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 安元教官の伝言

      畊野 篤郎

 

今年春の異動で東京勤務(陸幕第四部)となり、2カ年の大阪勤務をあとに再び舞い戻って参りました。

お蔭で再三のクラス会で多くの期友に会う機会にめぐまれ喜んでいます。予想以上の大活躍振りを示している姿に接し、何ともいいようもない頼母しさを感じています。(逆に自分の不甲斐なさがはづかしい位)

さて、懐かしい教官の一人、楓爽たる、覇気溢れる象徴的海軍士官であった安元至誠教官の近況について申上げます。

安元教官は、警察予備隊に入隊以来、陸上自衛隊でご活躍中ですが、今夏ご昇格なされ第八師団(熊本)副師団長になられました。

謹んでお祝い申上げるとともに、今後のご発展、ご活躍をお祈り致したいと思います。最近、次のお便りに接しましたので、紙上を借りて期友各位にお伝えします。

    ◇    ◇    ◇

 安元教官のお便りの一節

「七十二期ニュース有難く拝受、変りなきご厚情に心から感謝申し上げます。

なにわ会報を拝諭するごとに惰気を一掃し仕事に喰いつく意慾を燃して居ります。同期の諸兄によろしくお伝え下さい。」

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 編集部付記

昭和16年春、万物生殖本能盛んとなる頃、安元当直監事の食事時の達示は異色。

「最近、神聖なる生徒館内に野犬が往行しておる。以っての外である。見付け次第、蹴り殺せ‖‥終り/」

当直監事にも十人十色‥安元至誠型教官が当直監事になられると、一号、週番生徒は大いにハッスル、四号三号、鉄拳奉戴五割増。

入校時の自己紹介「俺が貴様達の指導官附である。姓は安元、名は至誠」。入校教育の終った頃の日曜の半日、二部の四号有志を帆走で津久茂の寺へ (勿論われわれは帆走をまだならっていなかったので、教官は艇指揮、兼艇長、兼艇員)艇尾に立ってクラスの友情を説き「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う、人生意気に感じては・・・・」と高唱されたのはまだ耳新しいものがある。)13−05

 

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