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平成22年5月11日 校正すみ

角田 慶輝君への弔辞

原田 種睦

謹んで角田慶輝君の霊前に回想と共にお別れの辞を申し上げます。

君とは兵学校卒業後、僕は戦艦山城から駆逐艦長波に、君は潜水艦にと夫々異なった方向の勤務に就く事となった為、実戦中はお互いに交流する機会に恵まれずに終戦を迎えました。しかし、昭和15年12月の兵学校入校には奇しくも第43分隊に配属され、机も隣合わせとなりました。60年も前の事になります。当時、昭和15年は皇紀2600年の時に当たり、また日・独・伊三国防共協定が成立した軍国調の最盛期の時でした。我々血気に満ちた壮士達は、乃公出ずんば誰が祖国の危機を救い得んとの気概に燃えていたので、兵学校の合格は人生最大の喜びでした。

君は熊本県、鹿本中学をトップの成績で卒業し、その明晰な頭脳に加えて明朗温厚な性格の中にも亦断固とした信念を持ち、僕も密かに尊敬の念を懐いていました。特に体操・相撲・剣道には底力を発拝して強く、良きライバルとして切磋琢磨したものでした。

この様なキリッとした反面、顔には笑みを含んで血色が良く、多少出張った両頬には味を湛えた美青年でした。姓名申告の時に「ケイキッ」と歯切れがよく、やり直しはなく、一方、僕は「タネムツ」と発音が締まらず「聞こえない、やり直せ」と怒鳴られたが羨しかった事など思い出しました。

60年前のこととは申せ、君には思い起す失敗や欠点は少なく、円満な人柄のみが印象に残っていることは、君の人格の然らしめたものでしょう。

今年の年賀状には、僕の2年間の幹事役に対する慰労の言葉が書かれており、まさか君が癌に冒されて3カ月後に訃報に接するとは信じ難いことでした。

伺えば、ご令息輝久氏は東京大学を卒業され、現在富士銀行の中堅幹部として活躍され、令嬢千鶴子さんは津田塾卒業の才媛で、嫁先での評判も高く、加えて御夫君斉藤氏は防衛大学を極めて優秀な成績でご卒業になり、将来の自衛隊最高幹部を嘱望されている由、闇き及んでいます。

君は次の世代にこの様な立派な後継者を残された事は、真に立派なお手柄だと思います。

今日ここ海軍ゆかりの地、横須賀で葬儀が行われることは、君のほうから我々に別れ場として遥か九州からやって来て呉れたと思い感謝しています。

心から角田慶輝君のご冥福をお祈りすると共に、悲しみの中にある奥様始めご遺族の上に君の霊が臨まれて癒されますよう祈ります。

平成12年4月9日

海軍兵学校第72期代表 原田 種睦

(なにわ会ニュース83号6頁 平成12年9月掲載)

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