なにわ会のブログ 20年9月分
日記 9月30日
97号から99号にかけて連載された「大和から見たレイテ作戦」を一纏めにし修正して掲載しました。
購読会員Aさんのブログ
購読会員Aさんのブログの転載です。
『前に『回天の群像』に出ている、柿崎中尉と「松政」のおしげさんのエピソードを書きましたが、あれは著者の宮本さんが『あゝ回天特攻隊』から引用した文章でした。 『あゝ回天特攻隊』にはさらに詳細に載っているので、その部分を紹介します。
その前にまず、出撃が決まった多々良隊のメンバーを紹介します。
隊長・柿崎実中尉(海兵72期)
前田肇中尉(予備学生?)
山口重雄1曹
古川兵曹
横田寛2飛曹
新海2飛曹
その日、「本を読む」と言って基地に残った前田中尉以外の5人が上陸しました。ところが、3人はいち早く雲隠れしてしまい、気がつくと残ったのは柿崎隊長と横田兵曹2人。
「徳山へ行こうや」と柿崎中尉が言いだしました。 横田兵曹は当時、松政の存在すら知らず、どこに行くのかいぶかりながらも柿崎中尉についていきます。
松政に連れて行かれ、おしげさんと対面します。
『おしげさんは、三十をなかばすぎた、ふっくらした感じの人だった。隊長はこういって私を紹介した。
「かあちゃん、この男はね、こんど俺といっしょにゆくことになったヤンチャ坊主だ。小さいとき、おふくろが死んでね。・・・・だから、かあちゃん、きょう一日でいいから、こいつのおふくろになってやってくれんかな」
隊長が”かあちゃん”というとき、私は思わずふきだしそうになった。が、見ると、隊長は大まじめである。おしげさんのほうも、少しも悪びれたようすもなく、ハイハイと答えている。
「柿崎さん、お酒つける?」
「いらんよ。こんな坊主に酒なんか飲ましたら、おぶって帰らんならん。大津ならいいが、光は汽車に乗らにゃいかんからな・・・・」
そういう隊長をさえぎって、
「隊長、飲みましょう。俺だって強くなったですよ。この前なんか、新海とふたりで、ウイスキーを一本あけちゃった・・・・」と、これは私である。そのころ、ようやく酒を飲みはじめたばかりで、やたらと酒への好奇心が強かったのだ。
「ほんとうかあ、とんでもねえやつだな。・・・・そうか、おやじがよく飲むのか。じゃ、おやじの血をひいたんだな、きっと」
「まあ、いいじゃないの。万事、かあちゃんにまかしとき・・・・」』
一般にはもうお酒など残っていないころだったのですが、おしげさんは搭乗員のために苦労してとっておいてくれたようです。
『三人で昼の酒盛りがはじまった。飲めるといったところで、隊長と私などタカが知れている。たちまち酔っ払ってしまった。しかも隊長など、すっかりいい気持になって、おしげさんの膝をまくらに、詩吟などをうなっている。しまいには、「四時になったら起こしてくれよな、かあちゃん」といってグウグウ寝てしまった。 こちらは初めての場所で、しかも相手は初対面である。酔っても、どことなくかた苦しい。おしげさんは、隊長の軍服をぬがせて、介抱している。つぎに靴下をとって、雑巾で足をていねいにふいてやっている。ふきながら、
「みんな、かわいいのよ。・・・・柿崎さんはいつもこうなの。・・・・いい人でしょう」
話しかけるように、つぶやくように、そんなことをいった。私はそのしみじみとした調子に、ふっと胸をつかれるものをおぼえた。』
20年3月28日、多々良隊(伊47潜)は出撃したものの、途中駆潜艇に追いかけまわされ、飛行機にまで攻撃され、母潜も積んでいた回天も修理が必要な状態になってしまい、しかたなく帰投します。
そして4月20日、再度同じメンバーで天武隊(伊47潜)として出撃し、柿崎隊長、山口兵曹、古川兵曹(以上5月2日)、前田中尉(5月6日)が回天を発進させ特攻戦死。横田兵曹と新海兵曹は回天と母潜を結ぶ電話の故障で発進できず、泣く泣く基地に戻ってきました。
そのとき、横田兵曹はまっ先におしげさんに会いに行ったそうです。
『「隊長は死にました。私はだめでした」
これだけを、私は小声でいった。すると、おしげさんの大きな声が飛んできたのだ。
「横田さん、おかあさんの目を見なさい」
りんとした声だった。
「しっかりしなさい。失敗はだれにだってあります」
私の両肩をつかんで強くゆさぶったかと思うと、しかし、つぎの瞬間、ワッと泣きくずれた。
「またやります。靖国神社には六人いっしょにはいる約束ですから。でも、すごくさみしいんです」
この人になら、なんでも打ちあけられる、という気がした。どんな弱虫なことをいっても、この人はきいてくれる、と。
「いいの、いいの。柿崎さんは、きっと先に行って待っているわよ。横田さんのこと、かわいい坊やだけど腕はたしかだ、俺とやつの命日には、しるこぐらいつくってくわしてくれよ、なんていってたのよ。泣かない、泣かない。おかあさんだって、泣きたいのを、こうやってがまんしているんじゃない」
泣きじゃくりながら、がまんしているといったおしげさんのことばを、私はいつまでも忘れることができない・・・・』
日記9月29日 短剣
昨28日、左近允尚敏君から次のメールをいただきました。
『今日の新聞広告に復刻版「海軍士官短剣、剣帯」あり、6万8000円にちょっと驚きましたが、真継不二夫さんの「海軍兵学校」にある清水 尚、矢田次夫の両君が鏡の前にいる写真が載っています。嬉しいのですが、写真の引用の断り書きがなく、、これでいいのかと思ってしまいました』
そして、新聞広告の一部をコピーして添付してくれましたが、このブログの掲載可能の制限にかかりうまく掲載できません。
Commented by あらい at 2008-09-29 19:21 x
こんばんは。
「清水尚、矢田次夫の両君が鏡の前にいる写真」、大きな姿見の前で2人の海兵生徒さんが冬の制服で服装をチェックしている写真だと思いますが、どちらが清水さんでどちらが矢田さんでしょう?
法律的にどうかはわたしにはわかりませんが、「海軍士官短剣」の広告に使いたい気持ちはわからないでもないです。かっこいいですね。
Commented by i伊藤 正敬 at 2008-09-29 21:45 x
あの写真格好いいですね。でもよくいろんなものご覧になっていますね。
遺族の訃報
故三笠政治君のご遺族から母(道江様)も亡くなったので、今後なにわ会からの連絡はご遠慮すると電話がありました。
お知らせ | Comments(0)秋のコンサート
小灘利春君の令嬢)小灘裕子様から次の案内を頂きました。
「中田喜直と小灘利春を偲んで』の秋のコンサート
このたび縁あって、下記のとおり東京丸の内にある日本工業倶楽部にてコンサートをさせていただくことになりました。
今秋は、私の父、小灘利春の3回忌にあたり、私の恩師である中田喜直先生の曲を演奏し、先生と父を偲びたいと思っております。
日本を代表する作曲家の中田喜直先生は、フェリス女学院で教鞭をとっておられ、私も在学中よりご指導をいただきました。中田先生は、父と海軍兵学校で同分隊の中田隆保氏の従兄弟で、生年月日も半月違いということに不思議なご縁を感じます。先生も父も、戦没者を追悼し、平和を祈念する心で共通するものがあるのではと思います。
当日は父が親しくしていただいた池田武邦様(兵学校同期、建築家)と、中田幸子様(中田先生の奥様)、中田富久様(中田先生の従妹)にもお話をいただける予定です。
出演者一同、心をこめて演奏させていただきます。どうぞ皆様お誘いあわせの上、お越しいただければ幸いです。
記
日時 2008年11月1日(土)14:00(13:30開場)
場所 日本工業倶楽部3F大ホール(東京駅丸の内北口徒歩1分)
出演
ピアノ 小灘裕子、田中信正、吉田晴子、木村美香
歌 岡島由起子
お話 池田武邦氏、中田幸子氏、中田冨久氏
曲目 中田喜直作曲
「軍艦マーチによるパラフレーズ」(2台ピアノ)
「日本の四季」(ピアノ連弾)、「夏の思い出」
「めだかの学校」「小さい秋みつけた」(歌)
ショパン作曲 ワルツ、プレリュード、他
会費 3000円(全自由席)
チケット お問い合わせ
小灘裕子まで п@0467−47−0805
備考
池田武邦
建築家。霞ヶ関ビル、京王プラザホテルなど日本の高層建築の黎明に携わる。元「日本設計」代表取締役社長。海軍兵学校72期。東大卒。
中田幸子
声楽家。指導者。ナカダ音楽事務所代表。女声合唱団「みずばしょう」指揮者。故中田善
直氏夫人。
中田ふく
府立第3高女(現駒場高校)を経て、三井物産に定年まで勤務。故中田喜直氏の従妹
中田喜直(Yoshinao Nakata)
1923年8月1日東京生まれ。父は「早春賦」の作曲家中田章氏。1943年東京音楽学校(硯・東京芸術大学)ピアノ科卒業。同年、宇都宮陸軍飛行学校に入学(特操一期)し、出征。
終戦後の1946年に作曲家集団「新声会」に参加、本格的に作曲活動に入る。
一般には「雪の降るまちを」「夏の思い出」などがよく知られているが、主要な作品は、歌曲・合唱曲・ピアノ曲で、その大部分が出版・レコード化され、諸外国で演奏される事も多い。細幅鍵盤の推奨者でもある。「めだかの学校」「ちいさい秋みつけた」「かわいいかくれんぽ」などの童謡や、少年少女のための合唱曲も多数ある。
1949年NHK毎日音楽コンクール入賞以来、数多くの賞を受けている。1986年紫綬褒章受賞。1995年NHK放送文化賞受賞。フェリス女学院大学教授として長く教鞭をとり1993年から名誉教授。2000年没。
小灘利春(ToshiharuKonada)
1923年7月16日広島生まれ。広島高等師範附属中学校を経て、海軍兵学校入学(72期)1943年卒業。軍艦「八雲」「足柄」に乗り組みの後、特攻兵器「回天」基地に勤務を拝命。
1945年5月八丈島基地へ特攻隊長として着任。終戦後、京都大学農学部を卒業、日本水産に勤務。1993年から2006年、83歳で亡くなるまで全回天会会長を務め、生き残りとして戦没者の慰霊と、正い記録を残すため奔走した。米国NEWSWEEK誌をはじめとする多くの雑誌、TVのインタビューがある。著書に「特攻回天戦一回天特攻隊隊長の回想」(片岡紀明氏と共著 光人社)、インタビュー集「特攻・最後の証言」(アスペクト社)など。
細部は次をご覧ください。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/nakko/2008Nov.html
# by naniwa-navy | 2008-09-28 11:01 | お知らせ | Comments(0)日記9月28日 山根真樹生君を偲ぶ会
9月26日に山根君が会長を務めた九州石油株式会社主催の山根真樹生君のお別れ会がホテルオークラで開かれ、左近允尚敏君が参加しました。その際、配布された資料「ご挨拶」の要約です。
「山根さんを偲ぶうえで「海軍」を欠かすことはできません。5年に及ぶその経験は人格形成に計り知れない影響を与えました。特にレイテ沖海戦では海に投げ出され弊社社長就任時のスピーチで{石油会社社長で重油を飲んだことのあるのは自分ぐらいと語られたように九死に一生を得たのでありました。復員後の東京大学入学等に際しても元職業軍人故のご苦労があったと伺っています。八幡製鐡・新日本製鐡では人事・総務と社の中枢を常に歩まれ、副社長を最後に弊社社長に転じられてからは、経営のトップとして社の充実・強化に精魂をこめられました。(以下略)
泉五郎君企画で山根君を偲ぶ会が下記により計画されています。
記
場所・・市ヶ谷・私学会館・・・笘 044-977-2320
日時・・10月10日(金) 1200〜1400
会費・・10000円
服装・・平服
参加予定・・ご遺族他17名
ご遺族は山根夫人とご息女池崎ちさと様がご出席の予定、
ご案内洩れの方の御参加も歓迎です。但し予め小生宛ご一報ください。
日記 | Comments(2)日記9月27日
ニュース100号に入れようと思っている「なにわ会を振り返って」の原稿記事を校正担当の4名の方にに送りました。
向井寿三郎君から100号の原稿をいただきました。
日記 | Comments(0)日記9月26日 HP
HPの戦記7編 文字を大きくし、行間を広くし、誤字脱字を修正しました。
先日お尋ねした水交会の月例参拝に関する意見おおむねでつくしたようです。後ほどメールで報告します。
日記 | Comments(0)日記 9月25日 左近允尚敏君 71期情報
左近允尚敏君から次のメールを貰った。
22日廣島着から24日廣島発まで田島氏が一緒。
23日。今年も合同追悼式に2000人以上参列、あと市内のホテルで井上練習艦隊司令官報告会、続いて呉水交会(廣島水交会と合同ずみ)の懇親会、百数十名参加。志満巌君と久しぶりに会いました。田島氏に長山君の子息を紹介されました。
関西の桂、小西、鈴木3君が10月7日江田島訪問予定。田島氏から宮崎候校長に依頼して表敬セット。
71期のHPから
会員の現状 20・1・1 現在
入校時601名、卒業時581名、戦中戦没331名、終戦時復員250名、現在の健在者109名 (含連絡拒否者2名、所在不明 2名 (梨本徳彦,川田竜雄)
20年の逝去
清水正己氏 20・3・5 吉田弘俊氏 20・5・18
前田孝正氏 20・5・23 花田賢司氏 20・7・24
桧垣保雄氏 20・9・5 の5名逝去
日記 | Comments(0)日記 9月24日
20年7月と8月のブログを纏めてHPにとりこみました。
鈴木 彊君から塩見頴一君の状況について連絡がありました。広島の姪の方の近くにおられるとのことです。
日記 | Comments(0)日記 9月23日 エイジシュート
小林 勝君が次のとおりエイジシュートを達成されました。
クラス第1号だと思います。
おめでとうございます。↓は彼から頂いたメールです。
「小生来年で数え年の米寿になりますが、9月4日蓼科の「フォレストカントリークラブ三井の森」(小生、メンバーです)でプレーをし、OUT:43、 IN:44の合計87のエージシュートを達成することが出来ました。平成17年にも83で廻りましたが、ショートホールの一箇所でオーケーをしてしまったので、申告をしなかったことがありましたので、今回はノータッチ、ホールアウトでプレーをして、出来上がりました。」
日記 | Comments(0)日記9月22日 年末クラス会案内印刷
年末クラス会案内の印刷を発注しました。
水交会の靖国神社月例参拝について、29名中11名の方からメールで、2名の方から電話でご意見をいただきました。残り16名の方、ご意見よろしくお願いします。
日記 9月20日
水交会の靖国神社月例参拝について来年以降どう対処すべきか会員に直メールで尋ねました。
購読会員Aさんから回天関係のHPのミスを教えてもらいました。スキャナーで取り込んでいますので判読ミスが随分残っています。お気づきのかたご指摘よろしくお願いします。
日記 | Comments(0)日記 9月19日
順番にHPの文字を大きくし、行間を広くして読み易くしています。また、誤字脱字を修正しています。大分沢山修正しました。自分の投稿記事を見てご意見頂ければ嬉しいです。
年末クラス会の案内のハガキに貼る宛名ラベルを作成しました。会員(生存者)とご遺族のうち16名の方(過去に案内の送付を希望された方)の分です。
ご遺族等でほかにご希望の方はご連絡ください。
100号は最終号ですので、「樋口 直君」に冒頭の巻頭言をお願いしています。
次に「なにわ会を振り返って」の記事を入れたいと思い取りかかっています。
)耄語録 その4
泉五郎君から耄語録その4をいただきました。
人間は 言葉でものを 考える
言葉乱れりゃ 国も危うし
最近の言葉の乱れはいみじくも会誌99号で椎野廣君の「日本のマジョティは大丈夫か?」 の一文で軽妙にして実に見事に喝破されている。全く同感!今や日本語は正に崩壊の寸前である。
言葉の乱れは即ち思考の乱れ、この問題を追及解明してゆくことは我々浅学の徒に成し得ることではない。然し、最近の日本語の乱れは正に日本文化崩落の兆しである。
戦後の漢字制限がその尖兵となつた。確かに言えることは漢字は種類も多いし字画も甚だ複雑である。然し文字自体は表意的な形態のため、見慣れれば複雑なものでも楷書ならば識別は容易である。
然し、その反面筆記するには中々手間がかかる。そこで行書、草書と変化簡略化されると今度は本来の形とはまるで違う印象のものもあり、これは相当難儀な代物となつてよほど研鑽を積まないと読み書きできない。楷書は書きづらい、行書草書は読みづらい、漢字が敬遠される最大の原因であろう。
明治維新、30字そこそこで文章表現が可能な欧米文化に驚いた日本では、英語を公用語にと云う議論さへあつたという。
そして今次大戦惨敗の結果、漢字軽視は天下御免の風潮となつた。自らの固有文化を軽視して漢字使用に制限を課す一方では、カタカナ言葉の乱用はお構いなし。立法行政自身が矢鱈と外来語を導入、マスコミがこれを国民に啓発するどころか、逆に己の優越性を誇示するかの如く外来語を乱用する。
例えば政権公約とか政策綱領といえばよいものを我が党の「マニフェスト」とのたまう。新聞は家庭内暴力と書けばよいものを「ドメスチックヴァイオレンス」と言い換えて得意げに報道する? 漢字と訳のわからぬカタカナの羅列とどちらが速読し易いか?
しかも、今やコンピューター時代、文字数の少ない英文などに比べれば、多少時間はかかるかも知れないが、複雑な文字候補でも識別さへ出来れば記録するのに訳もへちまもない。 電子技術の発達が今や漢字復権の時代を生んだといえよう。
若い世代の国民は漢字に愛着など持つていない!などと決め付けるのはとんでもない誤りである。最近の新生児に対する命名傾向を見てみるがよい。強く、美しく、爽やかな語感を持つ文字が流行つている。残念なことは文法を無視して矢鱈と勝手な読み方をする輩の多いことである。
かと思へば 自らを「さいたま」などと名乗る痴呆都市がある。そこにあるものは、伝統や歴史を無視した目先の安直さだけである。真似するところが出て来ない内に、ギネスに国辱的痴呆都市名第一号として登録申請をしては如何かナ! 泉 五郎
(平成20年9月18日)
日記9月18日 HPの修正
またHPを10件程修正して読みやすくししました。
近く年末クラス会の案内を印刷屋に発注して10月始めに発送します。
今回は年度幹事の都合もあり、返信は伊藤正敬あてになっています。
なにわ会ニュース99号に同封した21年度以降の連絡費の振込み用紙が見当たらないという方が時々あります。封筒の中をよく見てください。
それでも無い時は伊藤までお知らせください。改めて送ります。
日記 9月17日 幹事会
今日は年末クラス会等についての打ち合わせの幹事会に参加してきました。
年末クラス会については大体次のようにまとまりました。
1 日時 12月4日(木)1200〜
2 場所・会費等 昨年どおり
3 案内状 10月はじめ発送
日記9月16日
昨日の中村君に引き続き森川君(機)の訃報に接し、寂しさを痛感しています。謹んでご冥福を祈ります。訃報は次の4つの方法で流しています。
1 兵科の電話連絡網
2 なにわ会ブログ掲載
3 なにわ会HP掲載
4 メール(アドレスのわかっている人のみへ,ご遺族を含む)
21年以降は電話連絡網は廃止されるので、その他の3つの方法によることになるでしょう。
故障したパソコン昨日修理完成しました。でも、すべての記録消去されてしまいました。バックアップ大切ですね。
訃報 森川恭男君逝去
(機)村山 隆君から次の連絡がありました。
訃報敬弔
氏名 森川恭男 君(名簿44P)
平成20年9月15日(月)2159 逝去
喪主 義人 様
御通夜 平成20年9月17日(水)1900〜
告別式 9月18日(木)1100〜
斎場 株式会社ベルコ シティホール 泉北泉ケ丘
電話 072−291−4242
住所 堺市南区茶山台1ー1−4
兵科の電話連絡網では流しません。
訃報 中村元一君
訃報敬弔
氏名 中村 元一 君(名簿24P)
平成20年9月15日(月) 早朝 逝去
喪主 妻 久代 様
御通夜 平成20年9月16日(火) 1800〜
告別式 9月17日(水)1030〜1130
斎場 久里浜西庵斎場
電話 046−833−0124
住所 横須賀市久里浜5丁目10-11
交通 京浜急行久里浜駅から徒歩約4分
葬儀は家族葬で行われます。暑い時期ですので、特に親しかった方以外の会葬はご辞退したいとのご遺族のご意向です。
平成20年9月15日 発信
注 発信元 伊藤 正敬
電話連絡網で流してください。
備考
メール2通同じものをながしました。失礼しました。
最後の方 (樋口 直君からの連絡)を(左近允尚敏君からの連絡)に訂正してください。
日記9月14日
戦記のHP10件ほど入れ直しました。今まで字が小さくて見にくかったので字を大きくし,行間を広くしました。
日記9月13日
NECのパソコンXPが起動出来なくなり、メーカー修理に出したら修理代5万円もかかるとのこと、修理を諦めましたが、よく考えると使い馴れたXP、直せばあと3年ぐらいは大丈夫使えそうだと思い修理してもらうことにしました。
一方先日富士通のビスタを購入して、それから1週間かかってやっといろんなセットが完了しました。そしてバックアップもとり終りました。なにわ会のHPも旧富士通から新富士通にバックアップをとることが出来ました。。。
)耄語録 3
泉五郎君から耄語録その3をいただきました。
何が国技か 無頼の相撲
所詮はどっこい 金儲け
相撲界の荒廃は目を覆うばかりである。伝統とそれに伴う国民の甘やかしが国技としての相撲界に、独善的な驕りと自惚れを助長してきたことには疑いの余地がない。
相撲界は今や完全に時代遅れの社会である。元々は神事の一環としての行事が、興行性を帯びるにつれ次第に営利化してゆくのも時代の流れであったろう。その挙句が外人力士の登場と相成った。そもそも体格や生活習慣、社会意識の違う外人まで登場させること自体が国技からの逸脱である。
逸脱というのに語弊があるなら、相撲界が自ら国技から脱皮して国際化という変革への第一歩を踏み出したのである。
国際化を容認するなら、財団法人日本相撲協会は個人商店のような相撲部屋の寄り合い所帯では、所詮自滅の道を辿るほかないのである。何れ大相撲にスポンサー企業の四股名をつけた力士の登場と相成る日も遠くないかもしれない。相撲部屋も個人的タニマチから企業スポンサーへ鞍替えし、総てを明朗管理しなければ大相撲に未来はない。
ことのついでに柔道も、今や道着を着たレスリングになりさがつた。我々には見たくないJyuudouである。(平成20年9月10日)
表札は 子供が書いたか 防衛省 テレビを見ていたら偶々防衛省の正門が映し出された。その門柱の防衛省と云う文字の稚拙さは正に小学校児童の筆跡である。誰の筆跡か知らないがあまりの酷さに恐れ入った。
恐らく庁から省へと念願の昇格を果たした際誰かの手で書かれたのであろう。恐らく書き手はそのときの関係大臣ではなかろうか。そうであるならば彼の厚顔無恥と部下のゴマすりにはただただ情けないばかりでる。この推察が邪推であることを願うばかりである。
たかが表札くらいと云う勿れ。毎日出入りする隊員や業者、そして国民は何と見るか?!
ことのついでにお役所で見かけるお偉さんの肖像画や銅像の類、猫も杓子も際限なく増殖してゆく有様には呆れてものも言えない。(平成20年9月12日)
日記9月13日 HPの修正
HPの次の頁を修正しました。
私の交友録(濱田秋朗),パラオ恋しや(伴正一)・伊勢・熊野・梨・初桜(左近允尚敏)
ご遺族等から私のところに寄付金をよく送って頂きます。
頂いたのは,なにわ会の銀行口座に即日振り込んでいます。
最近の私の手元に頂いたご寄付は次のとおりです。
1 島 美佐子様(507寺本實三君の妹)
2 星野 道子様(319猪口 智君の妹)
3 齋藤 茂様(440齋藤コ道君の甥)
多額のご寄付有り難うございました。
日記 9月11日
昨日頂いた購読会員の五頭氏の投稿原稿の打ち込み終わりました。その中に,五頭氏が昔投稿された『クラブにのお兄さんたち』という記事がなかなんか見つけられなかっが,最後に奥山君が見つけてくれた。
日記9月10日
長年の購読会員の五頭和明氏(市瀬文人君紹介)から100号の原稿をいただきました。
ご遺族の岡野武弘氏(故井尻文彦君の弟)からもお便りを頂きました。
杉田繁春君から海軍兵学校一号時の教班別写真をおくってもらいました。(なにわ会ニュース2号,3号に掲載されていたものです。)
日記9月9日ニュース99号印刷代・HP
コンタスから「なにわ会ニュース」99号の請求書が来ました。全部で437,015円(98号は488,900円)でした。今回は経費節約のため写真は2枚だけ印刷屋に取り込んでもらい,その他は私が取り込んだままです。やはり写真が暗過ぎましたね。最終号は全部印刷屋に取り込んでもらい,綺麗に仕上げたいと思います。
HPの次の頁を修正しました。
転勤大旅行(阿部克巳),逃亡(阿部克巳),隼鷹・羽黒・楓(伊藤正敬),352空奮戦記(岡本俊章),戦争と我が青春(国本鎭雄),挽歌の海(小河美津彦)
窪添龍輝君から振込み用紙に書いてある会員の言葉を送って貰いました。21年以降の連絡費の振込み順調なようです。まだ振り込んでいない方,よろしくお願いします。。
日記9月8日 HPの修正 山根眞樹生君の姪の方
取り込んだ次のHPを読み直して修正しています。その際文字を大きくしました。HPに掲載した7個の記事。
山根眞樹生君の姪の方から要旨次のメールをいただきました。
「以前、伯父より貴ホームページに自分の戦記が載っているので是非見てくれ、という連絡があり、それ以来時々拝見させていただいておりました。この度は皆様よりご芳情を賜り誠にありがとうございました。大病を患いながらもいつも驚異的な回復ぶりを見せてくれていた伯父で、最近まで電話で元気な声を聞かせてくれていました。とても尊敬していた伯父ですのでこの度は本当に残念です。
戦争のことは家族にさえもあまり語らないとのことでしたが、桂氏著の『わが海戦記』を送ってくれたり、ホームページを見てくれと連絡があったりで、後世に伝えたい思いはあったようです。
特に『わが海戦記』は私の息子が15歳になったら読ませるようにと念を押しておりました。
葬儀の際、樋口様には長時間にわたり最後までお付き合い頂き、また、骨上げの時には『山根、約束通り骨を拾ってやったぞ』と声をかけて下さいました。ご存知かと思いますが、戒名は『瑞鳳院悟道宗眞居士』です。ご住職のお話では、『悟道』は大変な戦争体験の中、幸運にも生還できたことにより若くして人の道を悟ったという意味を込めて付けられたそうです。この戒名は伯父もさぞ喜んでいることと思います。お寺は鎌倉で、戦友の皆様と桜の木の下で会う約束をしているとのこと。つい最近、鳥取にある山根家先祖代々のお墓は永代供養にしてほしいと連絡がありましたが、この度鎌倉の話を聞いて伯父の思いがよくわかりました。
皆様の今後ますますのご健康とご多幸をお祈りしております。」
)耄語録 その2
泉 五郎君から耄語録その2を頂きました。
世界一 融通無碍な 日本語
縦横斜め 逆からも
昨今日本語の乱れは誠に嘆かわしい限りではあるが、考えてみると日本語ほど融通無碍な言葉も少ないのではなかろうか?
勿論言語学は愚か外国語さへ大昔に受験英語を少々勉強しただけの門外漢であるから、学者先生から見ると何を下らぬ話しかと笑いものになるかも知れない。
日本語の面白いところは、文章を右から書いても左から書いても読める。もともと日本語は漢文同様縦書きで行は右から左の順である。
然し明治の開国以来、左から右への横書き欧文に接するや、忽ちカタカナを活用して左から右への語順で簡単に翻訳文を表現した。多少の抵抗はあるが、無理すりゃ縦書きでも読み書きできぬことはない。
仮に原稿用紙に斜め書きすれば、これは忽ち一通の簡易暗号文章になる!膨大な乱数表も不要で甚だ実戦的である。戦時中こんなアイディアはあつたのかナ?
靖国は そっぽを向いても 総理様 漁師が死ねば 家まで参る
福田総理が遂に退陣した。そもそも、彼に一国の首相としての器量があつたかどうか甚だ疑問である。その腰抜けぶりは流石、日本赤軍の暴挙を許した親父の跡取りである。万事が万事、事なかれ主義の番頭政治で、北朝鮮にも舐められぱなしである。
よくもこれで日本の総理が務まるものだと感心するが、目先の人気取りばかりは中々たいしたものである。
話は少々旧聞に属するが、先般東京湾口で自衛艦が漁船と衝突事故を起こしたとき対応には、防衛大臣に加え総理までが弔問に自宅まで訪れた。こんな国は世界中探しても見つからない。こんな男を頭領に頂かねばならない自衛隊員が誠に気の毒である。
自衛隊をよくよく疎ましく思つている彼の本心を垣間見た気分である。私には彼が戦後派日本人のチャンピオンに思える。
自衛艦 そこどけ邪魔だ 道空けろ
漁船ヨットが 目に入らぬか話のついでにこの事件の直後、東京都知事の石原慎太郎までが「軍艦も漁船もレジャー用のヨットも航海上の権利は同等だ」と放言、自衛艦の対応を一方的に非難した。
東京湾口などは謂わばインター近くで、最も交通量の錯綜するハイウェイのようなものである。陸上でも道路建設等のためは個人の権利より公的利害の優先される場合は多々ある。
漁業と海上交通との調整こそ必要で、これと一部富裕層のレジャーであるヨットの航行権を同列に論ずるなど言語道断の思い上がりである。
今回の事件、自衛艦の見張り怠慢が最大の原因であろうことは疑う余地もなさそうであるが、それにしても漁船が真っ二つになるとはよくよくの事である。海難審判の真相究明を待ちたい。
日記9月6日99号印刷代
印刷屋から99号の印刷代金の請求がきました。チェックして窪添龍輝君に送りました。送料ですが,98号からクロネコヤマトの宅急便を使用しています。今回は印刷510部,発送504部で郵送料41060円でした。504部を冊子小包で送ると105,840円になりますので64,780円の節約になっています。なお,飯田嘉郎君と池田道子様(池田誠七君の妻)あてのが住所不明で帰ってきました。消息をご存知の方情報お知らせ下さい。
日記9月5日
本日の山根君の告別式に行った左近允尚敏君から次のメールを頂きました。
『奥さんにご挨拶し付き添いのお嬢さんになにわ会の弔慰金さしあげました。
菊の花がたくさん遺影を囲んでいましたが、供花の札は一切なし、弔辞
もなしでした。樋口、若松、山下(誠)の3君。と佐藤(静)君がきていました。』
多数の参列者だったようで,この他にも行かれたクラスがいると思います。
また,星野道子様(故猪口智君の妹)もお参り頂きました。
)日記 9月5日
昨夜の山根君のお通夜に参列した上野三郎君から次のメールを頂きました。
『全体の参列者の数はつかめませんが会場内で椅子にすわったひとが150名位で、他に室外で立ったひとが100名程度だったようです。我々の供花は木片に72期有志一同となっていた(有志が必要だったかと疑念を感じましたが)名前の書いた木札群は花と別個の所に掲示板を作りに貼り付けてありました、72期の木札は贔屓目が大きく見え、又始めの方に貼り付けられていたのでよくめだちます。なにわ会の参加者は次ぎの7名でありました。
足立英夫、後藤英一郎、高田俊彦(経)、都竹卓郎、松下太郎、山田良、上野三郎 以上7名』(要旨のみ)
他に堀劍二郎君からお通夜に行ってきたと電話を頂いた。多くの参加者だったようで,この他にも行かれたクラスがあったかも知れません。
)山根眞樹生君
今朝午前4時56分山根眞樹生君が逝去されたと連絡がありました。電話連絡網,直メール,HPでお知らせしましt。謹んで哀悼の意を表します。
Commented by 深井
以前もお電話を頂いたり6月の慰霊祭懇親会でお会いしたりして、お話をお聞ききした山根さんが亡くなられた事に大変驚いています。とてもお元気そうでしたので信じられず、残念です。二号の時は伯父と同じ分隊で真珠湾攻撃の報を聞き、一緒に国防の思いを熱くされた事と思います。ご冥福をお祈りいたします。別件ですが9月4日の朝日夕刊イージス審判の記事中に海自OBとして左近充さんのコメントがありました。
コメント有り難うございました。 伊藤 正敬です。
日記9月3日
8月下旬なにわ会のHPを見られた駆逐艦「榧』の軍医長のご子様から次のメールを頂きました。
『貴サイトにて、濱田秋朗氏の「榧は生きている」を読ませていただきました。その中に、次のような文章があります。「しかし、相前後して次々と着任された岩渕艦長・菊地先任将校(砲術長)・与田水雷長・小川機関長・勝田軍医長をはじめとする諸先輩は申すに及ばず、多くの皆さんが私の如きとは比較にならぬ歴戦の猛者揃いであった。」
この勝田軍医長というのは私の父、勝田甫(はじむ)で、戦後東大医科学研究所でガンの研究をしておりましたが、1981年に亡くなりました。私は終戦の年、1945年の11月に生まれ、父は懐かしい榧の思い出を残すために、私に「かやお」(茅生)という名をくれました。
榧という文字を茅に変えたのは、私が女の子だったからです。できればこの濱田秋朗さんと連絡を取りたいのですが、メールのアドレス、もしくはご住所を教えていただけるでしょうか?』
濱田秋朗君に連絡して彼の住所を通知しました。
昨日次のメールを頂きました。
「濱田秋朗氏に早速お便りをいたしました。私がこの春に出しました本のあとがきに父のことを書きましたので、そのコピーも同封いたしました。もしご縁がありましたら、濱田様にお目にかかれたらと願わずにいられません。」
うまく会うことが出来てお父様 勝田軍医長のこと話し合えればいいですね。
# by naniwa
日記9月1日
昨日泉君から耄語碌を頂いてブログに掲載しました。そろそろ最終号をどうしようかと考えています。99号89頁に記載したお願いを読んでご意見をいただけると嬉しいです。また,総員集合についてもよろしくお願いします。
さて,99号はもう全員に届いたと思います。もしまだ届いていない方がおられたらお知らせください。調査し再送します。また,殆どのかた(21年度以降の年会費を前納しておられる方(生存者では,兵の阿久根正,高木亮司,,野村治男 機の上野三郎 経の亀谷 敏明,富田岩芳))を除いて振込み用紙を同封していますので振込み方よろしくお願いします。また,20年度以前の年会費の未納の或る方,未納分の年会費も同時にお願いします。
67期,68期の幹事のかたから99号到着の礼状をいただきました。
Commented by 春日の娘 at 2008-09-02 21:38 x
なにわ会99号受取ました。
ありがとうございます。
今は、一時的に母が上京してきて一緒に暮らしています。
Commented by 伊藤 正敬 at 2008-09-03 05:37 x
コメント有り難うございました。あと1回ですが最終号ですので立派なものに纏めたいと思っています。お母様お元気ですか。よろしくお伝えください。