竹内 茂君を偲ぶ(その2)
桂 理平
第一信を脱稿した後、欠落していた彼の医者時代の活躍について、福岡市医師会会長から寄せられた弔辞と奥様から見た感想文を受領した。どちらも貴重な資料であって、竹内の人柄をよく表現しているが、なにぶん長い文章なのでそのまま引用するわけにゆかないと思い、簡略化してその趣旨を伝えたいと思う。
彼は佐賀県小城郡三日月町に生まれたが、幼い時父上の勤務先である現在の韓国ソウルに渡り、龍山中学を経て、昭和十五年十二月に海軍兵学校に入校した。二十年八月敗戦により復員してから、一転して医学の道を志望して、九州大学医学部に入学し、二十五年に卒業したが、引き続いて、母校で産婦人科の専門医としての研鑽を積んだ。
三十四年十二月、福岡市東区箱崎に診療所を開業し、病気のため、平成二年に閉院するまでの三十一年間を地域医療に打ち込んだ生涯であった。
(なにわ会ニュース87号19頁 平成14年9月掲載)