なにわ会のブログ 21年9月分
日記 9月1日
早8月が終り9月に入りました。なにわ会ニュースの戦記の記事で、まだHPに取り込んでいないものを逐次取り込んでいます。
今まで次の記事を取り込みました。
題 名 (投稿者)
山田 穣・小灘利春様のレポート
(田島 明朗)
T型駆逐艦(改T型を含む)全艦(編 集 部)
90号を読んで
(小西 愛明)
米国B29偵察機撃墜 (相澤善三郎)
ブーゲンビル島沖航空戦と空母冲鷹の遭難
(桂 理平)
屈辱の空輸・最後の飛行
( 林 藤太)
雷電里帰り計画 後日談
( 林 藤太)
第二艦隊及び東支那海輸送船団洋上慰霊の旅(池田 武邦)
昭和19年10月25日の戦死者
(左近允尚敏)
広島原爆投下を目撃して(百瀬 茂)
解明!真珠湾攻撃の無線傍受疑惑の真相(左近允尚敏)
思い出したくない海軍での回想
東條 重道)
水中高速小型潜水艦
( 田島 明朗)
戦艦武蔵の最後
( 編 集 部)
9月2日 なにわ会だより
なにわ会だより第1号印刷完成しました。
今回から、今まで発送を総て印刷屋にお願いしていましたが、今回から印刷完成品を自宅に送ってもらい、ラベル貼り、封筒入れを近所の人のアルバイトにお願いすることにしました。
ニュース(なにわ会だより)の送料、馬鹿にならないのです。平成元年から15年までは多い時25万円、少ない時で12万円、16年3月 83000円、 17年3月 90640円、 (以上郵便局)17年9月 57085円、 18年3月 41028円 18年9月 39524円、19年3月 38925円、 19年9月 38975円 20年3月 42490円、20年9月 41060円、 21年3月 42160円 (以上宅急便)
昔は郵便局で送っていました。今は宅急便利用で、約4万円、多い時の2割で済んでいます。
本を封筒入れる作業は印刷屋にお願いしていました。最初は1冊60円、途中から50円に勉強してもらいましたが、それでも25000円支払っていました。今度から、近所の人にアルバイトで手伝ってもらい半額12500円にしました。こんな点でも経費節減に努めています。
9月3日 なにわ会だより第1号
なにわ会だより第1号本日発送しました。9月5日か6日に着くと思います。
内容について、ご意見ある方は御遠慮なくお知らせ下さい。
76期の会報「生徒館」127号をいただきました。
主な記事の要約
1 向う5年間の資金万全 期友の絶大なる協力により、寄付総数697件、総額1000万余円集り、平成25年までの活動資金が確保された。
2 21年11月24日、東京ドームホテルで全国総会・懇親会開催。参加予定400名余
行事の中に講演会が計画され、講師として池田武邦君の名前が掲載されている。
3 各期の状況
期 卒業 戦没 生存会員 準会員
73期 902名 282名 286名 247名
74期 1024名 20名 519名 258名
75期 3390名 1805名 (21年4月20日現在)
76期 3678名 2146名 (21年5月31日現在)
77期 3778名 2366名
78期 4033名 2419名
4 76期会報 No1 を複製し添付されていた。
岡本俊章君からHPに取り込んだ記事の誤りについて知らせて貰い、早速訂正しました。
次の戦記の記事をHPにとりこみました。
題(投稿者)
真珠湾突入(菅昌徹昭)
先輩岩佐直治中佐を偲ぶ(林 藤太)
戦い済んで日が暮れて大谷友之)
特攻生き残り付け足し人生(坂元正一)
頭上の狼、眼下の敵と菊水隊(山田 穣)
柄澤節夫、末岡信彦の御霊に祈る(岩松重裕)
9月4日 近況
泉五郎君からブログに書いてあった兵56期の記事のうち、「ロタ島について」の記事に興味があると電話を貰った。56期の記事は総頁700頁以上の大冊であるが、CDにも取り込まれていて、このCDを購入しているので、希望があれば取り込んでお送りすることが可能である。泉五郎君には「ロタ島について」をコピーしてメール添付でおくった。
久し振りで新庄浩君から電話をもらった。その電話によると、彼の所に最近の訃報全く流れていないとのことであった。今訃報等情報は、私から、メールでメール出来る第1受信者に流しているほか、ブログ、HPに掲載しているので、情報取得、伝達について今後も協力願いたい。
9月5日 なにわ会だより1号
昨日発送したなにわ会だより第1号到着しはじめたようです。ご覧頂き、編集内容について、こんな記事も入れてはどうか、この記事などはもういらないのでは、というご意見頂ければ今後の編集の参考にしますのでよろしくお願いします。
今年4月に逝去された樋口輝喜君のご遺族から電話があり、樋口輝喜君の最後の様子(心臓が悪くて、入院治療中心不全で逝去)を教えてもらいました。
9月6日 なにわ会だより
なにわ会だより第1号殆どの会員、遺族会員、有志会員の処に届いたようで、多数の方から電話やメールで知らせていただきました。
松山 実君から電話で、連絡網に自分の名前がないと連絡が在り、調べたところ私のミスで入れ忘れでした。
山田良彦君にお願いして彼の第2受信者に加えてもらいました。
第1受信者の桂理平君が亡くなられたので、彼の第2受信者の3名を次のとおり変更します。
連絡網の変更
第1受信者 山田良彦 の第2受信者 に松山 実を追加
第1受信者 桂 理平 の第2受信者 久米川英世、富尾治郎、渡辺 望を削除
第1受信者 山本省吾 の第2受信者 樋口輝喜を削除し久米川英世を追加
第1受信者 鈴木 彊 の第2受信者 に富尾治郎、渡辺 望を追加
この件、来年3月の第2号に掲載しますが、山田良彦君、山本省吾君、鈴木 彊君よろしくお願いします。
9月7日 村上少尉(機53期)
今日来た海上自衛隊新聞(21年9月4日号)に戦時中戦艦伊勢の機関兵だった出雲博氏が海軍時代の思い出と題して「私の出会った『大切な人』村上克巴少佐の言葉」と題して投稿されている。内容は なにわ会ニュース88号67頁(平成15年3月)と概ね同文である。HPの戦没者関連にも掲載してあるので再読し、故村上君を偲んで冥福を祈ってもらいたい。
9月8日 電話やメール
昨日あたりから、なにわ会だよりが着いたとお礼の手紙・電話・メールを随分頂いています。
その中からいくつか会員の情報をお知らせします。
先ず第一に、1月に亡くなった大谷友之君の奥様と3月に亡くなった森園良巳君の奥様からお手紙を頂き、その上多額の御寄附を頂きました。そして、森園良巳君の最後について書いて下さいました。要旨転記します。
なお、次は同封された写真です。
(前略)
ただ今、なにわ会だより第1号様拝受いたしました。主人の喜ぶ姿を思い涙しました。実は、去る3月16日(命日)、偶然にも、亡くなりました朝「なにわ会ニュース第百号最終記念号」を頂き、家族中で感慨無量でございました。(主人の大、大好きな海兵・・・その最終号を手にしました時、(納骨)と一瞬思いましたが、いえ、いえ、私共もぜひ読ませて頂きたいと思いから、・・・只今大切に仏壇に供えさせて頂いております。
日頃、主人は、丈夫な人で私の不注意が悔まれてなりません。昨年秋頃から「背中が痛い、腰が・・・」と近くの(ヘッポコ医者)整形外科の先生は「ああ、バンソウコウでも貼って寝ていりゃいい!」とおしゃいました。でも、暮近く心配で病院で検査を受けましたところ、前立腺ガンから入院三ヵ月の間に食道ガン、肺ガンに転移。朝夕2回の放射線治療ですっかり体力が落ちました。(初め2ヵ月間はとても元気で、一人で入浴し、そして一日中読書ザンマイ。看護師さんの手を借りることもない入院生活で、先生も「温泉にでも行ってくれば・・・」ですって。
9月9日 来信
なにわ会だより1号到着のお礼の手紙やメールを次々頂いています。主なものの転記です。
小柳 正一様(兵68期)
なにわ会だより第1号拝受。なにわ会ニュースに劣らぬ充実した内容、貴会各位のお元気で活躍の様子を拝し、心強いものを感じます。幹事、編集部のご努力は大変と存じますが、元気なうちは皆々様の為に頑張ってください。
土原 弘子様(宮林久夫君の姉)
なにわ会からの見馴れた封筒が届き、百号で終りと思っていたので、びっくりしました。嬉しかったです。伊藤様の心よりのお世話、涙の出る程有り難く感謝の気持ちで一杯です。有り難く拝受いたします。
さて、私こと何とか一人居の生活を続けております。月一度はデパートへ車で出かけたり、句会に出席したりして気儘に過ごしており、住み慣れた家で生活出来ることに心から感謝しています。(以下略)
中田 冨久様(隆君保の妹)
「なにわ会だより第1号」をお送り頂き有り難うございました。興味深く拝見しております。私は一時金を納めていないと思いますので、遅くなって申訳ありませんが、〇千円同封させて頂きます。
西尾きん子様(博君の妻)
本日なにわ会だより第1号が届きました。早速拝読致しましたが、私にはあまり理解出来ない事ばかり、本当に申し訳ありませんが、今後の御送付は遠慮致します。永年、お世話になり有り難うございました。夫、西尾 博が亡くなって8ヵ月の月日が過ぎ、何とか生活しております。
9月10日 東京地区クラス会
なにわ会の公式行事は昨年の年末クラス会で幕閉めになったが、なにわ会としての絆は強く、関西地区クラス会、湘南新春クラス会、パインなにわ会等は引き続き行われている。東京近辺の元気な者が、年に一度ぐらいは集ってはどうか、との提案があり、メール受信できる会員20名にメールで意見を求めたところ半数の10名から何れも賛成の意見をいただいた。まだ御意見いただいていない人返事よろしくお願いします。
返事がまとまったところで整理して、関係会員にお知らせします。
大塚淳君、川越重比古君、阿久根正君、藤井 翠様から「なにわ会だより」の礼状等いただきました。
また、藤井いずみ様(名村英俊君の長女)から要旨次のメールを頂きました。
「最近の父の健康状態は、高血圧症から来る眼底出血と心不全を抱えておりまして、血圧を下げる治療を行っております。家にばかりいるのは退屈だ!と本人はこぼしていますが、足腰が弱っていることもありますので家の中でうろうろしているばかりの毎日を送っております。そうした中、父が乗っておりました潜水艦伊400の乗組員の人たちのことを本にしたいということで、アメリカ人のMr.
Geogheganという方からの取材をお受けいたしました。父は耳が遠いですので質問状に答える形で協力をさせていただきました。私たち姉妹が父の代筆をして何とか送り返すことが出来ましたが、今頃になって、私共は父の兵学校時代や戦争中のこと、偉大な潜水艦の乗組員であった頃のことなどなど、父の記憶の中にある若き日々を辿っているような経験をしてまいりました。父が意気盛んで元気であった頃に、当時のことをもっと興味を持って聞いておけばよかった、と後悔しているところです。他の乗組員の方たちの取材もされているようですので、どのような本に仕上がるのか本人も楽しみにしているところです。」
なお、川越重比古君、矢田次夫君とも、耳が遠くて、こちらの云う事を理解出来ないようで不便です。お家族方に取り次いで貰っています。
9月11日 アドミラル会
今日は148回のアドミラル会に参加しました。昔はなにわ会の会員も多数参加していた会ですが、今は機52期が1名、72期が私だけ、後は77期、78期で、今日は12名の参加でした。
本日一緒にゴルフした78期の方から56期の「海軍兵学校針尾分校について」を見たいと要望があったのでHPに取り込んだ。
9月12日 来信
今日も次の方から礼状等頂きました。
1 70期森田禎介様 お元気でゴルフを楽しんおられます。
2 加藤好子様(孝二君の奥様) 礼状と金一封のご寄付を頂いた。
3 大串 邦彦様(78期) 礼状と金一封のご寄付を頂いた。
4 上野三郎君から、『「なにわ会だより」皆様より歓迎の辞で受け入れられている事、ご同慶に堪えません。
私の感想を付け加えますと、「便り」という名前を生かすべく、一方通行にならぬように、会員個々の近況とかトピックス等幅広く直接の情報を投稿して貰い、掲載されれば、興味関心がもっと増えると思います。』との意見がありました。
9月13日
なにわ会だより第1号を受け取った飯田嘉郎君の奥様から、「主人が亡くなったので、なにわ会の書類はこれから送らないで下さい」という電話で、飯田嘉郎君の逝去を知りました。亡くなって2月経過して分った次第です。
もし御不幸があったときは是非一報頂きたいものです。
訃報 飯田嘉郎君逝去
氏名 飯田 嘉郎 君(名簿4P)
平成21年6月22日(月) 心不全で逝去
喪主 妻 飯田 絢子 様
本日、奥様からの電話で承知。健康で暮らしていたが、トイレへ行こうとして途中で斃れ、救急車で病院に搬入したが、そのまま息をひきとった。なお、ご遺族奥様は近く逗子市桜山の方に転居される予定。
9月17日 歩こう会 上野三郎
平成21年9月17日に「人形の家」、「山下公園」「大桟橋」への歩こう会に参加した。
久し振りの歩こう会、幸い快い日和に恵まれ(最高気温26℃)、常連の10名(男女各5名)が参加、大いにリフレッシュされた。桜木町駅に10:00集合、15:00解散、歩行数7,500歩(快い疲労感)。
@「人形の家」 「青い目の人形」 に迎えられて入場。 1986に開場、140ヶ国より13,000体の人形が陳列されている。一つ一つ見ごたえがあった。
青い目の人形 イタリーの人形 韓国の人形 の写真
Aマリンタワー
1958に横浜開港100周年記念事業として建設、高さは106m(展望台91m) 展望台よりの眺望抜群
マリンタワー の写真
B大桟橋
2002年にリニューアルオープンされた、斬新な構造の空間で、船の甲板を感じる板のデッキの感触は懐かしい。 長さ400メートルの埠頭は流石に長い。
突端よりの大桟橋 の写真
C集合写真 山下公園をバックにして
左より 加藤、小松崎、深尾、藤井、品川各夫人、幸田、高田、深尾、中井、上野
横浜港をバックにして 前列左より 小松崎、藤井、深尾各夫人
後列左より 中井、深尾、幸田、高田、品川夫人、加藤夫人、上野
日記 9月13日 56期の記事
78期のゴルフ友人から、56期の海軍回顧録の目録を見て、次の2件を見たいと希望があり、HPに取り込みました。
1 海軍生徒等の終戦処理 (宮本鷹雄氏)
2 海軍兵学校針尾分校について(高岡健吉氏)
日記 9月14日 東京クラス会
先日左近允尚敏君から提案のあった東京近辺の者が年に一度ぐらい集ったらどうかという事について、約20名のメール出来る会員に意見を求めたところ、16名から返事を頂いた。全員開催賛成でした。ただし、その内、2名の会員が家庭の事情または本人の健康の都合で参加出来ないとありました。参考の為に、その回答をメールで送ります。
ご意見に従って、実施することにし、今年は左近允尚敏君に、日時の決定、会場の予約をお願いしました。日時、会場が決まったら、今年については私からメール又は葉書で、関東地区在住の今までクラス会によく参加している会員に案内を送ります。
日記 9月16日
なにわ会だより第1号を発送し、半月が経過しました。この間、受け取り人不明(転居)等で次の2名の方のが返送されて来ました。森實益子様(貞雄の妹)、 大淵壽昭様(立身の弟)
岸本一郎君からなにわ会だよりの礼状がきました。
日記 9月17日 東京クラス会
東京クラス会の件、11月12日(木)1300〜1530で計画中です。一応予定に入れておいてください。細部決定次第案内のメールを送ります。メール受信者以外の会員(関東在住の会員で今までのなにわ会会合に良く出席している方)には案内の往復葉書を送ります。」
日記 9月18日 なにわ会だより第1号印刷代
なにわ会だより第1号の印刷代の請求書がきました。消費税と完成品の私宛一括送付代を含めて166,400でした。52頁にもなったので、心配していましたが随分勉強してもらいました。次号からは32頁程度に纏めたいと思っていますので、編集費6万円と送料3万円を加えて20万程度に済むと思います。年2回で40万円。21年初頭のクラス会経費残高が約230万円、100号印刷費96万8千円でしたので、後2年半、23年末まで持つと思います。出来れば卒壽24年末までは続けたいと思っています。不足しそうになったら、寄付をお願いいたします。
74期の談話室の記事の要約です。
景山崇人君 平成21年9月5日 14:39 脳出血で急逝
同氏のインタビュー記事が朝日新聞広島版にあったのでHPにとりこんだ。
9月19日 連休
今日は土曜、明日20日日曜、21日敬老の日、22日休日、23日秋分の日と、5連休ですね。5月の連休には馴れていましたが、9月の連休ははじめてですね。内閣も鳩山内閣が成立、随分いろいろ変わりそうですね。
先日書いた、東京クラス会の件、日程等かたまりました。先日メール行かない会員には往復葉書で案内を出すと書きましたが、経費節減の為片道葉書で出して参加される方、今年は参加しないが今後の案内が欲しい方には自前の葉書で返事を貰うようにします。
日記 9月20日 歩こう会
昨晩上野三郎君から17日行われた歩こう会の記事を頂いたので、早速ブログに掲載しました。このようにクラスの情報どんどん頂きたいです。上野三郎君有り難うございました。
コメント(有志会員 荒井)
こんばんは。いよいよ歩こう会の季節になってきましたね!
いつも行き先が、観光地、名勝地、史跡、海軍関連遺跡・・・・などバラエティに富んでいて、近所だったら行ってみたいところばかりです。
今回の写真はどれも見るからに気持ちよさそうな写真ばかり。最後の写真は潮の香りまで漂ってきそうです。
季節はよくなってきましたが、新型インフルエンザが猛威をふるっているそうなので、外出時はくれぐれもお気をつけください。
次回も楽しみにしています。
9月21日 敬老の日
今日は敬老の日で休日です。
9月1日からの21日までの戦没者は次のとおりで菊地繁君(機)以外は何れも昭和19年です。
9月 5日 村上 達 大村基地(大村空)
9月11日 菊池 滋 北部ルソン方面(偵301)
9月12日 方岡 勇 南支那海(敷波)
9月12日 川原茂彦 南支那海方面(敷波)
9月21日 岡田次夫 比島方面(攻105)
9月22日
21年8月のブログを整理してHPに取り込みました。
9月23日 東京クラス会案内
昨晩東京クラス会の案内をメールと葉書(メールで送れない方)で送りました。メールを見た方、御返事メールでいいですからお願いします。メールご覧になった方、メールが届いたかどうか確認の為、参加されない方も不参加と今後の案内が欲しいか不要かお知らせ下さい。なお、メールに案内状発送先の名簿を添付してあります。記載会員以外に参加されそうな方御存じの方はその会員の名前教えて下さい。
9月24日 東京クラス会
早速次の方から、11月12日(木)の東京クラス会参加の返事を頂きました。
上野三郎、都竹卓郎、樋口 直、平野律郎、山田良彦の諸君、
なにわ会の会報(なにわ会ニュースやなにわ会だより)を67期以降の各クラス会の会報と交換しています。他のクラスの会報の記事で会員の参考になる記事は毎回のなにわ会だよりの「他のクラス」というところに掲載しています。なにわ会だより第1号を受け取った74期から次の礼状が来ました。
「この度はなにわ会だより第1号をご恵送いただき有り難く御礼申しあげます。なにわ会ニュース第一〇〇号を拝受して読破しようとしたところに会員たよりを手元にして再び感動に震えました。
ご承知の通り江鷹会は本年末解散を前に会報三六〇号(満三〇年)で任務終了し幕をおろしました。続編の可能性は全く未知ですが、先輩の意気込みに全く脱帽です。
特に崇敬する片山市吾中尉については我が一号生徒故にこれまでに種々の記事がありましたが新たなエピソードとして我が記憶に残ることになりました。
これからも発行継続のご計画は、後輩の我々に勇気と希望をもたらすであろうと信じて疑いません。74期の生存者は50%を切りました。加齢には如何ともしがたく勇をふるつてがんばりたいものと存じます。最後に来る12月1日の全国大会にはご臨席賜りたくお願い申しあげます。」
9月25日 小西愛明君の手紙
小西愛明君から要旨次の葉書を頂いた。
「なにわ会だより第1号精読しました。パソコン音痴の私は日頃山本君を通じての連絡を有り難く頂いています。関西なにわ会京都例会、大きな写真入りで掲載して頂き重ねて感謝いたします。
38頁の北植君の最期、殆ど知りませんでした。同君とは赤煉瓦の36分隊で、4号、3号一緒でしたが、同じ関西人ということで、入校直後から親しくなり、1年間仲よく過ごした期友です。昨年10月7日教育参考館の銘牌室で昔を思い出しながら礼拝しましたが、クラス会の靖國第1号として、これから毎年6月4日の永代神楽祭には名前に命がついてクラスの戦死者代表として読み上げられとは驚きでした。」
窪添龍輝君から、次の入金を知らせて貰いました
連絡費納入 柏清一郎君
寄付金 大塚 淳君、長山雅子様(兼敏君の妻)、田島明朗様、
東京クラス会参加通知 村山 隆君(機)
9月26日 東京クラス会参加
次の会員から東京クラス会参加の葉書を頂いた。
相澤善三郎君、足立喜次君、後藤英一郎君
また、窪添龍輝君から参加のメールを頂いた。
(現在の合計 参加の連絡のあったもの、伊藤正敬、左近允尚敏を加えて12名)
後藤寛君は11月11日京都に旅行するため欠席、来年は出たい。
当日の集金、会計業務は上野三郎君、窪添龍輝君が引き受けてくれます。両君有り難うございます。
9月27日 HPのメールアドレス
最近迷惑メールが随分多くなりました。HPから私宛にメールを送れるようになっていますが、そのメールアドレスを変更しました。従来のアドレスはそのまま使えますので、メール頂くときは従来のアドレスで送ってください。
最近目が悪くなって、「なにわ会だより第1号」を見るのが難しくなってきました。
現在は文字の大きさ10pを使用し、行間20pにしていますが、なにわ会だより第2号から文字の大きさを12p、行間を24pに変更したいと思います。頁数が約1.4倍になり、その分印刷代が高くなりますが、90歳まで続けられても後、4年、これからますます目が悪くなる人が多いと思いますので、思いきって変更したいと思います。
御意見いただければ嬉しいです。御参考にメールで従来のと、12pのを送ってみました。
旭輝雄君から東京クラス会出席のメールを頂いた。(計13名)
9月28日 東京クラス会 参加通知受領。
平川 進、室井 正(機) 計15名
同 欠席
後藤 脩(体調不良)、山田 良(家庭の都合)、冨田岩芳(米国出張)
9月29日
高杉敏夫君から東京クラス会参加のメールを貰いました。(計14名)
トラック島で終戦を迎えた浅村晃司君から「昨日の敵は今日の友」という寄稿を頂いた。第2号に掲載します。彼は今年米寿を迎え、現在も飛弾地区剣道連盟の会長を務めており、今回第57回全飛剣道退会を記念して次のような手ぬぐいを作られました。
9月30日 八雲の70期岩淵先輩
3月31日に書いた記事(72期艦務実習中八雲乗組の70期の岩淵先輩のこと)を見られた先輩のお兄さんのお孫さん 岩淵成光さんから次のコメントを頂きました。
「
大叔父 故 岩淵成忠は敵機との交戦で戦死したのではなく、味方の艦艇が敵機の空襲により炎上したため、その消火作業をしていた際の爆発の破片により戦死しました。」
これに関し、先輩の甥の岩淵成紘さんから次のメールをいただきました。
「ブログにコメントを書きましたのは私ではなく、私の三男でした。書いてあるのはその通りで、幸いにも昭和50年後半に叔父の直属の部下であった砲術士の方から当時の状況を直接うかがう機会がありました。
いわゆるレイテ海戦時マニラ湾で傷つき航行不能となった曙を僚艦の潮が横抱きでマニラ湾キャビテ軍港まで曳航してくれ、桟橋に他の駆逐艦と並んで係留されていたところ米軍機の空襲を受け、火災を起こした並列駆逐艦からの延焼を食い止めるべく部下十数人とともに消火作業に向かったとのことでした(10/25の海戦で本人も腹部を負傷しており、負傷した艦長以下地上の防空壕に避難していたとのことです)。その作業中隣の駆逐艦(艦名は思い出せません)の弾薬庫付近から青竹のはじけるような音がした直後爆発が起こったとの事でした。すぐ隣にいた砲術士は無事だったわけです。そのとき、防空壕に避難していた犬塚艦長は(10月に余田少佐が艦長に発令されていたようですが、着任交代できていなかったようです)、しまった! 遣るんではなかったと言われたそうです。
一方、73期の佐藤少尉は桟橋上の消火栓を操作中、自艦の魚雷が誘爆し(大損傷で航行不能な状態で下ろしていなかったのでしょうか)、吹き飛ばされ戦死されたことは別の情報源から知りました。
叔父の兄であった私の父は弟を本当に誇りに思い、駆逐艦曙の顕彰碑を建て、種々慰霊の行事等も熱心に取り組んでいましたが、家で我々に弟のことを話すことはほとんどありませんでした。私も子供たちに対しては同様でした。しかしながら、叔父の足跡に対する想いと尊敬の念は、我が家にしらずしらずに受け継がれております。叔父は八雲から曙に転任する際、当時東京に住んでいた兄夫婦の自宅を訪れ、生後間もない私を膝に抱きながら食事をし、‘これで俺にも跡継ぎができたから安心して征ける’と言っていたと聞いており、命を掛けた彼の働きと期待に少しは応えることができたのであろうかといつも心に問いかけています。命をつなぐ息子たちを育て、今月初孫にも恵まれましたが、このことが最大の答えかなと思っている次第です。」
東京クラス会
参加 佐藤 静(計15名) 欠席 渋谷信也(仕事で都合つかず)