なにわ会のブログ 20年3月分
猪口 智君のこと
購読会員のブログに次の記事がありましたので転載します。
杉野計雄さんは大正10年生まれの戦闘機乗りで、丙3期出身。
杉野さんの手記ですが、この中に「猪口智中尉」という人が出てきます。
お父さんも海軍、おじさんも海軍、自身も兵学校の72期を卒業した戦闘機乗りです。
杉野さんは634空時代、フィリピンで猪口中尉と一緒でした。
昭和19年10月24日、杉野さんは空戦が終わって引き上げる時、傷ついた戦艦武蔵を上空から見かけます。杉野さんが見かけたときは異様な航跡ながらも、まだ単艦で航行していたということですが、ご存知のように敵の集中攻撃を一手に引き受けた武蔵はこのあとシブヤン海の海の底深くに沈んでしまいました。
大和と違い、あまり武蔵のことは話題になりませんが、この武蔵の猪口敏平艦長が猪口智中尉のお父さんなのです。猪口艦長もこのとき、艦と運命を共にしました。
武蔵の傷ついた姿を目撃した杉野さんは帰投してからそのことを報告したらしいのですが、そのときはまだ猪口中尉は出撃から帰っておらず、そのことを知らせずに済んだのが何よりの救いであったと杉野さんは回想しています。
でも、そんなこと、いつまでも隠し通せるものではありません。
11月2日。 杉野さんは出撃したものの被弾し、クラークまで帰れないと判断してセブに緊急着陸しました。 指揮所で報告し、汗を拭いていたら、ひょっこりと猪口中尉が現れ、 「先任搭乗員!」 と声をかけてきたそうです。
「ああ、セブに降りていたのですか」
猪口中尉も、攻撃に出て被弾し、セブに降りていて、たまたま一緒になったようです。
しばらくして、そこに猪口力平航空参謀が姿を現わしました。
この人は猪口艦長の弟、つまり、智中尉のおじさんです。神風特攻隊にも深くかかわった人です。 杉野さんを手招きし、二人で外に出ました。 「智が『武蔵』の沈没を知り、興奮している。昨夜話し合ったが、先任、よろしく頼む」 と猪口参謀に言われたそうです。
実は杉野さんにとって猪口中尉はただ単に隊の上官、というだけの人ではなかったのです。
まだ内地にいる頃の話ですが、9月に戦闘機教程を卒業して実施部隊に配属されてきた猪口中尉(もう一人、同期の赤井賢行中尉)に空戦指導をしたのが先任搭乗員だった杉野さんだったのです。 「この二人は、私を見ると、遠慮がちに、空戦に射撃に『お願いします』といっては訓練に励み、ますます技倆は向上していった」 と当時のことを回想しています。
ですから、上官であるとともに教え子でもあり、特に気にかかる存在であったのでしょう。
猪口参謀が杉野さんに何を「頼んだ」のか、この手記からは具体的にはわからないのですが、猪口中尉が暴走しないように見ておいてくれ、と頼んだのか、武蔵の最後を話してやってほしいと頼んだのか・・・・。
でも杉野さんは武蔵の最後の姿を見ていながら、猪口中尉の苦悶する姿に、どうしても話してやれなかったそうです。
そして翌日、11月3日。
杉野さんは出撃する機を見送るために指揮所に向かって歩いている時、傘帯をつけた中尉が列線に走って行く後ろ姿を見つけます。 見覚えのある後ろ姿は、猪口中尉でした。 この日、猪口中尉に出撃の予定はなかったようです。杉野さんが何事だろうと思って見ていると、エンジンもかかっている準備済みの零戦に駆け寄り、すでに搭乗している搭乗員を降ろして乗り込んでしまいました。 猪口中尉に下ろされた搭乗員は指揮所に戻ってきて、中尉の人に降りろと命じられたと報告したそうです。 猪口中尉はそのまま出撃し、戻ってきませんでした。
日記3月31日幹事会
今日は年度幹事の打ち合わせ会(6月の慰霊祭について)に要請されて参加しました。
左近允尚敏,中井末一,上野三郎,野崎貞雄,高杉敏夫の諸君と私の6名が集りました。近く往復はがきで案内状を出します。概ね昨年どおりですが,昨年は全員の席を指定しましたが,今年はなにわ会として最後の慰霊祭でもあり,ご遺族だけは席を指定するが,その他は各人の希望の席にしようということになりました。
なお,従来生存者,ご遺族という用語を使用していましたが,これからは,生存者の代りに会員,ご遺族の代わりに遺族会員にしたらと言う意見があり総員の賛成がありました。したがって,今後は,会員,遺族会員,購読会員に区分したいと思います。
記念誌については,経費の問題,希望の有無の確認も必要だから,99号のなにわ会ニュースの中に書き込んで会員には全員配布,遺族会員には希望を返事してもらう葉書を同封して希望数を確認したらどうかと言う事になりました。そして会員には10000円,遺族会員の希望者には5000円負担してもらう事にしてはということになりました。
機53期の生存者の現状
機55期(たんご会)のHPにあった機53期の現状です。
(53期村山隆君提供H20.03.01現在)
生存者(24名); ○年齢相応のカタ
×行動制限あり
{分隊}
1 岩間正春○ 村山 隆○ 吉本信夫×
2 森川恭男×
3 蔵元正浩× 椎野 廣○
4
5 片山 勇×
6
7 安陪 達×
8 山下武男×
9 金枝健三○ 三澤 禎×
10 阿部順男× 上田 敦× 加藤種男×
野崎貞雄○
11 小田正三○
12 上野三郎○ 海原文雄×
13 安藤 満 × 松田 清 ×
14 佐丸幹男×
15
16 室井 正 ○
17
18
19 宇都宮安男×
20 斉藤義衛×
日記3月30日 江鷹344号
74期の会報「江鷹」344号を頂きました。来年21年12月1日に最後の江鷹会全国大会を開催しますが,最後の買いとなるので,全国からの参加を呼びかけている。そして海上自衛隊音楽隊の演奏,総会,懇親会,國会神社参拝が計画されている。
全国幹事会報告として次が掲載されている。
1 会員数 会員549名(20.3.1現在) 18年末580名 19年末555名 1年間の減少25名
2 19年決算報告 20年予算
その中から主なもの(概算)
会報作成費 109万円 同発送費16万 IT事業費15万円 事務所使用料「水交会)24万 会議費10万円 交通費14万4千円 (以上実績)
名簿作成費165万円 IT事業費160万(HP印刷配布) 全国幹事会費103万6千円 会報作成費108万円 会報発送費116万8千円 慶弔費91万5千円
以上ご参考まで
日記3月29日湘南歩こう会
幸田正仁君企画の湘南歩こう会の桜花見が横浜の根岸森林公園(横浜競馬場跡)で行なわれ,10名が参加されました。今日は上野三郎君が欠席のため伊藤節子が写した写真を掲載します。
参加したのは↓の写真の10名です。
左から深尾秀文,幸田正仁,小松崎夫人,中井末一,深尾夫人,伊藤夫人,浦本 生,村上夫人,品川夫人,加藤夫人です。
↑の写真のうしろに見える建物は旧競馬場の建物です。
Commented by 上野三郎 at 2008-03-29 20:52 x
他用で欠席しました、桜花将に爛漫というところですね。写真には皆様の春を充分満喫した満足感が溢れていますね。私もこれ等の写真で櫻見のおこぼれを頂戴しました、有難う。
Commented by 伊藤 at 2008-03-30 07:10 x
上野三郎さん 何時もコメント有り難うございます。出来るだけ クラスの情報配布に心掛けています。他の会員の方もどんどんコメントいただきたい。よろしく。記事の最後の下にある方Commentsをクリックして頂くと書き込むところが出てきます。そこに名前を入れて,URLのところは白紙で,下の広いスペースに文章を入れ,削除用パスワードのところに適当なパスワードを入れて送信をクリックして下さい。ブログを書いていて何よりの栄養剤はコメントです。
機関学校53期海軍経理学校33期
左近允尚敏君から第18回パインなにわ会のご案内を頂きました。
要旨は次のとおりです。(ご参考まで)
場 所:パインの遊雅亭
会 費:9000円
その他:出席回答後ご都合悪くなった場合は、4月19日までは左近允、20日以後は遊雅亭に電話して下さい。
先日春日美智子様に送った池田武邦君のテレビ放映を取り込んDVDを春日さんから返却してもらいました。春日さんは残念ながら見れなかったそうです。私が再度見ましたら綺麗にみれました。DVDを見れるパソコンを持っておられる方で見たい方ご連絡下さい。お送りします。
)日記3月27日
「潜水艦戦に散った期友に捧ぐ」を修正して山田穰君に送り校正をお願いしました。
金沢の小灘君の3女の伊藤伸子様方から先日送った校正のうち2つ戻ってきました。3つ目の回天の記事,数字を直して再度送りました。
1号5分隊の故前田政夫君のご遺族(姉)山崎文子様が昨年(19年)10月3日90歳で天寿を全うされたと長女の寺崎友紀子様から知らせていただきました。99号で名簿訂正します。
73期の代表幹事小松荘亮花氏からなにわ会ニュース98号の礼状を頂きました。
なにわ会ニュースに感動
なにわ会ニュース98号ですが、発刊前に、父の載っている部分だけをダウンロードして満中陰に親戚や近所に配ったのですが、是非「なにわ会ニュース98号」本体を読みたいとおっしゃる方が多くいらっしゃいました。それでお願いし「なにわ会ニュース98号」を追加でいただくことになりました。
なにわ会ニュースに感動して下さったお一人は、父の故郷でもある丹後の菩提寺の和尚さんです。父は大学を卒業する直前に体を壊し、体慣らしに峰山高校の化学の教員をしていたのですが、その時の教え子に菩提寺の和尚さんがおられました。
和尚さんは「春日先生は背が高く、いつも背筋をシャンと伸ばして颯爽と歩いておられ、さすがは海軍さん、なんてスマートなんだ。将校だった人は違うなぁ。」と思って憧れて見ていたそうです。
当時は、元軍人が教員になるのも制限されたそうで、叔父が町長だったから特別に教員になれたのかもしれない、という話でした。そういう時代もあったのですね。
大学入学も海兵、陸士は制限されたと聞きます。
それから元予科練だった近所の方で海軍を尊敬している方からも、なにわ会ニュースを読みたいと希望がありました。こんなにも、みな様から海軍が尊敬され慕われていたと改めて知りました。{春日の長女}
書き込み有り難うございました。それほど関心のある方がおられるとは嬉しい限りです。こういうことを聞くともっと一生懸命やらねばという気持ちになります。
日記3月26日
この前,春日美智子拝から送ってもらった故春日仁君の写真が入っていたケースが見つからずに困っていました。今日慰霊祭関係の書類を捜していたら,大事にしまってあるのを発見,早速返送しました。
これと同じような事ですが,故押本直正君から引き継いだ「機関科会員の写真集」が見当たらず,半年ばかり探していました。これも大事にしまってあったのを発見しました。
機関科の上野三郎君から年会費が未納になっていると思うのでと1万円送ってきました。早速なにわ会の銀行口座に振込みました。
春日美智子様から,98号もう3部欲しいとメールが来ました。明日送ります。
日記3月25日
今日は20年1月と2月のブログを纏めてHPにとりこみました。だだ,写真はうまく取り込めないので削除しました。
年度代表幹事の左近允尚敏君から3月31日1400から慰霊祭の打ち合わせ幹事会をやるので出席の要請がありました。
また,先日の石隈教官の1周忌に出席されてみえた65期の萩原先輩は,HPで調べたら,我々が2学年時の54分隊(大谷友之,川嶋清 生存),3学年時の46分隊(畊野篤郎,豊廣稔,中林正彦,林藤太 生存)の分隊幹事でした。大谷友之君がブログを見て懐かしいと電話がありました。
山根眞樹生君から,今度の記念誌に入れる彼の個人写真を送ってもらいました。その写真を記事に取り込み,印刷して送り校正をお願いしました。
日記3月24日
久しぶりで桂理平君から電話を頂いた。とても元気なようでした。記念誌の話をして彼も比島沖海戦について残したいので書くからよろしくとのこと,既に,池田武邦君,左近允尚敏君,都竹卓郎君,大岡要四郎君,旭輝雄君の記事があるのでできるだけ簡潔にお願いしました。
窪添龍輝君から早速記念誌第1回目の校正が帰ってきました。
迅速に、また綿密に見てもらって感謝しています。
日記3月23日
昨日の石隈辰彦教官の1周忌の記事について,早速左近允尚敏君からコメントを頂き,修正いたしました。
山下茂幸君から電話を頂き,次号に投稿する記事について問い合わせがありました。リハビリを続けつつ次第に快方に向っているようです。
日記3月22日
72期の指導教官であられた石隈辰彦教官が亡くなられてはや1年が経過,本日鎌倉の円覚寺で1周忌の法要が↑の写真のように行なわれました。
多数のお家族のほか65期の3名の方が超高齢にかかわらず,↓の写真のように元気で参加されました。
左より石隈辰彦夫人、萩原一男様、本村哲郎様、秋野資郎夫人)
72期からは石隈辰彦教官の分隊員だった新庄浩君の誘いで↓の写真のように4名が参加しました。
後列左より左近允尚敏,伊藤正敬、前列左より泉五郎,石隈夫人,新庄浩
日記3月20日
小灘夫人からなにわ会ニュース98号の感想と会誌を余分に欲しいというお手紙と寸志を頂きました。寸志は早速会計担当の窪添龍輝君のなにわ会普通預金の口座に振込みました。ご希望の冊子は明日送ります。
バイパスニュースの9号から14号まで6回に分けて掲載されている比島戦記は実に見事に描写されています。長編だけれども是非記念誌に取り込むべく準備を進めています。先般,打ち込んだ原稿を送り校正を頼んだところ,昨日電話でその後判明した誤りを訂正しているので返事は少し待ってくれとのことでした。
日記3月19日
杉田政一君から先日手紙で送った記念誌の修正した分を見てOKの返事のメールを頂きました。
3月22日の故石隈教官の法事に出席予定だった中井末一君から風邪をひいてやっと直ったけれど,迷惑をかけるといけないので失礼すると葉書を貰ったので新庄浩君に電話連絡しました。
旭輝雄君から彼が組合長をつとめている旭漁業生産組合の組合長を次男に譲ったと丁重な挨拶状を頂きました。
日記3月18日
小西愛明君から記念誌の校正が返ってきました。70期小平さんからなにわ会ニュースの礼状を頂きました。
日記3月17日
記念誌について本格的に取り掛かっています。そして,初めのほう,戦記に入る前の約60頁を印刷して校正担当の方におくりました。全体で相当多くなりますので逐次校正をお願いします。今のところ,HPの戦記目次にある記事だけを取り込んでいますが,戦没目次にある記事の中にも取り込みたい記事があるようです。これはと思われる記事に気付かれた方,是非教えて下さい。
会友の故岩切君の奥さんから丁重なお手紙をいただきました。
日記3月15日」
山田良彦君から今年の(湘南CGCの日程を頂いた。
第1回 5月12日(月) 0931 0938 インスタート
参加予定者(連絡したもの)
上野 三郎、小林 勝、椎原 國康、平野 律朗,山田 良彦,伊藤 正敬
合計6名 他に参加希望の方がおられたら山田良彦君に連絡してください。
第2回は10月20日(月)の予定。
Commented by 上野三郎 at 2008-03-16 11:50 x
案内有難う、恥ずかしいスコアにならぬよう練習に励みます。
日記3月13日
70期の齋藤国二朗さん,71機の清水正己さんが逝去されたので4号時の分隊別名簿を訂正しました。
先般記念誌の校正をお願いした渡辺収一君と濱田秋朗君から返事の電話を貰った。
同じく校正をお願いした高松道雄君から校正を返却して貰いました。
日記3月12日
3月10日に書いた葉山居住の飯田嘉郎君の件ですが,大谷友之君,市瀬文人君の協力で連絡がとれました。住所も電話も名簿のままです。本人も元気で話もできました。なにわ会ニュース98号は改めて明日送ります。
旭輝雄君から記念誌の校正の返事を貰い訂正しました。
昨年3月逝去された石隈辰彦教官の1周忌の法要が次により行なわれますと2号のときの分隊員だった新庄浩君から連絡がありました。
1
1100〜1400
2 場所 円覚寺 寿徳庵(北鎌倉駅下車 近く)
(現在のところ72期の参加予定者は新庄浩,左近允尚敏,泉五郎,中井末一,伊藤正敬の5名)参加頂ける方がおられましたら伊藤正敬か新庄浩に連絡下さい。
日記3月11日
濱田秋朗君,野村治男君,小西愛明君にパソコンに打ち込んだ記念誌の原稿を送り,校正をお願い致しました。
67期中村悌次様,70期三浦節様,ご遺族の土原弘子様(宮林久夫君の姉)からなにわ会ニュース98号のお礼状を頂きました。また,「70期だより」もいただきました。参考に致します。
印刷屋コンタスから98号の請求書が来ました。送料は1通80円となっていて,会員宛の分は510部で40,800円です。(郵便なら1通210円ですので107,100円で66,300円の節約になっています。印刷代は530部で382,660円(+消費税)です。
)会報受け取りました
72期21分隊深井良の甥、深井紳一です。なにわ会会報お受け取りしました。伯父の宇佐空での僚友東條様の手記読ませて頂きました。串良進出の攻撃隊の人選に関わられた事を今日まで苦にされていたとの事、とてもお気の毒に思います。何も知らない私がコメントする様な事でないのかもしれませんが、敢えて公表しないですむ事を、思い切って明らかにしたお気持ちを察すると書かずにいられませんでした。本当は直接メールすれば良いのですが、現在自宅パソコンが使えずインターネットカフェから、他の訪問者の方にも聞いて頂きたくてなにわ会のページを開いて投稿しています。1945年と今は全く別の世界で、人の考え方も全然違います。心ある人は皆、命に代えても日本を守る気持ちでいたはずです。21分隊の旭様も、バリックパパンのジャングルから交戦中に洋上で墜落していく日本の飛行見て、自分の死の覚悟を新たにしたと仰っていました。深井良中尉も人選を任せられれば、東條様と同様に行ったはずです。後先のことだけで皆、国難に殉ずる覚悟であったはずですから、東條様が心の重荷として背負っていくのは間違いです。上手に言えませんが、戦争が終わって新しい時代になったのですから、戦死した戦友の分まで与えられた時間を有意義に過ごされる事が、一番慰めになるのではないかと信じています。
日記3月10日
購読会員の伊藤庸様(左近允尚敏君と田島明朗君の紹介で入会)から次のメールをいただきました。
「兵学校受験から合格までの細部事情はなかなか知る機会ありませんでしたので、大変興味深く拝読しました。都竹様のレイテ会海戦も興味津々で読ませていただき、次号続編も楽しみにしております。」
葉山居住の飯田嘉郎君宛に送ったニュース98号が返送されてきました。電話しても通じません。どなたかお付き合いのある方,近況ご存知の方ご連絡下さい。
77期の菅原さんから次のメールを頂きましt。
「先日ちょっとお話ししました1945年1月5日、リンガエン湾で護衛空母「マニラ・ベイ」に突入された丸山隆中尉の財布を拾得 したLieutenant Barlett の子息、Dr.Pat Barlett から Naval History の編集長の紹介で連絡がありました。数年前まで Cape Cod の大学で歴史を教えていたが、定年退職したので丸山中尉と父親の件について何か書いて Naval istory に投稿したいので、日本側の資料の収集と翻訳をして欲しいというのです。
早速、貴クラスの web site を拝見しましたところ、泉五郎様が「軍神 丸山隆君の凱旋」
と題して華麗な筆致でお書きになっていますが、詳細については「なにわ会ニュース84号12頁を再読するようにとあります。つきましてはお手数をおかけして心苦しいのですが、この関連頁を最も手軽な方法、FAXでも結構でごさいます、お願いできませんでしょうか。それと泉五郎様、丸山中尉のご遺族の連絡先も併せてご教示いただければ幸いでございます。」
84号12頁をコピーしてFAXで送り,泉五郎君と丸山隆君の遺族の住所,電話をしらせました。
日記3月9日
旭輝雄君から記念誌に取り入れる記事の校正を返してもらいました。
山本省吾君から昨日ブログに書いた最近の記事については,表題だけにしてはどうかと言う提案に反対の意見を頂きました。
平野律朗君から取り込む記事の変更提案があり,ご意見どおり取り込みなおしました。
購読会員の後藤さんからニュースの謝礼と感想を頂きました。「私信」と書いてありましたのでニュースには掲載しません。
日記100号記念誌
21年3月発行予定のなにわ会ニュース100号を記念誌として纏めようとして頑張っています。今逐次生存者の投稿された方に送って校正してもらっています。95号までは,十二月のように漢数字を使っていましたが,96号から12月のように縦書きの算用数字に変更しました。そこで旧い記事の数字を算用数字に修正しています。ところが,これ案外手間取りますので,パソコンを嗜む方には打ち込んだのを送って修正してもらっていますが,ある会員からそんなこと無理して統一する事ないではないかとのご意見をいただきました。担当者としては,何とか記念誌全体の数字を同一の形にしたいと頑張っています。この件についてご意見ある方お知らせ下さい。
次にHPに掲載してある目次のように,全部で600頁にもなります。そこで最近(平成13年以降)の記事は題名だけ掲載して,『なにわ会ニュース第○○号参照』としたらどうかとも考えています。この件についてのご意見もお願いします。
湘南歩こう会(上野三郎)
3月度の湘南歩こう会は「幕山公園観梅」(湯河原) 3月7日10:00湯河原駅集合で椎原君指導の下で開催された。
幸い晴天に恵まれた(3月7日の気温最低4℃、最高11℃と例年より低くかったが)幕山(626米)を背景とした約4,000本の梅林は丁度見頃の7分咲きで見事だった、可なり急な坂道を登ったが高所からの梅林の眺めの素晴らしさで疲れも吹き飛んだ。お休み処で一杯¥400の山菜そば、¥400のおでんと地元の人達の素朴な料理で梅林を背景に暫しの昼の団欒を楽しんだ。
入園料¥200を払ったが公園内はよく整備されており、必要経費だろうと納得した。(以前は無料だった)
湯河原駅前でコーヒーブレーク後2時30分頃解散、楽しい一日だった。
本日の歩行数は5,808歩(ドアーツドアーで)
本日の参加者10名(男子5名、女子5名)
写真 後列左より幸田、椎原、浦本、深尾、上野
前列左より藤井、深尾、伊藤、品川、小松崎の諸夫人
Commented by あらい(購) at 2008-03-08 16:23 x
お天気に恵まれてよかったですね。歩こう会の記事、いつもうらやましく思いながら拝見しています。わたしは若いですが、たぶん5000歩も歩いたら、翌日筋肉痛になります。いつまでもお元気で活動を続けてください。
Commented by 上野 at 2008-03-08 19:42 x
あらいさんコメント有難う
歩こう会の記事を見ていただいて居る方のあることを認識し勇気付けられました、魅力的な記事にして行きたいと思っています。
なにわ会ニュース98号
なにわ会ニュース98号,完成し今回は昨3月5日クロネコヤマトの宅急便で発送しました。概ね2日目には着くと思います。所要日数を検討したいので,到着した適宜の方法でご一報下さい。
なお,今回から,原則1部送付としました。更に2部以上ご希望の方はお知らせ下さい。若干予備がありますのでお送りします。
Commented by 春日長女 at 2008-03-05 18:36 x
なにわ会ニュース98号届きました。ありがとうございます。
早かったですね。到着第1号です。お母様のところにはご希望数送りました。明日お借りしていた写真お返しします。
日記3月5日
先ほど書いた100号記念誌について,購読会員3名の方から協力の申し出がありました。本当に有り難いことです。これから順に,投稿者に校正とご意見を伺っていきます。
100号記念誌
かねてから提案している記念誌について,なにわ会の歴史と戦史を纏めようと思って作業にかかっています。一応検討を終りました。約600頁になります。整理しながら読んでみると実に貴重な記事が多いですね。
資金的に,問題がありますが是非実行に移したいと思っています。
HPに目次を掲載しました。御覧になってご意見いただければ幸いです。
ただ,昔の記事は漢数字を使用しており,最近の記事は算用数字を使用していますので統一する必要があります。物故者の投稿分は私が修正しますが,パソコンを嗜まれる方には,原稿をメールで送って投稿された方に修正していただければと思っていますがいかがでしょうか。
また,修正についてご協力いただける方,ご連絡下さい。
校正については,生存者の投稿は,ご本人にお願い,それ以外の方の記事は,現在校正をして頂いている4人の方に手分けしてお願いしたいと思います。
また,これは加えたほうがいいと思われるものがあれば,ご連絡下さい。
最後に,「現在考えている記念誌の印刷配布についての考え方」は次のとおりです。
作成する記念誌
1 形式
B5版 3段 縦書き 文字の大きさ 10P 1段20字
行間隔18p(行間隔を今より広くする。)
ただし、一部表等は横書きのままとする。
2 大きく分けて、4つに分類しようと思っている。
a なにわ会の歴史
b 戦没者を偲んで (主に戦没者の名簿)
C 復員後物故者を偲んで(主に復員後の物故者の名簿)
d 戦記(体験記)
3 全部パソコンで打ち込み、印刷、製本だけを印刷屋に依頼する。
4 頁数 約600頁
5 経費見積もり
現在の『なにわ会ニュース』配布先は約500人。(購読会員を除く)
これらの人と他のクラス等に配布するとして600部印刷したらどうであろうか?
印刷製本等作成費として、200万円ぐらいはかかると思う。
これをどのようにして賄うか。(なにわ会基金の21年初頭残高200万円として)
a案 昨年末の年末クラス会で、「20年度末に一括納入をお願いすることが決まった。」
この「生存者5,000円、ご遺族1,000円」を
「生存者10,000円、ご遺族5,000円」に増額して、
生存者の増加分5,000円×200名として100万円、
ご遺族の増加分4000円×300名として120万円
計220万円で賄う。
b案 希望者を募り、その分だけ作成する。
この方法は、希望者数が確定しないと、作成費の見積もり、そして各人の負担が算定困難である。仮に希望者が生存者120名、残りご遺族として、
計 200名、250名、300名、350名、400名として
その数+他のクラス等への無料配布30部加えたもの作成するとし、
それぞれ、120万、135万、145万、154万、160万で出来ると
仮定し、個人負担を生存者とご遺族、2対1で負担することにして試算すれば
次にようになる。
200名の場合 生存者8000円 ご遺族 4000円で 128万
250名の場合 生存者7500円 ご遺族 3500円で 135万、
300名の場合 生存者7000円 ご遺族 3300円で 144万、
350名の場合 生存者6500円 ご遺族 3200円で 152万、
400名の場合 生存者6000円 ご遺族 3000円で 156万、
となりおおむね賄える。仮にa案で集金すれば200名で160万
400名で260万集まり随分楽になる。
集金上の手間を考え、21年以降の情報配布の資金を考えてa案でいきたいと思う。
今度の年度幹事会に提案して検討してもらいたい。
6 校正等
前述のとおり。
7 掲載記事の検討
投稿記事が複数ある会員の投稿については本人の希望を聞いて1点か2点を掲載する。
機関科会員の投稿分については、既に「海ゆかば」に掲載されているので、掲載しない。
日記3月4日護衛艦あたごの事故関連
泉五郎君か次のメールを頂いた。
「昨3月3日、福田総理はイージス艦愛宕と衝突沈没した漁船清徳丸の犠牲者親子宅へ弔問した。一国の総理自らが何とも鄭重きわまる対応である。 不肖にして未だ嘗て斯様な事例は承知しないが、遺族の痛みはそれでも癒えないことであつたろう。
然し一方、福田総理は國神社には一向に足を運ぼうとはしない。 明治維新以降の対外戦争の戦死者の慰霊については政府の責任は既に時効、あとは宗教法人である國神社が宜しくやればよいとのお考えであろうか。 憲法がどうの、関係国の思惑がどうのと大変な気配りのなされようである。 それはそれとして今回も事故後、非は総て自衛艦の側にありとしてまくし立てる野党の責任追及に、担当大臣である石破防衛相の応対振りはまことに真摯真剣、見ていて気の毒なくらいである。 更に恐れ入つたことには、日本では卓越した論客の一人と思っていた東京都知事石原慎太郎までが、平成20年3月3日の産経新聞に、恒例の「日本よ」と云う論説欄で“無法の海”と題した一文を発表している。 その言わんとするところは今回の事故に関し、「石破防衛相の国家防衛という崇高な業務にたずさわる者の自負が自惚れになつたのではないか」との指摘を肯定している。 その一方で恐れいったことに、日本はヨットや水上バイク等のマリーンレジャーに関し、「海を扱う仕事は軍事と漁業からさらに、マリーンレジャーに拡大されてきているが、それにたずさわる人間の資格は同等のはずだ」と断言している。何と云う思い上がりであろうか?
前言の中に、海上交通や海洋資源の開発という国家国民にとつて、もっともっと重要な仕事も含まれなければならないと思うが、これらについては言及されていない。
更にまた、海で生存のための糧を求めざるを得ない人間と、海をレジャーの場に利用しようというだけの人間が、全く同等であるとは何としても解せない。
私はこんな彼に、石破防衛相を非難する資格があるかこれまた甚だ不思議である。
単なる地方自治体の長に過ぎないとは云いながら,東京都知事ともなれは、世界的にはその辺のヘッポコ閣僚以上に著名人でもあり、また、有力なオピニオンリーダーの一人でもある。
その彼にして斯かる意見を発表するのなら、その真意が奈辺にあるかは読者のご判断に委ねるとして、私も負けずに一つ妙案を提示してみましょう。
ずばり!陸海空三自衛隊を民間に払い下げ夫々、陸上、海上、航空警備会社にしてしまえば宜しい。 そして夫々の警備会社は外敵に対し、正当防衛の範囲内で武器の使用を認めれられるのは当然のことでもあるし、いわば専守防衛の自衛隊以上に、対外的には脅威にならない。自衛隊員は民間警備会社の社員となる訳だから、危険の度合いが報酬と見合わないと思えばどんどんストライキをやればよい。 それも嫌ならさっさと辞めればよい。会社も役立たずは、どんどん首にすればよい。会社がやつていけなければ低賃金で外人を雇えば宜しいと、マアこんな具合にやれば内閣総理大臣閣下も随分と気がお楽になるのではないでしょうか?」
以上があたご衝突事故関連の彼の提言である。
この件に関連して,2月29日付の海上自衛隊新聞に海自OBの書いた次の記事があった。
「昨年からの海上自衛隊のいろいろな不祥事,イージス艦の情報漏えい事件,給油量取り違え事案,航泊日誌の誤廃棄事案,しらねの火災事故と続き,今回のあたごの衝突事故,さらに自衛隊員として語るに落ちるようおな事務次官nハレンチ行為も表に出て残念な極みである。・・・・と苦言が呈されている。
私も海上自衛隊OBとして残念至極に思っている。
日記3月2日
今日はHPの戦記から取り込んだ記念誌の目次の整理にかかりました。
日記3月1日機55期会報タンゴ受領
海軍機関学校第55期の会報「たんご」35号を頂きました。B5版108頁の本です。 機55期の生存者は156名,物故者は149名です。(19年12月31日現在) このクラスのHPは現在「たんご横須賀」として仮オープンしていますが20年4月1日から「たんご55」として正式オープンされます。
水交20年3・4月号をいただきました。
戦記の航空関係 「旭 輝雄君,阿久根正君,恒川愛二郎君」の記事を取り込みました。