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平成22年12月11日 掲載

正七位海軍大尉 山田 穣 君!

君が生を享けて九十年、波瀾万丈とも云える人生の終焉、幽明境を別つに際し、私は今茲に生前の約束に従い老醜老耄を顧みず僭越ながら弔いの辞を捧げて君との別れを惜しむものである。
 栄光の帝国海軍破れて既に六十有七年、君が昔日の勇戦活躍を知るもの既に寥々。光陰は正に矢の如く総ては忘却の深淵に没せんとするとき、悲しむべし君もまた幽冥の彼方に旅立つや。
 父祖代々武門の名家に生を享け、就中、日本の命運を決したる日露の海戦に於いて、知る人ぞ知る武勲に輝く軍艦和泉の艦長を祖父に持つ君は、戦後も遂に海軍将校の矜持を喪うことはなかつた。

 敗戦を機に総ての価値観は一変し、弱冠二十有余才の我々は正しく今後の人生に如何に対処すべきか途方に暮れた。
戦後暫く多くの期友は復員輸送や掃海作業等の終戦業務に追われたが、その間旧軍人に対する大学の門は狭く、巷間世事に疎い我々には甚だ住み難い世の中であつた。然し、浮世の波に翻弄されつつも君は逞しく人生の活路を拓いていつた。

戦後我々同期の者達が夫々苦闘している中で、先ず独力で頭角を現したのは西の河野と東の山田。
中でも君は社屋竿頭に軍艦旗を掲げ、合理的海軍精神と戦友愛にも通じる同志的愛情をもって社業の先頭に立った。
その頃の颯爽たる君の姿は傍目(はため)にも誠に心地よかつた。私は多少のやっかみも交え、西の河野に大社長、東の君には名社長のニックネームを進呈したのであつた。

 自らも認めているように、君の兵学校時代の成績は必ずしも抜群とは言えなかつたかも知れない。
然し、戦後の努力は抜群であつた。板紙連合会に就職して業界のことを勉強、数年にして独立するや、小なりと雖も日本フルート株式会社を忽ち業界有数の企業に育て上げた。

君のたゆまざる研究努力の賜物である。それは単なる仕事の面における技術だけではない。人間の生き様としての高い教養を積み重ねていつた結果である。
私が君の会社を訪れたのはたつた一度だけであるが、その時社員に接して彼等が君に対する敬愛の念に並々ならぬもののあることを感じた。人徳の致すところである。

 君は威風辺りを払うというのではなかつたが、君の在るところ常に古武士の風格を偲ばせ、しかも颯々として爽快の気が満ちた。
順風満帆の社業、琴瑟相和す和子夫人とのご家庭、今でもありありと思い出すのはご子息秀君結婚式の光景である。
式場に掲げられた日の丸の旗、そして開式にあたつての国歌斉唱。我々が忘れ去ろうとしていた祖国愛の精神を、もつとも個人的幸福に酔いしれている筈の君が忘れていなかつたのである。
我々は正に一陣の清風に身を洗われた思いであつた。

 さりとて君は決して己が思想信条を他人に強要する人ではなかつた。社業の隆盛も決して自慢することはなかつた。そんな君を我々はクラス期待の星として、内心誇らかに思つていた。アメリカ進出の話しを聞いて、益々その思いを強めたものである。

 然し人間の運命は神のみぞ知るところ。思いもかけぬ落とし穴とでも言おうか、アメリカのパートナーである取引先企業のオーナー社長が、夫人の病気治療のため突如事業からの引退という不測の事態に直面した。順風満帆の社業に翳りが生じたのである。
かてて加えて、最も信頼する現地子会社の米人社長までも突然死するという不幸が追い打ちをかけた。

 独立自尊、日本では業界の雄とはいえ社会的には中小と言うべき企業が、社運を賭け進出した海外での非常事態は誠に深刻であつた。総ては天運である。
折角のアメリカ進出が挫折し、心中誠に無念の思いで一杯であつたろう君に、更なる試練が襲い掛かることとなつた。
バブルの崩壊、業態の急変、海外低賃金による産業空洞化等々、「大廈(たいか)の将にに顛(てん)ぜんとするや、一木の支え得る所にあらず」の諺とおり君は永年手塩にかけて育てあげた企業を売却するという、無念の敗退を余儀なくされた。

 然し此の非運に際しても君は毅然たる態度で臨んだ。取引先への債務の完済は勿論のこと、君が最も心配したのは部下従業員の将来である。
己が名利は一切望まず、全員の雇用確保を条件に会社を譲渡し、経済人としての最後の名誉を重んじたのである。

 我が人生、君との個人的想い出は尽きないが就中、君は社業に精進する傍ら期友戦没者の慰霊、特に自ら決死の作戦に従事した潜水艦、回天関係の慰霊行事については誠に熱心であつた。   
就中(なかんづく)、伊五三潜で参加したパラオ・コッソル環礁への回天作戦に対する実証的批判は、戦後自ら現地を視察考証した上での所見であり、その著作は回天勇士へ注ぐ君が熱き思いと歴史の教訓としての万鈞(ばんきん)の重みを感じさせる。

 君は経済活動を停止してからも向学心は衰えず、早稲田大学エクステンションスクールに通い現代史を研究、その人間としての研鑚努力は誠に畏敬に価する。
中でも、君が最晩年の労作「頭上の狼・眼下の敵」は、米海軍の護衛駆逐艦コンクリンと我が方回天搭載艦の伊号37と48潜水艦の死闘を描いた誠に貴重な文献である。

君が勝れぬ体調を押しての営々たる努力は、回天関係者ならずともその調査資料の精緻さに驚嘆措く能わざるものである。
回天勇士の壮挙とそれを支えた海の忍者潜水艦の最後のついてこれほどの著作を、しかも老後清貧のなかで成し遂げた偉業は君が人生の掉尾を飾るに相応しい金字塔というべきである。
然し歴史は誠に非情である。急速に変貌を遂げる世相、中でも圧倒的な情報の氾濫する現代社会では、君の偉業に対する評価も賛辞も朝露一瞬の夢の如く、誠に無念やるかたない。
所詮は無駄な繰言と思いつつも
「何故貴様は死んでしまつたのだ」と言いたい。

世上規模の大小を問わず企業経営や、更には人間の生き様も戦に等しく、この平成の世に幾人の著名人が己が名利に拘泥してその晩節をけがしたことか。 
君の如きは言うは易く行うは難く、正に古武士さながらと評すべきである。

とまれ人生の有為転変は天の命ずるところ、共に昭和の大戦を潜水艦で戦い、奇しくも命を永らえて今日まで祖国の復興繁栄を体験し得たことは大いなる歓びというべきか!
山田兄よ、以て瞑されんことを衷心よりお祈り申し上げるとともに、ご家族ご一統様に神のご加護を賜らんことを!

    平成二四年 十一月二十一日 

                                 海軍兵学校第七二期    泉 五郎


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