ブログ 20年10月
日記 10月31日
今日は年末クラス会の出欠返事の締切日です。
本日の返事。
出席(兵遺族)藤井 翆 累計63名
欠席(兵)、前川泰四郎(主)阿部克巳 累計78名
兵74期の会報 江鷹351号(20年11月発行)をいただきました。
訃報 戸嶋 豊君、20.9.2逝去
武中哲夫君20.9.23逝去
日記 10月30日 和田君の投稿
年末クラス会の返事
出席(兵)幸田正仁,新庄 浩、(主)深尾秀文、
(兵遺族)角田葉子、斎藤千鶴子 累計62名
欠席(兵)桑原義一、佐々木哲男、出口勝己、
(機)宇都宮安男、(兵遺族)藤野ひろ子 累計74名
未回答 65名
100号記念誌用として和田君から「私の海軍」と題して2頁の思い出を送ってもらいました。
メールで頂くととても助かります。まだ投稿が少ないので、是非会員の皆様の投稿をお待ちしています。
日記 10月29日
年末クラス会の返事
出席(兵)大槻敏直、奥山寿一、笹川 勉、
松下太郎、 累計57名
欠席(兵)青木泉蔵、杉田繁春、富士川正彦、
(主)山之内素明、(兵遺族)高橋舒子累計69名
日記 10月28日
年末クラス会の返事
出席(兵)相澤善三郎、浦本生、間中十二、向井寿三郎、(主)吉江正信累計53名
欠席(兵)清水尚、竹村信、中林正彦、中山皎、畑種治郎(機)小田正三、片山勇 累計64名 未回答82名
田中春雄君の妻良子様 20年8月30日「逝去
あと(子) 雄司様
(兵)相澤善三郎君の嫁さんが相澤君の近況をメールで送ってくれました。
(主)山之内素明君が近況をメールで送ってくれました。次はそのメールの一部です。担当者としてとても嬉しいメールでした。
「殆ど毎日、なにわ会ブログを開け、その中に旧知の名をみつけると、元気でなによりと思う。最近では、小西愛明、鈴木彊の両君の江田島訪問写真をみた。一特基では小西愛明君と、駆逐艦樺では鈴木彊君と勤務を同じくしていた。これからも、ブログで、各位の消息を 知りたいものだ。出来るだけ永く、ブログ、HPを続けて下さるように、お願します。」
ご期待に添えるようがんばります。
日記 10月27日
年末クラス会の返事
出席(兵)岡本俊章、高松道雄、樋口 直、山田 良(機)佐丸幹男 累計48名
欠席(兵)大村哲哉、柴田英夫、渋谷 了(主)前田正弘(兵遺族)岩本正枝累計56名
日記 10月25日
今日来た年末クラス会の返事
出席(兵)佐藤 静(兵遺族)小松崎トキ 累計43名
欠席(兵)太刀川正、中村正人、安井四郎治(機)山下 武男累計51名
日記 10月24日 山根長女の手紙
今日の年末クラス会出血の返事
出席(主)神林 勗 累計41名
欠席(兵遺族)山根紀子 累計47名
戦記ファイル11個修正しました。
故山根真樹生君の長女 池崎千里様から次の手紙をいただきました。
「この度、亡父永眠の際には、海兵72期の皆様から霊前にご供花を頂き、また、遠い所をご会葬下さいました方々にもまことに有り難く厚く御礼申しあげます。
また、先日10月10日には、「偲ぶ会」を催して頂き、母をはじめ娘3人までも出席させて頂き楽しいひとときを過ごさせて頂きました。本当に有り難うございました。
私達娘ばかりなので、戦争の話、軍艦の話には余り興味もなく過ごしてまいりましたが、今になって父の書きとめたものなどに、初めて目を通したり、皆様方のお話を伺ったりして知らなかった父の姿などに触れることができました。これからは、少しずつそんな資料にも目を止めようと思います。
早いもので、本日は亡父の七七日忌にあたります。先日、18日(土)には鎌倉の浄智寺において七七日忌法要並ぶに納骨をすませ、高橋猛典先生のお隣に落ち着くことができました。
父のカレンダーには12月にクラス会の予定も記入されてあり、皆様にお会いできることを楽しみにしていたことと思います。思いかなわず旅立ちましたが、どうぞ皆様にはくれぐれもご自愛くださいまして父の分までお元気でお過ごし下さいますよう心よりお祈り申しあげます。」
日記 10月23日
本日の年末クラス会出欠の返事
出席(兵)森園良巳 累計40名
欠席(兵)大塚 淳 (機)安藤 満 累計46名
先日メール頂いた竹之内様(小林晃君の遺族)からメールの返事を頂きました。要旨を転記させて頂きます。
「小林さんが本当に終戦間際の戦死との事で祖母も残念だと言っていました。小林さんは、よく祖母の実家(旭川第七師団の近くにある商家)に来てくれたそうです。海軍の制服に身を包み、短剣を吊り、颯爽と現れる若い海軍士官は近所でも評判だったそうです。祖母も大変な誇りだったそうです。「旭川中(現・旭川東高校)を出た秀才で、物静かな優しい方が、まさか海軍に行って戦死するとは思わなかった」と祖母は言っています。
ご遺族の小林博さん(故人の兄)は現在も旭川市豊岡にて健在ですが、ここ数年祖母も私もお会いしていません。何分ご高齢なので体調を崩されていると聞いています。私は面識がありませんが、博さんの息子さんは現在旭川市内で歯科医院を開業されているそうです。
また、小林少佐の他のご兄弟も本州、北海道に2〜3名がご健在です。
最後に小林晃少佐のご母堂ですが、戦後も祖母との交流が続き、私の母が生まれたとき手伝いに来て、産湯に入れてくれたそうです。20数年前に逝去されています。親族にも戦前を知る方々も少なくなり、また一同に会する機会もほとんどなくなりましたので、曖昧な情報ばかりです。なにわ会のHPは大変参考になります。私と変わらない年齢の方々が身命を掛けて戦い、そして散って行ったこと忘れてはならないと思います。
伊藤様、他の同期の方々のご健康を心よりお祈りしています。ありがとうございました。」
日記 10月22日
年末クラス会の本日の返事。
出席(兵)原田種睦、平川 進 (兵遺族)田島明朗 累計39名
欠席(兵)新田吉太郎、吉江恒良、(主)北川 博幸 累計44名
日記 10月21日小林晃
本日の年末クラス会の出欠の返事
出席 (兵)和田恭三 累計35名
欠席 (兵)竹内 泉 (会友)斎藤政幸 累計41名
北海道札幌市在住の竹野内様から次のメールをいただきました。
『昨年、旭川に住んでいる祖母が私に昔のアルバムを見せてくれました。
その中に祖母の従兄弟という海軍一種姿の海軍中尉の写真がありました。
祖母は「私の従兄弟で、終戦間際に戦死した方」と教えてくれました。
さらに祖母は「この方の最後を知りたい」と私に言いました。そこで私が、ネット検索でなにわ会のHPに辿り着き、その戦没者名簿に祖母の従兄弟の名前があり、さらに最後の様子まで記載されていたのでその内容を祖母に伝えたところ大変感激しておりました。
祖母に代わって御礼申し上げます。
祖母の従兄弟は海兵72期卒・小林晃海軍少佐です。』
これに対しわかる範囲のことを書いて返信しました。
小林君のこと、詳しい方ご連絡ください。
日記 10月20日
左近允尚敏君から特4号田島明朗氏が年末クラス会に参加したい意向のメールがありました。大歓迎ですので案内状送ります。
宮田君からニュース7号掲載の「栄光の艦 雪風」の中の17駆逐隊 霞 陽炎 不知火 は18駆逐隊の誤りだと指摘があり、調査の結果、その通り誤りであったのでHPの記事を訂正した。宮田君有り難うございました。
守家友義君から100号記念誌用投稿「なにわ会」の思い出をパソコン打ち込みのフロッピーでいただきました。会員多数の投稿を期待しています。
年末クラス会の返事
出席 (兵)足立喜次、阿久根正、山田良彦 累計34名
欠席 (兵)大坪久幸、桂 理平、富尾治郎、松山 実、守家友義、山元 奮 累計39名
日記 10月19日 HP修正
戦記記事のうち7個を修正しました。
日記 10月18日
本日の年末クラス会の返事
出席(兵)足立之義、足立玲子2名 累計31名
欠席(兵)右近恒二、豊田芳夫 (兵・遺族)加藤好子3名 累計33名1
日記 10月17日
本日の年末クラス会の返事
出席(兵)上野三郎、山田 穣、(主)高杉 敏夫
本日までの累計 29名
欠席(兵)樋口輝喜、(主)高柳 行雄
本日までの累計 30名
湘南歩こう会旅行
10月14日から16日まで浜名湖方面の2泊3日の旅行が行われました。
14日は浜松駅集合、ホテルさざなみ館宿泊、15日は浜名湖を遊覧船で渡り、歴史と花の龍潭寺見学。16日は沼津御用邸等見学。参加者は写真の8名。
龍潭寺は「遠州流」の茶道を興した小堀遠州の作で昭和11年に国の名勝記念物に指定された東海の名園である。
大本山方広寺半僧坊総本殿
日記 10月16日
16日受信の年末クラス会の出欠の返事
出席 (兵)平野律郎、(機)野崎貞雄、村山 隆、村山玲子
欠席(兵)大谷友之、三浦八郎(機)阿部達、吉本信夫
日記 10月15日 江田島訪問時の写真
先に田島君からいただいた写真を見て桂君から彼が写した写真を送ってくれました。
呉市内のレストランでの夕食の4人
先日逝去された平田隆一君の葬儀について三好君から電話がありました。
年末クラス会の本日到着した出欠は次のとおりです。
出席 (兵)池田武邦、後藤英一郎、堀剣二郎、(主)亀谷敏明 以上4名
欠席 (兵)飯田嘉郎、伊中四郎、東條重道、山下茂幸、山本省吾、渡辺収一、(兵遺族)大岡美佐子 以上7名
日記 10月14日までの年末クラス会の返事
出席、(兵)安藤昌彦、旭輝雄、泉五郎、伊藤正敬、門松安彦、畊野篤郎、左近允尚敏、渋谷信也、杉田政一、都竹卓郎、中井末一、林藤太、宮田実、山下誠、(機)室井正、(主)窪添龍輝、高田俊彦、(会友)岩松重裕、後藤寛の19名
欠席、(兵)川越重比古、岸本一郎、來島照彦、小西愛明、小林勝、椎原国康、塩見頴一、谷口好輝、中川好成、樋口幹、村瀬信義、百瀬茂、(機)上野三郎、藏元正浩、斎藤義衛 (主)佐藤健三、(会友)内山隆太郎の17名
10月12日その2 海底新聞
潜水艦伊47に乗り込んで出撃した天武隊の横田兵曹(回天故障で発進できず生き残った)の手記を読まれた購読会員A氏のブログの転載です。(横田兵曹の手記から)
天武隊が伊47潜に乗り込んですぐのことです。
横田兵曹が士官室に行くと、そこに『”回覧”海底新聞』というタイトルのがついた、ペン書きの原稿綴りがありました。
表紙には墨で海原をゆく伊47潜の勇姿。下に発行人 軍医長、主筆 機関科・佐丸幹男と書かれてありました。
『ああ、あの元気のいい分隊士だな、と思いながらつぎのページを見ると、『回天特別攻撃隊 天武隊出撃賦』と題する、佐丸中尉の一編の詩が書かれてあった。
一、雲に映え また海面に映る
花桜木の かおりと色は
腰の剣と 脈打つ胸に
共に通うや 姿や正気
至大至剛の 心のもとに
今ゆく道も 天賦の業と
成して進まん 天武隊
二、塵と飛び また流れに濁り
欲と物とに 汚れし味は
生きて屍の 夷の腹に
沁みてみせるや 修羅の巷
五倫の道に はずれし国に
今よりかざす 天賦の業を
成して遂げなん 天武隊
三、万象めぐる 天地の中に
日輪ひとつ 厳たり軸たり
不動の位置に 無上の光
秋津島根の 日嗣に似たり
永久の光に 輝く土地に
今授かりし 天賦の業を
展べて拡げん 天武隊
何度も何度も、かみしめながら読んでみる。実にいい詩だと思った。』
伊47潜機関長附・佐丸幹男中尉。海軍機関学校53期出身。天武隊隊長の柿崎実中尉(海兵72期)とはコレスということになります。思いを込めてこの詩を作られたのだと思います。
出撃し1週間以上たった4月29日。
天長の佳節を祝して宮城遥拝。その後食事。
『食事がすむと、はりきって待っても、きのうみたいにソンをすると思ったから、神経を落ちつけようと思い、士官室で、通称編集長(海底新聞主筆佐丸中尉)とふたりで一対一のブリッジをやった。2時間ぐらいやったろうか。勝ってばかりいる。
「へただなあ分隊士は。たまには勝ってくださいよ。もうあきちまった」というと、
「はりきったやつにはかなわねえや。俺だって強いはずなんだぜ」とくやしそうな顔を見せた。ついていただけではないだろう。わざと花を持たせてくれたのかもしれない。
彼の『天武隊出撃賦』は前述したが、この人は若いのに、じつによくできた人であった。忙しい当直以外の暇をみて、からだを休めようともせず、乗組員全員の投稿を集めては、士官室でさかんにペンを走らせて海底新聞を作っている姿を何度か見かけた。私と新海には、特にたのもしい兄貴といった存在だった。
きのう発行のものに、『天長節を祝い、若桜の搭乗員に寄せる』と題して、つぎのような詩がのせてあった。
翳せる桜 ひらと舞い
出てゆく後の波の上
清き散りぎわ見せにけり
歓呼の声にゆらぐ胸
必ず撃つと誓いつつ
静かに捧ぐ挙手の礼
岸辺の人の心にも
通う思いは若桜
万古に香れ九段坂
万古に香れ九段坂
読みながら私は、海軍機関科の士官である彼の、いったいどこからこんなすばらしい詩がわきでてくるのだろうと、不思議にさえ思われた。あまり気に入ったので、この詩を手帳に書きとめ、亡き母の写真とともに、ポケットに入れておいた』
参考:横田寛『あゝ回天特攻隊』光人社NF文庫
注:『天長節を祝い・・・・』の詩は佐丸氏ご本人の手記には『多々良隊の華』という題で掲載されており、内容も微妙に違っている。
かざせる桜 ヒラと舞い
征で行く後の波の上に
清き散り際見せにけり
歓呼の声にゆらぐ胸
必ずやると誓いつつ
静かに捧ぐ挙手の礼
岸辺の人の心にも
通ふ思いは桜花
万古に香れ九段坂
なにわ会HP『柿崎中尉の思い出』佐丸幹男より
訃報 平田隆一君
訃報敬弔
氏名 平田 隆一 君(名簿26P)
平成20年10月11日(土)2130 前立腺癌で逝去
喪主 長男 篤(あつ)範(のり)様
御通夜 平成20年10月12日(日) 1800〜
告別式 10月13日(月) 1300〜
斎場 あおやぎ古賀会館
電話 092−944−1133
住所 古賀市駅東 2丁目8−25
交通 JR古賀駅東口の前
日記 10月12日 田島特4号生徒
田島氏から次のメールと写真をいただきました。
『10月7日、8日と、桂・小西・鈴木彊の3氏の関西お3方、江田島・呉に修学旅行、特四号は1術校長、候校長表敬、新装教育参考館銘牌参拝の手配をし、呉海軍墓地案内、呉で夕食会後帰宅しました。
なおお3方は翌日大和ミュージアム・鉄の鯨館等を見物後ご帰還になりました。』
そして、写真が添付されていましたが、残念ながらぼけていましたので、掲載を削除しました。
15日桂君からいただいた写真をとりこみました。
田島さん、 いろいろアレンジ有り難うございました。先日小西君から電話で報告がありました。お蔭さまで素晴らしい江田島訪問が出来ましたと。
10月12日 HP修正
なにわ会HPの戦記のうち機関記念誌から取り込んだ8つのファイルを読みやすいように修正しました。
日記 10月11日 年末クラス会出欠
年末クラス会 本日までの到着返事
出席 兵 泉 五郎、左近允尚敏、杉田政一、都竹卓郎、中井末一
機 室井 正
主 窪添 龍輝、高田 俊彦 計8名
欠席 兵 川越重比古、椎原国康、樋口 幹 計3名
日記 10月10日 故山根君を偲ぶ会
9月3日逝去された故山根真樹生君を偲ぶ会が泉君の提案で本日行われました。山根夫人他3名のご遺族の方と次のクラス13名及び富士夫人が集まりました。
旭 輝雄、泉 五郎、市瀬文人、伊藤正敬、上野三郎、大槻敏直、畊野篤郎、左近允尚敏、新庄 浩、都竹卓郎、樋口 直、溝井 清、山田良彦
日記 10月9日 年末クラス会案内
昨日年末クラス会の案内を発送しました。近い所はもう着いたと思います。
最後の会報になりますので、近況、ぜひ書き込み願います。
また、メール出来る方は、ぜひメールでお願いします。
日記 10月7日
佐丸幹男君から100号に掲載予定の原稿「なにわ会を振り返って」の校正を頂きました。
日記 10月6日 HP
HPの戦記のファイルのいくつかを修正し読みやすくしました。
日記 10月2日
窪添龍輝君から100号に掲載予定の原稿「なにわ会を振り返って」の校正を頂きました。
日記 10月2日 森川恭男君の弔辞(野崎貞雄君)受領
先月逝去された森川恭男君の弔辞等,野崎貞雄君のものを村山隆君経由で頂きました。
拝見して,森川君は1年前に自転車で転倒し,後頭部を強打,脳血管傷害から脳梗塞と進み,殆ど寝たきり状態であったそうです。前にも駅の階段で転倒して,この世を去った級友がおられましたがお互い気をつけましょう。これに関連し,野崎君が次のように書いています。
「老人が意識的に遵守すべき教訓として次の3つを聞いたことがある。
1 転ぶな。
2 風邪ひくな。
3 義理かけ。』
参考になると思い転記した。
100号に掲載予定の原稿「なにわ会を振り返って」の校正を早速大谷友之君から頂きました。
日記 10月1日 74期会報
74期の会報 『江鷹」10月号をいただきました。その中に2名(榊茂一君、妹尾作太郎君)の訃報がありました。妹尾君は私が55分隊の1号の時の3号でした。ご冥福を祈ります。