TOPへ   物故目次
                                                             




平成22年12月11日 掲載

伊藤 正敬 君よ !

君は我らが「なにわ会」の輝く北斗の星であつた。 否、 押本君亡き後「なにわ会誌」の編集のみならず、クラスの友情維持の為最重要な仕事であつた名簿刊行の労をも一手に引き受けてからは、君なくして「なにわ会」は存続し得なかつたと断言しなければならない。

その労たるや筆舌に尽し難く、その功たるや何物にも代え難い。
翻って思えば旭日の栄光に輝いた我らが青春は須臾の間に等しく、戦後は落日の残照に浮世の辛酸を舐めることとなつた。

もとより期友夫々その人生は千差万別、同じクラスと雖も戦後の生き様、夫々の思想信条には左もあれば右もあり、功成り名を遂げた人も居れば失意不遇の迷路を彷徨せざるを得なかつた者もいよう。

戦前、君は海軍軍人であつたお父上や兄上の後を追い同じく海軍兵学校に進み、我等は共に同期の桜として大東亜戦争を戦ってきた。然し。武運に恵まれご一家は三人とも無事復員、それぞれの戦後を行き抜いてこられた。

そして今やその悉くが八十路も末の老いの坂に喘いでいるか、或いは僅かながらも卒寿を数えるに到る今日まで、君の尽力と奉仕そして「なにわ会誌」と「なにわ会ブログ」の存在が多くの期友に生きる糧と希望を与え続けてきた。
君なくして「なにわ会」の今日はなかったと断言して憚らない。正に「文を以て友を会す」の仁徳を施して来たのである。
然しながら人生の無常は白駒の隙を過ぐるが如く、同じく老残の我ら又君を追う日とて須臾の間と覚悟しなければならない。

そして今此処に、ご霊前に立ちて君を偲べば惜別の情更に澎湃として筆舌に尽しがたく、素より片々たる粗辞万感の弔意を尽くす能はず。只天を仰いで君がご冥福とご遺族ご一統様にご遺徳の光あまねきを信じるのみ。

伊藤正敬君よ!安らかに眠れ
                                            平成二十四年二月二十五日
                                              なにわ会   泉 五郎


TOPへ   物故目次