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平成22年5月11日 校正すみ

谷田 哲郎君永眠す

 

 株式会社京料理美濃吉の代表取締役専務として活躍していた谷田哲郎君が6月1日永眠、社葬が6月9日午後1時から京都三条大橋東の超勝寺で行われた。

彼の生前の活躍を物語るように多数の会葬者が次から次へと別れをおしんで焼香の列をなし、午後3時過ぎるまで盛大を極めた。

全面を菊花にて飾られた遺骨祭壇を前に導師の読経に続いて、葬儀委員長の美濃吉社長、友人代表の阪神キトラパン社長、続いて第53期級会代表、自衛隊ツバサ会代表から夫々弔辞があり、又数多くの弔電が披露された。

そして、葬儀委員長、喪主谷田悦子さん遺族、来賓、親族、会社役員の順に焼香が行われ、悲しみのうちに葬儀を終了し、引続き告別式が行われた。

折から、彼の死を悲しむが如き雨が彼の愛した古都、京都の古寺をしとしとと濡らしていた。

永遠の眠りについた谷田哲郎君の冥福を心から祈る。

なお、葬儀に際し、なにわ会及び海機第53期級友として、それぞれ個別に供花及び香典を捧呈した。

野崎・大山・森川(以上機)・山本(省)・桂(以上兵)の期友が来賓として参列したほか、全国各地の先輩・期友・後輩から弔電・香典がよせられた。

 

 谷田哲郎君、「貴様、元気か。」と、もう一度肩をたたき合いたい。

暁映(も)ゆる青葉山
野は紫に山青く
綾羅(りょうら)の色に染めなして
天地(あめつち)こむる朝ぼらけ
見よ舞鶴の湾頭に
吾等(われら)が根城はそそりたつ」
と、大声をあげて共に校歌を斉唱したい。

しかし、君はもういない。級友で君と最後に会ったのは昨年の秋だった。元気に「美濃吉を日本一の店にするのだ。」と胸を張って言っていたのを思い出す。

仕事を大切に頑張り屋だった君。スマートでテキパキと仕事を処理した君。そして、飛行機が大好きだった君。思えば、35年前、紅顔の少年だった我々海軍機関学校第53期生徒が、将校生徒として選ばれて、共に学び共に訓練した舞鶴時代を思い出す。

過ぎ去った大戦で級友の大半を失いつつ、猶、生きながらえた君がこの若さで・・・と思うと感無量である。

その時、培った海軍精神を実社会で発揮し、活躍しつつあった中途において、病を得て遂に不帰の人となった。君は、さぞ残念であったろう。

我々級友一同、君の意をたいして毎日を、全力を傾注して生き抜く。そして、残された家族に対し、力添えをなす所存です。

谷田哲郎君のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

昭和51年6月9日

海軍機関学校第53期代表  森川 恭男

(なにわ会ニュース35号15頁 昭和51年9月掲載)

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