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ブログ 216月分

日記 61日 永代神楽祭

今日は初めての永代神楽祭が行われた。集合時刻1330 殆ど全部の参加者が参集殿に集り待機していた。

上野三郎君の説明の後、代表3名(上野三郎君、猪口 信様、井ノ山隆也様)は本殿、その他の者は拝殿に入り、1405から行事が始まった。祝詞奏上で百数十名の命の名前が読まれ団体名は最後に一言つけ加えられただけで何か物足りなかった。

前に70期の会報(179月号)で次の記事を読んだことを思い出した。

70期会と靖国神社永代神楽祭について(代表幹事 三浦 節)

内容は永代神楽祭の仕組みと経緯について詳細述べられている。そして神社側との話し合いの結果についても記載されている。

要するに、何とか団体の代表者の命の名前を出来るだけ多く述べて欲しいという要望に対し神社側では到底お受けできないという説明が記載されていた。

神楽の舞も本殿で行われ拝殿ではまったく見られなかった。拝殿で参拝したものは最後に本殿に進み、お参りして退出しました。

参拝したものは会員39名 うち懇親会まで32  遺族45名 うち懇親会まで30  有志1名(懇親会も参加) 計 85名 うち懇親会まで参加63

終わって靖国会館に移り懇親会が1500から1630まで行われた。最初に左近允尚敏君の挨拶、次いで遺族の堀江保雄様の音頭で献杯、伊藤正敬からの今後のことについての説明、猪口 信様の遺族代表挨拶があり懇談、途中で若松禄郎君の震洋の模型展示の説明、松下太郎君のイ36潜の話等があって会場は盛り上がった。

今回は人員把握に苦労したので来年は3月の会員だよりに葉書をいれて出欠を知らせてもらうようにしたい。

左近允尚敏君、上野三郎君、中井末一君、高杉敏夫君、村山 隆君 いろいろご苦労様でした。

 

Commented by 春日の長女

永代神楽祭、お疲れ様でした。出席させて頂き、言葉にならないくらい感動いたしました。初参加でしたが、本当にありがとうございました。

 

Commented by naniwa-navy

早速のコメント有り難うございます。初めてのご参加でしたか。感動されたよし、いい思い出になりますね。懇親会場が狭くてゆっくりお話が出来ず残念でした。

 

 Commented by 深井紳一‐深井良の甥

神楽祭は例年の慰霊祭とはかなり様子が違いました。なにわ会の戦友の方々が本殿に入らず、伯父と会った事もない甥の私が入るのは、なにか申し訳ないような気持ちでした。懇親会は着席すると移動ができないのが残念でしたが、相澤様から高高度でのB29単機撃墜のお話、足立様から空母瑞鶴沈没時のお話などお聞きできました。旭様から1号の時に深井良生徒が兵学校で、鉄拳制裁をやめさせるよう分隊監事に意見具申し、それが監事長まで上がっていったという話を聞き、伯父の信念の強さにいまさらながら感銘を受けました。もちろん、士官となって部下の命を守るためには、鉄拳のような厳しい指導で規律を守らせることが必要であったという考え方を否定するものではありません。いつも参加させて頂いて感じる事ですが、卒業以来66年以上経って、生死を分けても、未だになにわ会の強い絆を見る思いでした。

 

 Commented by 伊藤正敬

昨日はご苦労様でした。何しろ会場が狭すぎて移動もままならず、貴方とお話も出来なかったのが残念でした。でも貴方はいろんな会員とお話が出来たそうでよかったですね。

 

畊野篤郎君の逝去記事

畊野篤郎君の逝去については526日昼過ぎに長男の方から電話で知らせて頂き、ブログに掲載、メールで会員に流しました。それより先に261129に長女の方から次の記事を月25日の日記のコメントに頂いていました。非公開コメントでしたので、気がつくのが遅くて昨日気がついた次第です。(非公開コメントはブログの持ち主がログインしないと見られません)失礼しました。

「5月20日(水)午前0時23分に肺炎で、父が亡くなりました。福島に帰省中の5月8日に車川の家で倒れ、救急車で南相馬市鹿島厚生病院に搬送されました。長男・次女・孫娘達が埼玉・東京・千葉からかけつけ2週間看病しましたが、大好きな相馬の地で、弟妹にも見舞って(意識はしっかりしていました)もらい、穏やかな気持ちで天に召されました。相馬在住の父の姉が危篤中でしたし、福島で亡くなりましたので、家族だけの密葬にいたしました。パソコンのない父は、私が印刷した伊藤様のブログやホームページの印刷物を読むのが生きがいになっておりました。車川に帰省する前にも4月のブログを読み、5月のタケノコを楽しみに一年で一番美しい風薫る福島へと向かいました。父は亡くなりましたが、伊藤様のブログのおかげで充実した最後の一年を父が過ごせましたことを大変感謝しております。享年86歳でした。」

 

お父様の急なご逝去心からお悔やみ申し上げます。なにわ会の会員、私を含めて皆85歳前後、パソコンをたしなむ者が少なく、ブログの反響が少ないので何時も残念におもっていました。あなたのように、ご子息の方は殆どパソコンをたしなまれていると思いますので、あなたが印刷して見せてあげていたとは嬉しい限りです。

今日は靖国神社で永代神楽祭が行われます。お父様から参加の通知を頂いていただけに本当に残念です。改めてお悔やみ申し上げます。

 

日記 63日 永代神楽祭について

平成2161日になにわ会として初めての永代神楽祭に参加した。遺族は本殿で、会員は拝殿で参拝したが、初めてのことであり、祝詞奏上で祭られている命の名前が延々と百数十名呼びあげられ、その最後に、海軍兵学校71期に続いて、海軍兵学校72期、海軍機関学校53期、海軍経理学校33期が読み上げられただけで、何か面白くなかった。拝殿では御仕舞もほとんど見られず、会員の不満の声が聞こえてきた。ら

ご遺族からは深井さん、春日さんの所感がコメントに、機の井ノ山さんから感謝のメールを頂いているのでご遺族の方は満足して頂けたと思う。

懇親会場も、狭くて動きがままならず、来年懇親会を行うなら場所を考え直すことも必要であろう。

永代神楽祭の仕組みについて70期の会報に、三浦代表幹事の説明があったので、参考のために転記させてもらったものを一括直メールで送りますので参考にしてください。なお、今回の永代神楽祭に参加された方感想を是非送ってください。お待ちしています。

 

 Commented by 春日の長女

メール読ませていただき、状況を理解いたしました。最初に、人の名前が次々に読み上げられたのを、私は戦死された72期53期33期の方のお名前と思いましたが、そうではなかったのですね。お寺でいう「命日」にあたる人の名前を読み上げられ、6月1日は72期の「命日」ということにしたので、名前でなく「72期53期33期」と読み上げられ、物足りなさを残したということですね。私も名前ではなかったので少しさみしく思いました。懇親会は盛会で、とても楽しく過ごさせていただきました。ありがとうございました。

 

 Commented by naniwa-navy

コメント有り難うございました。経緯がわかっていただいてよかったです。

ご参考になってうれしいです

 

日記 64日 ブログ整理

214月と5月のブログを整理してHPに取り込みました。

 

日記 65日 永代神楽祭の感想。

故河合不死男君のご遺族加藤康人様から次の感想を頂きました。(要旨のみ抜粋します。)

『6月1日、「なにわ会・永代神楽祭」に出席させて頂きました。当方、河合不死男の遺族といっても、姉の孫ということで、出席させて頂くにふさわしいものか、迷っておりましたが、お誘いのメールが届き、また「永代神楽祭」とはどのようなものか、興味もありましたので、出席させて頂くことに致しました。お誘いのメールを頂き、深く感謝致しております。

午後1時25分頃、参集殿に到着、受付もなく、少し戸惑いましたが、故小灘会長の奥様、またお嬢様である裕子様とお会いし、ご挨拶をさせて頂くことが出来、一つの目的が果たせました。また昨年の懇親会では、当方まだ不安定ということもあって、堀剣二郎様に、自分のことを必要以上にせきたって話してしまい(堀様は河合不死男の思い出をいろいろ話して下さいました)、機会があればそのお詫びを、と思っておりましたが、それが出来ず、残念でした

また、上原光晴様の姿も目にしましたが、席の都合で声がかけられず、参拝が終わったあとに、と思っていたところ、遺族と生存者の方とは時間がずれており、後の用事もありましたので、今回はそこでひきあげることに致しました。出来ればもっといろいろな方にご挨拶をさせて頂く機会があればと思っておりましたが、立場の違いというか、その場の雰囲気というか、自分から動いていろいろ挨拶に周れる状況では到底なく、それが心残りで、心苦しく、失礼なことをしてしまったかという気持ちでおります。どうか何卒お許し下さい。

またお声をかけて頂ければ、可能な限り、参加させて頂きたいと思っております。どうぞ今後とも何卒よろしくお願い致します。

「永代神楽祭」については、本殿と拝殿に分かれ参拝するなど、その進行も含め、事前に神社側の方から説明があるべきかと感じました。おそらくそれほどの大人数での参加はそうはないのかとも思いましたが、おっしゃられた通り、一考が必要かと感じました。

神楽祭「みたま慰めの舞」は、本殿にて見させて頂きましたが、二人の巫女が、笛、弦、鼓の奏でる音楽にあわせて踊り、「神楽」の意味の通り、神と人が魂を通わせる神聖な空気が醸し出されておりました。このような貴重な体験をさせて頂き、誠に有り難うございました。』

 

日記 6月6日 Hpの整理

訃報に関連してHPをチェックして不備を修正しました。主なものは

21年訃報、兵生存者名簿、兵物故者名簿、兵1学年時の分隊別員数、同名簿、21年前期名簿訂正です。

 

谷口好輝君逝去

65日逝去。61830からお通夜。7日1200から告別式。

HPを見て下さい。

 

日記 6月7日 他のクラス

なにわ会HPからリンクしている他のクラスのHPを見ました。気付いたことを転記します。

 

海軍兵学校71期

平成21年度の戦没者慰霊祭が530に行われた。・会員約50余り、遺族約150余り(計235名)が参列した。

直会には164名が参加、名残惜しみ盛大であった。

 

海軍兵学校74期

西村嘉交君(入校時33分隊)   平成216月2日 0200 没

 

5月30日(土)及び31日(日)の両日、新造なった2代目砕氷艦「しらせ」の一般公開が海上自衛隊横須賀基地であった。老若男女を問わず大勢の人が連れ立って訪れていた。

 同艦はこの5月20日に就役したばかりである。主な性能要目は、長さ138m、幅28m、喫水9.2m、基準排水量12,500トン、巡航速力15Kt、最大速力19.5Kt、軸出力30,000馬力、推進方式はディーゼル電気推進、推進軸は2軸、固定ピッチプロペラである。定員は、乗組員179名、観測隊員等80名である。大型ヘリコプター2機搭載(貨物搭載量4トン、 速力240Km/h、航続距離850Km)、砕氷能力は、氷厚約1.5mまでの氷は、強力な推進力で連続的に砕氷して前進(連続砕氷)、氷厚1.5m以上の氷は、一旦艦を200〜300m後進させ、最大馬力で前進し、氷に乗り上げ、艦の自重で氷を砕き前進(ラミング(チャージング)砕氷)する。

写真は上が 岸壁側から しらせ、きりしま、いなずま、うみぎり 、下がしらせである。   

 

次は広い艦橋、その次は飛行甲板。

 

海軍機関学校55

上村 嵐氏(機47期、昭和18年海軍機関学校教官、昭和20年海軍兵学校教官、横須賀教育隊司令)の記事が機55期のHPの中に取り込まれている。次を貼り付けて,先輩記事の中の「上村嵐教官」と「私の信念 上村嵐」を見て下さい。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~tangoy/frm3a.html

 

日記 68日 なにわ会だより

なにわ会ニュースは平成213月発行の100号で幕を閉じたが、なにわ会の会員の絆はこれをもって終わるものではない。 会員多数の希望もあり、会員の近況等情報はHPとブログでその都度流しているが、パソコンを嗜んでいる会員は限られているので、これらの情報を整理して年2回(9月と3月)纏めて「なにわ会だより」として配布することにになった。そこで今度の「なにわ会だより」の表紙として次の様なものを考えた。

なお、今度のなにわ会だよりは省力化のため、B5横書きとするつもりです。とりあえず、第1号はなにわ会ニュース100号に関する感想等沢山いただいているので64頁程度になると思う。

なお、2号以降は32頁以下にまとめたい。

これらの件に関しご意見頂ければ、参考にさせて頂くのでよろしくお願いします。

 

Commented by 春日の長女

お世話になります。梅雨に入りましたが、今日は午後から夏のような日差しです。さて「なにわ会ニュース」100号は、妹のところにもお送りいただきありがとうございました。妹(磯部、世田谷区に自宅)は、半年前から、夫の転勤で仙台に行っておりました。世田谷の自宅には、大学生の娘がおりますが、留守がちで「なにわ会ニュース」の受取確認が遅くなり申し訳ありません。それから「なにわ会ニュース」の中に1000円の振込用紙が入っていたということで、これは遺族会員になるという意味なのでしょうか、私もよく理解しておらず教えていただきたく思います。これからも、頼りにしておりますので、よろしくお願い申し上げます。

 

 Commented by naniwa-navy

コメント有り難うございました。返事はメールで送ります。

 

日記 69

先日の永代神楽祭について、O会員から次のご意見を頂いた。

「貴信に添付された70期の三浦先輩のご感想に全く同感です。特に、ご祭神名の奏上について、場違いの誤りではと思われるなにわ会とは無関係の 個人ご祭神名が延々と続いた後、やっと、われわれクラスの期名が奏上され、 ホッとする間もなく、サッと流され、全く拍子抜けの感を覚えざるを得なかった。 神社側の事情もあることと思うが、今少し 何とかならないかと感じた次第である。 」

 

日記 610日 永代神楽祭決算

高杉敏夫君殻永代神楽祭の収支報告を頂きました。

懇親会の支出 弁当 103,950円 飲み物 21,044円 計 124,994

永代神楽祭の支出 名簿、はがき、通信料 9,280円 

靖國神社奉納金 一人500円 43,500

靖國神社使用料    20,000円 

合計         197,774円 

収入         136,000

会の基金使用     61,774円                      

 

日記 611

永代神楽祭について、T会員から次の意見を頂きました。

「永代神楽祭は、不満はたしかにわかりますが、私はまあ予想の範囲内でした。懇親会の方は多少改善の余地があるかも知れません.」

 

日記 612日 佐藤漫画

なにわ会ニュースに掲載されていた故佐藤英一郎君の漫画を整理して掲載しました。懐かしいです。

海軍兵学校生徒の生活写真は75期のHPにあります。次を見て下さい。

http://navy75.web.infoseek.co.jp/75kiseikatusyasin.htm

 

日記 615日 永代神楽祭 74HP 

13日、14日なにごともなく、ブログに何も書き込みませんでした。毎日見ていただいている方にご心配をかけてはいけませんので、今日は先日の永代神楽祭のご意見について書いてみます。

 その前に、昨日泉五郎君からご意見いただきました。「私信」となっていましたのでブログには掲載いたしませんが参考にさせてもらいます。

 全体として、本殿で参拝されたご遺族は満足された意見が多かったようです。

拝殿で参拝した会員は不満の意見が多いようです。特に、永代神楽祭について事前に知識のなかった方には特に不満が多かったようです。ある程度、知識のあった方には想像の範囲内だったという意見もありました。

 ただ、懇親会の会場については、ご遺族からも狭すぎて動きもままならず、久し振りでお逢いすることを楽しみにしていた方とお話も出来なかったという意見もありました。

 近く、今年面倒を見てくれた左近允尚敏君が靖國神社に行ってこちらの希望を述べて対策をこうじてもらうことになっており、そのあと、関係者で反省会をもつことも考えられています。

前にブログに書いたように、71期が今年で従来の慰霊祭を終りとし、永代神楽祭に参加されたようで、61日に2つのクラスが行うとなると大変なことになるのではないでしょうか。この点も左近允尚敏に確かめてもらい、要すれば日にちの変更も考えたらと思います。

 

74期HPの記事から。

久ア 修也 様 平成2167日 没

 

日記 617日 HPの感想

HPを見られた元巡洋艦利根艦長のお孫さんからメールをいただいた。

ご本人のご了解を得ましたので要旨を紹介します。

 

「田中春雄さんと目にかかったころ、私は、高校生でした。最晩年の祖父を訪ねいただきました。

ちょうど夏休みで、私が、最寄り駅にお迎えに上がりました。私は、近代の戦争については、良書が出れば購入しつつ、主に古本を素材に勉強しております。祖父が相当な資料を叔父に残しております。子供のころは、そんなものばかり見て育ちました。たまには、ネットで、どんなものがあるだろか?との思いで、海軍兵学校から自衛隊黎明期を経て将軍になられた左近允さんのお名前と海軍兵学校をあわせ、GOOGLE にて検索しました。そうしたら、田中さんの弔意文が出てきたのです。驚きました。

なにわ会様がWWW上に残されている資料は、非常にすばらしい人々の友情の記録であり、また、われわれの世代にとっては、知るべき事実の集積です。これからも、ホームページを拝見させていただけたらと存じます。」

 

なにわ会戦没者の写真は兵科については、加藤孝二君が集めてくれた写真(下記の16名をのぞき319名))を押本直正君から事務引き継ぎを受けた時頂いた。

池田仲光、池田秀親、柿崎 実、風間万年、清村克己、小林 晃、古関建治、諏訪欣吾、高嶋 肇、長澤熊太郎、畑 岩治、平野 誠、松枝義久、水上順一、村上 達、村上敏雄

よくもこれだけ集めてくれたものと改めて加藤孝二君に感謝しています。これらの写真はなにわ会HPの写真、戦没者の頁にとりこんであります。写真のなかった16名については72期のアルバムの1号時の分隊別写真をとりこみました。

機関科については全会員の写真がありますが、戦没者のうち合志秀夫、国生真三郎、豊住和寿の3名の写真がありません。

主計科については全くありません。

上に書いた写真のない人の写真お持ちの方がみえましたら、コピーして一部頂けると嬉しいのですが。よろしく。

 

71期会

71期のHPの記事の転記です。(要旨)

「五月三十日に行なわれた七一会最後の慰霊祭は連日の小雨模様でしたが皆様がお集まりになる頃は雨も止み、暑からず寒からずの天候となりました。 ご遺族、六十八期先輩、期友合わせて235名のご参列を得て、無事盛大厳粛に執行することができました。

  来年からは毎年七十一期生が海軍少尉に任官した六月一日午後二時昇殿、永代神楽祭が挙行されるので三十分前迄に靖国神社参集殿に参集、案内状は出さないとのことである。」

以上が、要旨ですが、なにわ会と71期会の永代神楽祭の日が同じになったので、参拝者の増加が考えられるので、来年以降どうすか、近く関係者で検討することになっています。

 

619日 写真

1号時の分隊別写真のHPに取り込む作業が概ね終りました。今再チェックして修正しつつあります。

名前が違っているのに気付かれた方はご連絡下さい。

 

日記 619日 1号写真

HPに取り込んだ写真についいて、次の連絡を頂きました。

山本省吾君からメールで・

「分隊会の写真、懐かしく拝見しました。あまりにも昔のことなので名前と顔が一致しません。予想も交えて報告しますので、参考にして下さい。

後列 植田、方岡、松田、山崎、温品、山本

前列 和田、酒井、充木、城戸」

HP掲載通りです。

平野律郎君から電話で。

43分隊の写真の名前、自信がないがどうも違うようだ。私は一番背が高かったので、後列中央ではないか。

アルバムの名前にミスがあるように思う。」

ご意見はご意見として、当分そのままにしておきます。

 

 Commented by あらい

こんばんは。分隊写真、興味深く拝見いたしました。

「若い頃はこうだったのかあ・・・・」と、紅顔の美少年たちに心躍りました。

最近のお写真と比べて、よく面影の残っている方もおられるし、がらっと印象が変わっている方もおられますね。

 

 Commented by 伊藤正敬

コメント有り難うございました。もう66年前、面影殆ど残っていない人が多いですね。戦没者の手元にある昔の写真と比べても判別困難です。

 

日記 621日 分隊写真訂正 77期会報

購読会員の方から河合不死夫さんの写真が違うとコメントを頂き、その写真に掲載されている奥山寿一君に確かめたところ37分隊i45分隊が入れ替わっていることが分かりました。

さらに、疑問を調査して、39,40,44,46分隊を訂正しました。これで大丈夫と思いますが、間違いに気がついた方ぜひお知らせください。

77期の会報「江田島89号」を頂きました。48頁の冊子です。このクラスは年会費の徴収を止めた為クラス会基金が不足し、今後の運営に支障ありということで、寄付金を求めたところ、多数の会員から寄付を頂き、後4年、85歳まで会の活動を続けられる見通しが出来たと報告されている。

 

日記 622日 57分隊写真

57分隊の写真ですが、写真の配置とアルバムの名前の配置が全くあいません。このことについて、お尋ねしたところ、堀剣二郎君がアルバムで確認して電話をくれました。アルバムのとおりだそうです。

ただ、名前の配置がおかしいので訂正しました。

 

日記 623日 永代神楽祭反省会

左近允尚敏君の提案で明24日午後、左近允尚敏、上野三郎、中井末一、伊藤正敬、村山 隆、窪添龍輝、高杉敏夫の7君が集って、先日の永代神楽祭の反省会を行います。その結果はブログでお知らせするつもりです。

頂いたご意見は資料として纏めて、参加者に配布します。なお、左近允、上野、窪添、高杉の4君にはメールで送りました

 

日記 624日 永代神楽祭反省会

今日1330から昨日書いた7名が集って反省会を行いました。

その結果については9月のなにわ会だよりでお知らせしますが主なことだけお知らせします。

1 期日の変更 61日は海兵71期と重なり、多数となるので、その付近で少ない日を当たった結果、64日に変更してもらうことにしました。

(全部で110名までなら、総員拝殿で参拝可能)

2 祝詞では次のように述べてもらうように申しいれます。

 「海軍兵学校第72関根利彦の命、海軍機関学校第53期石井勝信の命、海軍経理学校第33佐伯伝蔵の命以下412柱の命等・・・」

 

ここは次のように変更します

「海軍兵学校第72期北植武男の命ほか334柱、海軍機関学校第53期石井勝信の命ほか56柱、海軍経理学校第33期佐伯伝蔵の命ほか19柱等・・・」

(この3名は各学校の戦没第1号の命です)

 

3 懇親会の会場が狭くて動きもままならなかったのは、設定に当たった左近允尚敏君の見積もりのミスで狭い部屋を予約したためで、次回からはもっと広い部屋を申し込みます。

4 出欠については、来年3月のなにわ会だよりに出欠通知の葉書を同封して確認します。

5 出席者の会費については今年と同じとします。(参拝のみ 無料、懇親会参加2000円)

なお、期日の変更、祝詞については先日左近允尚敏君が靖國神社と打ち合せして了解が得られています。

 

日記 625

ご遺族のOさんから要旨次のメールをいただきました。

「反省会で良い案が出されて、早速神社に交渉して下さり有難うございました。

一番先に戦死なさった方のお名前を読み上げて戴くのは良い考えと思いました。さすがなにわ会と感服しています。来年の6月4日きっとお参りさせていただきます。

63分隊の写真に兄がいました。私の記憶の中のそのままの兄です。今にも語りかけてくれるようでこみ上げる涙を抑えられません・

毎日H,Pを開けてブログを見るのを日課にしています。」

昨日書いたブログについて早速I会員からご意見を頂きました。貴重な意見で早速検討します。

このように、反応があると毎日ブログを書く気持になって嬉しいです。

なお、使用する用語について次の様に致しますのでご了承下さい。

会員(なにわ会の卒業生のうち生存している者)

遺族会員(戦没者、戦後物故者のご遺族。要する時は前者を戦没遺族会員、後者を物故遺族会員とする。)

有志会員(従来購読会員等の用語を使っていた者で、なにわ会の会員、遺族以外で、なにわ会に関心があって年会費を支払っている方)

 

日記 626日 永代神楽祭関連記事の訂正

6月24日に書いた記事のうち、 2 「祝詞では次のように述べてもらうように申しいれます。」の次の文章を次のように訂正します。

 「海軍兵学校第72期北植武男の命ほか334柱、海軍機関学校第53期石井勝信の命ほか56柱、海軍経理学校第33期佐伯伝蔵の命ほか19柱等・・・」

 

日記 6月27日 北植、石井、佐伯3君の最後

216月26日に書いた北植、石井、佐伯3君の最後について

北植武男(兵)君の最後については齊田元春(機)君の記事がありましたので抜粋します。

北植君は九〇式機上練習機の墜落事故で殉職されました。その時の状況は次のとおりです。

『偵察学生訓練が開始されてから、丁度40日目、忘れもせぬ昭和181218日午後、飛行作業として変針航法訓練を行なうために、九〇式機上練習機1機、その後席作業室に候補生2名(北植武男(兵)齊田元春(機))偵察教官を乗せて離陸した。

当日の訓練は、学生にとっては、初めての変針航法作業であり、訓練主務者として私の順番となって、飛行高度500米、鉾田―玉造―小川町の変針コースで飛行する予定であった。練習機は所定高度を取り、鉾田を出た。

玉造上空で、変針を下命した後、次の作業準備に入った直後、機体が急激な右旋回急降下に入った模様、途端に偵察教官が私に落下傘の「フック」を装着、「飛び降りろ」と命じた。瞬間的に「教官、何を慌てているんだ」と思った程、私も状況を飲み込んでいなかった。

同時に、高度計を見た。指度は落ちるばかり、180米、「教官、高度ありません」と言ったまで記憶、瞬間的に私を見上げた北植武男候補生のけげんな顔、教官の横顔、広い湖面がはげしく揺れながら迫って来る感じ、高度計80米位であとの意識が消えている。ふと気が付くと、「誰か偉い人(原中将)が私の顔を見下して、何かを話しているようだった」といった断片的な記憶があった。

「偵察教官即死、北植候補生頭部打傷重傷・2時間後死亡、斉田候補生全身打撲・意識不明、操縦員頭部打傷・重傷」の状態であって、私は完全に3日間人事不省であり、しかも腰骨まわりの痛みを訴えていたということであった。

原因は、人的ミスによる操縦系統の故障のため、高度500米から略々3旋回で湖面に激突したとのことであった。エンジン脱落、右翼折損、車輪後方に離散の上、機体は霞ケ浦湖に水没の状態のところ、運よく付近操業中の漁師によって水中から救助されたとのことであった。

私は、右旋回降下中、作業室右前方にある作業台右隅に位置し、航空図板を腹部にあてた形で、机と直角に庄着した姿勢で湖面に激突した為、最初の衝撃は緩衝され、反動による打撲は腰部で受けとめたので、幸に命を取り止めた模様であった。

斯くして、昭和19年の新年は百里原航空隊の病室で一人迎えることとなったが、多くの同僚の見舞いや励ましに支えられ、同年2月の中旬頃から再び飛行作業に入ることが出来た。この時の打撲による腰部の鈍痛やしびれ感は、容易にとれないので、長い間、相当に悩まされたが、命と引き換えであったと考えれば、贅沢な事は言えない。)齊田元春君は平成8年病死されています。

 

石井勝信(機)君は昭和19年1月11日、第53期生の最初の戦死者として、ペナン沖において球磨で散華した。齊田元春君は、第53期生として出した最初の戦死者であっただけに、強烈な印象が今なお私の胸裏に残っていると書いている。

 

佐伯伝蔵(主)君は昭和19217軽巡洋艦 那珂 がトラック島北(西方という説もある)で航空母艦「バンカー・ヒル」(USS Bunker Hill, CV-17)および「カウペンス」(USS Cowpens, CV-25)艦載機部隊による攻撃を受けて沈没した際、同艦と運命を共にした海軍経理学校33期戦死第1号である。

日記 628日 

次の動画を見つけたので紹介します。

海軍兵学校姓名申告

http://www.youtube.com/watch?v=gcu4ZP5qTKQ

連合艦隊

http://www.youtube.com/watch?v=ol23UipRDuc&feature=related

(その1〜15まである)

そのほか軍歌をはじめ、レイテ沖海戦、零戦燃ゆ、特攻隊等の海軍、海上自衛隊関係動画がリンクされている。

 

74期会報「江鷹」359号を頂きました。

今年12月に行われる最後の大会と「江鷹会基金」について書かれています。

 

日記 629日 72期の想い出アルバム

次をクリックすると海軍兵学校の第七十二期の想い出のアルバムの写真が出てきます。

http://www2.odn.ne.jp/~cds02940/kaigun1shikiratsukasan.html

出てこない時は、キーワード「ODN 海軍一式落下傘」で検索し、ダイレクトにアクセス。あるいは「軍医少尉の資料館」で検索し、海軍資料に行くとページが出てきます。

というコメント戴きまいた。試して下さい。

その中に次の記述があります。

『【江田島海軍兵学校・第七十ニ期の想い出】

海軍兵学校七十ニ期は,昭和十八年の卒業で,その時の校長は井上成美でした。卒業生625名のうち300名以上が戦死されておられます。又同期に東郷平八郎の孫の東郷良一候補生(第四十ニ分隊)がいたことでもよく知られています。分隊ごとの全員の写真と氏名が記載されています。貴重な資料です。』

(いろんな資料が出てきますが最初の頁の最後の方に沢山写真出ています。)

 

日記 6月30日 なにわ会だより

915日に「なにわ会ニュース」に引き継いで会員に情報を配布する「なにわ会だより」を纏め始めました。

何か掲載すべきものお持ちの方は至急送ってください。

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