ブログ 平成21年5月分
日記 5月1日 永代神楽祭の出席申込
次の方から参加申込がありました。
(兵)会員
都竹卓郎、門松安彦
(兵)遺族
春日美智子(春日 仁の長女)
若本 千秋(太田 夫の娘)
小灘 郁子(小灘利春の妻)
小灘 裕子(小灘利春の長女)
一條 一雄(齋藤徳道の義弟)
木原 雅子(若林立夫の姪)
合計 67名(うち懇親会参加52名)
日記 5月2日 永代神楽祭について確認
昨日までの永代神楽祭参加申込者をチェックし直しました。一部重複記載もあり、参加申込67名うち懇親会参加は52名です。昨年に比較して約4割ですので、度忘れして申し込んでいない方も多いと思われますので次の確認葉書またはメールを昨年、一昨年参加者で連絡のない方に発送しました。
永代神楽祭について
「なにわ会ニュース」100号でお知らせした永代神楽祭の出席について、締切りの4月30日までの申込みは60名、そのうち、懇親会参加は46名です。
(昨年は167名、一昨年は157名)
当日は永代神楽祭終了後(1500〜1630)國会館で懇親会も行います。(会費2500円)
今年の永代神楽祭に参加されませんか。
折り返し(遅くとも5月9日までに)適宜な方法(ハガキ、電話、FAX、メール等)で出席(懇親会参加の有無を付記)か欠席かお知らせください。
懇親会の準備のため、正確な人員把握が必要ですので、念のため、改めてお伺いします。
ご協力よろしくお願いします。 伊藤正敬
本日の参加申込み
(兵会員)
横田敏之、若松禄郎
(兵遺族)
島美佐子(寺本實三の妹)
(機遺族)
井ノ山 隆也(井ノ山威太郎の弟)
井ノ山智恵子(井ノ山威太郎の義妹)
本日水交5・6月号を頂きました。その45頁になにわ会の皆様へのお知らせとして、『永代神楽祭について』の記事が掲載されている。
日記 5月4日 永代神楽祭
次の方から永代神楽祭参加の連絡がありました。
(兵会員)
松下太郎、後藤英一郎
(兵遺族)
伊藤高昭(比良雄の弟)
粕谷 衛(仁司の弟)
加藤康人(河合不死男の姉の孫)
次の方から欠席の連絡を頂きました。
(兵会員)池田武邦、間中十二、池田武邦、渋谷信也、浦本 生
(兵ご遺族)泉本光代(修の義姉)(金一封添付)
合計77名 うち懇親会参加 59名
和田孝雄氏逝去
本日入手した水交5・6合併号で66期の和田孝雄氏が平成21年1月31日に逝去されたことを知りました。
和田先輩には平成18年から19年にかけて政局放談として貴重なお話を度々頂いてなにわ会HPに掲載させていただきました。19年終わりごろから体調を壊され投稿されなくなり、同氏を紹介してくれた泉五郎君が心配していたところでした。
謹んでご冥福を祈ります。
日記 5月5日 連休
先日出した永代神楽祭の出血の返事が昨日から到着し始めました。
出席
(兵会員)佐藤 静
欠席
(兵会員)椎原国康
(主会員)吉江正信
(兵遺族)竹内紀子(石原輝雄の妹)
日記 5月6日 伊藤叡中尉
2009年04月29日の購読会員のAさんのブログに次の記事がありましたので紹介します。
大和と共に出撃し艦と運命を共にした第2艦隊司令長官・伊藤整一中将の遺書。
「此期に臨み 顧みると吾等二人の過去は幸福に満てるものにて 亦私は武人として重大なる覚悟を為さんとする時 親愛なる御前様に後事を托して何等の憂なきは此上もなき仕合と衷心より感謝致居候
。御前様は私の今の心境をよく御了解なるべく 私は最後迄喜んで居たと思はれなば御前様の余生の淋しさを幾分にもやはらげる事と存候。心から御前様の幸福を祈りつつ。いとしき最愛のちとせどの 整一
」奥様へ、
「私は今 可愛い貴方達の事を思つて居ります。さうして貴女達のお父さんは御国の為に 立派な働きをしたと云はれるやうになり度いと考へて居ります。もう手紙も書けないかもしれませんが、大きくなつたらお母さんの様な婦人におなりなさいと云ふのが私の最後の教訓です。御身大切に。」 父より 次女と三女の方へ
「色々考へたが貴女達には特に訓ふる必要もないから今迄通り仲善く幸福の生活を営む事を祈つて居ります。 父より」
嫁がれていた長女の方へ
日付はすべて20年4月5日。大和が沈む2日前です。
伊藤中将にはもうお一人、お子さんがおれました。 男の子です。
1990年のテレビドラマ『戦艦大和』で、4月5日の夜、長官室で遺書を書く伊藤中将が描かれています。
奥様と次女三女への遺書をしたためられているところに有賀艦長が訪ねてきます。
2人の会話の中で、この長男のことに触れて、 「息子には改めて書く必要はないだろう、息子も私と同じ思いだろう」
と言われる長官。
有賀艦長がこう言います。 「ご子息は特攻隊員として鹿屋航空基地にいらっしゃるのでは」
シーンは進んで、鹿屋基地。
宇垣長官が特攻隊員たちに、「明7日、沖縄へ」 と命令を下します。
隊員たちは敬礼のあと解散、帰ろうとするひとりの隊員を宇垣長官が引き留めます。
「おい、伊藤中尉」 そうです。伊藤長官のご子息、伊藤中尉です。
宇垣長官、 「途中で沖縄へ向かう大和の上空を通過するだろう。大和をよく見てゆけ」
そして7日朝、沖縄へ向かっている大和の上空に零戦の編隊が現れます。伊藤中尉率いる鹿屋の特攻隊です。
低空を飛行しながら大和に敬礼する伊藤中尉。 長官も艦橋から特攻隊に向かって敬礼。 特攻隊はそのまま沖縄目指して飛び去っていきました。 ・・・・。
わたしはこのドラマを見たとき、これが史実だと思いこんでしまいました。
伊藤長官には特攻隊のご子息がいて、長官と同じ日に特攻戦死されたと。すっかりだまされていました。
伊藤叡(あきら)中尉
東京府立6中出身。海兵72期。41期飛行学生・戦闘機。
修了後、筑波空の教官。戦死するまで筑波空におられたようです。
大和が沈んだとき、どこでどのようにその報に接したのかわかりません。
家にある本やネットで、4月7日の大和の上空直衛戦闘機のこともちょっと調べてみたのですが、直衛隊の詳細は不明でした。
この中に伊藤中尉が含まれていて大和の出撃を見送ったのかどうか、また当日特攻編成されて大和の上空を通過し沖縄に向かったのに、途中で何かの事情で引返したのか、それもわかりませんでした。
4月の下旬は谷田部空・筑波空の混成隊の行動調書が残っています。
何度か鹿児島の出水基地からB29邀撃に上がっています。
4月21日 B29邀撃 発動機に被弾
4月26日 B29邀撃 敵を見ず
4月27日 B29邀撃 B29に黒煙を吐かせるも油漏れ 目達原に不時着
4月28日 1530 沖縄伊江島付近哨戒中敵F4U約16機と交戦 未帰還
つまり、伊藤中尉は特攻ではなく、戦闘機乗りとして敵機と戦って戦死された、ということです。
妹さんの回想によると(なにわ会戦記 長女の純子さん)、伊藤中尉は子供の頃はよく妹をいじめる兄だったそうです。
そのいじめ具合が少し変わっていて、兄妹だけの時はとっても優しい面倒見のいい兄であるのに、母親の前では意地悪をするお兄さんだったそうです。
そんなお兄さんも、兵学校に入ってからはただただ優しいだけのお兄さんに。
妹さんが女学校5年の時のこと・・・・。勤労奉仕の帰り道、兵学校の休暇で家に戻っていたお兄さんが、駅まで迎えに来てくれていたそうです。
そのとき、畑の中の道を歩きながら、
「両親を大事にしてくれ」と妹さんに頼まれたのだとか。
「俺はいないのだ」と・・・・。
妹さんが最後にお兄さんに会われたのは19年の夏。
その頃すでに嫁がれていて、旦那様の出張に伴い上京、当時、筑波空で教官をされていた伊藤少尉を訪ねられたそうです。
そのとき伊藤少尉は夏の賞与200円をそっくりそのまますべて妹さんに渡されたそうです。
「おれは使うことはないからな、お前使えよな」
そして、20年4月28日、伊藤叡中尉戦死。
同じ日に、伊藤長官戦死の報が伊藤家に届いたということです。
(半藤一利『戦士の遺書』文春文庫)
日記 5月6日その2 永代神楽祭
永代神楽祭の出欠
出席
(兵遺族)中澤恒夫(中澤達雄の弟)
欠席、
(兵遺族)横川康春(上原庸佑の弟)、田村 浩(田村尚信の弟)
合計 出席79名 うち懇親会参加60名
日記 5月7日 永代神楽祭
永代神楽祭
出席
(兵会員)宝納徳一、宮田 實、若松禄郎
(兵遺族)岡野武弘(井尻文彦の弟)、伴 辰三(伴 弘次の弟)、黒瀬 タミ(大森 茂の妹)
欠席
(兵会員)岸本一郎、草野家康、渡邉 望、後藤 寛、藤瀬韶国
(機会員)片山 勇
(主会員)亀谷 敏明
(兵遺族)中島彰三(中島健太郎の弟)、千田紀久夫(千田吉の夫弟)、高橋義也(高橋義郎の弟)
連休明けで沢山の葉書がきました。
これで出席85名 うち懇親会参加64名となりました。
あと2日待って最終人員を確定しお知らせします。
日記 5月9日永代神楽祭
出席
(機会員)佐丸幹男
(兵遺族)堀江保雄(堀江太郎の弟)、
中田和義(滝沢昌彦の甥)
欠席
(兵会員)山田 良
(兵遺族)土井美幸(土井輝章の義妹)、
長澤志津子(長澤熊太郎の妹)
5月9日現在の参加申込み
会員41名、ご遺族45名、その他1名、計87名
うち懇親会参加65名です。
本日メール受信者に参加者名簿等をメール添付で送りました。
メール出来ない方には手紙で送ります。
日記 5月10日 永代神楽祭名簿 74期
私のミスで、昨日送った永代神楽祭名簿で、次の会員が記入漏れになっていました。
名簿に 「〇 杉田 政一」を追加して下さい。
参加者を 「会員42名、ご遺族45名、その他1名、計88名で、うち懇親会参加者は66名」に訂正して下さい。
他のクラスのHP、ブログ等からの情報です。
74期の談話室から
明石貴志男 様 H21.4.30没
井藤 春海 様 H21.5.7没
日記 5月11日 永代神楽祭
永代神楽祭に参加したいと次の方の申込みがありました。名簿に追加して下さい。
「 〇 室井 正」
「 〇 星野 健 猪口 智 弟 」
参拝のみ
「 小松崎トキ 小松崎正通 妻 」
「 藤井 翠 藤井 伸之 妻 」
「 深尾 佳子 深尾 秀文 妻 」
参加者 「会員44名、ご遺族48名、その他1名、計93名で、うち懇親会参加者は68名」
日記 5月12日 永代神楽祭
中澤恒夫氏から懇親会は不参加と連絡がありました。
出席者と故人の名前が入れ代わっていました。
名簿の「 ○ 中澤達雄 中澤 恒夫 」を「 中澤 恒夫 中澤 達雄 弟 」に訂正してください。
懇親会参加者67名に訂正してください。
日記 5月13日 訂正
泉 五郎君から指摘を頂き、昨日のブログを訂正しました。
日記 5月15日 永代神楽祭
平野律郎君から永代神楽祭欠席の連絡がありました。
参加者 「会員43名、ご遺族48名、その他1名、計92名で、うち懇親会参加者は66名」です。
日記 5月16日 石川誠三
昭和51年回天刊行会より発行された書籍『回天』第五部・思慕編に掲載されている兄時雄氏の文章をHPにとりこみました。みなさま、どうか ↓ ご一読になってみて下さい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-isikawa-isikawatokio1.html
日記 5月16日 訂正
主計科の足立暢也君からご指摘を受け、「槇原秀夫君への弔辞」の冒頭の数行が脱落していたのを訂正しました。
多数の記事を取り込んでいますので誤りを見つけた方はその都度お知らせ頂くと有り難いのですが。後世に残りますので正しいものを残したいと思います。
同じく足立君から2008年4月28日のブログの次の記事が事実と違うと指摘を受けました。
『瑞鶴について,神野正美さんの「空母瑞鶴」光人社発行に,次の記事があります。
「若い二人の青年士官が、天皇陛下のお写真を沈没しかかっている瑞鶴から運び出す話」
「この2人のうち,1人は深井中尉の同期生で、もう1人が主計科の士官だった」
調べてみたら,兵72期の足立喜次君と経33期の足立暢也君のことでした。』
この経33期の足立暢也君はこの時は既に空母葛城に転勤していて後任の経34期の庶務主任大畠永弘さんだったと思われるそうで、訂正します。
なお、この件については、2008年5月4日のブログに詳しく書いていました。↓見てください。
http://naniwana.exblog.jp/blog.asp?iid=&acv=2008-05-01&dif=m&opt=2&srl=8850224&dte=2008%2D05%2D14+05%3A31%3A15%2E000
日記 5月17日 永代神楽祭
牛尾和子様(牛尾 栄君の妹)から永代神楽祭欠席の連絡がありました。
5月17日現在の参加申し込みは会員44名、ご遺族47名、その他1名、計92名で、うち懇親会参加者は63名です。(参加者を再チェツクしました。)
日記 5月19日 永代神楽祭
大槻敏直君かさら電話で、娘さんを連れて行きたい(参拝のみ)と連絡があった。
ご遺族の今村妙子様と森喜美子様から都合で神楽祭欠席に変更と連絡がありました。
一括メールで今日現在の参加者名簿送りました。
参加者懇親会まで64名 参拝のみ26名総計90名です。
懇親会参加者の会費を2500円から2000円に変更されました。
日記 5月19日 永代神楽祭
大槻敏直君かさら電話で、娘さんを連れて行きたい(参拝のみ)と連絡があった。
ご遺族の今村妙子様と森喜美子様から都合で神楽祭欠席に変更と連絡がありました。
一括メールで今日現在の参加者名簿送りました。
参加者懇親会まで64名 参拝のみ26名総計90名です。
懇親会参加者の会費を2500円から2000円に変更されました。
日記 5月20日 クラス会
樋口 直君の提案で「なにわ会ニュース」も100号を以って,終末を迎ええましたので、之を記念し、長年編集長として御苦労を掛けた伊藤君を労い、さらに会のため、尽瘁された故大谷友之君を偲んで、帝国海軍発祥の地、横須賀にて有志が集まって次の様な会合を持ちました。
1 日時
平成21年5月20日 1200から
2 場所
レストラン「コルセール」 (ベルニー)公園内
JR横須賀駅の海側徒歩3分
3 参加者
安藤昌彦、相澤善三郎、旭 輝雄、足立喜次、 池田武邦、泉 五郎、市瀬文人、伊藤正敬、 上野三郎、幸田正仁、後藤 寛、新庄 浩、
左近允尚敏、都竹卓郎、樋口 直、平野律郎、 堀剣二郎、松下太郎、山田良彦、山田 良 若松禄郎、渡邉 望、佐丸幹男、野崎貞雄、
村山 隆、窪添龍輝、高杉敏夫、高田俊彦、 (73期)木曾康夫 合計31名
今日は集合写真は写しませんでした。スナップ写真3枚掲載します。
本日の会をアレンジした樋口 直君と大谷友之君と姫路中学同級だった後藤 寛君の写真
テーブルの料理はおいしかったが、場所が狭くて動きにくく、移動しての会話が難しかったのは残念だった。
場所は横須賀駅の近くで、横須賀港が目の前にあり、米軍基地も自衛隊の艦艇も見えた。
会員家族の訃報
東條重道君、平野律郎君から次の情報を頂きました。
柴田英夫君の奥さま、美穂様
平成21年5月19日逝去されました。
お通夜:5月21日、告別式;5月22日。
斎場 しののめの里
〒354-0004 埼玉県富士見市下南畑70-1
電話 :049-275-3030
最寄りの交通機関
■ 東武東上線「鶴瀬駅」東口からタクシーで約10分(約4.5キロメートル)
■ 東武東上線「みずほ台駅」東口からタクシーで約8分(約3.5キロメートル)
▲ # by
naniwa-navy | 2009-05-19 20:33 | 訃報 | Comments(0)
日記 5月22日 テレビ放映
自称特4号田島氏から頂いた情報です。
『 6月6日、朝日で潜水艦ものの1時間番組が放映されます。
広島での放映時間は1600から、、関東地区では6月6日深夜0150〜0245に放映されます。タイトルは「ドステ2・真夏のオリオン公開記念・潜水艦戦に迫る」です。
これはテレ朝が作り、東宝が6月中旬に封切る『真夏のオリオン』と言う映画の制作裏話的なテレビ番組ですが、イ58潜の図面で艦内の撮影セットを作ったため旧海軍潜水艦がリアルに再現されて居り、テレビでも楽しめます。』
田島様情報有り難うございました。
東京府中市に住む方から次のメールを頂きました。
『ホームページを拝見して、メールを送らせて頂いております。
72期小島辰雄氏についてお伺い致したいのです。 小島氏の資料については貴ホームページは拝見いたしました。そこで第41期飛行学生・艦爆操縦→昭和19.7.29付けで攻撃第三飛行隊附 となり、その後10月25日、捷一号作戦で戦死 というのは知りました。ただ、攻三に配属されてから亡くなるまでの足取りが色々(他の媒体も)調べてみたのですがわかりません。もし、“攻撃第三飛行隊に配属されてから日本を発つまで、どの場所にいらしたか・・・最後はどこから出撃して行かれたのか、お分かりになりましたら、また、これを調べればわかるという資料や、ご存知の方のお心当たりがございましたら、教えて頂けたら嬉しいです。』
これに対し、艦爆の山田良彦君に聞いた事を加え」、返事したところ次のメールを頂きました(要旨のみ)。
『昨年夏頃なにわ会のHPを見つけ、詳細にわたる資料、またその整理されたリストに本当に頭が下がりました。伊藤様のご苦労もさぞ大変だった事と拝察致します。
特に、配属・写真・戦死時の場所・状況を事細かに整理され、他の期のHPとは一線を画している印象を受けました。『昭和20年の攻撃第三飛行隊』は香取基地の131空所属の部隊ですよね。そうですか…流れが別なのですね。その中に彗星艦爆隊があり、73期の人が配属されていたので、19年の攻三と同じ流れ?と思い込んでいました。ありがとうございます。』
小嶋辰雄君のことご存じの方おられたらお知らせ下さい。
震洋艇
昨日の会合の時、若松君から震洋に関する資料を頂きました。
それによりますと、21年3月20日から12月8日まで靖國神社にある遊就館で「矢弾丸尽きるともー我生還ヲ期セズ―」という特別展が開催されています。そこの震洋コーナーに震洋の写真、史料が展示されています。
その展示品の中に「震洋実物大模型がありますが、この模型のいわれは次の記事のとおりです。
Commented by いとう at 2009-05-30 10:52 x
伊藤様、また山田様、このたびはありがとうございます。
山田良彦氏は、昭和19年、百里ヶ原海軍航空隊の教官で、のち20年1月にK三へ転出された方ですよね。
73期の艦爆 松永 榮氏の『大空の墓標 〜最後の彗星爆撃隊〜』という本に山田良彦氏のお名前が、当時担当教官だったことに加え、新生攻撃第三飛行隊でも一緒だった、とあります。
山田・松永両氏とも、20年初頭には『131空のK三』とありますが、のち『252空のK三』、終戦時は『601空のK三』。作戦に応じ、飛行隊単位で空母・基地の間を転々と移動し…とありました。めまぐるしかったのでしょうね・・・。
山田良彦氏が指揮官として出撃された歴戦の様子やご苦労も、同書で拝読いたしました。(こんな一言で表現するのは申し訳ないのですが)手元にあったのですが、また今もう一度読み直しています。
府中市 いとう
日記 5月23日 訂正
5月20日の横須賀での会の参加者名のうち岩松重裕、山田穣の2名削除しました。参加者29名でした。
日記 5月25日 永代神楽祭
阿久根正君から永代神楽祭欠席に変更という連絡がありました。
これで参加者は次のとおりになりました。
会員(家族を含む) 懇親会まで35名 参拝のみ 8名 計43名
遺族 懇親会まで29名 参拝のみ16名計 45名
其の他 懇親会まで1名 計1名
合計 懇親会まで65名 参拝のみ24名 総計89名
Commented by 畊野篤郎の長女(本庄篤子) at
2009-05-26 11:29 x
5月20日(水)午前0時23分に肺炎で、父が亡くなりました。福島に帰省中の5月8日に車川の家で倒れ、救急車で南相馬市鹿島厚生病院に搬送されました。長男・次女・孫娘達が埼玉・東京・千葉からかけつけ2週間看病しましたが、大好きな相馬の地で、弟妹にも見舞って(意識はしっかりしていました)もらい、穏やかな気持ちで天に召されました。相馬在住の父の姉が危篤中でしたし、福島で亡くなりましたので、家族だけの密葬にいたしました。パソコンのない父は、私が印刷した伊藤様のブログやホームページの印刷物を読むのが生きがいになっておりました。車川に帰省する前にも4月のブログを読み、5月のタケノコを楽しみに一年で一番美しい風薫る福島へと向かいました。父は亡くなりましたが、伊藤様のブログのおかげで充実した最後の一年を父が過ごせましたことを大変感謝しております。享年86歳でした。 千葉市在住の本庄篤子より
畊野篤郎君逝去
畊野篤郎君が平成21年5月20日(火)0023肺炎で逝去されました。 長男の一郎様からお電話で知らせて頂きました。福島で亡くなり、同地で密葬されました。細部はHPを見て下さい。
日記 5月26日 新砕氷艦しらせ就役
2009年5月20日 新砕氷艦しらせ就役(AGB-5003 SHIRASE) 海上自衛隊の新砕氷艦しらせ、が自衛艦旗の授与をうけ、自衛艦として就役した。
新砕氷艦しらせ。満載排水量22000dと、海上自衛隊有数の大型艦は、ユニバーサル造船舞鶴工場にて本日1200時、海上自衛隊に引き渡された。旧しらせ、と同じく1.5bの連続破氷能力を有し、堅固な氷塊に遭遇することを想定し、艦首付近に補助散水装置を搭載していることが特筆され、ファンネルも一本から二本へと改められたのが外見上の大きな特色だ。
『しらせ』は5月25日09;30横須賀総監部の岸壁に着岸した。全長138メートル 艦巾28メートル 12、650トン(基準排水量12、500トン)最新の設備をそろえていた。1.5メートルの厚さの氷海は3ノットで航行出来る。艦内に入ると先ず小さな神棚が目に入る。『富士』の時代からで浅間神社を祭ってある。見学者が誰言うとも無くお賽銭をあげて航海の無事を祈った。居住区はすべて2人部屋で観測隊員は80名で、万が一越冬が出来ないような状況になったときは、越冬隊員も収容するため、3人部屋に模様変えが出来るとか。ゴミや廃棄物はすべて圧縮をして持ち帰る装置があり2重構造で油が流れでないようになっているので、『エコ7シップ』ですよと隊員は胸をはった。理髪店、医局,歯科がそろっていた。居住区には新しく『喫煙室』もわざわざ設けられていた。デーゼル発電機で推進3万馬力2軸 煙突2基 ヘリ2機を積載 一機最大4トンを運べる。昭和基地までの燃料輸送はパイプラインで600トン位の油をを2日くらいで送るとか。 ヘリ2機を積載 一機最大4トンを運べる。今回は欧州製とのこと。ヘリの使えないものは後はそりで運ぶ。艦橋は大きなタンカーの船橋くらいある。右舷も左舷も外に出て観測が出来ない。従って横に艦一杯の艦橋になる。広い!今は氷の状態を気象衛星やヘリを飛ばして観測をしして氷海を航行する。それにしてもかっての白瀬中尉はどうやって氷海を航行したのだろうか?写真でもわかるが船首下の方に穴が開いていてノズルで海水を噴射するようなっていて雪が固着するのを防ぎ、氷を割るときの摩擦を和らげるような役割をするとのこと・・・断片的に色々思い出すままに書いた。今年の観測には間に合わず、オーストラリアの砕氷船を借りたが今年は晴れて2代目『しらせ』が晴れの航海に出かけるであろう。
日記 5月27日 日本海海戦記念日でした。
今日は海軍記念日でした。次により 「日本海海戦」のほぼ全曲を聞くことができます。
@ YAHOOのホームページの検索欄に「you tube」と入れて検索をクリック
A 開かれた画面の検索欄に「日本海海戦」と入れて検索をクリック
B 「日本海海戦」を選択してクリック
永代神楽祭参加予定の「宮田 實君」体調不良で欠席に変更。
参加者 懇親会まで65名 参拝のみ22名 合計87名
日記 5月28日 永代神楽祭
林 藤太君から電話があり、6月1日の永代神楽祭、夕方所用が出来たので参拝だけに変更された。
参加者 懇親会まで64名 参拝のみ23名 合計87名
日記 5月29日 永代
佐丸幹男君から欠席の電話がありました。
5/29日0930現在の参加者数は次のとおりです。
会員(家族を含む) 懇親会まで32名 参拝のみ8名 計40名
遺族 懇親会まで30名 参拝のみ15名 計45名
其の他 懇親会まで1名 計1名
合計 懇親会まで63名 参拝のみ23名 総計86名
日記 5月30日 74期会報
海兵74期会報20年6月号(358号)を頂きました。
74期は今年12月に最後の全国大会を行い幕を閉じる。その計画が述べられている。
74期飛行学生の会、最後の集いが4月5日行なわれた。
74期の会報「江鷹}は8月号(360号)をもって終刊となる。
訃報の情報は6月末で流すのを止め、以後は21年12月までは談話室およびHPで流す。
日記 5月29日 永代
佐丸幹男君から欠席の電話がありました。
5/29日0930現在の参加者数は次のとおりです。
会員(家族を含む) 懇親会まで32名 参拝のみ8名 計40名
遺族 懇親会まで30名 参拝のみ15名 計45名
其の他 懇親会まで1名 計1名
合計 懇親会まで63名 参拝のみ23名 総計86名
日記 5月31日 永代神楽祭
明日は永代神楽祭の日です。天気はよくなりそうで安心しました。明日の予定です。
1 日時平成21年6月1日(月)1400から
2 集合時刻 1330 場所 靖國神社参集殿
3 懇親会神楽祭終了後(1500頃から)
場所 靖國会館 会費 2000円
本日深尾夫人欠席の連絡があり参加者は次のとおりです。
会員(家族を含む懇親会まで32名参拝のみ7名 計39名
遺族 懇親会まで30名参拝のみ15名 計45名
其の他懇親会まで1名計1名
合計懇親会まで63名参拝のみ22名総計85名