なにわ会のブログ 20年7月分
7月31日<BR>
先日深井紳一様から頂いた写真,HPにとりこみました。どなたか分からない方も見えますのでお分かりの方は教えてください。<BR>
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杉田政一君が70期の森田先輩と一緒に102日間の世界一周の船タビから帰国されました。非常に楽しかったようで最終号に報告記事をお願いしました。<BR>
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7月30日<BR>
今日は先日亡くなった大山裕正君の告別式があり,年度幹事の左近允尚敏君,同分隊だった宮田實君,航空部隊で一緒だった平野律朗君が参列してくれました。<BR>
昨晩のお通夜に同分隊だった若松祿郎君が参加してくれたとのことです。<BR>
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深井 良の記録<BR>
深井紳一さんから頂いたメールをHPに取り込みました。ただし,写真はうまく取り込めないので本の写真意外はとりこめませんでした。<BR>
↓をクリック(貼り付けて)見てください。<BR>
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukairyou-kiroku1.html<BR>
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お知らせ 横中から海軍<BR>
21分隊深井良の甥、深井紳一です。<BR>
早速ですが横中出身の故深井良と故林慶治氏、そして篠原茂雄氏(ホームページはhttp://www1.ocn.ne.jp/~sshigeo/akatombo1.htm )の13期飛行予備学生時代の写真です。<BR>
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7月29日 横中 <BR>
今年は神奈川県立横須賀中学が出来て100年目,100周年記念行事が盛大に計画されている。私は横中に29期で入学し,2年2学期終わったところで,父親の転勤に伴い佐世保中学に転校した。その後4年初めに東京の攻玉社中学に転校,そこから江田島に行った。そんな関係で現在3つの同窓会とお付き合いしている。さて,横中の同級生から横中から海軍に行った者のことを質問されているので教えてはしいと頼まれ調べてみた。<BR>
16年3月卒業の横中29期から海兵72期に行ったもの8名,そのうち斎藤勝延,佐藤美保,高木滋,粒良久雄,土井輝章,林慶治,深井良の7名が戦死,生存者は加藤壽治だだ1人である。<BR>
横中29期のもので4年から海軍兵学校71期に合格したものが2名,1名戦死,1名戦後病死している。<BR>
横中1期後輩の30期から4年で海兵72期に合格したものは3名で吉成淳が戦死,左近允尚敏,佐藤靜の2名が健在である。<BR>
海軍機関学校53期では大津懿徳が戦後病死,海軍経理学校33期では安藤寿郎,吉田博の2名が戦後病死している。<BR>
このほかに,横中の2期先輩の27期卒の土屋賢一が海軍機関学校53期に入学したが,羽黒で戦死している。<BR>
泉五郎君から頭の体操というプリントを送ってくれた。<BR>
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7月28日 なにわ会ニュース99号発注<BR>
なにわ会ニュース99号印刷屋に発注しました。案外資料沢山あるのですよ。ご参考に書いてみます。<BR>
1 原稿を打ち込んだCD(112頁分)<BR>
2 写真(一応はパソコンに取り込んでありますが,元の写真を印刷屋に取り込んで貰ったほうが綺麗になりますので,元の写真を渡しています。)<BR>
3 送付用ラベル(499枚)<BR>
4 送付チェック用送付先一覧表<BR>
5 他のクラスへの挨拶状<BR>
印刷屋でゲラずりをつくり,私のところに送ってきて,校正します。<BR>
夏休みの時期が入るので発送は9月になるでしょう。<BR>
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昨日74期の会報をいただきました。<BR>
来年(21年)12月実施予定の江鷹会解散全国大会の計画案として,つぎの大会行事が考えられています。 <BR>
1 海上自衛隊音楽隊演奏 2 総会・懇親会 3 有志國参拝 4 記念品(音の記録のCD)配布等<BR>
「花の35分隊会幕引きす』と題しての記事があった。<BR>
72期が1号(生存者は池田武邦,谷口好輝の2名)74期が3号の分隊である。<BR>
20年5月30日幕引きの分隊会を行っている。<BR>
参加者は会員12名,家族・遺族18名の30名(うち72期関係は6名)。<BR>
昭和43年に第1回の分隊会を行い,以後47年を除いて毎年1回実施し今回が40回目とのことである。<BR>
伍長であったの池田武邦君は次のように述べている。<BR>
「40回目を迎えた花の35分隊会は,戦後における海軍兵学校出身者の分隊会として誰もが認める最も模範的存在となった。その原動力となったのは3号生徒の団結力と分隊幹事ご夫妻の慈愛に満ちたお人柄とご健在のお陰である。これらの恩恵を最も享受した1,2号生徒は,ここに深く感謝する。」<BR>
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大山 裕正君逝去<BR>
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氏名 大山 裕正 君(名簿 8P) <BR>
平成20年7月26日(土)肺炎で逝去<BR>
御通夜 20年7月29日(火)1800〜<BR>
告別式 7月30日(水)1100〜<BR>
斎場 一休庵久保山式場<BR>
〒220-0063 横浜市西区元久保町3-13<BR>
電話 045-231-1919 <BR>
Fax 045-231-7619 <BR>
喪主 長男 大山芳史 様<BR>
HP掲載すみ<BR>
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7月25日<BR>
毎日暑い日が続いていて参りますね。<BR>
今日窪添龍輝君から入金報告が送られてきました。窪添龍輝君はパソコンをビスタに変更されたので,添付されたエクセルがそのまま開けず,慌てましたが何とか取り込めました。これで99号全部まとまりました。来週印刷屋に発注します。<BR>
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7月23日 海軍兵学校56期<BR>
海軍兵学校56期卒業生の二世の会である「ごむの木会」が父親の作った「海軍回顧録」及び「昭三会追悼録」をCDに取り込みました。どんなものか参考にしたく,申しこんだら,本日CDを送ってもらいました。<BR>
「海軍回顧録{の目次の概要は次のとおりで,約600頁の内容です。。<BR>
第一編 海 軍 生 活 の 回 想(11編)<BR>
第二編 海軍勤務あれこれ(11編)<BR>
第三編 支那事変その他(6編)<BR>
第四編 大東亜戦争戦記<BR>
第一章 緒戦期の諸作戦〈6編)<BR>
第二章ミッドウェイ海戦とアリューシャン作戦〈5編)<BR>
第三章 ソロモンの激闘とマリアナ沖海戦〈8編)<BR>
第四章 捷一号作戦を中心に〈8編)<BR>
第五章 沖縄特攻作戦その他(10編)<BR>
第五編 終戦から復員まで(7編)<BR>
第六編 戦後の再起・回想(12編)<BR>
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「昭三会追悼録」は戦死された45名の方の思い出を纏めたもので,77編の記事が収められています。<BR>
膨大のもので,まだ,ほんの一部を拝読しただけです。<BR>
以下, 「ごむの木会」のメールです。興味のある方は直接申し込んでください。<BR>
『 父達の世代は、海軍の中枢として働き盛りの30代後半に終戦を迎えたわけですが、その後それぞれの生活が落ち着いてきたころに「海軍回顧録」を、編纂・発行いたしました。その回顧録を我々ジュニアがCD版としてまとめましたが、我々ゴムの木会関係者だけではなく広く皆様に読んでいただけたらと思います。
興味のある方に購入いただけたらと考えて、誠にぶしつけとは存じますが、このHPあてメールさせていただくしだいです。<BR>
1枚1000円でお分けいたしておりますが、詳細は、ゴムの木会・会員 <BR>
辻本 勝 msr-tsj@ju.ejnet.ne.jp<BR>
宛てメールいただければ幸いに存じます。<BR>
以下に、CD版前書きをコピーさせていただきます。<BR>
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「海軍回顧録」及び「昭三会追悼録」 CD版の作成にあたって<BR>
このCD版には、昭三会編「海軍回顧録」及び「昭三会追悼録」が収録されております。<BR>
付録として「昭和3年度練習艦隊巡航記念」写真集から資料を抜粋して掲載しました。<BR>
昭三会とは、昭和3年3月に卒業した海軍兵学校第56期、海軍機関学校第37期、
海軍経理学校第17期の連合クラス会です。<BR>
「海軍回顧録」及び「昭三会追悼録」は、昭和45年10月に発行され、非売品と して会員に配布された冊子です。「海軍回顧録」は、昭三会会員が海軍生活、特に大東
亜戦争の体験を主題に、海軍・軍学校時代から戦後に至る貴重な体験・追想記を集めた、 600頁あまりの冊子です。「昭三会追悼録」は、戦争等で亡くなられた昭三会会員を
追悼した文集です。「海軍回顧録」と併せて発行されました。<BR>
「海軍回顧録」及び「昭三会追悼録」には、大東亜戦争時に海軍の中堅として海で 空で陸で、ある人は最前線の戦場で、ある人は作戦を指導する司令部で、指揮官、幕僚、
あるいは乗組員等として、歴史のひとこまひとこまの動きの中で活躍した体験と所感が 集大成されております。これらは貴重な歴史・戦史の資料であり、今の我々には実体験
できない戦場の実情が豊富に盛られています。 敗戦から60年、豊かで平和な今日からは当時の状況は想像もつかない過去となり つつあります。執筆された方々のほとんどが他界されました。このままではこれらの貴重な資料は忘れ去られてしまいます。<BR>
「ごむの木会」では、有志が慣れない手つきでパソコンのキーをたたき、「海軍回顧録」及び「昭三会追悼録」を電子文字に変換しました。入力ミス等による原文との違い
が随所にあるとは思いますが、CD版として残すことにしました。 なお、「ごむの木会」とは、海兵56期卒業生の二世の会です。 「海軍回顧録」及び「昭三会追悼録」は、原本に『無断転載を禁ず』とあります。<BR>
論文等に引用される場合は、出典、原執筆者を明らかにしてご活用下さい。』<BR>
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7月22日<BR>
杉田君から墓参写真集について葉書をもらいました。当方の意向を理解頂きホットしました。<BR>
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7月21日<BR>
都竹卓郎君からレイテ海戦(3)の最終版をいただきました。これで入金報告を除いて原稿は全部揃いました。<BR>
ニュース99号,9月上旬発送を予定しています。前号98号でお知らせしたように,特別の方を除いて1部ずつ発送させて頂きます。特別の事情があって2部以上欲しいほうは事前にご連絡ください。<BR>
泉五郎君から100号用の原稿3編頂きました。100号は最終号ですので,総員の投稿を期待しています。よろしく協力ください。<BR>
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7月20日<BR>
桂理平君から戦記ものについて,校正等協力しますというお言葉のメールをいただきました。今までのいきさつを再度書いて返事しました。<BR>
HPのTOP頁を整理しました。<BR>
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7月18日<BR>
窪添龍輝君,佐丸幹男君から2回目の校正がかえってきました。都竹卓郎君のレイテ海戦の修正もいただきました。これであと入金報告くれば99号が纏まります。<BR>
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7月16日<BR>
山本省吾君から改めて意見をいただきました。そして,奥山壽一君からも頂きました。ご遺族の小灘様,深井様からもご意見を頂きました。
7月15日
杉田繁春君の件に関し,上野三郎君から電話で意見を頂きました。その後,樋口直君にも電話して意見を頂きました。これらの意見を勘案してどうするか決定します。
折角,ニュースの様式で20頁に取り込んだので,取りあえず杉田君に郵送しました。まだご意見いただいていない方,反対意見でも遠慮なくお寄せください。
編集を引き受けてから,早や,丸7年が経過し,既に14回のニュースを発行しました。編集作業には慣れてきて,記事も良く集まるので,何とか続けられていますが,会員からの投稿や提案について,出来るだけその意見を尊重して作業にかかっていますが,その後,その記事の掲載や作成に反対の意見が出てきて中止したものがかなり出てきています。
15年発行の名簿から4年経過したので新しい名簿を作ってほしいとの要望があり,取り掛かったところ,その必要はないのではとの意見出てきて中止しました。
戦記ものを纏めた出版したらとの意見もあり,作業にかかったら,出版する価値に疑問がありとの意見が出てきて中止しました。
なにわ会ニュースの最初から最後までの索引表を作ってはどうかとの意見もあり,取り掛かったところ,古いニュースを持っている会員は限られているので,作ってもあまり利用されないだろうとの意見でこれも中止した。
このように,振り返ってみると,新しい提案が出てきた時,すぐ取り掛かるのでなく,,それに取り掛かる前に,何名かの方に相談にのって貰い,その意見から取り掛かるかどうか決めていきたい。幸いパソコンに親しんでいる会員が大部増えてきたので,その中の何名かに相談相手になって貰いたい。そして,必要な時には集って貰って相談に乗ってもらいたい。
何名かの方の協力をお願いしたく立候補お願いします。
7月14日
昨日の杉田繁春君の件の関連して,山田良彦君,泉五郎君,山本省吾君,遺族の深井紳一様からご意見を頂いた。杉田繁春君には取り込んだ19枚を手紙で送ってみてもらうことにした。
さらに多くの方のご意見をお待ちしています。
都竹卓郎君から1回目の校正が戻ってきました。
ニュース99号発送用宛名ラベルの印刷を終わりました。
ブログ20年6月の分を整理してHPに取り込みました。
杉田繁春君の墓碑参拝写真
8日のブログに書いた杉田繁春君の墓碑参拝時の写真73名分146枚取り込み終わり,1頁に4名分を入れてみました。↓はその写真に添えられていた杉田君の手紙です。
「昭和63年から戦没期友の仏(祭り)壇拝礼のため、ご遺族様宅を訪問していたが、五十回忌が近づき墓参を決意、日帰り可能範囲を名簿から80余名を抽出し、墓地所在地を電話、手紙でお尋ねしたところ、73名が可能と判明、出来るだけ命日前後に墓参する計画を立てた。
そして、ご遺族様と日時、ご宗教等を打ち合わせしてお伺いした。ご遺族様には交通の便のご手配等筆舌に尽くせないお世話になり無事目的を果たすことが出来た。誠に有り難く、終世忘れ得ない次第である。
このご遺族様の厚いご芳情を無にすることなく、これにお報いするためにも、また、会員諸兄にせめて墓碑の写真を見ることにより戦没期友に会って頂きたいという一念を果たすためにも、この寄稿を決意した次第である。
この写真は小生一人が独占死蔵することは、戦没期友やご遺族様に申し訳ないことだと考え、ニュースを介して諸兄にも公開しなければならないと思ったのが本件寄稿の真因である。」
杉田繁春君から上記のような手紙と73名の戦没期友の墓参写真を各2枚頂いた。機関科の岸君以外、兵科335名の戦没期友の約22%にあたる72名の墓地を訪問参拝されたことは本当大変なことであり、心から敬意を表する次第である。さて、これをどのようにしてニュースに取り込むか、熟慮した結果、1頁を4段にして1段に写真2枚と説明を入れることにした。これにより、19頁に収めることが可能になった。ニュースの最終号に相応しい寄稿と考えられるので、是非纏めることにした。
そのうち20名分(5頁)を別途メールで送るので,ご覧になってご意見いただければ幸いである。
7月11日 ニュース99号校正
なにわ会ニュース99号おおむね纏まりましたので,2回目の校正のお願いを発送しました。
112頁に纏めました。
都竹卓郎君の大和環境から見たレイテ作戦その3,やっと入手しました。これで99号の原稿はあと入金報告を待つだけになりました。
7月8日 杉田繁春君の戦没期友の墓参
杉田繁春君の戦没期友の墓参報告については,なにわ会ニュース86号80頁に掲載されているが,彼が訪問した79名の戦没期友のうち73名の訪問時の墓標等の写真を杉田繁春君から最終号100号掲載の材料として送ってくれました。これをどのようにして100号に取り込むか研究します。
全部で戦没者73名分146枚あります。
7月8日
市瀬文人君から毎熊祐俊君に入れる写真を送ってもらいました。
平野律朗君から記念誌に関する意見,深井紳一様から記念誌の印刷についての業者の紹介を頂きました。
村山隆君から山下武男君の住所変更をもらいました。
7月7日
昨日に引き続きHPに98号掲載の次を取り込んだ。
1 大和艦橋から見たレイテ海戦(その2)
2 春日 仁君の記事(渡邉望・泉五郎・遺族)
3 伊藤孝一君の記事,
4 村上義長君の記事
次の記事を山本省吾君の協力で字を大きくし,行間を広くして読みやすいように取り込みなおした。
1 桂理平君の 比島沖海戦における小沢艦隊(囮部隊)の戦闘
2 左近允尚敏君のなしの戦闘
7月6日 HP
京都の山本君からメールでHPに取り込んであるのが見にくいので,文字を大きく,行間を広く修正してはどうかとのコメントを頂いた。そして99号掲載予定の桂理平君起案の比島沖海戦囮部隊の記事を修正して送ってくれた。そして気がついたら98号の記事はまだHPに取り込んでいないことに気がついた。
そこで桂理平君の記事と山田穰君の岩本修君の記事をHPにと取り込んだ。字を大きくし行間を広くしたので見やすくなっていると思う。
7月5日 投稿受領
新庄浩君の「沖縄戦慰霊祭に参加して」と市瀬文人君の「毎熊祐俊君のこと」を受け取りました。あと,都竹卓郎君の投稿で99号締め切ります。
佐丸幹男君から99号1回目の校正が戻ってきました。
7月4日 記念誌の件
先に提案した記念誌の件。
我々の戦争体験を纏めて冊子として発行することを企画したが、発行する価値は低いということで取りやめたところ、一部の会員から是非発行すべきだという意見がでてきた。そこで十数人の会員に再度意見を求めた。 その結果、すでに本や雑誌の記事になっているものが少なからずあること、会員が高齢になっていること、タイミングとして遅きに失していること、少なからぬ経費がかかること、関心を持ち購読する会員、遺族会員は少ないと予想されること、編集担当者自身が完成まで担当できるかどうか、年齢から見て自信が薄くなったことなどを勘案して最終的に発行しないことに決まったのでご了承を得たい。この件,99号に掲載する。
日記7月3日
先日お願いしたメールの返事を,会員の岩松重裕・左近允尚敏・樋口 直・溝井 清・山本省吾・泉 五郎・阿久根正の諸君と遺族会員の加藤康人様・深井紳一様からいただきました。泉五郎君から何名の方に送られたメールのような意見もあり,どうすべきか迷っています。もう,HPに取り込んでありますので,出版は諦めた方がいいような気もします。
加藤康人様のメールにあったように片岡紀明氏の「最後の海空戦」には後藤英一郎・都竹卓郎・伴弘次・長山兼敏・池田武邦・山田穰・田中宏謨・小灘利春・平野律朗・斎藤義衛の10君の体験談が掲載されており,そのほかにも図書として出版されている内容もおり,泉君が言うように2番煎じ,3番煎じになり兼ねないとも考えられます。
左近允尚敏君の意見にあった戦記の中のどれを選ぶかも大変な作業であり,最近の体調から無理せず,何とか100号までは責任を果たしたい気持ちもあります。
山田良彦君から意見を電話でいただきました。歳を考えて無理するなといわれました。
これらを含み,まだご意見いただいていない方,ご意見よろしくお願いします。
HPのリンクの頁でリンク切れがありましたので訂正し,加藤君の提案でリンク先を一部変更しました。
窪添龍輝君から99号の1回目校正をお願いしたのがもどってきました。
新庄浩君から明日投稿を送るといってきました。あと都竹卓郎君の投稿を待って99号まとめます。
7月1日 海機40期 木山正義氏 逝去
海機40期 木山正義氏には6月22日朝、99歳の白壽で逝去されました。
木山先輩は、元日本燃料社長、褐エ書房、鞄本科学研究所、日本車輌椛シの創立者として多大の功績を残されました。 海軍関係では、水交会会長、御苑会会長、海防艦の会会長、その他各種の会の要職を勤められました。
s細部はhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~tangoy/frm3a.htmlをご覧ください。
先に白紙に戻したという記念誌の発行について,是非作成してほしいとの意見があり,どうするか会員,遺族会員のご意見を徴したく,99号に意見を徴する葉書の同封を考えています。
会員,遺族会員にお尋ねのメールをおくりました。返事よろしくお願いします。