者 277名 戦没者 282名 物故者 342名
4 訃報
瀧本 治様 21.
2. 5没 芹澤 嘉幸様 21. 7.28没
岩上 健様 21.
8.18没 羽田 育三様 21. 9.11没
伊藤 忠作様 21.
9.19没 玉置 忠三様 21. 9.21没
広松 照房様
21. 9.29没
12月21日 昨日頂いた73期会報の記事
72期関係の記事を追加紹介します。
1 薩摩琵琶 泉五郎君作詞の回天特別攻撃隊が掲載されていた。(35頁)
2 森田 衛君の投稿記事「我が青春記}の中に次の記事があった。(88頁)
@ 21年5月初め、復員艦「楓」乗組みを命ぜられ、着任。航海長は72期の桂理平元海軍大尉であった。
A 21年9月25日呉港で朝嵐丸に着任。通信長は72期の出口勝己氏だった。
3 竹島栄吉記の「再び帽振れ」向坊寿著の中に次の記事があった。(101頁)
そこへ浅沼(薫)中尉(72期)が寝間着の上にドテラを重ね、スリッパ姿で入って来ると、「2分隊はエイト」と食卓の上の名札を見ながら・・・・」
12月23日 天皇誕生日
今日は祝日 天皇誕生日です。我々には4月29日の天調節の方が馴染みやすいです。
先日亡くなった出口勝己君のお通夜に左近允尚敏君が、そして告別式に渋谷信也君が参加してくれました。
なにわ会として弔電をうちました。ご冥福をお祈りします。
ある会員からブログの穴埋めにどうかといって「我が輩は病人である。」という長編書きものを頂いた。面白いので順に使わせてもらうことにした。
日記 12月24日 クリスマス
もう今日はクリスマス。平成21年もあと少しになりました。なにわ会だより第1号送付後の連絡費の振り込みを整理してみました。12月24日
現在の連絡費の振り込み状況は次の通りです。
会員の部 『総員 入金すみ 未入金(退会・不要を含む)の順』 以下同じ
入金率 93.1%
兵 131名 121名 10名
機 23名 22名 1名
主 15名 14名 1名
会友5名 5名 0名
戦後物故者の部 入金率 49.2%
兵 159名 81名 78名
機 31名 9名 22名
主 16名
6名 10名
会友3名 3名 0名
戦没者遺族の部 入金率 34.9%
兵 335名 128名 207名
機 57名 12名 45名
主 20名 4名 16名
有志会員 18名
総計 総員 795名 入金数 423名 入金率 53.2%
12月27日
今日1400〜1454 BS−TBSにて、2009年10月にソロモン諸島ガダルカナル島とパプアニューギニア独立国ウエワク市において行なわれた『太平洋戦争戦没者慰霊の護摩供養」放送が有ります。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)の中にあるレイテ沖海戦の参考文書として次の記事があった。
なにわ会(海軍兵学校72期、海軍機関学校53期、海軍経理学校33期の合同クラス会)の戦記にレイテ海戦時の各艦乗組員の回顧録多数。特に大和に通信士官として乗艦し、戦後日本大学理工学部教授となり、各文献を丹念に検討した都竹卓郎「「大和」艦橋から見たレイテ海戦」を参考とした。
また、左近允尚敏「レイテ海戦における重巡熊野の戦闘 航海士
左近允中尉手記 第1回〜第4回も利用されている。
12月28日 会員の記事
インターネットで見つけた会員の記事を整理してHPを修正しました。池田武邦君、小灘利春君、左近允尚敏君党の記事が随分ありました。全部を紹介するのは困難ですので主な物だけ取り込みました。
↓をクリック又は貼りつけて見て下さい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/hp-kaiiin-kiji1.html
なお、森 栄教官の聖市夜話』がありました。
↓をクリック又は貼りつけて見て下さい。
http://navgunschl.sblo.jp/archives/200810-1.html
12月30日 石川誠三中尉
昨日、回天に関心があって、よくなにわ会HPやブログを見てメールを頂く、Hさんから次のメールを頂いた。
『 65年前の明日、石川誠三中尉は、回天を搭載した、伊58潜水艦に乗り、グァム島アプラ港へ出撃ですね。
65年前の今日、出撃を前に、壮行会が行われ、終了後、ひとり抜け出し、街へ繰り出したそうで…。 昨日から、石川誠三中尉のことを考えていたのですが、自分が、石川誠三中尉だったらと考えると、たまらない気分で、いっぱいになりました。
お名前は忘れたのですが、伊58潜水艦で一緒だった、同期の方はお元気ですか?』
Hさん 何時も貴重なメール有り難うございます。石川君出撃時、伊58潜水艦の砲術長で、彼と最後の話をし、彼の口笛を聞いていたのは田中宏謨君でした。、彼は終戦迄伊58で活躍していましたが、平成7年11月11日に病死しました。
12月31日
年末
平成21年も今日限りとなりました。今年は亡くなった期友が今まだに比して16人と多くなり淋しい限りです。
(18年12名、19年7名、20年8名) ご冥福を祈ります。
さて、先日から取り込んでいた森 教官の戦時日誌のHPへの取り込みが終りました。40話に及ぶ膨大な日誌です。読みながら取り込んで、当時の事を思いだしました。終戦までの第一線の艦艇の苦労が手に取れるように分ります。文字を大きくして行間も広くして読みやすくしてあります。是非お読みください。