平成22年5月3日 校正すみ
宇野俊夫君を悼む
樋口 幹
「西光院釈俊夫」
去る10月23日83歳の生涯を閉じた一僧侶の法名である。
彼の名は宇野俊夫、クラスでは昭和20年1月11日戦闘機で戦死した北村一三君、先日なくなった中西健造君とは彦根中学の同期である。小生、中学では彼らより一級下であり、兵学校卒業後一人だけ艦艇に配属されたため、思い出といえば関西なにわ会が主である。
戦後、彼は仏門を目指して京都の名門龍谷大学で仏の教えを学び、卒業と同時に親戚筋に当る宇野家に入り、西光寺の住職を継いだ。
彼の生家、水谷家もやはり仏門に属し、代々住職を務める家系で、現在も彼の実兄の水谷信昭氏がお寺を守っておられる。
西光寺は滋賀県五個荘町(現在東近江市)南地区にある門徒60を数える浄土真宗の名刹である。
激しい戦争で荒廃したお寺を立派な西光寺に戻す事が彼の最初の使命であり、持ち前の海軍魂と深く学んだ仏の教えで門徒の信頼を得、ようやくその基礎を固めたが、前途には更に大きな試練が待ち構えていた。
昭和55年5月7日一夜にして彼の西光寺が焼失する不幸に見舞われた。責任感旺盛な彼は、不撓不屈の精神で再び奮起し、14年をかけて平成6年11月3日ついに現在の立派な西光寺の再建を成し遂げたのである。修行の足りない小生は彼の酒量が増えたのはこの頃かも知れないと推測している。
小生この老齢にして未だにお経を知らない。かねがね死んだら宇野が送ってくれるものと安心していたが、立場が逆になってしまった。素人ではあるが、心から玄人西光院釈俊夫のご冥福を祈りたい。 合掌
追記
彼の葬儀は10月24日、商売柄多くの高僧と門徒の合唱のなか盛大に行われた。クラス代表としては中西夫人と兵庫県から馳せ参じてくれた大村哲也君と小生の3人が参集して旧友を弔った。なお中西夫人には本報告の校正に至るまで何から何までお世話になった。紙面を借りて厚くお礼を申し上げる次第です。
(平成18年12月)
(なにわ会ニュース96号37頁 平成19年3月掲載)