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平成22年12月11日 掲載

樋口 直 君

弔辞
天も哭せ地も嘆くべし。もとより齢卒寿の域に到り我ら一同も共に概ね天寿を全うしたりと雖も、今茲に敬愛する君が霊前に立てば感無量。
許よりその任に非ざるは言を俟たざるところなれど今茲に追悼の辞を捧げんにも言を失い己が凡俗菲才を嘆くのみ。
悲しむべし俊秀の期友も多くは既に幽明境を異にし君を待つは遥か彼方の涅槃の園か天国か。
敢えて不遜の謗りを省みず放言すれば、彼ら挙りて諸手を挙げ君が遷化を歓迎すべし。更に、いづれは近々我らもまた往生に当たり君が先達を願うや言を俟たざるところなり。

 翻って思へば往時は既に茫々たりと雖も、昭和の御代も十五年の師走、熱血愛国の志止み難く江田島の地に集いし我ら六百有余名、風雪遡ること奇しく七二年。
切磋琢磨して学術心技の練磨に明け暮れること三年足らず、戦局の逼迫に伴い怱々に海空の第一線に投入されるや、征戦僅か二年に満たずして過半の期友を喪う。無念痛恨言うべからず。
然りと雖も戦局遂に好転せず、無念の敗戦とともに大方の我らは茫然自失の体たらくと言うに、終戦時舞鶴鎮守府に在勤中の君は直ちに行を起こし、近畿北陸方面の戦没期友遺族の弔問に努めたる由、その信義その戦友愛の篤きこと他に類を見ざるところである。
想起するに政府は敗戦を終戦と言い換えて現実を糊塗しつつも、一方吾人を処遇するに職業軍人と呼称した。個人的には私はこれを甚だしい蔑称と感じ今でも強い嫌悪感を禁じえない。
呼称のみならず当時我々には公職追放等の不平等を強いながら、朝鮮戦争が勃発するや、忽ち掌を返しその名も自衛隊と称して旧軍人を募集するに到つた。

君にして自衛隊に応募しておれば最終的には必ずや統幕議長に擬せられたに違いないと信じてやまないが、然し君は敢えて一市井人としての道を選んだ。
私は個人的には君のこの潔い態度に内心敬意と共感を惜しまない。

更には戦後、兵科のみならずコレスの機関科主計科を糾合し、旧海軍にも類を見ない「なにわ会」結束の要として君は遺族や期友の信望をあつめた。
恨むらくはその「なにわ」会も先日伊藤正敬君の急逝、並びに期友の老化に伴い、遂に多年の活動も終焉に向かうはやむを得ざるところ、恰も君が大往生に歩調を合わせるが如き実情も奇しき因縁というべきであろうか。
思えば昨年六月、なにわ会恒例の靖国神社参拝の行事に際し、君が諸手に杖を曳きながらその巨体を運ぶ姿の痛々しさに、秘かに感動を禁じえなかつたがその日が君と相見える最後となつてしまった。
「願わくは君よ、安らけく眠り給へ」と「なにわ会」一同に代わりて衷心より祈るや切なり。

                                            平成二十四年六月三十日
                                                 泉 五郎


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