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なにわ会のブログ 20年5月分

日記5月31

大森茂君のご遺族から姪の山崎明子さんが慰霊祭に追加参加したいとの申し込みがありました。田辺真次さん、田辺ます子さんのお2人が欠席に変更されました。

これで昇殿参拝は179名,懇親会は148名になります。

74期の談話室を覗いていたら,平成20年5月27日に行われた北海道 全海軍慰霊祭の記事があり,その中にクラスの右近恒二君の写真があったので転載する。

中央右近恒二君,両側は74期の前田,佐賀両氏。

71期前田孝正氏(2学年 26分隊) 20523 逝去(71期HP参照)

75期のHPにあった記事です。

浜田(星野) 秋朗 大尉(72期) 

4年程前、紐育郊外に数ヶ月滞在中、一日思い立ってワシントンの一日観光に参加した。

20数名の日本人だけの団体旅行であったが、その中の一人をつかまえて世間話をしているうちに、 「私は戦争中、二度 乗艦を沈められましてね。最初は球磨で、沈んで5時間程泳ぎ、次は名取で-----

 「えッ、名取で、すると松永さんの先任将校の------

 「あの本には星野という名で、写真ものっているでしょう」

 浜田さんは娘婿が商社勤務で紐育郊外に住んでおり、長く勤めた山陰方面の銀行の役員を退任された機会にご夫妻でアメリカに遊びにきておられるとの事であった。

 精悍な美丈夫で頭の回転の早い人である。いつか松永さんに「「先任将校」に書かれている航海士は随分優秀のようですが」と、おききしたら「兵学校を10番前後で出るような人はやはり違うよ」といっておられた。なるほどと納得した。

日記530

左近允尚敏君から機関科椎野 廣君体調不良のため,慰霊祭欠席と連絡がありました。これで慰霊祭昇殿参拝180名,懇親会参加149名になりました。

日記529日慰霊祭参加者名簿

昨日慰霊祭関係書類をチェックし,追加訂正しました。先日HPに掲載した名簿が見にくいので,HP用の参加者名簿を別途作成しました。HPを開いて見てください。

参加者は次のとおりです。昇殿参拝(懇親会参加)

会員 兵 66(63) 機 11(11) 主 12(11) 計89(85) 

遺族 兵 86(63) 機   6(2) 主  0(0)  計92(65)

総計 181(150)

小灘さん(小灘夫人)から99号への寄稿の校正を返してもらいました。

74期の会報 江鷹6月号を頂きました。

その中に今年の4月7日に行われた海上特攻第2艦隊戦没者追悼式に参加しての記事があり,「第2艦隊代表として元巡洋艦矢矧士官・72期の池田武邦氏の挨拶があり、「共に戦い惜しくも散華された将兵の方々を思い,図らずも生き残った者の責務として後進の指導に全力を尽くしたと述べられたが,その言葉どおり見事に実践しておられるので一層感激したと書かれていた。
最後に訃報があったが,3月20日から4月22日の間に6名の方が亡くなっておられる。

左近允尚敏君から慰霊祭の返事の追加を送ってもらった。次の5通である。

1 辻 滿壽夫  小生薬剤師として薬局を経営しています。当日都合で,出席出来ません。

2 村瀬 信義  昨年から肝臓がんで治療中のところ,追加治療のため入院見込みとなったため欠席に変更します。

3 高橋 義人(義郎の弟)  総合病院の非常勤勤務を続け,身辺に特別の変化ありません。

4 山科  彰(享の甥)    記事なし。

5 植村 恵子(大杉保夫の姪) 記事なし。

日記5月28日永代神楽祭

年度幹事左近允尚敏君から永代神楽祭を引き受けたという↓の書類が國神社からきたと送ってくれました.

日記5月26日

上原庸佑君の遺族(弟)横川康春氏から慰霊祭・懇親会参加の電話があり,懇親会参加者が151名になりました。

5月26日現在の慰霊祭参加予定者名簿をHPに掲載しました。

次をクリック(貼り付けて)して見て下さい。

会員  http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/ireisai-kaiin1.html

遺族  http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/ireisai-sanka-izoku.html

by naniwa-navy | 2008-05-26 20:17 | 日記 | Comments


日記5月25日

先日書いた慰霊祭参加予定者の変更です。

1 久米川英世君はご夫婦で参加

2 富田岩芳君 追加参加

5月25日現在の参加予定員数

会員         遺族          合計

 参拝・懇親会・参拝・懇親会・参拝・懇親会

兵・6764・・・・・8562・・・・152126

機・1111・・・・・6・2・・・・・1713

主・1211・・・・・00・・・・・12 11

計・9086・・・・9164・・・・181 150


日記5月24日慰霊祭返事追加

年度幹事左近允尚敏君から慰霊祭の返事の追加を頂きました。

小灘郁子様(利春の妻)から「想い出の記」を頂きました。99号に掲載します。

広瀬中佐の胸像

なにわ会ニュース97号でお知らせした広瀬中佐の胸像献納募金について連合クラス会から報告がありました。募金集計2344千円。胸像設置に必要な費用を超えましたので,その超えた金額は広瀬中佐顕彰活動を続けている大分県竹田市広瀬神社竹田会に寄付したと付記されていました。応募者は約670名。うち72期関係の応募は77名(そのうちご遺族39名)でした。多数のご応募ご協力有り難うございました。

日記5月23日

昨日書いた慰霊祭の返事がないものの記事に誤りがありましたので訂正しました。大谷君コメント有り難うございました。吉江幹之助君 平成17年1月2日逝去されていました。

桂君から瑞鳳の記事の校正を返却してもらいました。最近パソコンの立ち上がりが遅いので,パソコン内の写真をCDに移してみました。

慰霊祭参加予定者のうち,村瀬信義君が体調不良で欠席に変更との連絡があり,参加予定者は次のとおりとなりました。

会員         遺族          合計

 参拝・懇親会・参拝・懇親会・参拝・懇親会

兵・6663・・・・・・8562・・・・・151125

機・1111・・・・・・6・2・・・・・・1713

主・1110・・・・・・00・・・・・・11 10

計・8884・・・・・・9164・・・・ 179 148

日記522日パインなにわ会写真

19日の日記にパインなにわ会の記事を上野三郎君から頂いた旨書き込んだら,大谷友之君から参加者の写真を見たいと電話がありHPに取り込みました。

次の2枚です。

左より平野()、山田(良彦)、上野、應、池田()、森園、浦本、新庄

左より村山、左近允、足立()、後藤()、藏元、深尾、應、野崎、相澤

 

兵科次の18名の方 小野義市、鈴木 彊、多胡光雄、高木亮司、竹森 潔、谷口好輝、十時正敏、名村英俊、中村元一、楢村明聖、西尾 豊、浜田秋朗、原田敏郎、平野芳徳、藤田直司、諸橋 久信、矢田次夫、横田敏之、 機関科次の4名の方 阿部 順男、岩間正春、海原 文雄、森川 恭男、  主計科次の1名の方 冨田 岩芳

合計23名の方から返事を頂いていません。体調でも悪いのか心配です。

近況お分かりの方ご一報ください。

日記5月19日

パインなにわ会の記事を上野三郎君から頂きました。

日記5月18日

5月18日現在の慰霊祭参加予定者名簿をHPに掲載しました。

昇殿参拝 会員89名 遺族90名 計179名(昨年は会員86名 遺族71名  計157名)

懇親会  会員85名 遺族65名 計150名 

日記永代神楽祭

昨日年度幹事の左近允尚敏君と会計担当の窪添龍輝君が國神社に行き,永代神楽祭の申し込みを完了したと知らせがありました。


日記516

山田 良君から次の情報をいただきました。

『高嶋 肇君(20年328日南支那海で戦死・偵察)の遺影が國神社の遊就館内19号展示室内に遺影パネルNo86 3列の11番目に飾られた。』

 磯子でのゴルフ アドミラル会に参加しました。この会は海軍時代のゴルフ会を引き継いだもので,現在残っている唯一の会です。現在は私が会長で会員は機52期が1名,兵72期1名,あとは兵77期,78期が各10名ぐらいです。今回は12名集まりました。この会には昔は72期も12名ぐらい参加していましたが現在は私一人です。5月に磯子,9月と12月に葉山で行っています。

日記515

國神社慰霊祭参加予定数次のとおりまとまりました。

平成20年度慰霊祭参加者数

平成20年5月15日現在

 Aは昇殿参拝 Bは参拝のみ

 Cは懇親会

- - Cの順

生存者

兵  67364

機  11011

経  11110

計  89485

ご遺族

兵  842163

機  6ー 42

経  0ー 00

計  902565

合計17929150

最後ということもあって参加者は昨年の1割増しです。

湘南CGC(上野三郎)

今年第1回の湘南CGCが5124名の参加で予定通り実施された。

参加者: 山田良彦、椎原国康、平野律郎、上野三郎 

天候:曇り 気温:1115℃ 風やや強し 12日の前後の日は雨が降ったのでラッキーだったと言える

スコア(インーアウト) 年齢並みスコア 略

山田(力を入れないスイングだが正確で距離が結構伸びる)

椎原(相変わらず力強いショット、アプローチも正確)

平野(しなやかな優雅なショット、3回ばかりオーナーをとる)

上野(バンカーで苦しんだ、気を付ければ120切りは夢でない)

戦い済んでアルコールで喉を潤おす(大半の費用は平野氏のオネストジョンの罰金で

贖う)CGCのメンバーも減りに減り淋しくなったがお互いプレー出来ることに感謝し第2回を目指し精進しょうと締めくくった。

(備考)当初伊藤正敬、小林 勝君も参加の予定だったが都合で不参加となり1組での開催となる。

日記513

20年慰霊祭の返事の葉書のコメント,HPにとりこみました。ご覧になってください。

20年慰霊祭参加予定者名簿,HPに取り込みました。

日記5月12日

平成20年度國神社参拝慰霊祭参加者予定数(5月12日現在)まとまりました。次の表のとおりで昨年をわずかに下回っています。参加予定者名簿,作成したらHPに掲載します。

 Aは昇殿参拝Bは参拝のみ

 Cは懇親会Dは懇親会のみ

        A  B  C

生存者  兵 69  3  66

      機 11  0  11

      経 11  1  10

  計     91  4  87

ご遺族   兵 63 22  41

      機  4  4   0

      経  0  0    0

  計     67 26  41

 合計   158  30 128

慰霊祭の返事の近況打ち込み終わりました。これから読み直して近くHPに取り込みます。

日記510

桂理平君から『比島沖海戦における小沢艦隊(囮部隊)の戦闘』の寄稿をいただきました。

65日の慰霊祭の参加予定者大体まとまりました。昨年を若干上回ります。

5月度歩こう会(上野三郎)

5月9日(金)薄曇、気温1723℃と絶好のウオーク日和に恵まれ新緑の富岡総合公園(旧横浜海軍航空隊跡)の散策を10名の参加者でワイワイ、ガヤガヤ楽しんだ。JR 杉田駅に1100集合、バスにて鳥見塚下車、富岡総合公園に入る。

此の地は横浜海軍航空隊基地があった所で旧正門、草鹿氏書の「題浜空」碑、浜空神社等で往時を偲ぶことが出来る、昭和17年浜空で鍛えられた500名が南太平洋の島で玉砕したとの記述には胸を打たれた。説明板にあるように此の公園は旧水際線の雑潅木が残り鬱蒼と茂っている、その間をくぐり抜けての見晴し台よりの眺望は見事であった。(曇天の為千葉方面は見えなかったが)此処で集合写真を撮る。

後列 品川夫人 上野三郎 深尾夫人 加藤夫人  

前列 伊藤夫人 足立之義 幸田正仁 足立夫人

上野三郎 幸田正仁 高田俊彦

足立夫人 深尾夫人 品川夫人 加藤夫人

埋め立て地に建てられた高層住宅群と林の間は芝生の公園になって居り其処では元気一杯遊んでいる幼稚園児やあかちゃ連れの親たちの群れがあり、つわもの共の夢の跡も今は平和だなーと感じた。公園を抜けた所の長昌寺(直木三十五のお墓あり)、慶珊寺に参詣、近くに「孫文先生上陸之地」の岸さんの字になる大きな碑があった。(胡錦濤さんは折角神奈川県に来るのならば此処に来るべきだったの声が聞こえた)

慶珊寺を出て少し登ると直木三十五旧邸の玄関近くに文学碑があり「芸術は短く貧乏は長し」と刻まれていた。あと富岡八幡宮に詣で、遅い昼食をすまし1500解散。

本日の歩行数ドアーツドアーで11,869歩立派な距離を歩いたものだ。


Commented by naniwa-navy at 2008-05-10 21:43

この横浜航空隊は昭和17116日,父伊藤義一が特務艦鶴見艦長に補せられ,ラボールに向け飛び立った飛行場である。当時の日記は次のとおり。『午前3時起床。415分見送りを受け飛行場に向かう。まったくの暗夜。450分着。525分休憩所発。皆と握手の別れをして乗艇。5時半出発。午後2時半サイパン着。・・・』

 Commented by あらい(購) at 2008-05-11 08:50 x

いつも歩こう会の記事&写真、楽しみに見ています。近所だったらついて行きたくなるような記事ばかりです。

9日は歩きやすそうな気候でよかったですね。これから先は暑くなるので、熱中症対策、日焼け対策ばっちり行った上で、歩こう会を楽しんでください。次の記事も楽しみにしています。

浜空の跡地には碑や神社が残っているとか。海軍の航空隊に関心があるので、機会があったら行ってみたいです。

日記5月9日

今日は次の記事の訂正を行いました。

1 米艦隊のパイロット(野村治男君寄稿)

2 ニヤボートにかけた青春(豊廣 稔君寄稿)

3 ブーゲンビル島沖航空戦と空母冲鷹の遭難について(桂 理平君案稿)

年度幹事左近允尚敏君から慰霊祭の返信の葉書と先日のパインなにわ会の写真をいただきました。整理して名簿を作ります。まだ返事を出していない方,早速出してください。

今日は湘南歩こう会がありました。また上野三郎君の寄稿を期待しています。

日記5月8日

どうも風邪がスッキリしません。今日も点滴してきました。そんなことで5月12日参加予定の湘南CGCを断りました。

昨日河合不死男君に姉孫の加藤さんから索引表の利用についてメールを頂きました。

次の利用法が考えられます。

まず索引表を印刷しておく。

索引表で探したい文書名を調べる。

その文書名を打ち込むと大抵探している文書が見つかります。

ご利用ください。

今日故藤井伸之君のご令室から要旨次の葉書を頂きました。

「久しぶりに娘がメールをチェックしましたら,毎熊様ご逝去のメールを頂いた由,なにかとご多用中お知らせいただき感謝申し上げます。・・・・」

会員には連絡網で流していますが,遺族の方には流せる連絡網を設けていません。

そこで訃報は連絡網のほか平行して次の方法でも流しています。

1 HPの訃報

2 ブログの掲示

3 メールアドレスが分かっている方(携帯電話の方も含む)には直接メールで。

ご自分でパソコンのメールをされない方でお家族(子供や孫)がメールされる方は私宛1通メールいただけばその方にメールでお知らせします。

また携帯電話でメールされる方,1通私のパソコンにメールください。

同様メールでお知らせします。

今日は次の寄稿を修正しました。

1 米偵察機B29撃墜(相澤善三郎寄稿)

2 パラオ恋しや(伴  正一寄稿)

3 挽歌の海(小河美津彦寄稿)

 

 

)日記5月7日

HPの記事,本日は次の寄稿を訂正しました。

1 戦時中の思い出・ミンドロ島突入作戦(足立之義寄稿)

2 軍艦酒匂始末記(阿部 達寄稿)

3 神の池 今昔(安藤  満寄稿)

4 駆逐艦天津風(山元 奮寄稿)

 

慰霊祭参加予定者

左近允尚敏年度代表幹事から頂いた慰霊祭参加予定者について

 

会員 単身 65 同伴(7)14 計79人

遺族 (故人30人)         53人 

                合計 132人

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参拝のみ  会員5 会員夫人1

        遺族(故人21人) 31

                   計 37人

欠 席 会員 75 遺族77  計152人

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     回答者283人です。

 

昨年の参加者は 会員86 遺族71 計157でほとんど同じです。

 

日記5月6日

HPに取り込んでいる記事を見直しています。正月の湘南なにわ会でお会いした投稿者の方に校正をお願いしていました。返却された分を逐次訂正していきます。

今まで,次の寄稿を訂正しました。

1 独潜始末記・木村貞春君と共に(幸田正仁君寄稿)

2 大和特攻余話(山根眞樹生君寄稿)

3 潜水艦戦に散った期友に捧ぐ(山田良君寄稿)

4 運命の伊33潜と艦長の英断(小西愛明君寄稿)

5 バリックパパンの陸上戦闘(旭 輝雄君寄稿)

6 海竜(大谷友之君寄稿)

7 笹川 勉中尉の殊勲(大谷友之君寄稿)

自分の寄稿文がHPにあるかた,要訂正箇所を教えてください。正しい記録を残しておきたいのでご協力お願いします。

 

日記54

購読会員のブログに次の記事がありましたので転載します。

「神野正美さんの『空母瑞鶴』を借りてきました。

瑞鶴のご真影運び出しの詳しい状況がわかりました。

総員上甲板命令が出てから、副長からご真影の運び出しの命令を受けたのは庶務主任の大畠永弘さんです(当時、少尉か?)。

戦闘開始前に最下甲板の高角砲発令所に移してあったお写真を、艦橋から取りに戻ろうとしたけれど、下から上がってくる機関科員、応急員のために難儀していたところ、一人の兵隊が箱入りのお写真を持って上がってきてくれたそうです。

副長附甲板士官だった足立喜次中尉(兵72期)も貝塚艦長から「お写真を上げろ」と命令され、甲板下へ向かったそうですが、下から上がってきた兵員に、「お写真は上に上がった」と教えられ、下には行かなかったようです。

総員退艦のときになって、左舷甲板上にいた大畠さんと足立中尉は一緒に海に入ります。足立中尉も艦長にお写真のことを命じられていたことから、お写真を背負っていた大畠さんと一緒にお写真を守ろうと思われたのではないでしょうか。

重油の海を泳いでいると、『初月』が救助にきました。しかし、お写真を背負っている大畠さんや足立中尉には気づかずに、泳いでいる人間の三分の一ほどを救助して去っていったそうです。

このとき取り残された人たちはどんなにがっかりし、絶望したことかと思います。 そのまま2時間ほど、うねりに身を任せて材木につかまっていると今度は『若月』がやってきました。 大畠さんは、今度こそ乗らねば、と思ったそうです。

「足立中尉、泳ぎましょう」

「よし泳ごう。お写真は大丈夫か。おれが持って行こうか」

「大丈夫です」

このとき大畠さんは、どうせお守りして泳ぐならば最後まで自分で持って泳ぎたい。人に渡すのは残念だ、という気持ちで足立中尉の申し出を断ったということでした。

ところが、やはりお写真を持って泳いでいると、どうしても遅れがちになり、だんだん足立中尉に離されてしまいます。

「おーい! 庶務主任早く来いよ」

待っていてくれたので泳ぎつきます。

「おれが持って行ってやろう」

ここでやっと大畠さんも意地を張っていられないとお写真を足立中尉にゆだねます。

100メートルほど泳いで、やっと『若月』に救助されました。

以上がブログの記事ですが,先に『初月』救助された瑞鶴乗員は同日『初月』と運命をともにしました。

 

日記53

76期の会報「生徒館123号」(B5 16頁)を頂きました。その中に今年11月11日横浜ロイヤルパークホテルで行われる横浜全国総会・懇親会の案内がありました。76期もこれが最後の全国総会となるようです。

 

日記52

ブログの整理

203月と4月のブログを整理してHPにとりこみました。

更新記録の整理

HPのTOP頁の更新記録が多くなったので,古い交信記録に移しました。

水交5・6月号を頂きました。國神社だよりになにわ会の慰霊祭のことが次のように書かれていました。「海軍兵学校第72期・海軍機関学校第53期・海軍経理学校第33期(なにわ会)」

日記51日慰霊祭参加予定数

430日現在の慰霊祭出席予定者数

(出席総数 懇親会参加 参拝のみ の順)

会員   78  75   3 

遺族   75  57  18 

計   153 132  21 

なお 欠席の回答は 会員74 遺族78

昨年の参加者は 会員86 遺族71 計157

回答がまだあると思われるので昨年と殆ど同数になると思われる。


74期の会報205月号を頂きました。その中に「江鷹会解散後もクラスの絆を堅持しよう」という次の投稿がありました。(要旨のみ)

クラスの本柱たる江鷹会が、来年十二月末で解散の予定となった。

残念ではあるが、半数がこの世を去り、残された者の多くも健康を損ね、年一度のクラス会に出られる者はそのまた半分以下で、真にやむを得ない状況である。

しかし今日の昼食会出席者は勿論、欠席者を含め思いは唯一つ 「クラスの杵を何時までも維持しよう」そして「仮令一人になってもクラス会に出よう」と云う事であった。そこで情報連絡をどうするか、会合をどう持つかに焦点が絞られてきた。

前者は、少なくとも訃報は全国的な連絡が欲しい。その為だけの本部要員を置くか、本部の有無に係わらず地区を年々会員減少の故をもって道州単位とし、例えば我が九州北支部は福岡・大分・佐賀・長崎であるが、九州全部を一地区とし、本部に複数の担当者を置き、発信は故人から地区本部を経て全国本部或いは他の地区本部を通じ全国のクラスに伝える。

問題は連絡手段である。幸いと言うか有志による「談話室」というパソコンによる連絡手段が有り、これを活用させて貰ったらと思う。現在でも計報連絡には利用させて頂いているところだ。全員パソコンを持つのは困難だが (今から持とうという有志も結構居るようだ) 地区本部の担当者はこれを備え、各人は出来れば携帯電話を持ちパソコンとのコンタクトを図っては如何だろう。

後者の会合についてだが、何と言ってもクラスに会うのが元気の基だ。現行は連合クラス会で「海軍記念日」「任官組の忘年会(間もなく廃止)」「年四回のゴルフ」。クラスのみでは「新年会」「年三回の棋鷹会 (囲碁とグランドゴルフ)」昨年から「隔月の昼食会」一昨年から「隣接クラス会への有志参加」等である。中でも渡辺浩君発案の昼食会は好評で「次回は何日だ」と熱気がこもっている。棋鷹会も毎回二次会まで元気を発散させている。二つとも参加者が増える傾向にあり、一人になるまでやると息巻いている状況だ。

何をやるにしても健康第一でウォーキング等それぞれ努力している。しかし常に話は病めるクラスの状況に及ぶ。何とか励ます良い策はないかと。一律には行かないのが悩みの種である。江田島は我等の誇りであり、クラスは何物にも代え難い宝である。

我らの絆が何時までも固く、願わくばあの世においても永久に続くことを祈るや切なり。

今日は私が自衛隊退職後12年間勤務していた国士舘大学の退職者のOB会があり参加しました。間中十二君も来ていましたが,先日の毎熊祐俊君の訃報が流れていないといっていました。どうも流れが悪いようです。困った問題です。流れをチェックして見たいと思います。

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