平成22年4月29日 校正すみ
田中 一郎教官への弔辞
中村 元一
謹んで故海軍兵学校第64期田中一郎教官の御霊(みたま)に申し上げます。
教官は昭和17年12月1日より海軍兵学校第45分隊監事として72期,73期、74期、計40名の我々分隊員の訓育指導に日夜ご苦心を賜り、まことに有難うございました。
時あたかも真珠湾攻撃より1年、生徒館には異常な緊張感が漂っておりました。
終戦後間もなく、元駆逐艦の復員船「すぎ」船長をされていたある日、「すぎ」を訪れた私に「中村君! ウチにリャン子が生まれてね・・・」と2人の令嬢同時お誕生に相好を崩されての喜びようがつい先日のように思われます。
そして、やがてお嬢様も学校を卒業、ご就職の段階となりました。偶々(たまたま)72期の山根眞樹生君と名村英俊君が、ともに人事課長をしていた八幡製鉄と日本郵船への入社が内定し、橋渡し役の私も大いに安堵いたした次第です。
しかしながら、次女京子様のご主人寺田洋右様がご病気のため、平成12年ご逝去されたことは、お嬢様はもとより教官ご夫妻のお嘆き御落胆はいかばかりかとお察し申しあげます。
毎年4月5日に行われます45分隊会には何時もご熱心にご出席下さる教官でしたが、平成5年を最後にしてお姿を拝しておりません。
横浜でご入院中の由にてお案じ申しあげておりましたところ、さる6日、ご逝去の御報(しら)せに接し、青天の霹靂(へきれき)の思いでございます。
生者必滅会者定離と申しますが、あのにこやかな教官のご温顔に再びお会いすることは出来ません。
まことに痛恨の極みでございます
田中一郎教官! どうか安らかにお眠りください。
平成16年1月10日
海軍兵学校72期 中村 元一
(なにわ会ニュース90号14頁 平成16年3月掲載)