平成19年9月のブログ
日記9月28日
今日は80日ぶりでゴルフに行ってきました。ひさしぶりにしてはまあまあのゴルフができました。
印刷屋から年末クラス会の案内の校正がきました。1箇所だけ直して返送しました。
9月27日
和田先輩の政局談話123号をHPにとりこみました。
70期の森田先輩から電話を頂き,4号時の分隊別名簿の中に誤りがあると教えていただき,訂正しました。
来年の海軍兵学校連合クラス会第8回全国大会の案内を事務局担当の78期石井氏からうけとりました。全文は来年3月発行の98号に取り込みますが概要次のとおりです。
1、期 日 平成20年6月9日(月)
2、行事概要
● 慰 霊 祭(靖國神社)
0930 参集所前受付開始
1000 拝殿 昇殿参拝
● 懇親会場 (グランドヒル市ヶ谷)
1100 三階ロビー 受付開始
海上自衛隊音楽隊演奏会
1200 開 演
音楽会・海自広報DVD映写(予定)
1300 開 会
懇 親 会
1430 開 宴
1630 終了予定
3 参加者 海軍兵学校出身者及び家族 ご遺族
4、参加費
慰霊祭及び懇親会本人 9000円
遺族及び家族一人あたり 7000円
懇親会のみ本人 8000円
遺族及び家族一人あたり 6000円
慰霊祭のみ一家族につき 1000円
(祭祀料及び初穂料等)
5、申込締切日 20年4月20日
Commented by 金曜の寒梅 at 2007-09-27 22:17
本日のメールに書き忘れたことがありました。大変美しく上品な御本でした。夫唱婦随などと言うのは陳腐すぎるのです。
日記9月26日
年末クラス会の案内の往復葉書の印刷を発注しました。10月5日頃発送の予定です。
兵73期の佐藤精氏から「なにわ会ニュース97号」の礼状を頂きました。その要旨です。
「クラス会の今後についてのアンケートは,大変参考になりました。我々のクラスも来年当たりには,幕引きへの段取りを決めなければ,との気配です。
個人的にも,同じ分隊(48)で,あるいは同じ航空隊(332)でお世話になった泉さん,相澤さん,林さんのお名前が,前号以来頻繁に出て来るので,大変懐かしく拝見しました。」
村山隆君(機)から機関科の名簿(パソコン用)の校正を頂きました。一部訂正がありますので,訂正します。(寺岡恭平君の戦没日は戦没認定日に訂正して欲しいという事ですので,98号で名簿のほうも訂正します。)これで一応3校全部纏まりました。
ご希望の方がおられれば,メールで送りますのでご活用下さい。
9月25日
都竹卓郎君が海軍兵学校連合クラス会の幹事を永年務めてくれているのを知らない人も多いようだが,澤本君からひきついてから続いている。ご苦労様です。その都竹卓郎君から来年の最後の全国的海軍兵学校連合クラス会の案内を各クラスの会誌に入れてくれといってきた。同時に,各クラスの出版した書籍,会報等を幹部候補生学校に保管して永久保存することになったそうである。今までに発行したものは10月中に候補生学校に送ってくれということである。小生が引き受けてからの会報はあるが,それ以前の会報は余分がない。それ以前のもので永久保存に値するものを複数お持ちのから,ご連絡ください。
9月24日
年度幹事の上野三郎君から年末クラス会の案内の作成配布を依頼されました。
今月末に印刷屋に原稿を渡し,10月10日頃までに発送します。
予定は12月4日(火)1200から,アルカディア市ヶ谷です。
先日ご案内した伊藤節子の自分史,読みたいとの連絡を多数頂いて家内が喜んでおります。まだご連絡頂いていない方で読んでみたいと言われる方,どうぞご連絡下さい。
日記9月23日
海軍機関学校55期の大久保君からメールを貰い,左近允尚敏君の著書「敗戦」(副題「1975年春と夏」)にある本土周辺の戦闘、空襲の状況を掲載したとメールがきました。↓を貼り付けて見てください。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tangoy/frm3.html
参考になると思います。
なお,↑の本は左近允尚敏君の敗戦(2005年9月 褐人社発行 定価1900円+税)です。
伊藤節子の自分史
家内伊藤節子が自分史を作りました。別途メールで目次をご案内しますが,主として,彼女の子供の時から今までの出来事を纏めたもので,空襲での実家の全焼,兄弟の戦死,病死,家督相続の出来事,私の自衛隊生活に伴う写真も沢山入っています。お読み頂ければ嬉しいと言っています。お読み頂ける方がおられましたら,コメントでもメールでも,電話でも結構です。ご連絡下さい。メール便でお送りします。
Commented by 金曜の寒梅(岩淵成紘 70期遺族) at 2007-09-23 09:21 x
水茎の跡も麗しくまた、からすうりの背景もよく、調和がとれた素晴らしい表紙ですね。奥様の教養の深さが推し量られます。
お尋ねしています伯父の家督を継いだ叔父の直ぐ上の叔父は、旧制から新制に切り替わった直後、大学の英文科を卒業して陸上自衛隊に入隊しました。一尉で宇治にいたときに、上官とトラブルを生じ、退官しました。そして、当時開校したばかりの苫小牧の高校の教師になり、定年退職して札幌に在住しております。そもそも教育者の家系だったのですが、伯父の影響でもあったのでしょうか。
Commented by 峯 一央 at 2007-09-26 22:26 x
本日(26日)、ご令室のご著書を拝受しました。想像していたよりも立派な装丁で、写真も多く文章も読みやすい内容でした。
ご主人はホームページを作成され、奥様は自分史を編纂される、素晴らしいご夫婦だと思います。
Commented by 伊藤 正敬 at 2007-09-26 22:47 x
コメント有り難うございました。お褒めの言葉家内も喜んでいます。
Commented by 上野三郎 at 2007-10-08 21:30 x
奥様より力作の自分史を頂き早速読み終わりコメントを差し上げなくてはと思いつつ遅れて申訳ありません。奥様が松崎家に関係するものたちに遺す為に纏めたと謙遜して言っておられましたが、読み終わっての第一の印象は戦前、戦後を通じての大きなドラマをみるような感じでした。
Commented by 伊藤 正敬 at 2007-10-08 21:56 x
感想有り難うございました。皆さんからよくもこれだけのことが記憶されていたものだ,そしてとても読み易いとお褒めの言葉を数多く頂いて感激しています。
日記9月21日
今日は幸田正仁君主催の湘南歩こう会が行われ,上野三郎君がブログに写真入りで報告してくれました。このように,何かクラスのものが集ったら私のところにメールいただくか,ブログに書き込んでください。
溝井清君からHPに掲載している和田放談について次の感想をくれました。
『和田先輩 のご意見(特に9月16日放談)には小生100パーセント賛成にて
「わが意を得たり」と感動しました。このとこ新聞テレビの報道に腹立たしい思いをさせられている小生ですので・・・・今後とも是非引き続き同先輩のご意見を拝聴致したい。』
パソコン用名簿(主計科)の校正を高田君から頂きました。高崎緑様(慎哉君の奥様)から97号の礼状を頂きました。
歩こう会 上野三郎です。
前列左から藤井、小松崎、深尾、品川、伊藤各夫人
後列左から高田、深尾、幸田、浦本、上野
本日は夏の間休んでいた湘南歩こう会も再開されたので、久し振りに馴染みの面々が集まりました。今回は伊藤節子さんが小松崎さんとの親しい関係があるとのことで初参加となり総勢10人と賑やかな会合となりました。
10時30分 横浜市営地下鉄「センター北駅」集合11時〜12時15分 横浜市営歴史博物館見学, 「横浜に生きた人々の生活の歴史」をテーマーに円形の展示室に原始T(縄文)、原始U(弥生)、古代、中世、近世、近現在と仕切って色々と展示されて居り興味深かった。横浜市民としてそのルーツを探るには恰好の場と思う。
12時〜13時10分 国指定史跡「大塚遺跡」見学、他に長澤家住宅も博物館の隣の高台に弥生時代の竪穴住居、環濠、墓地が復元されていた、(背後には近代高層マンションが見えて一寸気掛かりだが)歴史博物館の展示を見た後だけに、当時にタイムスリップして、その生活の模様が想像された。 長澤家住宅は江戸中、後期の民家、遺跡公園近くの旧牛久保村の名主を務めていた方の家を移築したもの、流石に広い間取りだ、竈も懐かしい。
13時20分〜14時40分 昼食 その後10月19日の再会を期して解散
近くの新しい(今年4月開店)ショッピングビルにてすしを食べながら歓談(此れ
が目的)、ボリュームが多く、値段の安いのが魅力。周りを見渡しても年寄りは我々だけで、ニュータウンの雰囲気の違いを感じた。
9月20日
私のところに送ってこられた土原弘子さん,溝上正人さんの年会費と齋藤茂さん,伊藤治義さんからの寄付金,合計28000円を郵便局から会計担当の窪添龍輝君に振り込みました。
Commented by 金曜の寒梅(岩淵成紘 70期遺族) at 2007-09-20 22:09 x
金枝さんの登場により、徐々に伯父のことが分かりかけてきました。有難うございます。伯父の卒業した旧制香川県立三豊中学(現・観音寺第一高校)の卒業生には、開戦の第一報をラジオで報じた大平秀雄大本営陸軍報道部長や海兵第43期矢野英雄氏がおられます。大平氏は同じく同窓の大平正芳元首相の従兄です。私が卒業した昭和45年には同期生が3名防衛大学に進学しました。もっとも面識があっただけその後の付き合いはありませんので、現在の消息は分かりません。名前さえも薄ぼんやりとしか記憶していません。
我々が高校在学中の体育着は戦前から兵学校と同じだと言われていました、上着の袖と帽子に緑の線が入っていまして、卒業までそれを着用しました。つまり、三色の体育着が存在していたのです。
Commented by naniwa-navy at 2007-09-21 21:34
だんだん伯父さんのことが分ってきてよかったですね。これもHPの力ですね。
日記9月19日
小松崎正道君の奥様から電話を頂きました。海上自衛隊の佐世保勤務時,官舎が近くだったので家内同士親しくしています。今月21日に幸田正仁君主催の歩こう会があるが,行かないかとの誘いの電話でした。
先にパソコン用名簿,72期の分をメール添付でお届けしました。機53期と経33期のパソコン用名簿打ち込みおわりました。いま,機の村山隆君,経の高田俊彦君に送ってみてもらっています。近く,またメールで送ります。
74期の中村慶典氏から『なにわ会ニュース97号』のお礼の手紙を頂きました。
その中に花田武彦君,坂元正一君の思い出が書いてありました。
河合不死男君の姉の孫,加藤様からお礼のメールを頂きました。
日記9月18日
70期の会報担当の小平邦紀様から『なにわ会ニュース97号』受領のお礼の手紙,要旨次を頂きました。
『石隈辰彦教官は昭和15年8月68期が卒業3号から2号になった時,20分隊で分隊幹事として迎えました。
井ノ山氏の『大講堂改修物語』は前回の『海上自衛隊第1術科学校の改修』とともに,懐かしさを深めながら拝読しました。
都竹氏の『大和艦橋から見たレイテ海戦』は大変興味深く拝読しました。』
9月17日
久し振りで関西の桂理平君からなにわ会ニュース97号を読んだ感想のメールを頂いた。
9月16日
石隈清子様(教官夫人)から要旨次の礼状を頂きました。
『 嬉しい佐川急便でございました。すぐに仏壇にお供えしました。どんなにか石隈は喜んだことと存じます。あんなに頁を割(さ)いて思い出までご紹介頂き,「72期の教官」を自負しておりました主人こと,どんなにか満足だったことかと心から感謝申し上げるばかりでございます。九州佐賀の精金寺に海軍のご先祖様と一緒に埋骨をすませまして家族一同元気に帰ってまいりました。』
70期代表幹事の三浦節様から礼状を頂きました。
和田氏の政局放談122号をHPに取り込みました。
日記9月15日
70期の会報最終号をいただきました。その中のあった逝去された次の佐藤直樹,大友広四,永田徹郎,蒲田久男,町野睦彦の5氏について,HPの4号時の分隊別名簿を訂正しました。
山地さんのこと,情報わかりました。お尋ねの方にお知らせしました。これで伯父さんのことが分ると思います。
日記9月14日
先日山路健一さんについてお尋ねがありました。山路さんは我々より2期先輩で海軍機関学校51期の方であることが金枝健三君から連絡で分りました。
お尋ねになった方,コメントにも書きましたが,私宛メール下さい。メールで詳細お知らせします。
今日齋藤コ道君の甥 茂様から多額の寄付金をいただきました。ご好意有り難うございます。
日記9月13日
67期の中村悌次様,78期の大串邦彦様,ご遺族の土原弘子様(宮林久夫君の姉),購読会員の京都の後藤玲子様からニュースのお礼の手紙やメール頂きました。
前にこのブログで紹介した,高橋義郎君の姪の太田様から,昨日,横浜で山田良彦君,相澤善三郎君と会うことが出来,伯父のことをいろいろお聞き出来て,嬉しかった。中を取り持っていただいて有り難うございましたと礼のメールを頂いた。
小灘利春君の記事
昨日(9月12日)の日記にコメント頂いた峯 一央氏(73期の峯氏のご令息)のHPに昨年なくなった小灘利春君の遺筆とも言うべきものが多数綺麗にまとめて掲載されています。↓を開いて是非御覧下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/konada.htm
なお峯一央氏のHPはなにわ会HPにリンクしていますので,そちらからも見られます。
Commented by 峯 一央 at 2007-09-14 23:22
弊サイトをご紹介頂きまして誠に有難う御座います。掲載する原稿は順次追加して参ります。父・峯 眞佐雄(兵73−瑞鶴−回天大津島−回天12突)が故・小灘利春様と懇意にさせて頂いていた関係で、ご令室様より遺稿や資料の整理を頼まれております。先般の東京新聞によればファイルが100冊にも及ぶという事なので、父と二人でじっくりと取り組む所存で御座います。
日記9月12日
泉五郎君,左近允尚敏君,平野律朗君,小河美津彦君の奥さん,角田慶輝君の奥さん,深井良君の甥の方からニュースの感想と名簿について電話またはメールをいただきました。その中で,広瀬中佐胸像の募金の振込み用紙が入っていなかったといわれた方がありましたので,改めてその方に振込み用紙を送りました。印刷屋に確かめたら,海軍兵学校の生存者,物故者遺族,戦没者遺族には全部いれたと言っています。改めてご確認下さい。もし,振込み用紙がなくて,応募いただける方には改めて送ります。
小柳正一様(兵68期),阿部文弥様(経34期)からニュースの礼状をいただきました。その中に経34期のことと,堀劍二郎君のあまつかぜ関連記事に対する感想等がありましたので,要旨紹介します。
『充実した内容の中で,岸信介,安倍晋太郎両氏が,サンフランシスコ桟橋に係留していた護衛艦「あまつかぜ」に来艦されたという記事(写真)が,目につきました。米国の日本人移民百周年の記念行事に関連する記事のようですが,当時の「あまつかぜ」艦長堀劍二郎さん自らのご執筆というのは,実にめざましい文章とぞんじます。
「大和」庶務主任板垣主計少尉(41頁)とあるのは,私のクラスの仙台出身の欣一郎君(故人)です。ついでながら,兵72期の戦死者のうち,菊池芳夫,嶋津義公の両君は私と盛岡中学の同級生です。
私どものクラスは,去年から1年の間に,バタバタと5人のクラスメートを失い,生存者20名だったのが,突然15名になってしまいました。そもそも66名の卒業生のうち,27名の戦没,残り39名から始まったクラス会ですから。』
Commented by 峯 一央 at 2007-09-12 14:45
昨日、「なにわ会ニュース」を拝受いたしました。
伊藤様の並々ならぬバイタリティーに、敬意を表させて戴く次第で御座います。
故・小灘利春様が「人間魚雷・回天特別攻撃隊の歴史を、搭乗員の思いを正しく後世に伝えたい」というご主旨のもと、ご生前に会報・雑誌・新聞等に発表された遺稿の数々が、散逸することなく永く後世に語り継がれんことを祈念して、ご令室様よりご許可を賜わり弊サイトに取り纏め始めました。
Commented by 伊藤 正敬 at 2007-09-12 21:02
コメント有り難うございました。会報の編集を引き受けたのが85号(13年9月)から,今回で13回目(6年目)になります。最初はワープロで打ち込んで,私の印刷機で印刷したのを印刷屋に渡していました。従って出来あがった文字がワープロの字で重みがありませんでした。最近はパソコンで打ち込み,CDに入れて印刷屋に渡しております。印刷屋の印刷機で印刷してもらっていますので文字も印刷屋の文字になって格調高いものが出来ています。比較してみると,今のほうがはるかに上品に出来上がっています。小灘利春さんの記事,ヨロシクお願いします。 by naniwa-navy
日記9月11日
なにわ会ニュース97号昨日から順次到着しているようです。地域によってはもう2日か3日かかるところがあると思います。
上野君,大谷君,奥山君,左近允君,高松君,阿部君(経),高田君(経)等から到着の連絡をいただきました。
97号114頁の恩給欠格者等への特別慰労金の贈呈についてさらに詳細を知りたい方は次のHPを見てください。
http://www.heiwa.go.jp/toku_irou/f_toku_irou.html
年度幹事上野三郎君から先日亡くなった伊藤孝一君の奥様洋子様から弔慰金に対する礼状をおくってもらいました。次のとおりです。
『漸く台風が過ぎたとホッとしましたが蒸し暑さが残り、晴れた秋空が待たれる今日でございます。本日はなにわ会の弔慰金と、ご丁寧なお手紙を頂戴致しまして誠に有難うございました。新潟に居ります長男の処に送られていた遺言はもう何年か前の事でございまして、なにわ会の代表には鈴木脩さんのお名前が書かれておりました。娘がなにわ会の名簿を調べていて、鈴木さんの欄には死亡と書かれていると申しまして、それで私の記憶に残っておりましたお名前やらで、何人かの方にお報せ致しました。純一さんから上野様のことよく伺っておりましたのに考え及ばず、大変に失礼致しました。今年の慰霊祭の出欠となにわ会存続に関するアンケートは病院に行って、私が聞いて葉書を出した覚えがございます。入院直後,看護婦さんに「伊藤さん前に何をやっていらしたのですか」と聞かれた時「海軍」と答えたと看護婦さんに聞き、彼の人生の大半は海軍時代だったのだと気付きました。その後、今年金婚式を迎えました、私との生活は何だったんだろうと思いました。
亡くなった後、部屋を整理しましたが、海軍時代のものと、それに関する沢山の本と、私では伺い知れぬものが沢山ありました様で、その頃の話をもっと聞いておけば良かったなと思っておりました。
納骨も終わり、整理が一段落しまして、今はホッとした思いでございますが、幸い子供が多く、四人が皆親孝行で、私によくしてくれますので、これからも元気で頑張ろうと思っております。私の母の年齢九十一歳までなんとか元気で居て、母の様にピンピンコロリで行き度いと頑張るつもりでおりますが少々欲張りというものでしょうか。お礼を申し上げるつもりが、つまらぬ事を書いてしまいました。どうぞお許し下さいませ。
上野様にも何時までもお元気でおいで下さいます様に、本当に有難うございました。厚くお礼申し上げます。 かしこ
九月六日夕刻 伊藤内
上野三郎様』
(上野注)純一氏は伊藤孝一氏の2番目の弟さんで私と同じ鎌倉市西鎌倉在住
日記9月10日
なにわ会ニュース97号,今日ヤット一部のところに届いたようです。木更津の長村夫人,金沢の土原弘子様,東條重道君からお礼の電話・メールをいただきました。明日あたりから逐次届くと思います。72期の会員宛の中には広瀬中佐胸像募金の振込み用紙が入っていますので協力ヨロシクお願いします。
上野年度幹事から,先日逝去した伊藤孝一夫人から弔慰金の礼状がきたそうです。近くブログに掲載します。
今日9月10日湘南CGCを行い,上野三郎,椎原國康,平野律朗,山田良彦の4君で元気にプレーしたそうです。私は,手術後の為慎重を期して遠慮しました。小林勝君は所用で参加しませんでした。
左近允尚敏君から次の資料を送ってもらいました。
USNI (United States Naval Institute) 発行のNaval History 誌、本年10月号に掲載された池田武邦君の『The Imperial Navys FINAL SORTIE』
これは1945年4月の大和艦隊による特攻作戦についての英語版で,池田武邦君の労作で,中には,昨年4月行われた慰霊祭のこと,藤瀬君の画いた大和の英姿もあります。そして最後に『私の1943年9月海軍兵学校を卒業した625名のうち僅か290名が終戦時残っただけであった』と書かれています。
日記9月9日
パソコン用72期の名簿校正を終わり一応完成しました。直メールで送りますので活用頂ければ幸いです。機 経についてはこれから作成します。
日記9月8日
先日京都の山本省吾君から名簿について連絡があり,作成途中のパソコン用名簿を参考にといって,メール添付で送ったところ,こんな風にして名簿として活用している。僅かな経費で活用出来ると教えてくれました。
所要経費は次のとおりと試算までつけて。
「ファイル代金 100円
用紙代と印刷インク代 1頁2円として70枚で 140円
計 僅か240円ですみます。」と
見本のような物を作ってくれれば,名簿として充分活用出来ると励ましてくれました。
今戦没者の分の校正を行っています。近く完成しますので,メールアドレスの分っている方にはメール添付で送るので活用下さい。
そして,後ほど紹介しますが,いろんな活用方法が考えられます。
坂元正一君関連の岩松重裕,山田良彦,東條重道の3君の寄稿と同君関連の記事と,坂元正一君の遺稿をHPに取り込みました。
Commented by 金曜の寒梅 at 2007-09-08 20:56
匿名で恐縮ですが、私の伯父は香川県立三豊中学から、海軍機関学校に進学しました。大正12年生まれと聞きますから、皆さん方と一期上か下かと思われます。山地健一と言います。伯父のことをご存知の方がいらっしゃったら、どんな学生時代だったか教えていただきたいと思います。伯父は戦艦香椎に乗艦していてベトナム沖で戦死しました。
Commented by 伊藤 正敬 at 2007-09-10 07:26
お尋ねの山地健一さん 海軍機関学校53期には居られません。中学4年から入れば52期,浪人して入れば54期だとおもいます。今海軍機関学校出のものに聞いています。分ればお知らせします。
Commented by 金曜の寒梅 at 2007-09-10 21:00
宜しくお願いします。祖母の連れ子でしたので、私の父とは父違いの兄に当たります。終戦を挟んで伯父・祖父・祖母と亡くなりましたので、数年前に三人の60回忌を執り行いました。
Commented by 伊藤 正敬(72期) at 2007-09-14 21:49
山地健一さんは我々と一緒に卒業した海軍機関学校53期の2年先輩で51期です。海軍機関学校で同じ分隊(生徒生活の基本になる集まりを分隊という)で山路さんに指導を受けた方がわかりました。なにわ会のHPを開いてトップ頁の一番下から私宛メールを下さい。山路さんにご指導を受けた2年後輩の人の住所電話等お知らせします。 7:33 2007/10/28
日記9月7日
前に水上飛行機の機種について問い合わせのあった方から,またお尋ねのメールをいただきました。そのメールを転送しようとしましたが写真が多くて受信できないパソコンが殆どのようです。もし,受信できて,お分かりの方が居られたらお知らせ下さい。
HPに石隈辰彦教官への本村様の弔辞,新庄浩君と伊藤正敬の想い出と渡邉望の花田武彦君の想い出を掲載しました。
日記9月6日
なにわ会HPの閲覧数が7万件を越えました。1日平均70名が見てくれている事になります。会員以外も多数の方が御覧になっておられます。
なにわ会ニュース97号が配布されましたので,明日から逐次97号の記事を掲載していきます。
新聞記者のインタビュー
英字新聞ジャパンタイムズ報道部にて記者をしている本郷淳という方から伊藤正敬あてつぎのメールを頂きました。
「突然のメール失礼いたします、
現在弊紙では戦争体験者の証言を集め,インタビュー記事にまとめた「Witness to War (戦争の目撃者)」というシリーズを連載しております。これまでには元特攻隊やB級戦犯、戦時中新聞記者だった方々などにお話を伺うなどしてまいりました。
今回インターネットで伊藤さまが運営なさっているホームページを拝見させていただき、メールをさせていただいている次第です。
伊藤さま自身、あるいは和田孝雄様など、関東近辺にお住まいでインタビューに応じていただける方を紹介してもらうことはできますでしょうか?
返信お待ちしております、よろしくお願いします。」
インタビューに応じてもいい方,紹介させていただきますのでお電話下さい。
なにわ会ニュース97号発送
なにわ会ニュース97号完成,4日発送しました。今回も宅急便を使用しましたので,一部の地域では遅れることがあると思いますが,遅くても10日ぐらいまでには皆さんのところに届くと思います。
今日,明日受け取った方ご一報下いただければ幸いです。
伊藤孝一君逝去
本日伊藤孝一夫人の洋子さんから,次の葉書を頂きました。
『孝一は「(父)伊藤孝一は去る 月 日老衰にて夕日の沈む如く他界しました。遺言により葬儀は行わず,鎌倉霊園に納骨予定です。生前に賜りました御厚誼に対しまして,心より感謝申し上げます。」という文章を準備していました。」
去る7月14日午前10時40分書いてある通り,正に眠るように孝一は他界し,9月2日に納骨をいたしました。生前は本当にお世話になりました。有り難うございました』
この件,HPに掲載,直メールでは流しますが,約2月前のことですので連絡網では流しません。
日記9月5日
久し振りで上野君から和田日記を頂き,HPに掲載しました,和田先輩も健康を回復されて,また和田放談をHPに掲載できて嬉しいです。それにしても瀰浸(びまん)というような難しい言葉,本当に博学な方で敬意を表します。
京都の山本省吾君から次のメールをいただきました。
『名簿の効用には「ニュース性」「記録性」の二面があり、後者については既に立派な名簿が作成されているので十分活用できますが、前者は刻々変わっており、前回発行時から、だいぶ経過しています。
「ニュース的」にはクラスの生存者(例外的に戦死・戦没者の遺族で会誌を送ったり、靖国クラス会の案内など出し「なにわ会」に関係の深い名簿登録の方)の安否状況を知りたいのが第一と思います。
(注)例外的名簿登録遺族は何名くらいおられますか?
前回以降、住所変更もあり、逝去された方も増えているので、前記に絞った名簿を考えていました。伊藤さん個人の名簿に対する率直な所見を是非、聞かせてもらえば幸いです。』
これに対し,提案した名簿作成は撤回した事,今パソコンで使用できる名簿を作成中と返事しました。
日記9月4日
昨日左近允尚敏君から東京新聞(8・29)の小灘君の大きな記事「回天の真実 命削り伝える」「昨年死去の元搭乗員・小灘さん」「がんと闘い資料100冊」について連絡をうけました。この件については,本日小灘夫人から,その新聞を送付していただきました。
要旨次に転載します。
回天の真実 命削り伝える がんとの闘い資料100冊
以下は19年8月29日の東京新聞に掲載されたものである,
海軍中尉時代の小灘利春さんの写真あり
1945年春,山口県大津島で撮影の写真あり
『魚雷を操縦し体当たりで敵艦を沈める人間魚雷「回天」。先の戦争でこの特攻兵器の搭乗員だった小灘利春さんが昨秋,83歳で亡くなった。2年前,企画「記憶 新聞記者が受け継ぐ戦争」の取材で会った小灘さんは,「自分の命を捨ててこの国を守ろうとした搭乗員の思いがまだ伝わっていない」と語っていた。元搭乗員らによる全国回天会の会長を務め,回天の語り部として力を尽くした小灘さん。一周期を前に,神奈川県鎌倉市に遺族を訪ねた(五十住和樹)
控えめな父が,これだけは譲れないと強く思っていたのは,搭乗員の思いを「正しく」伝えることでした。小灘さんの3女,伊藤伸子さん(48)―金沢市―はこう振り返る。
小灘さんは,回天を記した本には,戦果を過大に書いたり,事実に反することが多いとみていた。それに対し公に訂正を求めると「どうしても個人攻撃になってしまうので言いにくい」と伸子さんに話していた。「争い事を徹底的に避ける性格でしたから」.もともと,自分の戦争体験を家族に積極的に話す人でもなったという。
変わったのは6年前,がんと診断された時。「自分しか知らない事が埋もれてしまう」と危機感を持ったからだった。
近年は映画やテレビで回天が取り上げられることが増えたが,「回天はいったん乗り込んだら出られない」などの誤りや搭乗員の思いを汚すような描写が目立つという。小灘さんは自ら集めた資料を基に制作側に反論,「誤って伝えられかねない。何としても生きていなくては」し伸子さんに話した。
「正しく書いてほしい」と、小灘さんが私に渡した資料は手書きも交じり、詳細を極めた。ここ数年で米国の関係者との交流も深まり、「貴重な資料が入るようになった。史実を少しずつ構み上げていかねば」と意気込みも語っていた。
その思いは、看病をする伸子さんら家族にもっとストレートに伝えていた。昨年八月、放射線治療で体が動かなくなるかもしれないというとき,小灘さんは「正しい歴史を,真実を伝えること,それが生きる理由だ」と言ったという。
がんの転移による激しい痛みに耐え,聴力も視力も殆んど失う中で,家族に頼んで文字を10倍にも拡大した回天の映画などを読み続けた。
「活(い)かさん 真実の記録と記憶を 伝えん 真の紳士 武士たりし人々の志 俤(おもかげ)を」
書類を整理していた家族が見つけた小灘さんのメモ。亡くなる1ヵ月ほど前に病床で書いたものだった。妻郁子さん(77)は「死を宣告されても動揺しないが,「回天の真実を残し終えないのは悔しい」と言っていましたと振り返った。
「大事なものは何か。守らなければいけないのは何か。国民一人一人が考えるべきだろう。が,守るべきは,掛け替えのない民族ではないか。」なくなる10日ほど前,伸子さんは父の言葉を病院のベッドで聞いた。こんな思いと一緒に残された資料はファイルにして100冊を越す。
「伝える」ことに最後までこだわった父を送った伸子さん。「あの戦争を,体で感じるような形で自分の子供たちに伝えたい。」と,私に話した。』
同じく堀劍二郎君から電話があって,香西宣良君(呉一中出身・名簿は消息不明となっている)の住所が中学の名簿で分ると思ったが,今度来た名簿には物故者が入っていないので分らないといってきた。ついでに先日の岩本修君の告別式における山田穰君弔辞の事を話してくれた。
旭輝雄君,岩松重裕君から先日尋ねた名簿発行に対する意見をメールで頂いた。
小西愛明君から今度来た「水交 9・10月号」の28頁3段目終りから4行目からの次の記事はおかしくないかといってきた。
『兵学校でも昭和18年に卒業した豊田穣氏の著書』江田島教育』(新人物往来社)では恒例の卒業前のテーブルマナー科目をたのしみにしていたところ,スープの代わりに水が出て「スープだと思って飲め」 メインディッシュの肉も「ビフテキがあると思って演練をやれ」ということで,何も無い皿の上でナイフとフォークを使ったフルコースだった」とある。』
この文章の豊田穣氏は68期だと思うし,我々の時は実際のスープとビフテキだったと思うが,もう64年前の事,記憶はあやしいが,皆さんの中で経験を思い出せる方教えて下さい。
以上いろいろの方から情報を頂いて有り難く思います。これからも頂いた情報は出来るだけブログで流しますので,見て頂いてコメントにドンドン書いていただければ幸いです
コメントはこの下のcomment(0)をクリックすれば書き込む空欄が出てきますので試して下さい。
Commented by 深井紳一 at 2007-09-05 09:12
小灘氏の真実の記録に対する思いに頭が下がりますし、共感も覚えます。脚色や主観の混ざらない本当の記録の大切さを痛感します。それこそが軍人の生きた証であり、死んだ理由だったといえるでしょう。きちんとした記録が無ければ、ただ「戦死」という事です。可能な限り、誰がいつ、どこで、どの様な理由で何を思いどの様に亡くなったか全て記録して後世に残さなければいけないでしょう。周辺の事実関係も分かる限り正確に残されるべきですね。「カミカゼの真実」須崎勝彌著光人社、宇佐の群像の章の最後で兵学校出の士官で艦爆隊から特攻した者は一人もいないと書いてありますが、伯父が特攻しています。72期は本当のステーキでの授業であったかもしれないのですね。
Commented by naniwa-navy at 2007-09-05 18:24
何時もコメント有り難うございます。私は本当のフルコースの食卓礼法の実習だったと思っています。伊藤です。
Commented by 横浜 長島 at 2007-09-07 11:14
小灘さん(長女)から連絡を頂きながら失念し、当日東京新聞を買いそびれてしまいました。ブログに記事が掲載されていたので、ありがたく拝見いたしました。
先日横須賀の海上自衛隊基地開放に行き、護衛艦を見て小灘さんに観艦式の入場券を頂いた事や、DVDを頂いた事を思い出しました。
とても穏やかで優しい方でした。もう少し早くお会い出来ていればと思いました。
Commented by naniwa-navy at 2007-09-08 20:10
小灘利春さんのお知り合いの方ですか。お役にたって嬉しいです。小灘利春君とは私海軍兵学校2学年の時1年間同じ分隊で生活を共にした仲です。当時からトテモ誠実な生徒でした。伊藤正敬です。
日記9月3日
次により新しい南極観測船の船名を募集しています。
日本の南極観測船「しらせ」から新しい船へバトンタッチ。この船に名前を付けてください。「宗谷」「富士」「しらせ」に継ぐ4代目の南極観測船として建造中で、平成 21年度から南極へ出発します。全長138m幅28m基準排水量12,500t、厚さ1.5mの氷を連続して砕いて進む能力があり、世界のトップクラスの砕氷艦です。
応募期間 平成19年8月1日〜9月10日
応募方法 官製,〒119-0130 東京都板橋区加賀1−9−10 南極地域観測統合推進本部 船名募集係 宛てに郵送する。
平成19年9月10日 当日消印有効
応募に当たっての注意 船名は、名所旧跡(例えば山や氷河)の名称を 「ひらがな」で付ける。漢字・カタカナ・アルファベット・記号などは除く。名称の前後に、第二(だいに)、新(しん)、○○丸(まる)、(ごう)などは付けない。
防衛省の現在使われている艦艇名は付けない。
選考や発表 上記推進本部の「船名選考委員会」が選考する。 選考された名称の多い場合は、抽選で20名以内を決定する。発表は11月下旬、入選者には直接通知し、記念品を贈る。 匿名を希望する場合は、氏名の後に「匿名希望」と書くこと
入選者のうち1名を進水式に招待する。
(注)応募者の個人情報については、船名選考後直ちに破棄し、この応募以外に使用することは一切ありません。
細部については,http://www.nipr.ac.jp/jare/newship/index.html参照のこと。
日記9月2日
上野年度幹事から,次の礼状が岩本夫人から来たとメールを貰いました。
『謹啓 夫修儀、死去に際しましては丁重なる献花を賜り誠にありがとう存じました。
ここに生前のご懇情を深謝いたしますと共に厚く御礼申し上げます。
皆様のご厚情により、おかげさまをもちまして、細腕ながら仏事万端滞りなく相済せることができました。
さっそく拝眉の上お礼申し上げるべきところでございますが、略儀ながら書中をもって謹んでお礼申し上げます』
日記9月1日
京都の小西愛明君から電話を貰い,電話連絡網の彼の連絡先の大山裕正君のところが何時も留守番電話になっていて通じなく,留守番電話に入れておいたところ,息子さんから電話があり,父は体調不良で電話に出られない事が多く,私は『なにわ会のHP』を見ているのでわざわざ知らせていただかなくても結構ですと連絡があったそうです。
連絡網の内容は,HPとブログでも流しています。ご子息やお孫さんげパソコンを活用されているかた,是非HPとブログを見て下さい。
携帯電話でもメールおくれます,携帯のアドレスを送っていただければ,パソコンに登録して連絡網の内容を携帯にも流します。