ブログ 20年2月
日記2月29日74期会会報江鷹
74期の会報江鷹3月1日号を頂いた。2大行事が決定したと書かれている。
その1つは20年12月に全国幹事会を開催して,「期会の組織的活動の終結とそれに伴う事務処理,資金処理の件の承認と支部,地区の爾後の運用の問題」が論ぜられる。
そして,その2は最後の全国大会を21年12月に開催されることである。
記念誌については伊36,伊47,伊48,伊58,伊366の記事を取り込んだ。これで潜水艦関係は取り込み終了である。
日記2月28日第1潜水隊
今日は高松道雄君の伊14の洋上での降伏と矢田次夫君の第1潜水隊を取り込みました。
日記2月27日
潜水艦関係の記事を取り込んでいます。田中宏謨君と山田穰君の記事,伊8潜,伊13潜,14潜の記事をとりこみました。実に多数の期友が亡くなっていて胸が痛みます。
都竹卓郎君からメールアドレスを変更したとメールを頂きました。
日記2月26日
今月も早27日,もう直ぐ3月です。今毎日,HPの戦記の記事を取り出して,ニュースの形式に直しています。ニュースをスキャナーで判読,修正して取り込んでありますので随分判読ミスが残っています。それと,古い記事は漢数字を使用していますので,これを算用数字に直していますのでなかなか進みません。でも,とてもいい記事が多くて修正しながら読み直して楽しむと共に亡くなった期友を偲んでいます。水上艦艇関係の戦記はおおむね取り込みおわりました。これから潜水艦関係を取り込みます。
日記2月24日
昨日送っていただいた池田武邦君の報道DVD,春日様が見たいと言われたので送りました。うまく見れればいいのですが。
100号記念誌として,過去のニュースの記事を鋭意ニュースの形式に直して編集しています。いい記事が沢山あって,取捨選択に苦労しています。取り敢えず,なにわ会に関することと戦記に限って取り込んでいます。
Comments(1)
Commented by 春日長女
DVD届きました。ありがとうございます。うまく見れるよう頑張ります
日記2月23日
今日購読会員の方から先日の池田武邦君のテレビ放映を保存したDVDを送って頂きました。1時間50分の放送全部拝見出来ました。テレビで見れない方,ご連絡いただけば転送いたします。ただしDVDを見れるパソコンお持ちの方に限ります。また,特四号の田島明朗氏がビデオ録画したそうです。ご希望の方がおられれたら,これも送付していただけます。
Comments(1)
Commented by 春日の長女
DVD是非、拝見させていただきたく思います。よろしくお願いいたします
日記2月22日 校正
今日印刷屋コンタスから98号の校正を頂き,チェックの上返送しました。
3月上旬にはお手元に届けられると思います。
日記2月21日 ブログ
松山市の郷土史研究家の方から,このブログを見て,終戦前は特殊潜航艇の艇長として愛媛県の深浦基地にいた小西愛明君と先に亡くなった伴正一君の残された文章について問い合わせがあり,小西愛明君に電話した後,返事しました。
昨夜池田武邦君から電話があり,明日佐世保を基地とする第2護衛隊群の幹部諸君に講話をするそうで,私の第2護衛隊群司令当時の事を尋ねてきました。その時,テレビ放映について何度か電話したけど通じなかったと言ったら,東京に行っていたと返事がありました。テレビ放映なかなかいい反応があると伝えておきました。
今日は今年4回目のゴルフ,2月なのに汗をかくほどの暖かさ,気持ちいいゴルフでしたが,グリーンが難しくてスコアは今一でした。
日記2月21日
池田武邦君の放送を見られた方から次のコメントをいただきました。
『池田さんの少年時代、海軍時代、そして戦後の高層建築を手がけた時代。そして、ふと、立ち止まって自分のしてきたことを振り返ってみたとき、池田さんは日本の原風景に回帰していく・・・・という話です。
池田さんは海軍時代、矢矧の航海士で、あの大和の沖縄特攻に同行します。そして、矢矧は沈没し、池田さんは沖縄の海を漂流しました。
その後の人生は「余生」だと、池田さんは言われていました。
でも、「余生」とは思えないような大きな仕事をされ、そして、すごいと思うのは、84歳になるいまでもされつづけている、というところです。
山里の村の良さをいかしたまま再生しようと努力されたり、古き良き町並みを残した港町を何とか残していきたいと努力されたり、お住まいのある大村湾の生態系を復活されようとされたり・・・・。これが、余生と呼んでいいものなのでしょうか。
池田さんのされていることは「建築家」という概念ではないような気もします。
うまく表現できませんが、環境クリエーター? 町全体、地域全体を見据えた仕事をされています。 』
日記2月20日
池田武邦君に関するテレビ放映について,購読会員の方からDVDに保存したので送りましょうかと有り難いメールを頂きお願いしました。特4号の田島氏からはビデオに録画したので送りましょうかとこれまた嬉しいメールを頂きました。
記念誌について左近允尚敏君,都竹卓郎君にメールを送り賛同を得ました。逐次,ご意見を伺っていきます。
Comments(1)
Commented by のぶさん 私は四国
海兵72期の小西愛明様はご健在でしょうか。終戦前は特殊潜航艇の艇長として愛媛県の深浦基地におられたとのこと、是非、当時のことをお伺いさせていただきたいと思います。
また、既に亡くなられた経理学校出身の伴正一氏は、終戦前に松山基地に所在した内海空の副官でおられたとのことです。何か文章を残しておられないものでしょうか。
また、現在ご健在の方で、愛媛県の松山基地におられた方はいらっしゃいませんでしょうか。是非、ご教示をいただきたいと思います。突然にて申し訳ありませんが、宜しくお願いします。メールはt.ikeda@tau.e-catv.ne.jpです。住所は
日記2月19日
18日の池田武邦氏のテレビ放送を拝見したと言う購読会員の方からHPの池田武邦氏の書かれた記事を見ようとしたら,3つのうち2つが見れないとメールを頂きました。早速調べてみたら,何故かリンク切れ,早速修復しました。リコメンド有り難うございました。
池田武邦君のテレビ放映
2月13日のブログでお知らせした池田武邦君のテレビ放映について,昨晩泉五郎君から今見たところだと電話をもらいました。泉君連絡有り難うございました。
ところが,BSHIで放映されたので見れなかった方も多かったのではないか,また見忘れた方もおられると思います。
2月26日(火)1400〜1549 再放送があります。詳細は↓↓を御覧下さい。
http://www.amazone.co.jp/works/hvsp.html
お知らせ 恵比寿の防衛省防衛研究所史料閲覧室
72期21分隊深井良の甥深井紳一です。今日、かねてから訪ねてみたかった恵比寿の防衛省防衛研究所史料閲覧室へ行ってきました。「762空飛行機隊戦闘行動調書」−D特攻77に第九銀河隊の各機の発した電文が載っていました。複写不可の資料で許可を得て書き写してきました。以下の通りです。
深井機0726「戦場到達予想時刻0900」、長谷部六雄(乙飛特3期)機0808「戦場到達予想時刻0843」0836「我敵戦闘機ノ追跡ヲ受ク」0841「我敵戦闘機ヨリ脱却ス」、鈴木圓一郎(海兵73期)機0734「戦場到達予想時刻0810」、谷岡力(丙飛10期)機(この機の偵察員は山川芳男海兵73期)、小畠弘(丙飛9期)機0750「戦場到達予想時刻0900」0840「我敵戦闘機ノ追跡ヲ受ク」0847長符二ヲ送信連絡ヲ絶ツ
不明であった第二中隊二小隊一番機は永野金一一飛曹、飯島誠中尉、本田勝一飛曹のペアで0700「左発動機故障宝島ニ不時着ス」宝島見張所ノ報ニヨレバ島ニ到達寸前ニ洋上ニ不時着セルモ被弾ノタメ救助ヲマタズ遂ニ壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタルモノト認ム」とあります。
事実の重さというか、非常に臨場感を感じる電文でコルセアの激しい迎撃が想像されます。たどりながら映像が脳裏に浮かび痛々しい気持ちでした。
相談係りの方に72期関連史料はありますかとお聞きしたら、数ある海兵の記録で72期のものは特に少ないと仰っていましたので、なにわ会の所有する膨大な記録を寄贈されたら歴史的価値のあることではないでしょうか。
Comments(4)
Commented by naniwa-navy at 2008-02-19 07:45
貴重な報告有り難うございました。深井良君も,甥紳一君の熱心な追跡研究を喜んでいる事と思います。(伊藤 正敬)
Commented by 深井紳一 at 2008-02-19 11:16 x
何も、かにも伊藤さんのおかげで残すべき記録を発掘できます。この電文が出ていた資料は昭和20年2月−6月の「遺書」集でした。行動調書ではありません。こちらには確かK501での特攻の記録として各機が「自爆」と記録されていました。複写可の資料でしたので複写をお願いしてきました。また電話対応が聞こえていましたが、予科練等の記録は海軍省でなく各鎮守府扱いなのでこちらにはありませんとも言っていました。ご参考まで。
Commented by 深井紳一 at 2008-02-19 11:21 x
それから、山川芳男海兵73期は予備学13期の誤りでした。小畠弘(丙飛9期)さんも甲飛ではないかというご指摘があり後ほど確認したいと思います。
Commented by 伊藤 正敬 at 2008-02-19 12:22 x
73期の名簿で調べたら確かに山川芳夫氏の名前はありません。鈴木圓一郎氏は名簿にありました。
日記2月18日なにわ会ニュース記念誌
前から提案していた「なにわ会の記念誌」として次のようなものを纏める作業に入りました。
目 次
ようこそなにわ会HPへ・・・・・・・・・・・・・・編 集 部・・・1
序・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編 集 部・・・2
海軍兵学校72期生徒受験から卒業までの主要行事・・編 集 部・・・3
72期生徒入校ニ際シ校長訓示・・・・・・・・・・・新見 政一・・・6
72期生徒の員数の変遷・・・・・・・・・・・・・・編 集 部・・10
72期生徒卒業ニ際シ校長訓示・・・・・・・・・・・井上 成美・・14
海軍兵学校期別 卒業(修業)者数・・・・・・・・・編 集 部・・17
72期クラス会史抄・・・・・・・・・・・・・・・・編 集 部・・18
なにわ会幹事一覧表・・・・・・・・・・・・・・・・編 集 部・・23
クラスの各種会合・・・・・・・・・・・・・・・・・編 集 部・・26
参拝クラス会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26
年末クラス会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27
江田島クラス会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
洋上慰霊祭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
戦闘機会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
なにわ会旅行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
湘南なにわ会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36
パインなにわ会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36
関西なにわ会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37
中京なにわ会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38
その他の会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38
戦没期友を偲ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・39
戦没者一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・39
復員後物故者を偲ぶ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53
復員後物故者一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53
以下 戦記ものが多数入ります。
この記念誌についての私の取り組み方をまとめました。逐次,関係の方に送ります。
日記2月16日69会会報南十字星
南十字星28号(20年2月発行)を頂きました。69期は「69期会」の後を受け継いで「海軍兵学校69期家族会」として運営されており,年1回の慰霊祭とこの会報が発行されている。今回頂いた会報によれば,「19年度國神社慰霊祭」が平成19年10月13日に行なわれ,ご遺族71名,クラスメイト10名,物故者遺族5名合計86名が参加,祭文は69期の左近允正章氏の弟である72期の左近允尚敏君が奏上している。25号(120頁),26号(146頁),27号(87頁)から今回の28号は56頁と減少していて,高齢化に伴う結果と推察されえる。
昨日書いた「海軍隠語」について泉五郎君から問い合わせがあった。また,南十字星のなかに次の記事があったので紹介する。
昭和16年11月1日待望の少尉に任官した特,戦艦大和のガンルームでは,その道の先輩からSプレーの手解きが行なわれた。例えば
1 お遊びの相手は芸者(s)に限ること。
2 遊びに徹し,惚れてもSを結婚相手と考えるな。
3 女郎(P)とは遊ぶな。
4 結婚相手以外の一般女性には手を出すな。
5 性病予防法。コンドーム使用法等。
6 宴会作法などについて。
その時先輩から教わった「Sプレー」に関する隠語は次のとおり。
レス=料亭 チング=待合 インチ=馴染の芸者 ハーフ=半玉
パイン=小松 フィッシュ=魚勝 KG=霞月楼(料亭)
いもを掘る=料亭でふざける。暴れる。等
日記2月14日 海軍隠語
今日は久しぶりで矢田次夫君から電話があった。海軍隠語についての問い合わせだった。その時は詳しいことは分らない,いくつかは知っているけどと答えた。それから暫くしてHPで検索したら何か出てくるかと思い検索した。出てくるは,沢山出てきた驚いた。そしてA4 1枚分だけ印刷してFAXで送った。矢田次夫君とは1号55分隊の生き残りの2人だが,彼は耳が悪いので,此方の言う事を殆ど聞き取ってくれない。返事はFAXで送っている。
どんな海軍隠語が出ているか興味ある方は↓をクリックしてみてください。
http://nypl.gooside.com/page417.html
日記2月13日 お知らせ
都竹卓郎君から次の情報を貰いました。
「ハイビジョン特集日本の風景を変えた男たち▽廃虚から超高層そして〜池田武邦の戦後」 チャンネル :BShi
放送日 :2008年 2月18日(月)
放送時間 :午後8:00〜午後9:50(110分)
ジャンル :ドキュメンタリー/教養>ドキュメンタリー全般
番組HP: http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/
--------------------------------------------------------------------------------
−廃虚から超高層、そして…〜建築家・池田武邦の戦後〜−【出演】池田武邦 〜長崎、秋田、広島、東京ほかで録画〜
--------------------------------------------------------------------------------
日本最初の超高層ビル「霞ヶ関ビル」を設計し、超高層建築の第一人者となった池田武邦(84歳)は、今、かやぶきの家に住んでいる。池田は、あるとき、超高層ビルに居住する人間の世界に違和感を持った。そして、環境に調和し、自然に溶け込んだ建築を目指すようになった。なぜ、自ら生み出した建築物に疑問を持つようになったのか。池田が、日本各地の昔ながらの暮らしに触れる中で、自らの変遷の軌跡を語る。
HPの復員後の物故者名簿を訂正しました。
日記2月12日
98号の原稿を印刷屋に渡してホットしています。そして,時間の余裕が出来たのでHPの戦記を記念誌として纏めようとしてとりかかりました。随分沢山の記事があって驚いています。ニュースの形式にして500頁以上になりますね。そして,こんな事があったのかと初めて見るような記事が多数あります。本当に,このままHPだけでは惜しい,是非纏めて出版して後世に残したいと思うようになりました。会員諸君のご声援,ご協力をお願いします。
深井氏から2号37分隊の総員写真をいただきました。同分隊の鈴木彊君の協力で2号全員の名前がわかりました。
左近允尚敏君から昭和23年4月29日國生君宅で写した写真を送ってもらいました。満60年を経て國生君以外7名が健在なのはめずらしいと書いてありました。
Comments(2)
Commented by 春日 at 2008-02-13 00:01 x
なにわ会ニュースの編集お疲れ様でした。
なにわ会ニュース98号の父の思い出を書いた原稿をダウンロードし、満中陰の手紙に添えて親族や父や母の友人に送ったところ、父を偲んでいただき大変よろこばれました。ありがとうございます。
Commented by 伊藤 正敬 at 2008-02-14 08:49 x
皆さんに喜ばれてよかったですね。3月15日までには98号到着すると思いまス。貴方と妹さんに1部ずつ,お母様に6部送ります。もし更に必要ならご連絡下さい。
日記2月9日
一昨日印刷屋が見えたとき,昨年3月に印刷していただいた「なにわ会生存者の名簿」の印刷代,63440円を頂いていないと言われ,再度請求書を送ってもらいました。それを会計の窪添龍輝君に郵送して払ってもらいます。どうも,私が請求書を窪添龍輝君に送り忘れたようです。
日記2月8日
HPをよく見ておられる購読会員の方 Mさん からメールを頂き,『塚田浩君の遺稿 厚木雷電隊』の記事の中に打ち込み漏れがあるようだと指摘され,また,昨日取り込んだブログの目次の中で「平成」とすべきところが「昭和」になっていると指摘され,早速,チェックして訂正しました。このように,皆さんの協力によって,なにわ会のHPが正しく成長していくと思います。Mさん有り難うございました
Comments(2)
Commented by M
いつもお世話になりっぱなしなので、少しでもお役に立ててよかったです。
すぐに文章を追加してくださったので、片山中尉の出撃時のいきさつの続きが読めて、モヤモヤはなくなりました。
でも、モヤモヤはなくなりましたが、若いお二人の胸中を思うと胸が痛みました・・・・。
Commented by 伊藤 正敬 at 2008-02-09 13:44 x
今日もまたリコメンド有り難うございました。本当によく読んでいただいているようで感激です。これからもよろしくお願いします。
日記2月6日 98号発注 左近允尚敏君の太平洋戦争余話
今日は印刷屋コンタスに来てもらい,98の印刷を発注しました。108頁の予定です。
左近允尚敏君から太平洋戦争余話を含む波濤を送って貰いました。その中から何篇か99号に取り込もうと思っています。
前に左近允尚敏君が送ってくれた2階級特別進級した者,兵45名に機10名を加え名簿を作成しました。航空〔神風)兵38名,機5名計43名,回天,兵7名,機5名計12名となっています。名簿はHPに取り込みました。
日記2月5日 HP閲覧数8万突破 78期会報
平成20年2月5日1900, なにわ会HPの閲覧数は8万大台を越えました。平成16年11月立ち上げてから,早や3年2月経過,1日平均約70名の方が覗いていただいていることになります。最近はブログ主体でHPの更新は少ないのですが,自分でも吃驚するほど多数の記事を取り込んでいます。そして,このHPがご縁になって,戦没期友の親戚の方からメールを頂き,中を取り持ってより喜ばれた例も随分出てきています。また戦没者とは関係ありませんが海軍や航空機に関心のある方も随分見て頂いてメールを頂いたりしています。お陰さまで順調に育っている事を嬉しく思います。
なにわ会ニュース98号は明後7日,印刷屋に来てもらい発注します。現在は私のパソコンに取り込んである原稿をCDにコピーして印刷屋に渡し,製版してもらっています。これにより相当出版経費の節約ができています。昨日,このCDに何故かコピーがうまく出来ず,諦めて3.5インチフロッピーにコピーしました。そして念のため,今日CDにコピーしたらうまくコピーできました。不思議な現象がおこっています。
前に提案したように今回から,投稿された方も1部の送付とさせていただきます。数名の方から1部でよいとの返事を頂いていますが,2部以上ご希望の方は昨年逝去された春日様ご遺族だけです。もし,2部以上ご希望の方がおられましたら至急お知らせ下さい。
78期会報50号(20年1月発行)A5 176頁 を頂きました。
左近允尚敏君から幹部学校波濤掲載の太平洋戦争余話(14)(15)を頂きました。
Comments(3)
Commented by あらい(購)
8万突破、おめでとうございます(祝)。
「海軍や航空機に関心のある」うちの一人です。
出版されている戦記などを読んでいて「○○中尉(海兵72期)」とか「○○大尉(海兵72期)」と出ていると、すぐになにわ会HPでその人のことを書いた記事や写真を探すようになりました。ご本人や、実際に接しておられた方が書いたものなので、とても参考になりますし、胸に迫ってくるものがあります。
ブログの方も宴会記事やゴルフ、歩こう会なども楽しみに拝見させていただいています(お元気そうな写真がいいですね)。これからも頑張ってください。
Commented by 上野三郎
8万突破おめでとう
多くの人たちに関心の有ることの証明ですね、根気よく継続された事に敬意を表します。私も出来るだけ明るい記事を提供出来るよう頑張りますので、尻を叩いて下さい。
Commented by naniwa-navy
あらい様 上野三郎君 コメント有り難うございました。お陰さまで順調に成長しています。生きた戦記物だから読まれる方が多いのでしょう。昨日も横浜の60代の方から,毎日ブログとHPを見させていただいているが,出来ればなにわ会ニュースを拝読させてもらえないかと言うメールがあり,メール交換の後,購読会員になっていただいた。HPが縁で購読会員も随分増えてきました。
日記2月4日 荒木君
2日に東條重道君と会われた荒木様から次のメールをいただきました。
「ご連絡頂きました東條様のご自宅に先日伺い、お会い致しました。東條様が、宇佐航空基地で教官として従事されておられた時に、攻撃708飛行隊の叔父荒木信正と2名の方で1日だけ任務で宇佐航空基地に訪れその折、撮られた写真に、叔父荒木信正の姿がございましたので、アルバムを拝借させて頂きました。東條様をご紹介ご連絡頂きましたこと感謝いたしております。」
そして3枚の写真が添付されていました。↑はその1枚です。
Comments(1)
Commented by 深井紳一 at 2008-02-04 11:49 x
荒木様も日本のために戦われた叔父様の足跡を辿られているのでしょうか。鮮明なご勇姿の写真がみつかって良かったですね。東條様をはじめなにわ会の皆様のご厚意はありがたい限りです。おせっかいかもしれませんが、記録が残らなければ叔父様達が奮闘された事実は無かった事になってしまいますので、ぜひ記録をおまとめになってはいかがでしょう。もし、世に出すというような事になるなら、伊藤さん経由でご連絡頂けば、出版社の方をご紹介致します。
日記2月3日
今日は19年12月のブログを整理してHPに取り込みました。同時にブログ目次を作成して,19年1月以降各月のブログが見れるようにしました。
購読会員の方(前に彼女のブログを紹介しました)が深井紳一氏の書き込みと野中繁男君のよせがき『征空萬里』をみて痛く感動され,彼女のブログに感想を書いています。
奉職履歴
「空母『瑞鶴』」「知られざるB29基地爆撃作戦」「日本版VT信管・有眼信管実用化への挑戦」などの著作のある戦史作家神野正美様から、軍人、その身内は戸籍謄本などで軍人本人との関係を証明できれば、厚生労働省へ履歴を請求することができるとお聞きしました。昨年請求していた深井良の履歴が先日届きました。これを見ると5月11日に特攻しているのに、昭和20年6月1日に大尉任官となって訂正線が加えられています。東條重道様が「あと20日特攻出撃が遅ければ、特攻後は中佐になったのに惜しかったなあ」と仰って頂いたまぼろしの大尉任官が履歴には残っていました。艦船乗務も予定されていたようですが、こちらも「海軍練習航空隊飛行学生ヲ命ス」と訂正されていました。
なにわ会の方、また他の軍歴のある方はご本人、ご遺族にかかわらず同じ様に国家に奉職した貴重な証明を請求されてはいかがですか。問い合わせ先は1008916 千代田区霞ヶ関1-2-2厚生労働省 社会援護局 業務課調査資料室資料第4係。
電話 03-5253-1111(代表から繋いでもらう) 坂井さんという方が担当でした。必要なものは履歴の本人の名前、生年月日、戦死の場合は戦没年月日、本籍、その他例えば攻撃501飛行隊在籍等分かる事。本人と請求者が異なる場合は本人との関係を証明できる各人の除籍謄本、戸籍謄本。履歴の目的を聞かれた場合は記録保存で大丈夫でした。なお、市役所で除籍謄本を取る時は、正確な当時の住所を求められますので事前に良く調べておく必要があります。
深井紳一(海兵72期深井良の甥)
Comments(1)
Commented by naniwa-navy
伊藤正敬です。貴重な情報の書き込み有り難うございました。72期で特攻戦死して海軍中佐に進級したものは1人もいません。20年6月1日に大尉昇任ですのでもう20日後ならば海軍中佐に特別昇任されていたはずです。今特攻で戦死したものを纏めていますが,72期では神風特攻39名,回天特攻6名だと思います。
日記2月2日
74期江鷹2月号をいただきました。この中に分隊会の記事が2つありました。
まず,19年11月7日,8日,鎌倉で43分隊会。來島照彦君,渋谷信也君,平野律朗君が参加。
次は19年11月15日,16日,金沢で28分隊会。大村哲哉君,松山実君が参加。共に1号の参加を感謝されている。
東條重道君から次のメールを頂きました。
「先ほど荒木君のご遺族とお会いしました。川越にお住みなので兄上と甥の2人が尋ねてくれました。小さい写真で荒木君をすぐに判別できて私の知る範囲のこと全てお話ししました。甥御さんから詳しく報告あると思います。宇佐空でただ1度お遭いしたご縁でしたが、数枚の写真を残していますので,手持ちの資料から戦死された状況を想定してお話しておきました。貴君のプログのお陰で期友の活躍が御遺族にお伝えできたと嬉しく思います。戦友の叫びにお答えできたようで嬉しく思います。」
荒木君もあちらで懐かしく喜んでいる事でしょう。よかったですね。
村山君から先日亡くなった村上義長君の写真を送ってもらい,「村上君の葬儀」に取り込みました。これで98号の編集全部完了です。
日記2月1日
なにわ会ニュース98号の校正全部帰ってきました。ご指摘箇所を修正してこれから総仕上げにかかります。
打ち込んだ全部の原稿をパソコンで印刷して出来上がり見本を作ります。
それで,頁番号を再度確認して,要すれば,表紙を訂正します。
これを,CDに全部保存します。(念の為2部作成します。)これを印刷屋に渡します。
写真は一応各頁に取り込んでありますが,綺麗に印刷する為,もとの写真を印刷屋に渡します。この場合,何頁の何処に入れるかを記入します。
発送用ラベル(今回は約510枚)を作成して印刷屋に渡します。
こんなことを全部仕上げて,印刷屋に来てもらい,説明して発注します。
約1週間ぐらい経つと,ゲラ刷りが来ますので,それを見て最後の校正にかかります。
発注前に4人の会員(大谷友之,都竹卓郎,佐丸幹男,窪添龍輝の4君)に校正して頂いているので,この段階でのミスは殆どありません。後は印刷完成を待つばかりです。
98号ですが,
生存者 兵143 機23 主15 会友5 計186(93%)
戦後物故者 兵 82 機14 主8 会友3 計107(58%)
戦没者 兵143 機15 主4 計162(39%)
総計508部の発送予定です。なお,3年以上年会費未払いの方には発送を遠慮しています。前にも書きましたように,今回から,投稿者を含め原則1部の発送に切り換えました。なお,今まで佐川急便をつかっていましたが,今回からクロネコヤマトの宅急便に変更します。3月15日までにはお手元に届くと思います。