なにわ会のブログ 20年8月分
8月30日 HPの修正
引き続き次のHPを修正しました。
1 ブーゲンビル島沖の航空戦(瑞鳳に関する桂君の記事)
2 香取の最後(飯田)
8月29日 ニュース到着 74期会報受領
ニュース99号は27日発送,早い所は28日に届き,29日に大体届いたようです。火曜日になっても届かない方はお知らせ下さい。
74期の会報 「江鷹」20年9月号を頂きました。今年の12月に全国幹事会を開いて「会の組織的活動の終結と本会の解散, 本会の諸事業の停止, 解散後の残務処理 全国大会の計画概案}等について審議するようです。
この会報で特に目についたのが訃報の多いことです。このクラスの会報は毎月発行されているのに今回は次の9名の方の訃報がありました。
1 平岡 靖惇君 4月24日没 2 松田 健君 6月13日没
3 柏木 宏之君 6月23日没 4 前野東一郎君 6月27日没
5 及川 博君 6月27日没 6 赤石 忠夫君 7月 9日没
7 今井 明君 7月13日没 8 辻 剛君 7月14日没
9 赤津 敬介君 7月16日没
ちなみに8月号は0 7月号も0 6月号は6名 5月号は1名,4月号は4名 3月号は0 2月号は3名 1月号は0で今年のなって総計23名が亡くなっていました。現在員530名。
KNSの写真
桂 理平君から「比島沖海戦における小沢艦隊(囮部隊)の戦闘という小冊子(B5版24頁)をいただきました。これはKNS会(京都ネイビイ・セブンティ会)の方にに読んでいただきたく作成されたもので,最後の 「あとがき』 1 表紙に使った写真の説明 2 末尾に掲載したレイテ海戦の作戦図面の説明 3 日本ニュース第232号のフイルムは幸運にも生還した 4 お礼を一言 以外はなにわ会ニュース99号に掲載したものと殆ど同じである。
99号完成発送しました。
8月28日 HPの修正 76期会報受領
HPの字が小さく,行間も狭くて見難いので,逐次修正していきます。ついでに関連写真を入れます。今まで次の頁を修正しました。比島沖海戦(池田武邦)・栗田艦隊の反転(左近允尚敏)・野分の最後〈都竹卓郎)・雪風〈中垣)・矢矧〈池田武邦)・梨(左近允尚敏)・かや(濱田秋朗)・鬼怒〈水野行夫)・天津風(山本奮)
76期の会報「生徒館」124号をいただきました。76期は今年11月11日横浜で全国総会・懇親会を実施される。,
クラス会として,25年まで年1回の総会,年2回の会報発行,会員名簿の常時整備,期友の動向把握と関係者への連絡に勤め,その資金として5年間で1万円づつの納入を提案している。
8月27日 なにわ会ニュース99号
なにわ会ニュ ース99号の印刷完了,昨日クロネコ宅急便で発送されました。今度の会報の中に「振込み表」が同封されています。(年会費21年度分を先払いしている方には入れていません)会員(生存者)は総員,ご遺族の方は,21年以降も情報を希望される方は記載金額を振り込んでください。年会費が未納になっている方は未納の分もよろしくお願いします。
宅急便の所要日数を把握したいので,到着したら一言メールか電話いただけると有り難いです。
8月26日 70期だより
70期だより(H20.8)をいただきました。来年以降のなにわ会の情報伝達の資料として参考にしたいと思いますので要旨を転記します。(全10頁)
海軍兵学校連合クラス会全国大会の回顧(4頁)
報告事項
1 荒木政臣教官の奥様のお便りについて
2 海軍兵学校連合クラス会第8回全国大会について
概要と祭文(三浦先輩が読まれたもの)を掲載
祭文はニュース99号に掲載
これから行事案内
第6回國神社永代神楽祭
11月15日(土)1400から
参加希望者は「永代神楽祭参加申込み票」に所要事項を記入,三浦代表幹事あて送付してくださいと書かれている。なお,直会を神楽祭に引き続き國会館偕行の間で行う。(会費2000円)
訃報 伊藤治義君 H20.7.3没
名簿訂正表 H20.8.1現在
8月25日 伊366潜
特四号を自認されている田島明朗氏から次のメールを頂きました。
「本日潜水艦教育訓練隊(研究室長安藤2佐)より電話あり『ニュース72号に掲載されて居る角田氏のイ366の記事を〔潜水艦の友〕に転載したい、ご本人の了解を頂きたいので住所シラ』との事。これに対し『ご本人永眠、ご家族を煩わすよりニュース記事の転載は編集長裁量事項』と返事致しました、従って同人より伊藤様に電話が有るはず、宜敷ネガ〓尚『潜水艦の友』は海自潜水艦部隊向けに潜訓隊が年2回発行する部内誌で、此迄に山田穣、小灘利春氏の論文を掲載しました。」
この記事はHPにも取り込んであり,転載差し支えなしと返事しました。このように活用されることは本当に嬉しい次第です。
8月24日 HP
なにわ会HPには沢山の記事を取り込んでいますが,誤字・脱字があり,また,字が小さくて行間も狭くて読みずらいので,順に修正しています。今までに戦記のうち62個の記事をチェックし修正しました。
8月21日 柿崎実君
2008年08月21日 17時15分08秒 書き込まれた購読会員Aさんのブログhttp://papamama.asablo.jp/blog/を転載します。
柿崎 実中尉#IMAGE|c0130833_2055157.jpg|200808/22/33/|mid|500|375#]
大正11年8月3日生まれ、山形県酒田中学出身。 海軍兵学校72期。
昭和18年9月、兵学校卒業と同時に「瑞鶴」乗り組み。
1年後の19年9月、人間魚雷「回天」の搭乗員として大津島へ。
19年12月21日 金剛隊として出撃 突入の機会なく帰還
20年 3月 2日 神武隊として出撃 作戦変更により帰還
20年 3月28日 多々良隊として出撃 敵の攻撃により損傷(回天が?母潜水艦が?)、帰還
20年 5月 2日 天武隊として出撃 沖縄東方海域で突入戦死
柿崎中尉の人柄や出撃前の様子など、詳細はなにわ会のHPに譲りますが・・・・。
22歳の若者が、どうしてこうも過酷な運命を背負ってしまったのか。
一人の人間に4度も特攻に行かせるその神経とはいったいどんなものなのでしょうか。
19年9月に回天搭乗が決まってから、20年5月に散華するまでの8ヶ月間、彼に心の休まる時間はあったのだろうかと、胸が痛みます。
「敵に勝つには、自分に勝たなければいけない」―こんなことばを残して行った特攻隊員がいたそうですが、柿崎中尉の8か月を見ていると、このことばが切実に胸に迫ってきます。
彼は兵学校2学年時、37分隊で第9銀河隊の深井良中尉と同じ分隊でした。
深井中尉のことを調べているときに、同分隊だった方たちの経歴も調べました。その過程で、この柿崎中尉の壮絶な特攻体験を知ったのです。
(上の写真は深井中尉の甥御さんの深井紳一さんに提供していただいたものです。)
特攻待機している間、彼に、少しでも心休まる時間はあったのか・・・・。そのことが引っかかっていました。
たまたま本屋で立ち読みした『回天の群像』という本に、柿崎中尉の名前が出ていました。
鹿児島知覧の陸軍航空特攻の隊員たちのお世話をした鳥浜トメさんという有名な方がいます。「特攻の母」として映画にもなっているのでご存じの方も多いと思います。
海軍の回天基地の近くにも、トメさんのような女性がいました。 士官用の高級割烹料亭「松政」で働いていた倉重アサコさん。おシゲさんと呼ばれていました。当時、30代後半。
隊員たちからお母さんのように慕われていました。
本によると、最後の出撃の前、柿崎中尉は部下の横田寛一飛曹をつれて「松政」にやってきました。
そこで柿崎中尉は横田兵曹をこう紹介しました。
「母ちゃん、この男はね、今度、おれと一緒に行くことになったやんちゃ坊主だ。小さい時、おふくろが死んでね。だから、母ちゃん、今日一日でいいから、こいつのおふくろになってやってくれんかな」
おシゲさんは、「はいはい」 と返事をし、そのあと、3人で酒を飲んだそうです。
しばらく飲むうちに柿崎中尉が酔って、おシゲさんの膝枕でうたた寝を始めてしまったとか。
「みんな、かわいいのよ。柿崎さんはいつもこうなの。いい人でしょう」
おシゲさんはそう言いながら、柿崎中尉の軍服と靴下を脱がせ、雑巾で足を丁寧に拭き始めた・・・・その様子に胸を突かれた―と生き残った横田兵曹が回想しているそうです。
「こいつのおふくろになってやってくれんかな」 と言いながら、自分が甘えてしまっている柿崎中尉。
なんだか、もう、心中、想像しただけで涙が出てきてしまいます。
柿崎中尉がおシゲさんに残した遺書―。
「おしげさん、母のような気がしてなりません。抱いて下さったときは感無量でした。誰にも負けず、しっかりやります。子供共も一騎当千のつわものぞろいです。私は幸福者です」
8月19日
なにわ会ニュース99号の編集を終わり,必要書類を全部印刷屋に渡し,完成待ちです。
少し暇が出来ましたので,先般購入した兵56期のCDの「海軍回顧録」を逐次パソコンに取り込んでいます。16期先輩で,軍の中枢におられた先輩の記事ですので参考になるところが随分あるようです。
まず。レイテ作戦の時,栗田艦隊の作戦参謀であった大谷先輩の記事をHPにとりこみました。↓をご覧下さい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/56-reite-ootani1.html
「海軍回顧録」はで600頁を超える大作です。ほかにも興味ある記事が沢山ありますので逐次取り込みたいと思います。
日記8月17日
4日ほどブログに書き込むことがなかったので書き込まなかったら,泉五郎君からどうした,元気かと電話を貰いました。コンタスから来た99号のゲラ刷りを見直して要訂正箇所を通知して一段落です。
8月12日 遠藤さん
なにわ会HPをご覧になられた遠藤様から要旨次のメールをいただきました。
『 インターネットを閲覧していて偶然 軍艦鬼怒追悼の辞 を拝読致し一文に父の実名(遠藤 常右衛門)が記載されてあり驚きました。
私が父の戦死を知ったのが12歳の時で戦後2年後でありました。遺骨は白木の一片であったこと、コレヒドール島で戦死の簡単な報でした。当時は混乱の時代それ以上の情報は得られず子供ながら何か不自然さを抱きました。
60年余りを経て偶然に巡洋艦 鬼怒の最後,そして陸戦隊として父以下100余名の将兵の方々がコレヒドール島に上陸した事を拝読しました。 寄稿されて15年経過した今でも寄稿をキチンと保存されていたお陰で60年前の父の消息を知ることが出来ました 貴会の活動に感謝し厚くお礼を申し上げます。
寄稿者 水野行夫 さまにメールを出したいのですが若し貴会でご存知であれば
ご紹介賜わりたい。 連絡を取りたい内容は 軍艦鬼怒の慰霊碑の場所を知りたいことです。』
これを頂いて返事のメールを送ると共に,8月5日のブログに次のように書きました。
「なにわ会のHPをご覧になった遠藤様からメールを頂きました。遠藤様は水野行夫君が書いた「軍艦鬼怒追悼の辞」を拝読され,その中にお父様「遠藤常右衛門様」の名前を発見,驚いてメールを頂いたようです。そして水野行夫君と連絡したいといってこられましたが,残念ながら水野行夫君は逝去しているのでその旨返事しました。
このブログをみた堀劍二郎君,上野三郎君から遠藤さんを知っていると電話があり,お2人を遠藤さん紹介しました。そして遠藤さんは二人と連絡をとられたそうです。
そして本日次のメールをいただきました。
「上野様から9日にメール 同日堀様から電話、そして昨日は手紙で思い出を聞かせて戴き感激致しました。 良き仲間に恵まれて父は本当に果報者であります。
上野様からは初勤務が鬼怒であったことから特別な想いがあること、戦況緊迫する前でボルネオ フイリピン マレーを疾駆していたことを聞きました。 子供の時に聞いた満天の星と南十字星のこと シンガポール ペナン島の美しい港のこと ボルネオに象がいないこと等懐かしく思い出しました。
堀様からは手紙で16戦隊の僚艦浦波 敷波で行動をともにされたこと 父が運用長時代に研究会で顔を逢わせた事 ボルネオからシンガポールまでタンカー早鞆を曳航したこと 平時の今でさえ難作業と思いますのにスゴイ!!
60年以上経った昔の思い出を伺う機会を作ってくださった伊藤様には本当に心から感謝申し上げます 有難うございました。」
このなにわ会のHPは立ち上げたのが平成16年11月末で,現在までに93,825の閲覧記録が残っています。遠藤さんのように,なにわ会会員,遺族会員でない方で関心を持たれてメールを頂いた方が20名もおられて,とても喜ばれています。
もう戦後63年,戦争を軍隊で体験したものは終戦時15歳だったの少年兵でも早や78歳です。
2度とあのような悲惨な戦争を起こさないためにも,このHPは貴重なものと思っています。
8月11日 振り込み表完成
なにわ会ニュース99号に入れる振込み表の作成が終わりました。21年度以降の年会費を前納している方を除いて全員に同封します。購読会員の方にも同封しますので,21年以降も情報を欲しい方(連絡報を見たい方)は振り込んでください。なお,この場合,購読会員の方は会員と同額の5000円を1回限り納付して頂くことになりました。
8月10日
なにわ会ニュース99号の校正終わりました。ただ,2頁の「お知らせとお願い」を修正する必要が出てきて,修正案をつくり,校正担当の窪添龍輝君,都竹卓郎君,年度幹事の左近允尚敏君,上野三郎君に送って意見を求めたところ,左近允尚敏君から適切な意見をいただきました。そのご意見に従って,会員,遺族会員の各人宛の振込用紙の作成にかかりました。約500名ですので大変な作業ですが,当初考えていた白紙の振込用紙同封では分かりにくいと思いますので頑張って作成します。まだ半分出来たところです。
8月9日 ニュース校正受領 振込用紙受領
印刷屋コンタスからなにわ会ニュース99号の校正をいただきました。これからじっくりチェックします。
窪添龍輝君から99号に同封する年会費未納者の振込み用紙をいただきました。
会員25名,戦後物故者遺族15名,戦没者遺族28名,購読会員5名 計73名の振込み用紙作成ご苦労様でした。
8月7日
先日の鬼怒の遠藤様の記事に関連して,昨日上野三郎君,今日堀劍二郎君から連絡を頂き,早速遠藤様にメールしました。堀君コメント有り難うございました。
8月5日
窪添龍輝君から振込み用紙をおくってもらいました。21年以降の経費として振り込んでもらうために9月発行の99号に同封するものです。現在年会費の納入が遅れている方がおられるので,その会員,遺族会員には別の振込用紙を同封する予定です。
なにわ会のHPをご覧になった遠藤様からメールを頂きました。遠藤様は水野行夫君が書いた「軍艦鬼怒追悼の辞」を拝読され,その中にお父様「遠藤常右衛門様」の名前を発見,驚いてメールを頂いたようです。そして水野行夫君と連絡したいといってこられましたが,残念ながら水野行夫君は逝去しているのでその旨返事しました。
HP本当にいろんな方がごらんになってお役に立っているようです。
8月2日
泉五郎君から93号掲載の「米国B29偵察機撃墜」は前に掲載されていたと思うと連絡があり調べてみました。確かに昭和27年発行の会誌第1号に掲載されていました。
今HPに取り込んである記事の誤字脱字を順に調べています。100号掲載用として頂いている林藤太君の「軍神岩佐中佐からの手紙」と殆ど同じ記事がニュース86号63頁にあることが分かり,林君に電話して,掲載しないことで了解をえました。