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ブログ 19年12月

日記12月31日
平成19年もあと4時間になりました。 今年は松枝茂純君(2月12日没),花田武彦君(2月21日没),石隈辰彦教官(3月22日没),伊藤孝一君(7月14日没),井上春海君( 8月 8日没),岩本修君(8月16日没),春日仁君(11月27日没)と教官1名,会員6名計7名を失った事は残念です。謹んでご冥福を祈ります。
なにわ会は来年,20年12月をもって組織的活動を終わる事が決定しました。来年は最後の年,立派に最後を飾りたいと思います。そこで,お願いですが,是非最後の一言を投稿して下さい。そして,是非,FAXの設置と携帯電話によるメール送信に挑戦して下さい。情報を私のパソコンに頂けば,その都度,このブログに掲載して,情報の伝達に努めます。
21年以降の会員への情報の伝達配布には,このブログが活躍できると信じています。
1月4日の行なわれる湘南なにわ会に市瀬文人君が参加してくれ,出席予定者は28名になりました。
本日誤って,なにわ会会員にメール年賀を早々送ってしまいました。作成しておいて,下書きに保存して,年変ってから送信するつもりが,何時の間にか送信されてしまいました。失礼の段お許し下さい

日記12月30日
大谷君から2回目の校正を頂いた。そして永代神楽祭の案内も見せてもらった。
今日メールアドレスの分っている方に「11月のブログ」をまとめたものを添付して次のメールをおくりました。見て是非ご意見下さい。

「20年末でなにわ会の組織的活動が終わる事になりましたが,その後の情報伝達,交換手段として次のようなものが考えられます。
1 HP  2 ブログ  3 FAX
このうち1と2はパソコン所有者に限られますね。パソコン所有者は,現在約40名(20%)です。そこで,ブログを印刷して配布したらどうかと考えました。
送料はかかりますが,2月に1回か,3月に1回郵送する。200名に送付するとして,1回,16,000円,2ヵ月に1回なら96,000円,3カ月に1回なら64,000円,1年でかかります。
出来れば2ヵ月に1回配布する。この時は,作成費30頁として6000枚で約6万円,送料9万6千円で約15万円かかります。年1回約50頁のなにわ会便りを作成配布するとして,印刷費約15万,送料2万円計,17万かかります。考えてみたら,ブログ記載のものを2ヵ月に1回配布したほうがよさそうです。
ご遺族には最終のなにわ会ニュース100号送付時にご希望を聞き,希望者には一度1000円納入していただくことにしてはいかがかと思います。」
ご意見下さい。
なにわ会ニュース98号も100頁ぐらいに纏まりそうです。私が会報を引き受けてから,寄稿者には2部お送りする事を原則としてきましたが,受け取った方から,2部入っていたが1部でいいとのご意見を時々頂きます。それで,次回から,原則1部配布に変更したいと思いますが,ご意見ある方はお知らせください。無論,寄稿された方が何部か余計に欲しい時は発送前にご連絡戴けば,゙ご意向にそうように致します。よろしくご協力下さい。
また,今まで発送に「佐川急便」を利用していましたが,次回から「クロネコヤマト」に変更します。少し料金は嵩みますが,早く確実に到着します。

日記12月二十九日
74期の会報(江鷹)20年1月号を頂ました。74期も平成21年12月に最後の全国総会を行なって「組織的活動を終結」するようです。またこのクラスは最終名簿を発行します。
今度の1月4日の湘南なにわ会にはブログに書いたように29名出席予定でしたが,草野夫妻が欠席されることになり27名の参加となりました。この27名のうち,11名はパソコン保有者で16名が未保有者のようです。なにわ会ニュースの記事を沢山HPに取り込んでいますが,打ち込み間違いが相当ありますので,パソコン所有者は自分の投稿をチェックし,誤りを教えて欲しいと思います。今回の湘南クラス会参加のパソコンを嗜まないと思われる方16名の投稿のHPを印刷しました。当日配布してチェックをお願いする予定です。
水交20年1・2月号を頂きました。その中に左近允尚敏君の「功1級金鵄勲章の謎」と題する1頁余の寄稿がありました。

日記12月28日
さきに,ブログでニュース98号に掲載を予告した艦務実習中の八雲実習幹部が書いた「行脚」について,もう少し考えたほうがいいのではないかという大谷君の意見があったので,98号での掲載は見合わせます。
73期峯氏のご子息が小灘夫人から頼まれてHPに取り込まれた多数の記事については,既にこのブログで紹介しましたが,実に多数の記事があって驚くばかりです。なにわ会HP物故者記録からリンクさせてあります。是非御覧下さい。そのうち,八丈島にいた小灘隊長の「第2回天隊関係の記事」と「帖佐さんと回天隊創生の頃」を戦記からリンクさせました。また,
その中にあった「回天搭乗員の一枚の集合写真」を次に掲載しました。
(写真略」
最前列左から
 1人目 河合不死男(兵72、第一回天隊)
 2人目 帖佐  裕(兵71、第三回天隊)
 3人目 近江  誠(兵70、23突)
 4人目 吉本健太郎(兵72、金剛隊伊48潜、戦死)
 5人目 小灘 利春(兵72、第二回天隊)
第2列左から
 1人目 橋口  寛(兵72、神州隊伊36潜
                   出撃直前終戦、自決)
2人目 川久保輝夫(兵72、金剛隊伊47潜、戦死)
3人目 久住  宏(兵72、金剛隊伊53潜、戦死)
4人目 加賀谷 武(兵71、金剛隊伊36潜、戦死)
5人目 石川 誠三(兵72、金剛隊伊58潜、戦死)
6人目 都所 静世(機53、金剛隊伊36潜、戦死)
7人目 豊住 和寿(機53、金剛隊伊48潜、戦死)
8人目 本井 文哉(機54、金剛隊伊36潜、戦死)
第3列左から
1人目 不明
2人目 原  敦郎(予士4、金剛隊伊47潜、戦死)
3人目 伊東  修(機54、金剛隊伊53潜、戦死)
4人目 有森 文吉(水雷科、金剛隊伊53潜、戦死)
5人目 佐藤 勝美(水雷科、金剛隊伊47潜、戦死)
6人目 村松  実(水雷科、金剛隊伊47潜、戦死)
第4列左から
1人目 園田 一郎(予士4、神武隊伊58潜、
          多々良 伊58潜、多聞伊363潜)
2人目 不明
3人目 不明
4人目 古川 七郎(水雷科、天武隊伊47潜、戦死)
5人目 井芹 勝見(水雷科、金剛隊伊47潜、戦死)
6人目 山口 重雄(水雷科、天武隊伊47潜、戦死)
7人目 三枝  直(甲13、菊水隊伊58潜、戦死)
8人目 森   稔(甲13、金剛隊伊58潜、戦死)
この写真27人の内訳
 兵70期1人 兵71期2人 兵72期7人 機53期2人 機54期2人 
3期予士2人 4期予士3人  水雷科下士官6人 予科練下士官2

12月27日
今日はなにわ会HPのトップ頁を整理しました。見易くなったと思います。
 昨日の幹事会で,香典か供花かについて意見がありましたが,来年の代表幹事の左近允尚敏君から次のメールを頂きました。
「花か香典かについてですが「供花料」にすればと思います。供花の場合3校名併記は長くなるので、「海軍同期生一同」にしてもらってはと思います。」
この件,幹事のご意見でいいと思いますがいかがですか。
24日に書き込んだ海軍兵学校73期の会報に次の記事がありました。
会友後藤寛君寄稿の「創業期の海軍と鎌倉」
また,73期は会員の老齢化による「通信障害」対策として,Faxの設置と利用の促進が図られてその結果,会員の60%者がFaxを設置しています。我がなにわ会は生存者193名中 約100名(51%)の設置にとどまっています。21年以降のクラスの情報伝達手段としてFaxはメールと共に極めて有効な連絡手段ですので,未設置の方是非設置していただきたいと願っています

日記12月26日
今日で,なにわ会HP立ち上げてから満3年が経過しました。この間,見て頂いた方が述べ7万7千余名に達しました。一日平均71名になります。お陰さまで順調に育っていて,喜ばしい限りです。これからもよろしくお願いします。
HPを整理しました。19年10月と11月の更新記録を古い更新記録に移し,スッキリさせました。そして19年の各種クラス会の記録を整理しました。
今日は水交会で新旧幹事の申し継ぎ幹事会があり参加しました。今年は年度途中で2名の幹事が病気で交代する事になり,また,次の幹事を見つけるのが困難になってきているので,20年末で締める事になったのは良かったとの意見が多かったです。

田島明朗氏(自称特四号)が昨25日、精島勝義君の甥 弘文君と広島で会い,昼食をたべながら3時間ばかり話あったそうです。弘文君は幹部候補生学校の部内幹候課程で勉強中です。来年2月22日に修業,3等海尉になるそうです。このように,なにわ会関連の者がむつまじく話しあうのはなかなか良いことと思います。

日記12月25日
1月4日の湘南なにわ会の参加予定者については,12月16日のブログに書き込みましたが,今日上野三郎君から草野家康夫妻欠席に変更と連絡あり,29名から27名に参加予定者が減りました。久しぶりでなにわ会HPを更新しました。インターネットで検索していて,小灘利春君がなにわ会バイパスニュースに投稿していた記事「回天と我がクラス」を見つけました。なぜか,今まで取り込んでいなかったので取り込みました。
明日はなにわ会新旧幹事の申し継ぎ幹事会が行なわれます。年度幹事の要望で,私も参加しますが,参考資料として2部作成しました。1つは,先日決定した{なにわ会の今後について」,もう一つは「年度幹事にお手伝い出来ること」についてです。
要旨のみ掲載します。
1 手元にある資料
 a なにわ会会員の住所録
(生存者全員と戦没者、戦後物故者の遺族のうち年会費納入者)
 b 年会費納入状況(19.12.15現在) 会費納入者(未納者)  
          兵    機   主    計
生  存  者 143 (10) 24 (1) 15 (0)  182 (11)
戦後物故者遺族  79 (55) 14(14)  7(9)  100 (78) 
戦 没 者遺族 146(207) 15(42)  4(16) 165(265) 
計                      447(374)
生存者は兵10名、機1名のほかはおおむね年会費は納入されている。
未納者 (略)
  c 個人別年会費納入状
 d なにわ会会員名簿(パソコンで活用できるもの)
   変更通知があったものはすべて訂正済み
2 年度幹事の仕事に協力できる事項
 a 慰霊祭
  (1)案内状の作成 印刷手配
  (2)案内状の発送先決定、ラベル作成
  (3)当日配布資料の作成・印刷手配
 b 年末クラス会
   おおむね慰霊祭と同じ
3 その他
  いろんな資料があるので、ご連絡いただければ、協力します。

日記12月24日
海軍兵学校73期の会報87号(12月25日発行)を頂きました。A5版108頁です。
これによれば,73期クラス会は平成19年10月5日に國神社慰霊祭ついで懇親会を実施し127名が参加しています。そして, HPについては,当面見送りとなり,その代案としてパソコンによるニュースの一斉配信を希望者に対し行ない始めています。さらにFAXの設置を勧めて,FAXによる情報配信に努めています。73期の生存者(19年11月30日現在)は317名(生存率35%)となっています。
ニュース98号の原稿は現在100頁ほど集りました。さきに,泉君と大谷君から頂いた艦務実習中の八雲実習幹部が書いた「行脚」を整理してパソコンに打ち込み,98号に掲載したいと考えています。八雲では兵102名,主17名の実習幹部が,乗艦し実習していました。
この「行脚」には,
飯田嘉郎・泉 五郎・來島照彦・中林正彦・西尾 豊・松下太郎・百瀬 茂・横田敏之・和田恭三・渡辺 望の10名の生存者,
大熊直樹・大野嘉秋・鬼山隆三・小島末喜・鈴木 脩・田上周男・戸泉 弘・藤井伸之・藤野竜弥・古川嗣郎・巻 石蔵・八淵竜二の12名の戦後物故者,
岡田 清・柿崎 実・菊池祥一・高原哲夫・武井敏薦・武田晴郎・出宮喜顕・登丸 肇・新井田康平・西 金蔵・福岡利三・福島誠二・藤範純二・三浦政一・溝上正人の15名の戦没者の記事が残っています。亡くなった期友の冥福を祈って掲載したいと思っています。

20年度幹事の変更
年末クラス会で紹介のあった20年度幹事の内,三澤禎君は都合により野崎貞雄君と交代したと上野三郎君から連絡がありました。
20年度幹事は次の5名です。
(兵)左近允尚敏(代表) 中井 末一 上野 三郎  (機)野崎貞雄  (主)高杉 敏夫

日記12月23日
昨日は春日美智子様に書きこんで頂き,そのブログに閲覧しておられる方からコメンを頂き,次第にこのブログも賑やかになってきて喜んでいます。
なにわ会ニュース98号は来年3月発行予定ですが,現在原稿が約90頁集っています。あと20頁ぐらいしか余裕がありません。投稿される方は成るべく早く送ってください。ニュースは100号で打ち切りが決定しました。あと3回です。言い残したい事のある方,是非最終号までにご投稿下さい。

パソコン(春日の娘)
お言葉に甘え、はじめてブログに投稿いたします。
パソコンは苦手ですが、現在Vistaを使っています。
今年9月にパソコンが壊れ、バックアップを取っていなかったので全てのデータを失いました。
「親をなくすのは過去をなくすこと」と言われますが、パソコンが壊れたら自分の過去が消えたようでした。今度から、まめにデータを焼いて保存していこうと思います。
Vistaの評判はよくありませんが、これまでMcaを使っていたので非常に快適に感じます。まだまだ使いこなせませんので、よろしくお願いいたします。

春日さん 早速書き込み有り難うございました。これをきっかけにして多数の方に書き込んでいただけるようになると嬉しいです。バックアップ,本当に大切ですね。特に,私のように会報の編集に携わっているものにとっては何時も心掛けています。現在パソコンはME1台,XP2台を持っていますが,常用は富士通のXPで,これに打ち込んで,保存した後,すべてMOにも保存しています。そして毎週土曜日にNECのXPにも保存しています。パソコンは何時何が起こるかわかりませんので,常にバックアップを心掛けています。何れVisutaを使わなくてはならないときがくると思いますので,またVisutaのこと,書きこんでください。

コメント(荒井(購読会員)こんにちは。
伊藤さんはパソコンユーザーの鏡ですね。本当にパソコンはいつ何時どんなことが起こるかわからないので、バックアップ第一、備えあれば憂い無し、ですよね。頭ではわかっていても、なかなか実践できないものですが、きちんとされているのですね。
わたしも今年になって、壊れる前に先手を打って、Windows2000からVistaにかえました。WordとExcelぐらいしか使わないので、動作の重さに辟易しましたが、メモリを増設して何とか普通に動くようになりました。
昔とは違い、わたしのような初心者でもパソコンが使えるようになったのはいいことですが、次から次へと新しいOSを出して、前より使い勝手が悪くなってしまうのは困りますね・・・・。

コメント 若本千秋(太田威夫の娘)
明けましておめでとうございます。はじめてブログに投稿します。よろしくお願いします。なにわ会が今年でなくなるそうですが、今年から刈谷の方へ送ってく下さればとてもありがたいと思っています。
平成10年3月寄稿(太田威夫君を偲ぶ)浅沼薫様は、お元気でいらっしゃるのでしょうか?私は一度太田学で投稿したものです。新しい年に向けパソコンに挑戦していますよろしくお願いします。

コメンと( 伊藤)
若本様 コメント有り難うございました。我々も今年は平均年齢85歳,何時までも続けたいのは山々ですが次第に身体がいうことをきいてくれなくなりました。今年末で一応締める事になりましたが,クラス会員に情報配布は続けたいと思っています。淺沼薫君は体調を壊してこのところ連絡がありません。ニュース等の送付先,刈谷とのことですが,どちらにお送りしたらよいか,メールで住所等お知らせ下さい。私へのメールはHPの下のほうにクリックするところがありますのでよろしく。

日記12月22日
今日は泉五郎君が年末の挨拶をブログに書きこんでくれて本当に嬉しくなりました。このブログの書き込みはとても簡単で写真も手軽にとりこめます。会員の方,会員でなくてもこのブログをよく見ていただいている方,何か書きこんでください。
もう一度書き方を書いておきます。
まずこの頁を開いたら,右上の「ログイン」(國神社の写真の上)をクリックして下さい。出てきた頁の左上の方の「エキサイトID」のところに naniwa-navy と入れて下さい。これは半角小文字でお願いします。次にパスワードの所になにわ会を構成する学校の期の番号を組み合わせた6数字を入れて下さい。そして「ログイン」をクリックして投稿記事を書きこむ画面を出して下さい。
投稿画面が出てきたら,右上の「投稿」をクリックして下さい。次の画面で「カテゴリー」 「タイトル」 「記事」を入れて下さい。そして最後に一番下の方の「送信」をクリックして下さい。
写真を入れるときは,この少し下の方の「参照}をクリックして,さらに出てきた画面の「参照」をクリック,写真を選んで「アップロード」をクリックして下さい。分らなければパソコンを立ち上げて電話いただければ,さらに詳細お知らせ出来ると思います。

深井様,春日仁様からコメント頂き有り難うございました。

呑気呆手の年末ご挨拶・・泉五郎
 今年もいよいよ残り僅かと相成りました。思えば一九八〇年春四月、クラスメートに檄を飛ばし、いとも悠長なる通信碁のクラブを発足、後に大袈裟にも且は麗々しくも爛柯同人社と改名、その間烏鷺ならぬ烏兎は怱々として、閲歴ここに二十有八年。
 当初は葉書の往復より始まり、今世紀初頭より先ずはパソコンによる対局処理、ファックス通信を足掛かりに、インターネットに加入、世界に平和と爛柯交友の輪を拡げんとの大望も、システム開発を担当したる愚息の転勤のため頓挫、本年末を以ってここに幕を閉じるに到る、誠に残念無念!
 その間多くの会友と幽冥境を異にせしは更に痛恨の極みと雖も、烏鷺盤上手談の楽しみは我が呆け防止に貢献するところ甚大、感謝に堪えず改めて御礼申し上げます。
老妻もまた幾人かの碁敵に恵まれ余禄に与るを得、これまた望外の喜び、本人に代わり併せて御礼申し上げます。
 格好つけたご挨拶はこのくらい、正体はドン・キホーテ、漢字で書けば「呑気呆手」とサンチョの二人連れ。サンチョは何を隠そう我が女房の才子様。
麗々しく掲げた同人社綱領も色褪せて、老残今やなって候。
 これからは沈香も焚かず屁もひらず、亭主関白の前非を悔いて専ら女房殿の忠実なる僕たるべく、且つは成るべく不摂生の限りを尽くし、一日も早くお陀仏するのが世の為人の為かと存じおります。
 もっともこれは口先だけの強がりに過ぎず、大河の奔流にも似たる世の様の移ろいに泡沫にも似たる老耄は余り感懐も湧かず、ご挨拶には些か不躾とは存じますが
「門松も 紙一枚の 目出度さか」 というところです。
 以上年末のご挨拶と思っていましたが、過日知合いの安藤さん宅で八千代媼がクリスマスの日に百才になると伺い、即興お祝いの一句進呈。
   明治より ももとせ香る 藤の花
           千代に八千代に 安らけくあれ
 この老媼至って矍鑠、皆様もあやかつてお元気でいいお年をお迎えください。
 
   平成十九年十二月二十二日 
 
コメント( 伊藤正敬)
泉さん 年末のご挨拶有り難うございました。他の会員もこのようにいろいろ書きこんで交友の場としていただければ嬉しいです。
書き込み方が分らなければ御電話いただけば具体的にお知らせします。

日記12月20日
都竹卓郎君から「大和}艦橋から見たレイテ海戦その2」を頂きました。
特四号田島明朗君から呉水交会誌(最新版)と近況,さらに東郷元帥の遺髪関連の写真を頂きました。その中に三笠にある東郷元帥の遺髪の写真2枚がありました。左近允尚敏君撮影のものです。↓に掲載します。
(写真略」

春日
父は、少年時代、東京府立第四中学に通っていた頃でしょうか、東郷神社に参拝したことがあったそうです。
父は、勇敢な張り切りボーイだったと言われますが、大変な怖がりでもあります。
東郷神社には東郷元帥の入歯が展示してあったそうで、少年にとっては、それが怖くて怖くて仕方なかったそうです。怖くて仕方なかったなら、お母さんにでも相談すれば良かったと思いますが、当時から寡黙な性格だったようで、誰にも「入歯」のことを話せず、もんもんと過ごしたそうです。是非、一度参拝したいと思います。

こめんと(伊藤正敬)
コメント有り難うございました。春日仁君が逝去されて間もなく1ヵ月ですね。お淋しい事と存じます。東郷元帥の入れ歯が怖かったのですか,春日仁君は。海軍兵学校時代の私の春日仁君の印象は豪放磊落の大人物だったという思いがあります。今私は総入れ歯です。怖い人もあるのならそこらに外しておいていてはいけませんね。

コメント(春日)
「春日仁君の印象は豪放磊落」、そうでしたか。ありがとうございます。
父は、軍人だったくせに、ウチでは怖がりでした。歯医者も、怖くて行けず仕舞い。
晩年、歯の何本かは失ったようでしたが、とうとう自分の歯で終わりました。
今日は、父の四・七日です。私にとっては、恋人のような存在でしたから、寂しさはつのるばかりです。

深井良の開戦直後母に送った手紙
深井良のチェストにあった深井良が真珠湾攻撃直後母宛に送った手紙です。
甥の紳一氏が見つけられたもので,当時の漢字,用語そのままで掲載されています。
昔のこと思い出すと思い転載しました。

「お母さん 大へん御無沙汰して申譯ありません。此れには色々理由があったのです。先ず第一が日米戰争の勃撥ですね。これには、そちらでも相當驚いたことでせう。遂に私達にとって来るべきものが来たのです。それ故、兵學校では、實に物凄いものですよ。八日の朝でした。日本が英米と戰争を始めたといふことを知ったのは、私達も少しは豫期して居りましたが餘りに急なこと故、驚いたわけです。それから續いてもう一つ驚いたことは、海軍のすばらしい戰果です。もう一つ二日経ってから、私達は、冬期休暇癈止といふ達示を受けました。時局多難の折から当然なことゝは思いましたが、何だか私は眼前の目標を失ってしまった様な感じが致しました。待ちに待った休暇が一ヶ月足らずというのに、なくなるのですからね。お母さんも、既に御承知のことでしょう。私達の直接の先輩が今、太平洋上で、英米を向うに、大戰争をやってゐるのに、私達が今冬休暇で歸省するなんて、一寸考へられませんね。併し、冬休暇が無くなったばかりなら、まだ良いですが、それからの日課が亦、改正されたのです。この日課は一二月二十五日から實施されるのですが、今迄のように毎日五時間授業は六時間、土曜日も、午後は課業があるし、それが終ると直ちに訓練、あとは食事、入浴、自習それだけです。ですから、自分で勉強するのは自習時間の三時間です。又、祭日でも、四大節以外は授業があるらしいのです。一年の行事も大部分変更になりました。又、此の分で行くと、私達の卒業も相当早くなるかも知れません。休暇も止めて、猛勉強猛訓練ですからね。私も非常時、超非常時の兵學校生徒たるからには、此れ位のことで少しもへこたれはしません。益ゝ頑張る積りです。お母さんも私の事は少しも氣をかけず、お過ごし下さい。−中略−此の休暇で色々計画を作って居りましたので、近い内に、書物を送って貰うかも知れません。これは後日お便りすることにします。−中略−弟達にも、私が歸れないことをよく言って下さい。それから、ポチ公とチビ公にも(ペットの犬達)。お正月に寫眞を撮ったら私の處へも送って下さい。お母さんも暇な時に、一通でも手紙を出して下さい。楽しみにして居ります。寒さ加はる折から、充分、躰に氣をつけて下さい。皆々様によろしく。では又。
                             良。
                 一二月十三日 

コメント( 深井紳一)
待ちに待った冬期休暇の取り消しに皆がっかりしたようですね。愛犬ポチ、チビにも帰省できない事を良く言ってくれと頼む伯父が好きです。アメリカは何としても最初の一発を日本にさせたかったのだなと思います。盧溝橋の一発といい、どちらが先に手を出したかは歴史上の大問題だったのでしょう。駆逐艦ウォードが甲標的に最初の一発を食らわせた事実はルーズベルトには日米開戦がアメリカ側からという事になって、不都合であったのでしょう。アメリカのドラマや西部劇でも、殴ってみろと挑発して相手に殴らせてから、こてんぱんにするのがアメリカ流ですからね。(それとも本当に敵潜水艦の存在を警戒に値しないとするほど怠慢であったのでしょうか)兵学校の生徒達は戦果を喜んでいたようですが、経済、物量からも勝てるはずのない戦争を始めなければならなかった山本五十六の心中やいかにという感じです。

日記12月19日
久しぶりで深井紳一氏のHP「深井良のチェスト」を拝見,益々充実しているのに驚きました。↓を見て下さい。
http://mypage.odn.ne.jp/home/fukapon
よくもこれだけ資料がまとまったと感嘆しています。
その掲示板に神野正美氏書き込みの次の文章がありました。
「72期の足立さんは空母「瑞鶴」の甲板士官として「瑞鶴」最後の戦いに参加された方ですね。私も「瑞鶴」調査時にずいぶんとお世話になりました。あとは通信士として乗艦された辻満寿夫さんにもお世話になりました。」
なにわ会のHPで鏡政二君の記事を見られた山口氏(平成12年に亡くなった鏡政二君の子息 道雄君と小学校同級)から連絡を取りたいとメールがあり,FAXでその旨鏡夫人に知らせました。その後,鏡夫人から電話頂き二人の仲をとりもつことができました。
77期の方からいただいたメールにVISTA(Office2007)を使った感想がありました。これから買い変える方の参考になると思いますので転載します。
1 とにかく,作動が重くなりメモリーは最低2G必要です.。これからデスクトップを 新調する人は必ず最低2Gにして下さい。
2 最初OutlookExpressがなくびっくりしましたが,すべてのプログラムの中に、WindowsMailというアイコンがあってこれがOutlookExpressの最新版で操作も同じです。
InternetExprorer7からOutlookExpressがなくなったのです。
3 拡張子が4桁となり例えば従来のdocはdocxになります。このファイルはWindowsXPでは開けず、人にメールで送れません.。必ず保存する時にXPを選ばねばならずファイルが2個になります.。
XPその他で作ったファイルはそのままVISTAに保存できます。
4 画面はXPスタイルを選べますがアイコンや操作がすっかり変わり本当に戸惑います。
何故前の通りにしないのか腹が立ちます。
5 友人の話しですがXPに入れてあった広辞林がVISTAでは使えず憤慨しています.。
以上VISTAの欠点ばかり述べましたが,メリットもあると思いますので、これから研究します。私はデスクトップはXPで,ノートPCが壊れたのでVISTAにしたので、皆さんも1台しか持たない人にVISTAは薦められません.

ご遺族の加藤様(河合不死男の遺族)から海軍兵学校74期生の少尉任官日を尋ねられました。74期の方に聞いて20年7月15日であったことを確認して返事しました。

日記12月18日
71期HPから次の情報を入手しました。
1  19・11・22 東京の新橋駅前の第1ホテルで平成19年度のクラス懇談会開催。
会員34名、会友と会員支援者19名参加。現在員は113名であるが、老年化のため、参加できない会員が激増している状況である。
2 訃報
山尾蔦樹先輩 19・11・6  肺炎にて死去
久良知滋先輩 19・11・30 肺気腫が悪化、肺炎にて死去
4号時の分隊別名簿訂正しました。
佐丸幹男君から第1回の校正を返していただきました。あと都竹卓郎からのが帰ってくるのをまっています。先日都竹卓郎から電話あり,「大和艦橋から見たレイテ海戦」の続編近く送ってくるそうです。

日記12月17日
77期会報86号を頂きました。このクラスは全国規模の総会をやめて,地方ごとの会にきりかえています。そして「各地区便り」として関東甲信越地区期会,中国地区総会,東北地区期会,四国さんご会総会,群馬県期会の報告が載せられています。そして「地区期会の今後」と題して座談会が行われ,その要旨が掲載されています。その中で,「会報発行と本部機能」,「会費再徴収と会報発行」が論ぜられています。77期は現在年会費の徴収をやめて,基金の残金でクラス会を運営していますが,その為,会報も平成18年から年2回の1回100頁の会報から同50頁の会報に変更しています。これに対し,前の会報程度のものが欲しいとの意見もあり,そのためには会費の再徴収が必要だという事で,いろいろと検討されています。

日記12月16日
来年1月4日の湘南なにわ会の参加者を上野三郎君から教えてもらい掲載しました。
73期の峯氏の息子さんのHPに小灘利春君の記事が満載されています。なにわ会のHPの復員後物故者記事も見られます。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/konada.htm

掲載されているもの
  回天にかけた思い
海軍大尉 小灘利春 略歴
故小灘利春君の霊前に捧ぐ/池田武邦様
父・小灘利春/ご三女 伊藤伸子様
米国の友人からの手紙
回天」の真実 命削り伝える/東京新聞
  人間魚雷・回天について
回天作戦に於ける戦果発表について
回天の無形の戦果
回天の大業成らず、何故に
回天搭乗員の一枚の集合写真
特攻に、なぜ日本の若人たちは参加したか
  回天特別攻撃隊
回天の創生
〇六金物試作艇
回天の実用頭部
回天のハッチ
回天搭乗訓練開始
航行艦襲撃訓練の開始時期
大津島で目標艦となった駆逐艦
整備先修配置
第一次出撃者の選抜
予科練出身搭乗員の出撃者選抜
大津島沖の戦艦大和
  回天泊地攻撃・洋上攻撃の検証
菊水隊 回天のウルシー泊地攻撃
菊水隊 伊三十六潜回天発進の一考察
菊水隊 伊三十六潜回天の発進
菊水隊 伊号第三十七潜水艦の戦闘
金剛隊 伊五十六潜の戦闘
金剛隊 伊号第四十七潜水艦の戦闘
金剛隊 伊号第三十六潜水艦の戦闘
金剛隊 伊五十三潜回天の戦闘
金剛隊 伊五十八潜回天の戦闘
金剛隊 伊四十八潜の戦闘
千早隊 伊号第三六八潜水艦の戦闘
千早隊 伊号第三七〇潜水艦の戦闘
千早隊 伊号第四十四潜水艦の戦闘
神武隊の作戦
多々良隊 伊号第四十七潜水艦の戦闘
多々良隊 伊号第五十八潜水艦の戦闘
多々良隊 伊号第五十六潜水艦の戦闘
多々良隊 伊号第四十四潜水艦の戦闘
天武隊 伊四十七潜回天の戦闘
天武隊 伊三十六潜回天の戦闘
振武隊 伊第三六七潜の戦闘
轟隊 伊号第三六一潜水艦の戦闘
轟隊 伊号第三六三潜の戦闘
轟隊 伊三十六潜回天の戦闘
轟隊 伊一六五潜の戦闘
多聞隊 伊五十三潜回天の戦闘 第一部
多聞隊 伊五十三潜回天の戦闘 第二部
多聞隊 伊五十八潜回天の戦闘 第一部
多聞隊 伊五十八潜回天の戦闘 第二部
多聞隊 伊四十七潜の戦闘
多聞隊 伊号第三六七潜水艦の戦闘
多聞隊 伊号第三六七潜水艦の終戦
神州隊 伊一五九潜の出撃
  回天烈士の志と俤(おもかげ)
黒木博司の事蹟
回天の黒木少佐と第六潜水艇の佐久間少佐
回天と我がクラス
回天隊のある日
散る桜、残る桜も散る桜
人間愛の権化、回天の烈士
忘れ難い人たち 今西太一
忘れ難い人たち 渡辺幸三
忘れ難い人たち 加賀谷 武
忘れ難い人たち 川久保輝夫
忘れ難い人たち 久住 宏
忘れ難い人たち 石川誠三
忘れ難い人たち 吉本健太郎
忘れ難い人たち 塚本太郎
忘れ難い人たち 伊東  修・有森文吉
忘れ難い人たち 工藤義彦
忘れ難い人たち 三枝 直
忘れ難い人たち 川崎順二
忘れ難い人たち 河合不死男
南海の底ひに逝った福島誠二
忘れ難い人たち 柿崎 實
忘れ難い人たち 小林富三雄
忘れ難い人たち 池淵信夫
忘れ難い人たち 久家 稔
忘れ難い人たち 勝山 淳
忘れ難い人たち 林 義明
橋口  寛大尉 自決す
追想「橋口  寛大尉自決す」付記
終戦時の橋口 寛大尉の状況について
帖佐さんと回天隊創生の頃
第二回天隊(基地回天隊)
第二回天隊実記@
第二回天隊実記A
第二回天隊実記・断章 A補遺
第二回天隊実記B
第二回天隊実記・断章 Bの部
第二回天隊実記C
第二回天隊実記・断章 神楽桟
八丈要塞に白旗があがったとき
八丈島の記憶
回天の基地残して/南海タイムス
「回天」八丈島秘史 元隊長56年目の証言
底土基地回天壕 説明版
第一回天隊の戦闘
第一回天隊の戦闘 参考事項
第一回天隊 隊員氏名
第一回天隊々員の行動について
第18号一等輸送艦の沈没時状況の調査
回天十型の物語
   回天の戦後
回天一型 靖國神社へ帰る
帰ってきた人間魚雷「回天」
   回天帰る
ワシントン海軍博物館にある回天
在米回天探査の旅
回天に沈められた米艦の戦友会
回天烈士追悼式典(平成 6年)
回天烈士追悼式典(平成 7年)
回天烈士追悼式典(平成 8年)
回天烈士追悼式典(平成 9年)
回天烈士追悼式典(平成10年)
回天烈士追悼式典(平成11年)
大津島に於ける回天追悼の式典(平成12年)
回天烈士追悼式典(平成14年)
回天烈士追悼式典(平成15年)
回天烈士追悼式典(平成16年)
回天烈士追悼式典(平成17年)
回天関連書籍への寄稿等
回天記念館「概要・収蔵目録」

伊呂波会「三十周年記念誌」
月刊「正論」への投書
舞台演劇「回天の夏」記念パンフレット
ザメディアジョン「人間魚雷回天」
その他の記録等
三断の記
故・飯野伴七理事を偲ぶ
敵艦に突入し氏名が判明した神風特攻隊員
以上がおもな記事である。

平成二十年度湘南中井参加予定者
上野三郎君から来年1月4日1200から鎌倉で行われる湘南なにわ会に参加を申し込んでいるものを知らせて貰いました。次のとおり29名です。
相澤善三郎・足立喜次・伊藤正敬・岩松重裕・上野三郎・浦本生・草野家康・草野夫人・窪添龍輝・蔵元正浩・幸田正仁・後藤 寛・,後藤俊夫・左近允尚敏・椎原国康・渋谷信也・新庄浩・豊廣稔・中井末一・野崎貞雄・原田種睦・樋口直・平野律朗・深尾秀文・松下太郎・溝井清・宮田 實・山田良彦・若松禄郎

体調を壊し年度幹事を途中で村山隆君と交代した藏元正浩君が参加できるように回復したのは何よりです。
他に参加できる方がおられましたら,是非上野三郎君に申し込んでください

日記12月15日クラス会記
中井末一君起案の平成19年度年末クラス会の記事を上野君がパソコンで打ち込んでメールで送ってくれました。早速私のパソコンにとりこみました。
先月末に行われた関西なにわ会の記事がまだ来ないので,渡邉望君に電話したところ昨日送ったということでした。
精島勝義君の甥弘文さんからメールがあり,海上自衛隊幹部候補生学校の図書室に深井君の本を見つけたといっていました。彼は部内幹候として勉学中で20年2月修業予定です。
11月27日行われた関西なにわ会の投稿記事を渡邉 望君からいただきました。参加者は東京の溝井清君,九州の三好文彦君を加えて17名でした。
左から 後列 久米川夫人,中西夫人,渡邉夫人,河野夫人,富尾治郎,石井 晃,久米川英世,溝井 清,椎野 廣。渡邉 望 前列 三好文彦,小西愛明,加藤 種男,桂 理平,鈴木 彊,前田正弘,上野三郎(機)
(写真略)

日記12月14日
窪添龍輝君から11月行われた湘南歩こう会の旅行記の投稿をいただきました。
早速取り込み,先に頂いていた写真も入れて編集しました。先日送った98号の第1回校正が大谷友之君と窪添龍輝君からかえってきました。手早い校正感謝です。」

日記12月13日
泉五郎君から,彼の投稿(2編)の校正が帰って来ました。彼のパソコン不具合でメールが入らなかったのですが、なおったようです。
年末クラス会の写真,なにわ会ニュース98号に取り込む作業終りました。

12月12日
先日紹介した購読会員のブログ http://papamama.asablo.jp/blog/ に第9銀河隊の記事が掲載されています。是非見て下さい。
「深井 良」で検索すると随分沢山の頁が出てきますね。一度検索してみてください。

日記12月11日
先日送付したなにわ会ニュース98号の第1回校正依頼の原稿を見て,早速大谷友之君から指摘がありました。1件は私の勘違い,1件は文字の不揃いで共に訂正文を送りました。

日記12月10日
新庄君が写してくれた先日の年末クラス会の写真,上野年度幹事経由頂きました。
沢山頂きましたので,何枚か全体の流れが分るのをブログに掲載します。あと参加者の写真はHPに取り込みます。
まず,司会をつとめてくれた村山隆君です。
(写真略)



次は年度代表幹事として挨拶する上野三郎君です




乾杯の温度をとる九州から参加した池田武邦君です。




最後の軍歌演習(元気なもの集合の令で壇上で歌う元気者。音頭とりは相澤善三郎君








上の写真のうち,村山隆君と上野三郎君の写真がおかしいですね。頂いた写真は綺麗なものですが何故かおかしくなってしまいました。

ほかに沢山頂いた写真全部HPにとりこみました。今回は出席者68名,一人残らず写してくれて,新庄浩君本当にご苦労様でした。
Tags:に
# by naniwa-navy | 2007-12-10 19:15 | 日記 | Trackback | Comments(0)日記12月9日
故齋藤コ道君のご遺族一條嶺様が平成19年11月27日に逝去されました。一條嶺様はなにわ会の國神社慰霊祭が施行されるようになった40年前から殆ど毎回慰霊祭に参加しておられました。潜水学校11期で齋藤コ道君と一緒だった山田穰君が葬儀に参列してくれました。
謹んでご冥福を祈ります。

深井 良君の甥深井紳一氏の「深井良のチェスト」http://mypage.odn.ne.jp/home/fukapon
随分充実してきました。是非見て下さい。
# by naniwa-navy | 2007-12-09 13:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)購読会員のブログ
「深井紳一様が書かれた『第九銀河隊指揮官深井良』を読まれた海軍が好きな主婦の方がおられます。その方が『なにわ会のHPやブログ』を見るようになられました。その方が今年の10月から個人のブログを立ち上げて日記風に子供のことなどいろいろと書かれていますが,とても海軍が好きで,軍関係のことを16回も書いておられます。昨日の12月8日には真珠湾攻撃の事を次のように書いておられます。

『今日の記事を予測していた人もいるのではないでしょうか。
「トラトラトラ」って阪神ネタではないですよ、言っておきますが。
そうです。昭和16年12月8日、日本海軍がアメリカと戦争を開始した日です。つまり、真珠湾攻撃の日。映画のタイトルにもなっているのでご存じの方も多いと思いますが、「トラトラトラ」というのは「我奇襲に成功せり」という意味の略語電報です。
この日、赤城、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴という6隻の空母から真珠湾を目指して多くの飛行機(零戦、九九艦爆、九七艦攻)が飛び立ちました。 その飛行機隊の総隊長は淵田美津雄中佐。本来なら自ら飛行機に搭乗して指揮を執るような立場ではないのでしょうが、見込まれて総隊長になり、自ら九七艦攻の偵察席に乗り込み全軍の指揮に当たりました。
真珠湾に到達する直前、淵田中佐からある信号が発せられました。
それはこの日の攻撃方法を決める重要な信号です。もし、米軍が日本軍に気づいていなければ「奇襲」ということで、村田重治少佐の雷撃隊(九七艦攻)がまず突入し米軍が防御砲火を開く前に戦場離脱、続いて水平爆撃隊(九七艦攻)・急降下爆撃隊(九九艦爆)が攻撃をかける、という手はず。もし、気づかれて反撃があった場合には「強襲」ということで急降下爆撃隊と水平爆撃隊が先に攻撃をし、敵の反撃を抑えてから雷撃隊が突入する、という手はずに決められていました。 なるほど・・・・とうなずける作戦なのですが、ここで手違いが生じます。
淵田中佐から各隊への連絡は、なんと、拳銃(黒煙信号の誤り)による発砲だったのです。 どんな音がするのかわかりませんが、淵田中佐が「パン!」と拳銃(のろし)を撃ったら「奇襲」、「パン、パン!」と撃ったら「強襲」と決められていたそうなのです。これ、爆音を響かせながら飛んでいる飛行機上での話です。
無線はないのか!と思われるかも知れませんが、隠密行動だったために、無線連絡は禁止されていたようです。(「トラトラトラ」や「トトトトト・・・・」がいいのなら、ここも無線で・・・・と思うのですが) とにかく、淵田中佐は拳銃をぶっ放しました。「パン!」です。「奇襲」の合図ですね。
村田少佐(雷撃隊)は了解して雷撃のために高度を下げ始め、高橋赫一少佐(急降下爆撃隊)は高度を上げ始めました。作戦通りです。ところが、制空隊の板谷少佐(零戦)が、やっぱりというかなんというか、この信号弾に気づかなかったようなのです。
で、淵田中佐は、ならもう一度と「パン!」とやりました。すると・・・・「よっしゃ、2発。強襲か! おれの出番や!!」と言ったかどうか定かではありませんが、強襲時の一番槍と決められていた高橋少佐が俄然張り切って急降下して行ってしまったのです。
「おいっ! こらっ! 待たんかいっ!」と淵田中佐が言ったかどうかも定かではありませんが、いや、きっと叫ばはったでしょう。高橋少佐の勘違いに焦ったと思います。とはいえ、上空、爆音の中、どんなに叫んでも淵田中佐の声は高橋少佐には届かなかったはずで・・・・。
村田少佐も高橋少佐の勘違いにすぐに気づき、「雷撃を邪魔されてなるものか!」と追っかけていきました。ここで淵田中佐も慌ててト連送(全軍突撃せよ)を送り、いよいよ真珠湾攻撃の開始です。
真珠湾攻撃の第一弾は、湾内の水上機基地に高橋少佐が投弾した250s爆弾。雷撃隊は先陣を奪われた形になったのですが、高橋少佐の信号弾誤認はあまり作戦に支障はなかったようで、その後の真珠湾はまさに「奇襲に成功」という状態になりました。
淵田中佐が後にこのときの信号弾誤認のことを回想して、 「高橋のヤツは,ちょっとお脳が弱いねん」 と言ったとか、言わないとか・・・・。真偽のほどはわかりませんが、でも、奈良のおっちゃん(淵田中佐は畝傍中学出身)なら言いそうです。
でも、言われた方の高橋少佐は決して「お脳が弱い」人ではありません。こんなエピソードがあります。16年の末、生まれたばかりの次男が風邪をこじらせ肺炎にかかってしまいました。サルゾールという特効薬が航空隊にあるはず、それを持って帰ってきてくれ、とかかりつけの医者に言われたらしいのですが、高橋少佐は、「一本たりとも私するわけにはいかない」
と断り、ならばお父さんの血を輸血してあげて、とも言われたらしいのですが、「自分の体は陛下に捧げたものだ、血を抜いたことで働きに支障があっては」 と。それも断ったそうです。 結局、奥さんの血を輸血したそうなのですが、その甲斐なく次男は亡くなってしまいました。もちろん、子供が死んでもいいと思っている父親などいないでしょう。それよりも、自分は軍人、滅私奉公、ということが第一にあったのだと思います。 結果、息子さんが亡くなられたことは残念ですが、高橋少佐の「公私混同してはいけない」という心はたたえられるべきものだと思います。
守屋さん、幸子さん、防衛庁にいて、こういう先人がいたことをご存じないはずはないですよね?
参考文献:森史朗『運命の夜明け 真珠湾攻撃 全真相』、阿川弘之『山本五十六』、城山三郎『指揮官たちの特攻』、そこに+ママの妄想』

驚くばかり海軍のこと勉強されています。深井紳一様とも親しくされていて,いろいろ協力されて,彼は『海軍関連の知識は私などよりたくさんお持ちで、特攻した者にとても共感されているまじめな方』と述べられています。なにわ会の購読会員にもなっておられます。

そのブログは↓のとおりです。是非一度読んでみてください。

コメント(まま)
なにわ会の皆様、はじめまして。「まま」です。わけあって、匿名にしています。失礼をお許し下さい。伊藤様、ブログをご紹介してくださり、ありがとうございます。
まるで自分のことではないように評価していただいていており、何だか恥ずかしいです。普通の主婦が関心のあることを書いているだけのブログです。お気軽にお立ち寄り下さい。

コメント(MI)
大村哲哉君と連絡取れてよかったですね。さらに詳細が分ることを期待します。それにしてもパソコンの力,HPの力凄いですね。

日記12月8日
今日は今から65年前,真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった日ですね。
でも,もう大昔の事,殆どとりあげられなくなりましたね。でも,あの戦争で多大の戦死者が出て,また銃後の国民も空襲で多数の犠牲者が出て,家屋が焼失して多大の苦しみを味わった事を忘れる事は出来ません。
なにわ会ニュース98号の原稿の約半分を4人の校正担当者に送りりました。
先日の年末クラス会の写真,新庄浩君が写してくれたものが上野三郎君経由で送られたそうです。入手したら,HPに掲載します。
泉五郎君のパソコン調子悪いようで,昨日送ったメールがとどいていないようです。それで,ファックスで送りました。
浦本生君にお借りしていた海兵受験時の写真返送しました。同時に,受験から合格までの原稿を送り追加訂正をお願いしました。

日記12月7日
今日は葉山CCで行われているゴルフコンペ「アドミラル会」に参加してきました。よる年波で参加者は僅か10名でした。
帰ってきたら,山田良彦君から電話で昨日送ったなにわ会会員のメールアドレスを再送して欲しいとのこと,早速再送しました。この時,来年の湘南CGCの予定月日を確認しました。平成20年5月12日(月)と10月20日(月)です。
上野三郎君から先日の年末クラス会の写真36枚を新庄浩君から送ってもらったと電話あり,私のところに転送してくれとお願いしました。頂いたらHPに掲載し,何点かは「なにわ会ニュース98号」に掲載します。
泉五郎君から電話あり,昨日送った校正が着いていないようなので再度メールで送りました。
これに関連して,昨日送った「なにわ会会員のメールアドレス」見ていない方がおられましたらご連絡下さい。

印刷屋コンタスから「なにわ会」のB5の封筒100枚送って貰いました。
HPビルダー12を購入しました。

日記12月6日
先に頂いた百瀬茂君の広島原爆の記事の校正帰ってきました。ご指摘の修正を終わり,写真もとりこみました。
今日送ったなにわ会会員のメールアドレス一覧に1箇所誤りがあり,訂正のメールを送りました。
なにわ会ニュース98号は来年3月配布予定ですが,現在約50頁まとまりましたので,近いうちに半分だけ校正をおねがいします。今校正していただいているのは,兵の大谷友之君,都竹卓郎君,機の佐丸幹男君,経理の窪添龍輝君の4名です。

メールアドレス
現在私の手元で分っているなにわ会会員及びご遺族のメールアドレスを整理してメールでおくりました。お役に立てば幸いです。
携帯電話でメールが出来る方,そのアドレスもお知らせください。連絡事項携帯とパソコン両方にお送りします。

日記12月5日
泉五郎君から「悼む 春日仁君」を頂き,ニュースの形式に直して,同君に送り校正をお願いしました。その直後,春日君の長女美智子さんから,茅ヶ崎に帰ったこと。そして「父、春日仁の告別式には、72期の4人の同期の方に参列していただき、感無量でございました。棺には、潜水艦の軍艦旗をかけていただき、海軍式のお葬式ができました。また4人の戦友に、お骨まで拾っていただけましたことは、父も喜んでいることと思います。海軍が好きで、法名にも「海」の一字を入れてもらっておりました。」とお礼のメールを頂きました。
昨日のクラス会時,平野律朗君に頼まれた私の手術体験談を送付しました。お役に立てば嬉しいです。
購読会員の新井さんからメールを頂き,本当によくHPやブログをみて頂いていて,嬉しく思いました。
海軍兵学校受験時願書に添付して提出した「上半身裸,下半身はパンツだけ」の写真(あれは本職の写真館で写したと思います。)を入れて,願書提出から入学式までの事をまとめてなにわ会ニュース98号に掲載したいと思っています。あの写真をお持ちの方おられましたら貸していただきたいとおもいます。並べて掲載したいと思います。

12月4日
今日は平成19年年度の年末クラス会が市ヶ谷の私学会館で1200から1415まで,参加を申し込んだ68名,1名の欠席等の変更も無く順調に行われた。今回最大のテーマまである「なにわ会の今後」について上野提案が提示され,詳細説明後,全員の賛同を得て決定された。
決定した提案は,次のとおりである。
「なにわ会の今後について」
『題記について,下記のとおり決定致したい。
平成19年年度幹事代表 上野 三郎
           記
前置き
 なにわ会の幕引きにあたり中締め、本締めと紛らわし表現を使って来たがそれをやめ、幕引きの時機を早めた方がよいとの状況をも勘案し、平成20年末をもって幕引きとし、
それに関連して各種の事がどの様になって行くかを整理した。
1 慰霊祭
平成20年度を以って慰霊祭は終了とする。
平成20年度中に永代神楽祭に加入,平成21年度からは永代神楽祭に参加する。
  なお,永代神楽祭の日は6月1日(予備6月2日) 時刻は午後2時より
  事前連絡は行わず,参列希望者は所定時間の30分前に集合する。神楽祭終了後の懇親会は行わない。
(注) 9月15日は機53期の神楽祭の日と重複する。10月25日は他の申し込みが多いので避けた。
   現在のところ,6月1日も2日も当日の神楽祭該当者は多くない。(神社に確認済)
2 年末クラス会
  平成20年末で終わりとする。
3 なにわ会ニュース
  平成21年3月発行の100号で終わりとする。
4 連絡報(なにわ会便り)
  平成21年から可能な限り毎年12月に会員の情報交換の資料として連絡報(なにわ会便り)を発行し,生存者(ご遺族は希望者のみ)に配布する。
5 弔慰金,供花
平成20年末までとする。
6 年会費
 平成20年度分までは、従来通りとする。
ニュース100号の印刷,発行費等はなにわ会基金の残額で運用する。
連絡報(なにわ会便り)の印刷、発行費、HP及びブログの維持費、事務連絡費等に充当するため、平成20年末に一括5,000円(ご遺族は希望者のみ1,000円)の納入をお願いする。
(前納者は除く)(納入は平成20年末クラス会時,出席者は当日現金で納入してもらい,欠席者には「なにわ会ニュース100号」送付時,振替用紙を同封して,振り込んでもらう。)
7 会員の情報交換
   前4号の連絡報のはか,HP及びブログ(当分の間,伊藤正敬君が引き受けてくれる)による。
電話連絡網による連絡は平成20末で終わりとする。
ブログは携帯電話でも見られるので情報をドンドン担当者に送る。
また,子供や孫に頼んでHPとブログの活用を心掛ける。
8 名簿
平成15年度発行の名簿を最後とし,新しく発行しない,ただし,名簿係り(伊藤正敬君)のところには最新の名簿(パソコンで活用できるもの)を整備しておく。                                        以上』
これはなにわ会ニュース98号で発表します。

日記12月3日
佐々木哲男君から故伊藤孝一君の思い出の校正の返事を頂きました。
泉五郎君から「潜校第十二期出陣賦と橋口君」という投稿を頂きパ゚ソコンに取り込みました。
明日の年末クラス会の準備について上野三郎君と打ち合わせし,準備完了しました。

日記12月2日
今朝パソコンを起動が,3.5インチフロッピーが入っていて起動できない。フロッピーを抜こうとしたが,何故か抜けない。何度も抜く事を試したが抜けない。諦めて,NECのパソコンで急場をしのごうとした。問題は明後日の年末クラス会の資料の印刷である。8時過ぎたら,上野三郎君に電話して,昨日校正のため送った資料をこちらに送り返して貰い抜こうとしてよく見たら,フロッピーに張ってあるラベルが外れて,パソコンに張り付いていて抜けないことが分った。ラベルを外したら,無事抜けて元通り使用できるようになった。笑い話みたいなお粗末ですした。
その後4日の年末クラス会時配布する資料を印刷した。
 百瀬茂君から「広島原爆を目撃して」という寄稿を頂いたので,パソコンに打ち込み,打ち込んだものを印刷して百瀬茂金に校正を頼んだ。
主計科の来年度幹事を高杉敏夫君が引き受けてくれると高田君から連絡があった。
左近允尚敏君から来年の年度幹事は中井君に引き続きお願いする事で了解を得られたと連絡がありました。もうこれだけ,次の幹事を見つけるのが難しくなってきているので上野三郎案で締めるのが正解でしょう。

こめんと(深井紳一)
機械的な故障でなくて良かったですね。こういう時はパニックになりますが、落ち着いてコンセントからひとつずつたどってチェックしていくと原因が分かる時が多いです。メカには詳しくありませんが、お役に立てそうなことがありましたらお近くですのでご連絡下さい。

コメント(伊藤)
深井さん ありがとうございます。今パソコン3台あって,できるだけバックアッ
プをとっています。でも今朝は慌てました。解決してよかったです。

コメント(上野三郎)
パソコンに資料を保存しているとパソコンがトラブルを起こしたらパニックになるという恐怖を何時も抱えてきが抜けませんね。簡単に解決してよかったですね。

日記12月1日
いよいよ12月です。1年の経つのが本当に早いですね。年末クラス会は4日,あと3日になりました。なにわ会の今後について,先般のご意見を集約し,その後の情況の変化等も踏まえ,年度幹事の間で検討し,来年,年度幹事代表を引き受けてくれる左近允尚敏君の意見も取り入れられていて出来た適切な案と思います。もう皆超高齢のため,左近允尚敏君の相棒となって年度幹事を引き受けてくれる人もなかなかみつからないようです。今年の年度幹事も機関科は藏元正浩君が体調を壊したため村山隆君が途中から引き受け,主計科も亀谷敏明君が同じく体調を壊し,高田俊彦君が急遽代役を勤めていますが,幹事の引き受け手を捜すのも困難になってきているので,20年末で一応締めるのもやむを得ないと思います。無論モット長く続けたい気持ちは皆あると思いますが,身体がこうなってはやむを得ないと思います。今元気なものも,果たしてその元気が何時まで続くか疑問です。21年以降について,会員同士の情報交換のため,私が元気な間は,無論,HPとブログ,さらに「なにわ会だより」等でお役に立てると思います。今から4日配布する資料の印刷にかかります。

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